22話.情報屋の情け
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朝食を終えて部屋に戻ると、繭の姿はなかった。
蟠りは残るが下手に構うほうが酷だ。
携帯と必要最低限の荷物を持って、月詠の屋敷を出たのが午前八時。
学校まであと十分というところで携帯が鳴った、午前八時十五分。
『おはよう、帝』
携帯から流れる呑気な声。
相手は藤宮だった。
「君がこの時間に起きているとは珍しいな」
『朝早くに来客があったんだ。情報屋なんて呼ばれているけど、この立場も楽じゃないね』
「早寝早起きは良いことだ、君のような引きこもりにとっては特に。して、何用か?」
『今からちょっと遊びに来てくれない?』
「……なにを言っている?」
『珍しい甘味をもらったんだ。共に食そう』
「冗談であろう? 後日また改めて伺う」
『日持ちしないんだよ、生菓子は鮮度が大切だろう?』
「生憎だが、本日は……」
『帝が姿を見せるなら、僕はその後、今日一日だけ外に出よう』
「…………は?」
提示された条件に、呆れて声が漏れた。
「君の私情で俺の都合が……」
しかし途中ではっとし、言葉を切る。
「外に出る? 君が? 藤宮の敷地を出て外に行くということか?」
『正に』
「引き篭りの君が、一般社会に?」
『今日一日だけだから、社会復帰するわけではないけれどね』
「藤宮の嫡男でありながら屋敷から一歩も出ず、その立場を利用して豪遊している君が?」
『相変わらず手厳しいなぁ、帝は』
藤宮は平然としているが、これは一大事だ。
あの藤宮が、十年間一度も外に出なかった、親や周りの者、御三家より位が高いお上様に言われても、引きこもっていた彼が。
もしこれが本当なら、俺が藤宮を外に連れ出す機会を作ったなら、月詠の名誉となる。
「……わかった」
短く返事をし、向かう先を藤宮家に変えた。
*
藤宮の屋敷、東の客室。
十畳の和室が二つ連なった無駄に広い部屋で、俺と藤宮は檜の一枚板机を挟んで向かい合っていた。
俺が有する客間よりも質素な、床の間も飾り物もない部屋。
「急に呼び立ててすまないね」
愉快そうに笑う藤宮に、俺は真顔で向き合う。
「君が外に出ると聞いた故、来訪した」
「うん、そうだね。約束は守るよ」
「ところで、俺は生菓子を食わされるために出向いたのだが、例のものは?」
「あぁ、あれ。先に食べちゃった」
平然と笑う藤宮に、思わずぶっ倒れそうになった。
いっそ倒れて救急車でも呼ばせたほうがよかったのではないか。
目の前のこの男のために。
「君は、ふざけているのか?」
「怒らないでよ。以前より機嫌が悪くなっているね、月詠様と何かあった?」
「兄上とは……月詠の名を捨てても良い、と言われた」
「へぇ、それは過激だねぇ。名を捨てるようなことを何か?」
「知っているだろう、君を訪問したすぐ後のことだ」
「……へぇ」
藤宮が目を細める。
俺から得た情報を別のものと結びつけ、事実を確認しているのだろう。
情報収集はもちろんだが、彼が情報屋と呼ばれる所以はそこではなく、むしろこの情報管理にあると言える。
「では、俺は帰る。菓子がないなら、君の用は済んだということで良いのだな?」
「終わったよ、僕からの用はね」
立ち上がろうと腰をあげたが、藤宮の言葉で再び座布団に座り直した。
「帝、僕はね、来るもの拒まず去る者追わずの情報屋と呼ばれている」
扇子を口元に当てながら、藤宮はくすくすと笑う。
そういえば今日は、彼の手元に菓子袋が見当たらない。
「聞かれたことには正直に答えるよ。聞かれない限り、言わないけど」
鼻から下が扇子に覆われているせいで藤宮の表情は見えない。
「さて、帝。帰るのなら玄関先まで送るよ?」
試すような口調。
俺は居住まいを正し、口角を上げた。
「今日は外に出る、と約束しただろう?」
「そうだったね。でも、そのタイミングは僕が決める」
「日が落ちるまでには頼む。君が外に出たとの目撃情報が欲しいのでな。さて藤宮、一つ聞きたいことがあるのだが、良いか?」
「もちろん」
「姫、夜武羽姫の今日一日の行動予定を教えて欲しい」
「お安い御用だよ」
そう言うと、藤宮は机の下から一枚の紙を差し出した。
紙面には、十分刻みのスケジュール表があった。誰の行動表とは書いてないが、何時に何人のお供を連れて何処へ行くなどの情報がこと細かく書かれている。
「よくもまぁ、このような情報を」
「機密をいつの間にか掴むのが僕の特技だからね」
「末恐ろしいな」
「ありがとう、立派な当主になれるよう頑張るよ」
微笑む藤宮に、同じように笑顔を返して置いた。
「外に出るという約束、忘れてないよな?」




