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23話.阿部



 午前九時から午後一時まで、姫は讃岐の家で育ての親や義兄である絋介に別れを告げる。

 讃岐の家でことを起こす気はなかった。そこで失態をすれば、讃岐の者たちに迷惑がかかる。


 なにより、家族との時間を穏やかに過ごさせてやりたかった。

 考えたくはないが姫の意向によっては、もう二度と会えないのだから。


「よくよく考えたら、暇だな」


 午前十時前、学校校舎の旧階段の踊り場、小窓から校庭を眺めていた。


 生徒たちは授業中。


 旧階段を使う生徒は滅多にいない故、姫が学校に向かうまでの時間そこに隠れておくことにした。

 藤宮の情報によると、姫が学校に到着するのは午後から、あと三時間ある。


「姫を説得する練習でもしておくか? いや、話をして本意を聞き出せばいいだけだ。練習するほどのことではない」


 ふと、声を出していたことに気がついて立ち止まった。

 頭を壁に打ち付け、落ち着けと言い聞かせる。

 讃岐の家を出発したら連絡する、と絋介と示し合わせていた。

 何度も携帯の画面を見ているが、やはり連絡はない。


「月詠くん?」


 携帯を凝視していて、人影に気が付かなかった。

 声に振り返ると、階段の上に阿部が立っていた。


「うわぁ、月詠くんだ。久しぶりだね」


 人の良さそうな朗らかな顔で、阿部はポテポテと階段を降りてくる。

 姫の恋人選びの際、火鼠の皮衣を依頼された男だ。

 悪徳商人に偽物を掴まされ、呆気なく散っていったが。


 この男のせいで俺は、警察を機動して兄上に叱られた。


「元気してた?」

「休んでいた時の気分は最悪だったな」

「そうなんだぁ、元気でよかったね」


 こいつは人の話を聞いていないのか、もしくは俺ではない別の誰かと会話しているのか。

 怒る気力もなく、適当に相槌を打ってかわす。


「僕は腹が悪くて、保健室にいくところだったんだ」

「そうか、お大事に」

「少しくらいなら時間があるから、いいよ?」


 なにが良いのかわからないが、はいはいと頷いておいた。

 朗笑する阿部が、それでも話を続ける。


「さっき姫に会ったんだけど、相変わらず麗しいね」

「……姫?」

「あれだよ、かぐや姫。えっと、名前は確か……夜武羽姫さん!」


 思いもよらぬ名前が出て、俺は身体ごと阿部に向き直った。


「姫に会った? どこで?」

「教室の前で」

「……は?」

「相変わらず綺麗だけど、雰囲気変わったよね。お供の人の形相が怖くて話しかけることも叶わなかったし。そういえば姫が纏っていた衣の家紋、どこかで見たことあるような」


 宙を見上げる阿部の腕を、俺の両手が掴んだ。

 驚いた阿部は、不思議そうに俺を見つめる。


「なぜ姫が、ここへ?」

「さぁ? 自分の教室に向かっていたみたいだけど。厳格な雰囲気で、みんな廊下の隅に寄って姫のために道を開けててさ。えーっと、あの家紋どこのだっけ、剣が交差する」

「貴族のくせに、君はあの家紋を知らないのか?」

「僕の家はそんなに気位が高くないし、政治にも疎いんだ。月詠くんは知ってるの?」

「君は、御三家の存在を知っているか?」

「御三家? そりゃ知ってるよ、藤宮、東條、月詠……あれ? 月詠くんの名前って」

「君は正に阿呆なのか? そして覚えておけ、交差する剣は東城だ」


 説教をしてやりたいが、今はそれどころではない。

 阿部を押し除け、俺は階段を駆け上がった。

 背後から阿部の叫び声が聞こえたが、やはり気にかけてやる余裕はない。


 着信履歴から探し当てた【讃岐絋介】の番号に発信すると、ツーコール鳴らない内に通話が繋がった。


「どうなっている、絋介。たった今、姫が学校にいるとの情報を得たが」

『……帝、ごめん』


 小さく、消え入りそうな声。

 不審に思い、足を止めて通話先の相手と向き合う。


「絋介、今どこにいる?」

『トイレ、学校の』

「トイレ? それより、なぜこんなに早く学校にいる? 昼食まで讃岐の家で過ごす予定だっただろ?」

『うん、最後にみんなで昼ご飯食べようって言ってたんだけど、ナシになった。予定とは違うけど、早めに学友への挨拶を済ませるって』

「ならばなぜ、連絡をよこさなかった? なにかあればすぐに……」

『帝、もう無理だよ』

「無理? ……なにを、言っている?」

『羽姫が東城を拒否すれば、こっちの世界に残りたいって気持ちがあるなら取り戻せるって、帝言ったよな?』

「ああ、いくら東城でもそれは倫理に反する。もし本人の意思に反して軟禁するならば、他の御三家、月詠や藤宮に介入の余地はあるし、お上様も手助けしてくださるだろう」

『羽姫は納得してる、東城に行く気だよ』

「あり得ない。君が昨日持ってきた文にも、未練の歌が綴られていた」

『帝さ、竹取物語って知ってる?』

「たけとり物語?」

『衣着せつる人は、心異になるなりといふ。羽姫はもう、俺たちのことなんて覚えないよ。悲しいとか寂しいとか、そういう思いはもう、羽姫の中に残っていない』

「絋介、なにを言っている? どこのトイレだ? そこに行こう」

『羽姫さ、玄関にも入らなかった』


 グズっと鼻を啜る音がした。

 あぁ、これは、探しに行ってはいけない。

 歩み出した足をその場に留め、きつく目を閉じた。


『叔母さん、張り切って羽姫の好きな物たくさん作ってたんだけど、料理を見ることもなく。ていうか目も合わなかった。お世話になりましたって言葉だって、羽姫じゃなくて付添の人が言ってさ。なんかもう、なにしに来たんだよって思った』


 荒々しい呼吸を整え、絋介が軽く鼻を啜った。


『帝、お前の知ってる羽姫はもういないよ』


 にわかには信じられなかった。

 姫が、あの愛らしい娘が、そのようなことをするなど。

 たった一週間で、それ程までに人は変わるのか?


 ふと、姫が居なくなった初日、東城の屋敷で見た彼女の姿を思い出した。

 たった数時間で、別人の様な振る舞いを見せた姫。


 一週間もあれば、人は変われるのか?


「絋介、俺は姫に会ってくる」

『やめた方がいい。あの羽姫を、帝に見せたくない』

「それが故に俺に連絡しなかったのか。君は優しいな、ありがとう」


 返事も聞かず、通話終了ボタンを押した。


「月詠くん、姫に会いに行くの?」


 そして、突然の声に仰天して振り返る。

 真後ろ、心配そうに首を傾げる阿部が立っていた。


「君は、俺の心臓を潰す気か」

「え? そういうわけじゃないけど……そういうわけじゃ、ありません、です」

「なんだ、急に」

「あ、うん。月詠くんって、あの御三家の人だったんだね……ですね」

「君は今までなにを思って俺を月詠と呼んでいたのか」

「ごめんね、僕の家、気位が低いから」


 それは自慢することではないと言ってやりたかったが、面倒臭くて放っておいた。


「あ、いや、ごめんなさ……申し訳ありません」

「今さらだ、気にするな」

「でも」

「それに俺は、御三家の権力とは無縁にしてこの高校に入学を許可された。ここで身分制度を決めるのは学年と成績だ」

「それだったら二年生の頂点は月詠くんだよね? 学年一位なんだから」

「……成績故に身分を隔てるべきではない。順位というものは変動するからな」

「月詠くん、入学当初からずっと一位だよね? 入試は満点だったらしいね?」

「……とにかく、ここは普通の高校だ、地位も身分も関係ない。俺のことは特別扱いせずとも良い。現に、蔵持や大伴は俺に対等の敵対心をぶつけてくるだろう」

「月詠くんかっこいいから、男の敵多いよね」

「君は会話が下手なのか! とにかく気を遣うのはやめろ!」

「うん、わかったよ」

「話が逸れたな、なんの話をしていたか」

「姫に会いに行くって話でしょ? 教室にはもう居ないんじゃないかなぁ」

「……は?」

「さっき会った時、お供の人が次が最後なので運転手に連絡しておきますって言ってたから。あれから随分経ってるし、学校の用事はすでに終えてるんじゃないかと思って」

「君は、なぜ、そのような大事を平然と言い切るのか」


 震える手を抑え、階段を駆け下りる。


「頑張ってね、月詠くん!」


 背後から降り注ぐ阿部の声。

 いつもは鬱陶しいそれが何故か、背中を強く押してくれているようだった。


「月詠くんが何者でも、僕たちが親友だということには変わりないからね!」


 いつのまにか、友達から親友へ格上げされていた。



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