24話.衣着せつる月の姫
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阿部の助言を受けておいて助かった。
体育館裏にある駐車場に着くと、三人の下女に囲まれた姫が車に乗り込もうとしているところだった。
「姫!」
大声を張り上げたのは生まれて初めてかもしれない。
喉が震えた。
「……帝様」
くるりと振り返った姫が俺の名を呼ぶ。
だが以前のそれとは違う、冷たく無関心そうな抑揚のない声。
表情も堅く、息が荒い俺を蔑むような目をしていた。
「なにか御用で?」
下女の一人が俺と姫の間に割り込む。
彼女を一瞥し、姫を見つめる。
「お話が、したいのですが」
目線は合わない。
喋らない姫に変わって、下女が口を開く。
「お話しすることはないそうです」
「君に聞いてはいない。俺は彼女と話をしている」
「それが不可能だと申しております、お引き取り願います」
まるで示し合わせたように、三人の下女が同時に頭を下げる。
その中心で、そっぽを向いて動かない姫。
一瞬で理解した、これはダメだと。
絋介、君の言葉は正しかった。
おそらくこれは、無理だ。
「姫、今一度問います」
こちらに目もくれない姫と、彼女を取り巻く東城の下女たち。
衣着せつる人はーー…
現世では、東城の家紋が刻まれた着物が天の羽衣に値するのであろう。
それに当てられて姫は、まるで別人のように変わってしまった。
「君は、東城へ行く事を厭わないのですか?」
「仰っていることの意味を、理解し兼ねます」
うつむき、袖で口元を隠しながら姫が言う。
「俗世を捨てても構わないのか、と聞いています」
雪のような肌、氷のような冷たい表情。
それでもやはり、彼女は美しい。
「構いません。なぜ私が此のような儚き俗世に留まらなければならないのでしょうか。無駄話は好ましくありませんので、これにて失礼致します」
「ひどい言葉遣いですね、付け焼刃で寄り寄りおかしい」
「……話は以上ですか? では……」
「俺に対しても、すでに関心を失っていますか?」
「……はい」
「二度と逢えなくとも、それで良いと?」
「はい」
姫の言葉には感情がこもっていない、俺に目を向けようともしない。
人の心を失ってしまったのだ、彼女は。
昔からそうだ。
そうやって月の姫は、俺の前から姿を消す。
今度こそ背を向けた姫が、自家用車の後部座席に乗り込む。
下女が着物を支え、ドアに手をかけたその瞬間、
「文を……」
言葉が無意識に、喉を突いて出た。
「姫に歌を、届けます」
途端、姫が顔を上げた。
一瞬見つめあったのち、車のドアが閉められて目線が遮られた。
スモークガラスのため、姫の姿は見えない。
慌ただしく下女たちが車に乗り込み、早々に走り去って行っていく姫を乗せた車。
「……終わりだ」
その姿が見えなくなったところで、俺は深くうなだれる。
物語はこれでおしまい。
麗しき月の姫は、本来彼女が生きるべき場所へ。
俗世で過ごした時間を全て捨てて、大切な人の気持ちも慮らずに。
「……いや」
物語にはまだ続きがある。
その後、翁と嫗は姫を失った悲しみで無気力になり、病に伏せた。
そして俺は……
「駿河の国か、ここからは少し遠いな」
そんな所へ行ってなにをするというのか。
富士山の山頂で薬を焼き、この山の正式名称は不死山だとでも叫ぶのか?
「阿呆か、俺は」
自身の不甲斐なさに呆れため息を漏らしたとき、ひゅうと風が吹いた。
振り返ると、二メートル程離れた場所に繭が立っていた。
後ろ手には、紙束を持っている。
「……残念です。このまま振り返らなければ、放っておくつもりだったのに」
紙束を握り締めた繭が哀愁を帯びた笑みを見せた。
なぜだろう、この娘も先ほどと雰囲気が違う。
別人になったようだ。
「富士の山程ではないけれど、少しは天に近いはずです。屋上に行きませんか?」




