18話.庶民と貴族の喧嘩
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翌日、教室に入ると既に絋介が登校していた。
「おはよう」
声をかけると、絋介は大袈裟に揺らし顔を上げる。
「あ、おはよう。帝、寝不足?」
「何故?」
「目の下、すごいクマできてる」
「……君こそ、人のこと言えないぞ」
俺の言葉に、絋介は慌てて視線を落とす。
「昨日、寝れなくて。東城の人が来たんだ」
「…………は?」
あまりにさらっと言うものだから、危うく聞き逃してしまうところだった。
絋介は俺を一瞥し、再び下を向いた。
「羽姫を育ててくれたお礼にって、三千両、置いていった」
「たった三千両か、姫への対価が」
俺の呟きに、ピクッと絋介の手が震えた。
気にせぬまま、話を続ける。
「その三千両、受け取ったのか?」
「受け取ったわけじゃないけど。そのまま、テーブルの上にあると思う」
「返さなければ受け取ったと同じだろう」
「叔父さんたち、すごい泣いてた」
「なにを話した?」
「なにも……向こうが一方的に話して、よく覚えてないというか、ちゃんと聞いていなかったというか……難しいことペラペラ喋って、お金置いて、帰っていった」
無理に笑顔を作ろうとする絋介の様が滑稽で、声をかけることが出来なかった。
唇を噛んだ絋介が、両手で頭を抱えて机に突っ伏す。
手をつけていないにも関わらず『三千両』と明言している様子を見ると、包むこともしなかったのか?
不躾な……
いや、まぁ、そんなものだろうな、貴族は。
しかも相手はあの東城、最上位貴族、御三家の一つだ。
居間に上がっただけ礼儀を弁えていると褒めてもいい。
出された茶には、手をつけなかっただろうが。
「俺からも一つ、本意なき報せがある。月詠の力はあてにできそうにない。当主である兄上に挙兵を懇願しに行ったのだが」
「挙兵?」
ゆるりと顔を上げた絋介と目があった。
見開かれた、畏怖を表した色。
「なにそれ、戦うってこと? 東城の人と?」
「兄上が許可すればそうなっていた可能性はあるが、冷静に考えれば俺がどうかしていた」
「姫を取り戻すために、月詠と東城が?」
「だから、争う気はないと言っただろう。御三家間での抗争は避けたい。しかしそうなれば、姫を取り戻す策が……」
「余計なことするなよ!」
絋介の大声が、教室内に響き渡った。
室内の視線を全て集めるほどに。
それに気が付いた絋介が、若干声を落とす。
「もういいよ、帝。わかったんだ、羽姫と俺は住む世界が違うって」
「なにを言っている? 君たちは共に育った兄妹だろ? 血は違えど」
「環境なんて関係ない、大事なのは出生だよ。俗世だってそうだろ? どこに生まれたかで身分が決まる、親から受け継いだ遺伝子でその子の能力が決まる。個人が歩んできた道、努力で人生が変わるわけじゃない、生まれながらに人の生涯は決まってる」
「それは違うだろう。努力によって変えられるものもある。なにより絋介、話が逸れている気がするのだが」
「だから、羽姫は特別な存在だったんだ。俺の手が届かないくらいに」
「どうした? 東城の者になにか言われたか?」
「……格の違いを、思い知らされたよ」
再び絋介の口角が緩んだ。
歓喜とは程遠い、不気味な笑みを浮かべ俺を見つめる。
「貴族ってやつらはぽんっと三千両も出せるんだ、ってな」
じっと俺を見つめる目線を、逸らすことが出来なかった。
やや遅れて俺は、絋介の言わんとすることを理解する。
「待て、絋介。すまない、さっきのは……」
「お前ら貴族はたった三千両かもしれないけど、俺ら庶民にとって一生遊んでくらせるくらいの大金なんだよ!」
「承知している、待ってくれ」
「なにを待つんだよ。それにそれ、その言葉。承知している? 普通の人間はそんな言葉使わねーよ!」
「絋介、落ち着け……」
「もういいよ! 構わないと思ってたんだ、今までは。言葉遣いも振る舞いも。貴族だろうとなんだろうと、帝自身がいいやつだと思ったから、同じ人間だって思ってた」
呼吸を整えながら、言葉を選びながら、絋介が声を出す。
返す言葉が見つからないまま、俺は絋介の話に耳を傾ける。
「昨日一日連れ回されて、御三家の人たちの家を回って、人間性? オーラ? とにかく俺ら民衆とは違う、違和感あるなって思った。そして最後にあの羽姫だ。綺麗だった、今まで以上に。上品だった、まるで別人のように」
絋介は膝上で結んだ拳を、強く握りしめる。
「俺は羽姫にあんな高価な着物買ってやらない、礼儀作法も教えてやれない。広い屋敷で、うまい飯を食わせてやることなんて、俺には出来ない。一晩考えて納得したんだ」
絋介は目を閉じ、ため息を漏らした。
「羽姫は本来あるべき場所へ帰れた、祝福すべきだと。帝、今までありがとう」
開いた瞳は涙で滲んでいた。
ありがとう?
なにが?
聞き返そうにも言葉が出ない。そして声を発するまでもなく、それが別れの挨拶だと気がついた。
「俺みたいな庶民に構ってくれて、ありがとう」
顔を背け、絋介が立ち上がった。
背中を丸めて廊下へ向かい、出て行ったきり絋介は戻ってこなかった。
よく見れば、彼の通学鞄がない。
なにも持たずに、すぐに帰る気で登校したのか。それとも茫然としていていただけか。
どちらにせよ、絋介は居なくなった。
取り残された俺は一人、教室に佇んでいた。
始業前の開始を告げるベルが鳴り、教師に促されようやく自席に座る。
それ以降の音は耳に入らなかった。
移動教室もあったはずなのに俺は一日ずっと椅子に座っていて、気がついたら放課後、同級生は誰もいなくなった。
一人取り残された教室。
数少ない友人が一人、居なくなった。
「帰らないんですか?」
夕暮れの陽射し。
ぽつんと居残る俺に声をかけたのは高坂繭だった、亜麻色ウェーブ髪の麗しい乙女。
ドアに手をかけていた繭が後ろ手でそれを閉め、俺へ歩み寄る。
「鞄持ちましょうか? ……どこに置いてます?」
そこでようやく気がついた、今日は荷物を持ってきていないと。
人のことを言えないのは、俺の方だ。
「お昼ご飯も食べてないんでしょ? なにか奢りますから」
後輩女子に恵んでもらうとは如何なものか。
そして残念なことに、足が動きそうにない。
「歩けないなら、私が支えますから」
「……ははっ。君は本当に、人の心が読めるようだな」
渇いた笑い声を漏らすと、きょとんとした繭が俺の顔を覗き込んだ。
「先輩専用ですよ?」
「そうか……凄いな、君は」
項垂れてため息をつくと、久々に息をしたような感覚に襲われた。
「ご友人と喧嘩したんでしょ?」
「千里眼も有するか」
「先輩のことなら何でも知りたいんです」
唇に塗った紅をきゅっと結んで繭が微笑む。
可愛らしい少女だ、相手が俺でなければさぞかし寵愛されたであろう。
「元に戻っただけですよ、先輩」
両手で俺の頬を包みながら、繭が囁く。
「だってあの人は、本来ここに存在すべきじゃなかった。其々が有るべき場所に帰って、以後の役目を全うするだけです。先輩の未来にはもともと、あの人の姿はなかったんです」
繭の手が俺のうなじに伸び、俺を抱きしめた。
「帰りましょう、先輩」
振り払うことは出来なかった。
頬を伝う冷たさを、繭の制服の衣が拭き取った。




