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20話.死な不の薬



 月詠の屋敷は広い。

 衣食住全てを賄える東城ほどではないが、一族とその家来二百人が共に暮らせる敷地と建物を有する。

 直系には自室の他に厠や風呂場、調理場や居間、客室など、庶民世帯がそれで暮らしているだけの設備を一人ずつ与えられている。


 俺が所有する客室は、石門から十分も歩けばたどり着く。

 十畳ほどの質素な部屋で、装飾といえば床の間の掛け軸と生花、障子や畳、様々な場所に施された月詠の家紋。


 障子を開けると、座布団の上で正座する絋介が顔を上げた。

 一枚板のテーブルを挟んで反対側の座布団に腰を下ろす。


 もちろん俺は正座などせず、胡座をかいて座る。


「なにか用か?」


 項垂れていた絋介がゆっくりと顔を上げる。

 手は膝の上、拳を握りしめたまま。


「急にごめん」

「あぁ、驚いた。君に俺の自宅を教えた覚えもないしな。なにより、事前の応諾もなしの訪問は、不躾にも値する」

「その言葉、東城様が言ってたのと同じだな」

「やつと一緒にするな」

「いくら口が悪くても、帝だと問題にならないんだな」

「喧嘩を売りにきたのか?」

「いや、それは違う」


 絋介はいそいそと、鞄の中から手のひらほどの大きさの巾着袋を取り出し、机上に置いた。


「不死の薬だと言う」


 言葉の意味が理解出来ず、呆気にとられてしまった。

 絋介が話を続ける。


「東城の人が来た時、お金と一緒に置いていったんだ。羽姫からの贈り物だと」

「姫からの?」


 巾着袋を手に取って紐解くと、中には薄桃色の粉が入っていた。


「東城は薬も作ってるんだってな」

「製薬くらいはやっているだろうが、死な不の薬は聞いたことがないな」

「あ、違う。不死というより、不老薬? これを飲めば老化が抑えられるって」

「……アンチエイジというやつか?」

「それっぽいことを言ってた気がする」

「薬にあらず、健康食品ではないか」


 まるで詐欺のような薬だなと思いながら、嘆息して巾着袋を机上に戻した。


「それ、帝のだから」

「不要だ」

「羽姫からだから。帝に渡すようにって」

「…………」


 仕方なしに、巾着袋を手元に引く。

 俺の手元をじっと見つめていた絋介が、顔を上げた。


「皿とかある? 中身見てほしいんだけど」

「は? 見ずとも、粉薬だと君が……」

「全部が粉薬とは限らないだろ?」


 意図を理解し、俺は巾着袋をひっくり返して机上にぶちまけた。


「あ、ちょっと、乱暴な……」

「どうせ効かぬ薬だ、東城のものだしな。粗末に扱っても構わぬ」


 ザラザラと落ちてくる粉の山、その中にポトリと四つ折の紙が混じっていた。

 顔を上げると、神妙な面持ちの絋介と目があった。

 目配せをし、親指程の長さの紙を拾い上げる。

 開くと中には文字が書かれていた。達筆だが可愛らしい、丸くて優しい筆跡。


 記されていた言葉に、俺は息が詰まった。


 呼吸の仕方も忘れて紙面を見つめていると、絋介の声が降ってきた。


「羽姫から、帝へ」



【今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひ出でたる】



 文面を読むと同時に、姫の声が蘇った。


『帝様に、歌を届けます。』と、


 渡り廊下、階段の下、放課後の教室。

 約束を交わしたわけではないのに、姫との逢瀬を繰り返した。


「俺もしばらくしてから気付いたんだ。帝の巾着袋だけ大きい気がして。中を確認したら文が入ってて……勝手に開けてごめん」


 そんなことは構わない。


 気にしていないと、声が出なかった。

 じっと文を見つめる俺をよそに、絋介は続ける。


「天の羽衣ってあれかな、東城の屋敷で着てた十二単衣のことかな? 俺ら庶民の世にはない絢爛華麗な着物だったもんな」


 そうではない。

 いや、隠喩として用いた可能性もあるが、この歌は。


「姫……姫……」


 ポタ、と机上に一粒の露が落ちた。

 何事かと視線を落とすと、それは雨粒のようにボタボタと降り注ぎ始めた。

 涙を流していた。

 頬を伝う冷たい感触が、机に落ちる。


「なんだというのだ……なぜ今になって、こんな手紙を」

「羽姫は、帝のことが好きだったよ」


 絋介の言葉に、俺は目線だけ上げる。

 目元が濡れているが、羞恥を意識している余裕はなかった。


「帝と文を遣り取りするようになって、本当に楽しそうだった。羽姫はもともと気難しい子で親しい友人も出来なかったけど、帝と会って表情豊かになって、学校も楽しいと言っていた。帝に救われていたんだ」

「俺はなにもしていない。ただ、姫に会いたくて、彼女が詠んだ歌を見るのが楽しくて、一緒に過ごす時が嬉しくて……俺は俺自身の、幸せのために」

「うん。良いな、それ」

「良い? なにが……」

「帝の幸せは羽姫の喜びだ。羽姫と過ごす日々に帝が幸福を感じていたのなら、羽姫にとってこれ以上の事はない」

「……顕著な女性だな」

「帝……酷いこと言ってごめんな。庶民がどうとか、貴族がどうとか」

「そのような話はしたが。君が勝手に怒っただけで、酷いことを言われた覚えはない」

「そう、だっけ? いや、たぶん俺が悪かった。羽姫があんなになって、東城との格の違いを見せつけられて動揺してたんだ。本当にごめん」

「それを言うならば、俺も君に対して随分無礼だったところがある。すまない」

「いやいや、帝は悪くない……悪くないけど、確かに、偉そうなところはあるよな?」

「偉そうとは?」

「高慢知己というかなんというか」

「酷い言われ様だな」


 失笑すると、それにつられて絋介も笑った。


「帝、羽姫を連れ戻すって話だけど」


 その言葉に、俺は表情を消して絋介を見つめる。


「俺の言ったことは気にしなくていいから。余計なことはするなって、言ったやつ」

「あぁ、いや、別に……」

「東城は血族婚で、婚姻年齢を過ぎた女性は屋敷の外に出れなくなるんだろ? そうしたらもう、羽姫とは会えなくなる。連れ戻すなら、明日だ」

「明日?」

「一日だけ東城の屋敷から出れるらしい。親しくしていた者たちに別れを告げるため。詳しい日程はわからないけど、学校には来ると思う」

「しかし、取り戻すなど……」

「帝、言ってただろ、羽姫が望んでないなら無理にかこうことはできないって」

「…………言った、な。だがしかし、姫はすでに諦めている。この歌も、最後だと思ってのものだろう」

「うん、俺もそう思う。でも、諦めてるんだろ?」

「? なにが言いたい?」

「諦めてる……本心は別にあるけど、仕方なくその選択をした。そういうことだろ?」

「それは……」

「大丈夫だよ、帝。羽姫の心はまだ、帝に向いてる。連れ戻そう、羽姫を」

「……ありがとう、絋介」


 紙面に描かれた文字に触れ、指でなぞる。


「文を……姫に、歌を届けに行こう」


 俺の言葉に、絋介は満面の笑みを見せた。

 同じように返したつもりだが、俺はうまく笑えていただろうか。




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