第8章 湖国の剣聖キルディス
あれから三日の時が流れた。
コモドアとインディアの二人は、万年銀杏の下に帰ってくるなり、戦いの跡に気づいた。
洞ん爺からいきさつを聞かされた二人は、もう少し早くくればとくやしがった。
アースと彼の大王角蚩凰は焼けただれた万年銀杏のかなり下にある磐杉の根から、コモドアとインディアの二人の蚩凰によって運ばれ、草薙原の網根洞へと移された。
コモドアとインディアはウイグラフを捜すために、周囲を飛び回った。茨の森で冷たくなっていたウイグラフと彼の五角大王蚩凰を見つけた二人は、その亡骸を草薙原へと運び、丁重に弔った。しかし、洞ん爺から聞かされていた敵の蚩凰の残骸は見つけたものの、傭具士の姿はその中には無かったのである。
「これだけの深手を受けたとすれば、傭具士の肉体とて。」
「ウイグラフ殿と差し違えたとなると、傭具士とはいえ、腕の確かな殻士崩れだろうからな。」
二人は、偉大なる勇者ウイグラフの死を悼むとともに、その志を継ぐことを誓いあった。
彼らからウイグラフの死を聞かされた洞ん翁は、もう一人の追っ手も無事ではすまないだろうと感じながらも、万全を期すために草薙原の地下洞でアースを救うべく努力していた。
生まれたばかりの大王角蚩凰の怒りと恐怖はは炎のように乗り手であるアースの心を飲み込み、そして燃え尽きてしまったのだ。
「導師、このままアースの心が目覚めなければ」
「あの子は死ぬだろう。今日あたりが、心の方も限界だろう。」
こんな悲しそうな顔をする導師の顔をインディアは見たことがなかった。ポッポ翁がコモドアにつれてこられた時、育ての親である彼を目の前にしたときもそうだった。
「もし、アースを再び呼び戻せるとしたら、ポッポだけじゃろう。」
インディアもまたそんな気がした。甲士としての力など、何の役にも立たない。導師の偉大な理力よりも人と人との絆こそが確かなのかも知れない。
上も下も無かった。右も左も無かった。前も後ろも無かった。暑さも寒さも無かった。痛みも安らぎも残されてはいなかった。光も闇も感じることが許されなかった。漂っているのか、とどまっているのかすらも定かではなかった。虚ろさだけが占めていた。何もかもが燃え尽きてしまったのだ。どれほどの時が流れているのかも分からなかった。
「もし、男の子だったらこの子の名前はなんといたします。」
やさしい透き通った声であった。
「希望と名づけよう。戦いがこの子の時代にまで続かぬ事を祈って。」
たくましい、暖かな声であった。
「では、女の子だったら?」
「それは、君が決めてくれ。」
聞こえているのだろうか。いや、それは、音としてではなく、小川の流れのように染み込んできたことばであった。
かつて、聞くことの出来なかった声であった。そして、もう聞くことは出来ぬ声であった。見ぬ事の出来ぬ顔であった。感じることの出来たのは、早鐘のような鼓動と手の温もりであった。
痛みが貫いていった。再び虚ろが多いつくそうとした。
「この子を死なせてはなりません。獅子吼王家の血を絶やしてはなりません。」
力強い腕が支えてくれていた。
水滴の落ちる音がした。
「もし、つよい星がこの子を守るなら、きっとこの子は蘇るでしょう。」
きびしいけれど暖かな声であった。
闇の中から、光が差し込んできた。
「アース、ちいさいアース。」
別の声であった。かすれたその声は新たな波を立てて広がった。
「アース、ちいさいアース。」
声は、繰り返すたびにかすれ、しわがれていった。
「アース、ちいさいアース。」
同じ言葉か流れこんできた。
「アース、ちいさいアース。」
「アース、ちいさいアース。」
繰り返し、繰り返し、漣のように声は広がっていった。
熱い何かが彼の中心があふれでた。それは一筋の流れとなって、冷たい彼の心を流れていった。とめどなく流れるそれは涙であった。
「僕の名前は。」
アースは目覚めた。
傍らで呼び続けていたポッポは、わが子の手を固く握りしめた。
彼の蚩凰と共にアースは目覚めた。恐怖は去った。だが、彼と彼の大王角蚩凰を結び付けていたあの絆は失せていた。
大王角蚩凰は、アースの制御を受け付けなくなっていた。洞ん爺にとってもこうした状態は初めてであった。もともと、彼は蚩凰の専門家ではない。奇跡的に回復したアースのかわりに、この蚩凰は心の殻を固く閉ざしていた。洞ん爺の努力もあり、体力の回復したアースは再び大王角蚩凰と心をつなぐべく努力を続けた。その努力のかいもあって、基本的な動きに対してはアースの制御を認め始めた。しかし、その動きは鈍く、戦闘には耐えられないだろう。それをアースは肌で感じるのだった。
「僕のせいで、こいつは。」
「いうな、アース。もし、お前があのとき乗らなかったのなら、万年銀杏とともに、炎の中に消えてしまったのじゃ。」
「でも、ウイグラフの言うとおりに戦わずにいれば。」
「相手の数を考えたら、逃げ切れはしなかったろう。」
洞ん爺の言葉に、唇を噛みしめながらアースはつぶやいた。
「でも、このままじゃ。」
洞ん爺はゆっくりと瞼を閉じ、再びアースを見つめた。
「一人だけ、何とか出来る男がいるかもしれん。」
「えっ。」
「行くか。アース。」
「はい。」
「どこにいるかはわからん。だが、わしの知る限りでは、その男こそが蚩凰の奥義を知りつくしている唯一の男だ。」
「その人なら。」
「あるいは、お前の大王角蚩凰を救えるやも知れぬぞ。」
「手がかりはあるのですか。」
「名をディヌーンと言う。わしと同じ洞守の民だ。かつての四天王たち湖国の離宮に住まう剣聖キルディス殿や隈黒族の剣狼ゴリアテ殿ならあるいはディヌーンの行方を知りおるかもしれん。」
「行ってみます。お二人の下へ。」
「できれば私たちとともに獅子王党へと来ていただきたいのだが。玄の姫巫の虜われている場所がわかったことでもあります。アース殿、ウイグラフ殿もそう望んでいた。」
「今の僕では、皆さんのお役には立てそうもありません。それに、考えてみたいんです。」「獅子吼族は、もう残り少ないのです。彼の死せざる者の支配は間もなく、揺るぎ無いものになりましょう。」
「そうなってからでは遅いのです。」
コモドアとインディアがアースの手を握りしめて訴えた。
「僕には、何をすべきなのかがまだわからないのです。ディヌーン殿に会えたなら、かならず、伺います。それまで、待ってていただけますか。」
「決心は固いのですね。」
「止むを得ません。できれば、湖国まで、私たちもお供したいのですが。」
「返って目を引くでしょうから、ここでお別れします。必ず来てくださいね。芒野でお待ちしています。」
「これを持っていってください。ウイグラフ殿の蚩凰剣です。形見としてぜひ使っていただけますか。」
「えっ。」
「そのほうが、ウイグラフ殿も喜ばれると思います。」
「わかりました。」
二人の若者は、名残惜しそうに発っていった。ウイグラフの死を獅子王党に伝えねばならない。そして、玄の姫巫奪還の時は近づいていた。
「行くか。」
「はい。」
「行っちまうのかアース。」
ポッポが悲しげにアースにすがりついた。
「ありがとう。あのとき、呼んでくれて。でも、行かなければならないんだ。」
「そうか、寂しくなるの。‥‥行くか。じゃが必ず帰ってこい。約束だぞ。」
「約束だ。」
二人の老人は、こんなに小さかったのか、そうアースは思った。ずっと二人を抱きしめていたかった。アースは唇をかみしめ、ゆっくりと離れた。そして答えた。
「約束します。ここに帰って来ると。」
翌朝、アースは湖国へ向け旅立った。彼の大王蚩凰はゆっくりと、だが確実に大地を踏みしめた。根の国で生まれた、最初の甲士の姿であった。だが、彼は鹿晋族の人々に迷惑をかけないために、光翅をはためかせ、朝焼けの森を駆け抜けた。鏡池や、鹿晋族の村が、プッルやションカと遊んだ広場が、ポッポと暮らした家が、遥かな下の森の合間から途切れ途切れに見えた。
「必ず、帰ります。」
アースの心には、見送ってくれた二人の姿がいつまでも焼き付いていた。
同じころ、一人の男が街道を旅していた。自らは一角騏にまたがり、隣を行く荷蹄車には長い材木のような包みを積んでいた。外套にすっぽりと身を包んでいる男の目は鋭い光を放っていた。その眼差しは、商人のものとは思われなかった。外套からわずかに捻れた角が覗く。
ウィグラフと死闘を繰り広げた傭具士ラズーであった。あの茨の森から、蚩凰を失いながら、彼はどうやってここまでたどりついたのだろうか。樹嵐では「蚩凰の死は甲士の死」と呼ばれる。蚩凰と一体となった甲士の体は、蚩凰と同じ痛みを感じるという。殻士に至っては、同じ傷が生まれるともいう。 コモドアとインディアが見つけた彼の蚩凰は茨の実に潰されていた。そして、獅子心王の殻士ウイグラフと互角の戦いをした彼の腕はまさしく殻士の技量であった。その彼が、なぜ、こうして五体満足に旅をしているのか。
「カイナギ隊長が言っていたのは、まんざら嘘では無いというわけか。まあ、いい。中原の傭具士宿までいけば、かわりの蚩凰も手に入る。それまで、つかまるんじゃねえよ。託言の小僧。」
ラズーは声を立てて笑っていた。彼にとっと何年ぶりの笑いなのであろう。
湖国についたアースは、洞ん爺からの親書を渡し、剣聖キルディスと会うことが許された。キルディスは額に赤い螺旋の角を持ち、その左右を額冠で飾っている。剴喬族に特有の耳は先端が尖っている。殻士服の胸には一角獣の刺繍が縫い込まれていた。首からは、剣聖の証しでもある一角騏の金貨を下げていた。
「ケイロン殿は息災か。」
「はい。」
「手紙の、ディヌーン殿の事だが。私も、かれこれ十年は会っておらぬ。わしよりは、ダイリスと懇意であったからな。馬弓族に当たれば手がかりがえられるかも知れぬ。どうだ、もうすぐ、湖国では競技会が開かれ、多くの殻士たちが技を競い会う。それを見ていかんか。剣狼ゴリアテ殿や、剣崇ロマーナ殿も来る。」
「はい。そうさせていただきます。」
「ただ、女王や、本宮の方々には君の身分を伏せておいたほうがよいでしょう。ここにも不死王の手のものが入り込んでいますから。」
「あなたの蚩凰を見せていただけますか。」
「ええ。」
「大王角蚩凰か。樹嵐において最強と呼ばれる蚩凰の一つですよ。私の弓角蚩凰は調和のとれた扱いやすい蚩凰です。動きの速さならば節剃蚩凰。力ならば大黒剛蚩凰。そう言われています。だが、あなたの大王角蚩凰のすごさは、そのどれにも勝るでしょう。」
「そんなにすごいものなのですか。」
「獅子吼族が長年にわたって改良を重ねた結果つくりあげたものですから。それに、真の蚩凰としての力がかくされていると言います。」
「かくされた力?」
「かつての獅子王が天空に住まう天獣を倒せたのもみの蚩凰の力があったからこそです。そして、そのときに天獣の剣も創られたのです。」
「あの銘剣ですか。」
「私の持っていた剣は、湖国の第二皇子ランスに譲りました。あとは、赤原の剣崇ロマーナと隈黒の剣狼ゴリアテ、行方知れずの剣竜ダイリスが持っています。もう一つは失われてしまったのです。あなたの祖父獅子心王の死とともに。」




