19.転、三度目の朝
* * *
目を覚ますと枕が濡れていた。
「……またか」
親指で瞼を押さえ、涙を拭った。
今日に限ったことではない。
姫や絋介と決別して、自室に引きこもってから一週間、ここのところ毎日これだ。
おかしな夢を見て、目を覚ますと泣いている。
だが、どんなに考えても、夢の内容は思い出せない。
「おはようございます、先輩!」
威勢の良い声と共に、押し戸の扉が壁にぶつかる。
入口には日本人らしからぬ亜麻色髪の乙女が立っていた。
「おはよう、繭」
「朝食はどうします?」
「未だいい。部屋が片付いている、掃除をしてくれたのか?」
「先輩が寝ている間に。うるさかったです?」
「熟睡している俺がなかなか目を覚さないのは、君もよく知っているだろう」
「うふふっ」
口元に手を当てて笑う繭。
冗談のつもりだったが……
眠っている俺に彼女は一体なにをしたのだろう?
「起きたなら服着ないと、風邪ひきますよ」
上半身裸の俺の背中に、繭が薄いブランケットをかぶせる。
「今年は暖冬といっても、やはり寒いですからね」
「暖冬……桜は、もう咲いているだろうか?」
「桜? まだまだ先ですよ。お花見行きたいんですか?」
「……いや」
花見に行くと約束を交わしていた。
今となっては、すでに反故であろうが。
「そういえば昨晩、焼き菓子を作ってみたんです」
手に持っていた包みを俺に差し出す。
背後で大事そうに隠していた、『そういえば』ではないだろう。
「朝から胃がもたれそうなものを……」
「ちょっとだけ、ちょっと」
そう言いながら、繭は自分の手でびりびりと包装紙を開ける。
この女は上位に近い中流貴族の生まれだったはずだが、淑やかというものは学ばなかったのだろうか。
「はい、あーん」
星の形をした小麦色の焼き菓子、クッキーを俺の口元に突き出す。
拒むもの面倒で、顔を傾けてクッキーを頬張った。
ザクリとした食感に、苦味が舌を這う。
「……これの原材料は何だ?」
「小麦粉とバター、砂糖です。ヘルシーに仕上げました」
「砂糖は入れないほうがよかったな」
「甘いの苦手でしたっけ?」
「食ってみるか?」
クッキーを一つ摘んで差し出すと、繭は嬉しそうに俺の指に食らいついた。
そう、指ごと。
食いちぎられるかと思ったが下手に動くと本当にそうなりそうで、敢えてされるがままにしておいた。
やがて口を離した繭が、顔をしかめる。
「……砂糖と塩、間違えてますね」
「君は日頃、料理をするのか?」
「いえ、初めてです」
「初めて? 材料を間違えたことを除けば、よく出来ているな」
星形のクッキーを見つめる。
綺麗な小麦色で、焦げた形跡はどこにもない。
「世間では塩スイーツとやらが流行っているらしいな」
クッキーを口に含むと、驚いた繭が俺の腕を掴んだ。
「先輩、食べなくていいですよ。不味いでしょ?」
「捨てるのは忍びないであろう。バターの風味が強い故、食えぬという程ではない」
「砂糖……いえ、塩控えめにはしましたけど」
幸い、クッキーは五枚しか入っていなかった。
黙々とそれを食べきり、紙袋をくしゃりと丸める。
「旨いとは言い難いが、腹は膨れた」
「……ありがとうございます」
照れたように下を向く繭を見て、なにかを勘違いしていることを察した俺は、丸めた紙袋を繭に突き返した。
「そのクッキーを作るための原材料にも金がかかっているだろう。それを無駄にはできない、だから食した、それだけだ」
「お金?」
不意を突かれたように惚ける繭だったが、すぐに思い当たる節を見つけ、黙り込んだ。
この少女は本当に、どこまで俺の個人情報を入手しているのか。
「君はなぜ、俺に執着するのか?」
次に俺が発した言葉にはさすがに驚いたようだ。
繭は目を丸くし、じっと俺を見つめる。
「君は見た目麗しく技量も良い。選ばれる立場じゃない、選ぶほうの人間だ」
「……選んだ相手に選ばれない場合はどうしたらいいですか?」
「別の男を探せ」
「無理です」
ベッドの軋む音が響き、顔を近づけた繭の吐息が胸元に触れる。
繭は瞬きを一つして、俺を見上げた。
「私、先輩に恋をするの四度目なんです」
「四度目?」
「一度目、帝様は私を見つめてくれていました、あの女が現れるまでは。彼女が月に帰って以降も貴方は空を見上げたままで……そして二度三度生まれ変わり、叶わぬ恋慕に苦しむ貴方に寄り添い。四度目、こうして再び見つめ合うことが出来ました」
「君は、何の話をしている?」
「一目惚れって言葉、知ってますか?」
ふっと、麻上との記憶が蘇った。
姫を巡って怪我をした彼の見舞いで訪れた病室、前世の因果がどうとか。
「叶わぬ恋を次の世に願い、何度でも、貴方を追って……」
繭の腕が、俺の首に絡みつく。
「好きです、先輩。帝様、どうかもう一度、私を妻にしてください」
耳元で囁く声、消えそうな腕にふわりと揺れる亜麻色の髪。呆気に取られていると、繭が顔を近づけてきた。
触れる唇、その直前で、机上にあるパソコンのスピーカーが音を立てた。
「……来客ですね」
繭は微笑み、俺から身体を離した。
ようやく自由になった足で、パソコンのほうへ向かう。
ピピピピと鳴り響く電子音を止め、モニターを眺めた。
『石門正面 学友のサヌキ様と仰っております』
白文字で表示される文章の下に、文字が示す場所の映像。
赤い顔をした絋介が、こちらを見上げていた。
「ご友人ですね。約束してたんですか?」
「いや……」
なんのつもりだろうか。
用があるなら携帯に連絡すれば良いものを。
「通してください、客室に向かいます」
モニター横のボタンを押しながら言うと『承知致しました』と返答があり通話が切れた。
「あら? 会いに行くんですか?」
不思議そうに首を傾げる繭の傍に転がっていたシャツを拾い、袖を通す。
「無碍に追い返すわけにいかないからな」
「優しいんですね、先輩」
「本当に優しい男は、この状況で君を一人にはしない」
「……正に、ですね」
不貞腐れた表情の繭が足を組み、膝に頬杖をつく。
「しばらく戻らないと思うが、どうする?」
「もー、そこは待っててくれって言うところでしょ?」
「外泊続きで両親も心配しているだろう? そろそろ自宅へ戻ったらどうだ?」
返事も聞かぬまま、俺は部屋を去った。
この時ばかりは絋介に感謝した。
危うく流されてしまうところだった。
それはいけない、彼女を受け入れてはいけない。
どうあってもきっと、俺が繭を愛することはない。




