10話.月姫の帰還
* * *
姫と文を交わすようになり、三ヶ月が経った。
週に一度だったやりとりは頻度を増し、七日が五日、五日に一度が三日に一度の割合で手紙を書くことになった。
素直に淡々と渡せばいいものを、姫はもったい付けて恥ずかしそうに文を持ってくる。
その仕草がとてつもなく可愛くて、ますます彼女に惹かれていった。
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正面玄関から各教室へと向かうための渡り廊下。
背後に誰かの気配は感じていたが、やはり予想した通りの相手だった。
「文を……」
ややうつむき加減で、薄紅色の頬を隠しながら彼女は言う。
「帝様に、歌を届けに参りました」
ぴんっと背筋を伸ばし、両手で一通の封筒を俺に差し出すは、姫こと夜武羽姫。
一目惚れで恋をした、俺の想い人だ。
「これはまた、愛らしい装飾ですね」
封筒に貼られている桃色コスモスの押し花を見て言うと、姫が顔を上げて微笑んだ。
「裏山に向かう途中の草原に咲いていたものです。帝様にお似合いと思って」
「コスモスが似合うのは君のほうだと思うが」
俺が口を挟むと、姫は「え?」と首を傾げた。
コスモスの花は好きだが、その花言葉までは知らないらしい。
桃色コスモスの花言葉【少女の純真】
「ありがとうございます」
花言葉には触れず文を受け取ると、姫は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「では、失礼致します」
姫が小さく頭を下げ俺に背を向ける。
膝より少し上のプリーツスカートを揺らし、ぱたぱたと廊下を走る後ろ姿がまた可憐。
しばらくして姫が立ち止まった廊下の先、曲がり角には二人の女子生徒がいた。姫を囲いきゃっきゃっ騒いでいたかと思うと、うち一人が俺の視線に気づいて奥に引っ込んだ。
この世のものとは思えない美麗な容姿と、それ故に男子から特別扱いを受けていたせいで親しく話をする友がいなかった姫だが、ようやく他人と打ち解けることができたらしい。
「友人ができたのか、おめでとう」
コスモスの花が貼られた封筒を眺める。彼女に対する愛おしさが、日に日に増していた。
そのときふと、背後に強い視線を感じた。
「…………繭」
姫が去ったと反対側の廊下の角、こちらに視線を送っていたのは香坂繭だった。
俺や姫の一つ下の学年、貴族の娘。
姫が転校してくるまで、最も近く俺の傍にいた女性だ。
繭はじっとこちらを見つめ、やがてぷいっと視線を反らし走り去ってしまった。その背中に哀愁が漂っている気がして、なんとも言えない不安を覚えた。
最近は姫のことに精一杯で、繭のことを気にかけていなかった。
一度は深い仲になった縁だ。
離別するにしても、きちんと話をしないといけないのだろう。
「付き合っていたわけではないのだがな」
しかし繭とは、きちんと話をしなければならないと思っていた。
*
善は急げと言う、しかしこれは善だろうか。
などと無駄なことを考えながら、翌日、俺は繭を待ち伏せるために女子弓道部の部室の前に居た。
帰宅する部員が俺の存在に気がつき「繭ちゃんですか、呼んで来ましょうか?」などと声をかけてくれたが、片手を上げてそれを制した。
「繭には告げていないんだ。俺がここにいること、秘密にしておいてもらえるだろうか?」
そう言うと彼女たちはうっとりと笑みを浮かべ、足速に去って言った。
なにを勘違いしているのかは一目瞭然である。
離別話ゆえ、とは夢にも思っていないだろう、
五人見送ったところでようやく、目的の人物が現れた。
「よかった、ここまで待って会えなければ晒され損だった」
俺の待ち伏せに気がついた繭は目を見開き、すぐに顔を背けた。
「会いたいが為に来た、ってわけじゃないですよね」
ふてくされた繭の表情、俺は小さく頷いた。
「人の来ない場所でしたほうが良い話なのだが」
「嫌です」
「……それは、人の来ない場所に行くというのが? それとも」
「先輩とのお話が嫌です。私は今現在、貴方とお話するつもりはありません」
「君はそうかもしれないが、俺は君に話がある」
「私の意見は無視ですか。自分勝手な人ですね」
不貞腐れた顔をする繭が、歩みを進める。
みっともないとは思ったが、俺はいそいそと彼女の後を追った。
五歩進んだところで、繭が立ち止まる。
「あの人、何ですか?」
「あの人とは、姫のことか? なにと言われても……転校生とでもいうべきか」
「そうじゃなくて……じゃなくて、そうじゃなくて! 顔ですか?」
「……は?」
「確かに美しい人です、それは認めるし数多の男性が集うのも理解できる。でも、私だって美しいでしょ?」
「ああ、君の容貌は優れているが」
「違う! そうじゃなくて……先輩は顔で選ぶような人じゃないのに……私とあの人の違いって何ですか?」
「違い?」
「どうして私はダメで、あの人は……」
「待て、俺は君がダメなど言った覚えはない。君は華麗で気位も高く……」
「そんなものなんの役に立つんですか!」
繭の大声に、思わず肩が跳ねた。
荒い息を整えながら、繭が話を続ける。
「先輩は誰のことも愛さない。誰のものにもならないから、私は今の地位で満足していたんです。でもあの女が現れて……先輩に特別なんて、無くていいのに!」
狂乱的に喚き散らし、繭は一人で走り去ってしまった。
彼女の居た場所に僅かな熱気が残り、残り香が鼻をついた。
「……意味を、理解しかねる」
しばらくして正気を取り戻した俺は、盛大にため息を吐いた。
本来、貴族社会での男女の縺れに話し合いは不要だ。
互いにそういうものだと理解し合っているから。
なぜここまで拗れているのか。
これまでの経験からでは出し難い答案に頭を抱え、再びため息を吐いて空を見上げた。




