第7章 |傭具士《レイガーツ》 ラズー
村を見おろす小高い胞の上に、一人の男がたたずんでいた。深紅の髪を逆立て、つぶれたように広がった鼻と眉すらない顔の左半分は焼けただれたように赤かった。耳の上からは羚挂族のものよりはやや短い角が伸びていた。胸は厚く、がっしりとした体格をしていたが、それに反して腕や足は細かった。二の腕から鳥のそれを思わせるような手甲をしていた。男の名をラズーという。偉大なる不死王の密命をうけて、各地を暗躍する傭具士の一人であった。
ラズーは、茂みの中に隠しておいた自らの蚩凰の中に乗り込んだ。
「託言の子など、この俺が殺してみせるわ。」
半年前になるだろう。彼の直属の上司である傭具士長カイナギから、「託言の子」について聞かされたのは。それ以来五十名以上いる傭具士のほとんどが寸暇を惜しみ、捜し続けてきたのである。その「託言の子」がいかなる者なのかは聴かされていなかった。ただ、不死王の一千年の支配を脅かす者になるかも知れぬ、と団長のカイナギがもらしたことがあった。
「いずれにしろ、こいつを捕らえるか、抹殺すれば、一国の領主ぐらいにはなれるという代物だ。」
かつて、不死王に滅ぼされた国の者が多い雇われ者の集団にとって、この話は魅力的なものであった。一生危険の中で働き続けて、生き残れたとしても、その先がない者達ばかりであった。腕には自信があり、近衛の殻士どもには決してひけをとらぬと豪語する者達ばかりであったが、剣の技量だけで陽のあたる道を歩けるわけではなかったのである。
「しかし、侮るではないぞ。託言の子はいまだこわっぱにすぎんが、後ろには彼の国の亡者どもが控えておるからな。」
こんなうまい話に傭具士長のカイナギ自身が乗らないのは不思議であった。しかし、ラズー自身は仲間達に先を越されるのは我慢がならなかった。
「亡者のひとりが、導いてくれたというわけだ。ウイグラフ。」
久しぶりに心を躍らせる機会が訪れたことを、ラズーは心から楽しんでいた。
「よいか、ラズー。獅子吼の蚩凰には手を出すな。」
出発の前に、カイナギはラズーを諌めた。自分の後継者になれるよう、カイナギは彼の持てる全ての知識と技ををラズーにしこんできた。
「倒すなら、蚩凰に乗る前に倒せ。それができなければ、あきらめろ。」
「ふっ、でかい獲物を前に、引けない時もあるって。」
ラズーはそうつぶやいた。
その蚩鳳宿にたどりついたのは、夕刻であった。芒棚に程近いここには、多くの流れ者の傭具士が集まっていた。獅子王党への襲撃の噂が広がっていた。その狩りに参加すべく多くの流れの傭具士が集まりつつあった。
その男は白狗牙族特有の額滴石と総髪、とがった耳を持っていた。身なりは甲士ではあったが、どこかやつれた傭具士たちとは違っていた。彼は宿の一階にある酒場の片隅で食事をとっていた。
何人かの傭具士が酒を酌み交わしながら、仕事の話を進めていた。
「獅子吼族の残党の中に高額の賞金首がいるらしい。」
「千の傷か、それともあの貴族野郎か。」
「いや、かなりの若僧らしい。」
「ああ、もとの首領の息子か。」
「そうかもしれんがな。」
白狗牙族の男の眉が動いた。
不死王に組みする者達にとって、傭具士は影の存在にすぎない。傭具士の団長を除いては樹嵐で名を知られている者も少ない。
「あいつが探しているなら、おもしろいな。」
赤原公となって第一線を退いた剣崇ロマーナの朋友であり、不死王近衛殻士団長を継いだこの男、ガリアその人であった。とある作戦行動に対して白樹犀甲殻士団にのみ召集がかかったのを不服として、ロマーナにくってかかった。そのために休暇を言い渡されたのである。その休暇を利用して、彼は青原に嫁いだ娘を訪ねる途中であった。
「おもしろい話だな。聞かせてくれないか。」
ガリアは傭具士達の話に加わった。
彼の蚩凰は甲蚩凰と称されるものたちとはかけ離れた様相をしていた。頭部に見られる角の代わりに赤い鶏冠のような剛毛がはえていた。目は篭を編んだような筋で覆われ、光翅の幅が広く長かった。距離をかなりとって、ウイグラフの五角大王角蚩凰の残した光跡をたどっていた。独特の甲高い翅音は、人の耳には届くため、こうした追跡行動には不向きであったが、ひとたび戦闘となれば、他の追随を許さぬ早さを生み出す。
光跡がとだえ、ウイグラフの五角大王角蚩凰は壁樗の向こう側へ降りたようであった。闇の中でも、ラズーの蚩凰は驚くほど鮮明に視力を維持できた。たしか、この辺りには、「森の長」と呼ばれている導師が住んでいたはずであった。
「そういうことか。亡者に隠棲中の星導師。おもしろい取り合わせよのう。」
彼は、自分の蚩凰を滝柳の中に隠すと、ウイグラフの後を追った。
洞ん爺が自分の洞に戻る頃には、村の男達も酔いつぶれて家に帰って寝込んでいた。祭りも一段落が着き、アースは久しぶりにポッポ爺と水入らずで過ごすことになった。
誰もいないはずの万年銀杏の洞から光が漏れていた。ウイグラフが洞ん爺を待っていたのだ。
「お主も祭りに顔を出せばいいものを。」
「他所者の私が顔を出すのは遠慮しますよ。それよりアースは大きくなったでしょう。」
「今宵は、育ての親の所に居るわい。」
ウイグラフはそれを聞くと、ため息をついてから、こう続けた。
「実は、玄の姫巫の虜われている場所がわかったのです。八擁の呟者の護りももう効力をなくす頃です。早ければ早いほどよいのです。」
「はっきり申すが、わしは今でもあの子を戦いに巻き込むつもりはない。戦いの中ではなく、もっと別の時にあの子の力が必要なときが訪れるからじゃ。」
「しかし。」
「まもなく十六度目の祭りの日じゃ。明日の夜の月の出とともに成就の刻は訪れる。それがすべての運命を分けるじゃろう。あの子に力の兆しが現れたなら、わしも留めることはできん。」
ウイグラフもそれ以上言葉を続けることはなかった。今は待つことしかできなかったからである。
翌朝、洞にコモドアがやってきた。目覚めたばかりのウイグラフに耳打ちすると、すぐにどこかに立ち去っていった。
「やれやれ、あわただしいやつじゃのう。朝食ぐらい共にしていけばよいものを。」
「彼の者の討っ手を牛那族の街で見かけたそうです。かなりの数の傭具士が動いているようですね。」
「彼の者の元には、腕のよいものがおるからの。ゲッセマネならば、今宵の意味を突き止めておろう。」
「では、この場所も知られているのではありませんか。」
「やつが凄腕といっても、不可知結界の中にまで手を届かせることはできぬ。」
「しかし」
「下手にお主らに動き回られるほうが、かえって危険なのじゃよ。さあ、食事にするとしよう。」
洞ん爺は用意したフクランをウイグラフの前にも置いた。
「なるほどな。結界を張っているというわけか。」
ラズーは、一晩中歩き回された挙げ句に三人の仲間に追いつかれたことでいらだっていた。
「しかし、お主も間抜けなやつじゃのう。」
「結界を無理やり破れば、敵にみすみす悟られるようなものじゃろう。」
「それが甘いのじゃ。どうせ殺してしまうのに悟られるもなにもあるものか。」
こいつらこそとことん考えの甘い連中だ。ラズーは眉一つ動かさず、三人をどう利用するかを考えていた。へたに動けば、獲物を取り逃がすことは目に見えていた。
「よし、四方に分かれよう。結界は球状にしか張れぬ。今宵の月の出とともに同時に仕掛け、結界を破ろう。隠れ家を見つけるか、逃げだした奴をしとめるか。運のいい奴が勝ちと言うのはどうだ。」
ラズーはそう持ちかけた。
「それは、おもしろいのう。」
「よし、では誰がどこから攻め入るか、こいつで決めるとしよう。」
「朝飯の用意もできたことだし、いっぱいやりながらというのはどうだ。」
「それもよしだ。」
傭具士たちは、酒を酌み交わしながら、円札を始めた。一人含み笑いをしているラズーに誰も気づいていなかった。
アースは久しぶりにポッポ爺と楽しい時を過ごしていた。昼過ぎに目覚めたとき、洞ん爺との約束があったことを思いだした。あわてて、ポッポ爺に
「洞ん爺の所まで行って来る。」
と叫んで、駆け出した。
ウイグラフは庭で待っていた。洞ん爺はすでに根の下へ降りていったという。もう日が傾きかけていた。
「いいか、アース。いたずらに恐れの心を抱くな。あとは幸運をつかむだけだ。」
「なんの事ですか。」
ウイグラフは答えずに、茂みの中にある自分の五角大王角蚩凰に乗り込んでいった。仕方なくアースはアースは洞ん爺の洞に入り、根の下へと降りていった。
月が、万年銀杏越しにウイグラフの五角大王角蚩凰を照らしだしていた。北の櫨原の向こう側で稲妻が走った。結界を破り何者かがこの地に入り込もうとしていた。西と南でも時を同じくして結界の中に何者かが入り込もうとしていた。
「ついに来たか。」
ウイグラフは覚悟を決めて、光翅を開いた。万年銀杏の頂に舞い上がる。
「北か、西か、南か。どれが一番早くたどりつく。」
どうやら討っ手は三人のようだ。北から真一文字に、こちらを目指して光翅をはためかせている奴が最初にここを見つけるだろう。ウイグラフは蚩凰剣を翅鞘の留め鞘から引き抜くと西に向かって、木々の間を縫うように飛び立った。到達点からずれるためである。
その時であった。暗い夜空の中から何かがウイグラフの背後に襲いかかった。敵は真上に潜んでいたのだ。
「亡者殿。感謝するぞ。」
こうも、予想通りとは。結界の上空で待っていれば、敵が動き出す。そのそばに、目的の「託言の子」は隠れていよう。ラズーのしたたかな読みは当たった。
ラズーの蚩凰がウイグラフの五角大王角蚩凰の右腕を切り裂いた。とっさに避けたものの右上腕の甲殻は砕かれ、内骨に達していた。蚩凰同士がぶつかりあった衝撃で、万年銀杏の頂は砕け散った。ウイグラフの五角大王角蚩凰は、あやうく剣すら取り落とすところであったが、左手に持ちかえた。ウイグラフは光翅を全力ではためかせた。ひび割れた胸殻から、敵の蚩凰の甲高い光翅音が響きわたる。だが、彼の五角大王角蚩凰は力を失い、深樹海の森の中に吸い込まれていった。
「あいつの蚩凰は、甲蚩凰ではないのか。」
噂では聞いていた。暗殺用の蚩凰を駆る傭具士たちのことを。そして、それらを束ねている男、カイナギの噂も。
二人の戦いを見てとった他の傭具士どもが万年銀杏へと集結しつつあった。
「手負いの亡者殿は奴らに任せるとして、さて残りをいぶりだすとしよう。」
ラズーは深追いして返り討ちにあう愚を恐れた。一撃必殺の打ち込みをかわされた相手である以上うかつに手を出すことは避けたかった。彼は光翅をひらめかせ、その場からすばやく飛び去った。
最下部では、洞ん爺が待っていた。張り巡らされた根を弾き飛ばさんばかりに褐色を帯びた表皮が膨れ上がっていた。地鳴りのような脈動音はアースの鼓膜を激しく震わせた。
「羽化が始まる前に、お前の心とこれの心が同調するかどうか試さなければならぬ。」
「これは、まさか。」
「そうだ、アース。お前の大王角蚩凰だ。今日からお前は甲士となるのだ。」
「でも、どうして僕なんかが。」
「その答えを見いだすのは、お前の運命だ。わしが答えることはできない。」
「洞ん爺も、僕が甲士になったほうがいいのですか。ウイグラフみたいに。」
「できれば、違う道を選んでほしかった。だが、道はいつかはつながるものじゃろう。さあ、お前の大王角蚩凰に乗り込み、一体となるのじゃ。」
洞ん爺は、自分の杖で道を示し、アースは従った。頭部と肩口の表皮の隙間から中に入り込む路が開いていた。半ば滑り込むようにしてたどりついたのは、蚩凰の胸の部分であった。アースがその中に入り込んだ途端、周囲から銀色の繊毛がからみついてきた。
「アースよ。その大王角蚩凰の心と一つになり、お前の一部とするのじゃ。じゃが失敗すれば、お前自身が大王角蚩凰の一部となるぞ。」
ウイグラフが言っていたのはこのことだったのか。背中から激しい脈動が響いてきた。自分の呼吸を整え、鼓動を大王角蚩凰の脈動と同調させる。ひたすら念じた。繊毛を伝わって、巨大な大王角蚩凰の四肢の感触が自分のものとなってゆくのをアースは感じていた。 体が燃えるように熱かった。だが、動くことも、見ることもできないその感触は窮屈なものだった。大王角蚩凰の心がアースの心に流れ込んでいた。言葉ではなかった。荒々しい、いや静かなそれは生きようとする力強い意志であった。その時アースの心はアースのものではなくなった。大王角蚩凰の心は大王角蚩凰のものではなくなった。二つの心がぶつかりあい、求めあい、弾きあい、結びあって新しい心が生み出されていた。
褐色の表皮に亀裂が生じた。二つの心が一つとなり、アースもそして蚩凰もが新しい誕生をしようとしていた。
アースは目の当たりにしていた。冷たい重苦しい虚無の中で弾けた光を。光は闇を押し広げ、叫び声をあげた。生まれたばかりの聖理が震えながら、一斉に共鳴を始めた。理が気を産み、少しずつ結びついて化が生じた。微かに化に残った理が互いを引き合いさらに大きな象となった。象は巨大な固まりとなり輝き始めた。昂である。昂が燃えつきるときに弾けると、様々象を産みだした。象は再び、昂となり、多くの昂が渦を巻いて集まっていった。小さな昂が冷えて、輝きを無くすと、風が海と緑をもたらした。やがて晴天が空を覆い、聖理は海の中を静かに漂った。やがて最初の生き物が生まれた。最初の生き物は歌を歌っていた。ゆるやかな曲線を描く二重唱を。
アースは感じた。命が震えている。力があふれている。心臓の音が地鳴りのように耳の奥でこだまする。瞳の中に、いままで捕らえられなかった光さえも飛び込んでくる。血管の一つ一つにあふれるほどの血潮を。
全てが終わった。アースと彼の大王角蚩凰は一つの魂と一つの血によって結ばれたのだ。だが、地上に上がった彼らを待っていたのは、燃えさかる炎であった。
万年銀杏の頂に降り立ったラズーは背後に光翅の振動音を感じた。
「馬鹿な、あれほどの深手だぞ。」
ウイグラフの五角大王角蚩凰は背後から踊りかかった。
「こざかしい。」
ラズーの蚩凰がそれを交わそうとして、剣を抜きながら横なぎに払った。しかし、その剣が、風を切り裂いた。
「くっ」
ウイグラフの五角大王角蚩凰は、ラズーの太刀筋を読んでいたかのごとく、身を沈め、下から切り上げた。利き腕ではない以上、相手に与える衝撃も強いものでは無かった。だが、ラズーの対した今までのどの敵よりも素早い打ち込みであった。胸郭甲皮に鋭い亀裂が走った。
「かわせなかった。」
ラズーは不敵な含み笑いを浮かべた。
ラズーに追いついたもののウイグラフの五角大王角蚩凰は傷ついていた。ラズーの放った火矢によって、万年銀杏は火の粉をまき散らしながら燃えていた。
「うぬのかわいい奴らも、まもなくいぶりだされるであろう。どうしても、俺と勝負がしたいようだな。」
傭具士ラズーはなぶるかのように、ゆっくりと、磐杉の枝に膝をついているウイグラフの五角大王角蚩凰ににじりよって来た。思ったより傷は深いようだ。もう奴の五角大王角蚩凰には、体液など残っていまい。ここまで、よく追って来られたものだ。だが、いまとどめをさしてやる。ラズーは己の血が騒ぐのを止められなかった。「託言の子」も魅力だったが、この男との戦いの方を彼は選んだのだ。
「アース、聞いているか。お前の大王角蚩凰は羽化を終えたばかりで、骨も甲殻も固まりきっていない。たとえ今、動いたところで戦えはせん。ここはわしに任せて、逃げのびる事だけを考えよ。」
そうウイグラフは言い残すと、傷ついた五角大王角蚩凰の光翅を羽ばたかせ、炎の中を舞い上がった。
「いいか、本当の自分の姿を見い出せ。忘れるなよ。その大王角蚩凰はお前の道標となるはずだ。」
ウイグラフの叫びが木々にこだました。
「まてよ、亡者さんよ。相手してやるぜ。」
ラズーの蚩凰が赤い鶏冠のような剛毛をなびかせてウイグラフの五角大王角蚩凰の後を追った。
アースは唇をきつく噛みしめると、ゆっくりと立ち上がり燃え盛る万年銀杏の洞の中へと飛び込んだ。その入り口を燃え落ちてきた枝が埋めつくした。洞ん爺は一人、外に残された。
「やはり定めは、かえられんのか。」
ウイグラフは十分に追っ手を引きつけながら油断なく自分に有利な戦いの場を選びだした。追っ手ラズーの蚩凰は彼の見たことのないものだったが、彼に気づかれずに襲いかかったを考えるなら、一撃離脱の技を得意とするに違いない。その動きを封じられなければ、利き腕を傷つけられた自分に勝ち目はないだろう。僅かな間に彼が導きだした戦場は青水晶茨の森であった。
燃えさかる炎の中でうごめく影があった。すべてを焼きつくす紅蓮の炎の中から、アースの大王角蚩凰がその巨体を現した。
万年銀杏に向かっていた傭具士達は、地表に現れたアースの大王角蚩凰を三方から取り囲んだ。一人は長剣を、一人は長柄を、そして最後の一人は銛を構えてにじり寄ってきた。アースの大王角蚩凰は徒手であった。
傭具士達はアースの力を侮っていた。見たこともない蚩凰の姿であった。彼らが生まれる前に失われた聖なる大王角蚩凰の姿であった。
炎の中で、その見たこともない大王角蚩凰の瞳が赤々と照り輝いた。甲殻がまだ完全に固まっていないため、本当なら白いはずのその表面が、紅漣の炎を浴びて赤く揺らめいた。
鋸を手にした、青い独鈷嶺雄角蚩鳳の傭具士がまず動いた。巨体に似合わぬすばやい動作であった。それを合図に、他の二人も一斉に踊りかかった。長剣を手にしていた、黒い 大黒剛蚩鳳の男は確かな手ごたえを感じた。彼の長剣は見事に巨体を貫いた。が、それは、先ほど踊りかかった仲間の独鈷嶺雄角蚩鳳の背翔であった。紅漣の炎を背にした大王角蚩凰は、軽がると独鈷嶺雄角蚩鳳の巨体をつかみあげ、彼に向かって投げつけたのである。数多くの修羅場をくぐってきた、彼にとってすら、この様な、生まれたばかりの大王角蚩凰のどこにそんな力があるのか、わからなかった。それが、彼の心に逡巡となったとき、残された、長柄を手にした褐色の板突垂角蚩鳳が横あいから飛びかかった。先ほどの鋸の独鈷嶺雄角蚩鳳とは違って、十分な間合いをとり、狙いを込めた一撃であった。踏み込んだ板突垂角蚩鳳の右脚が、磐杉の根をくだきいた。おそるべき速さで打ち込まれた長柄は、相手の喉笛に突き刺さったかのように見えた。
「かわしやがった。」
大黒剛蚩鳳の男ははっきりとわかった。
「こいつは徒手だろうと、油断はならねぇ。」
板突垂角蚩鳳の男もまた、それを感じ取っていた。彼は先ほどの仲間と同じ轍を踏む事を避けた。かわされたことを知り、相手が長柄を握る前にあっさりとそれを投げ出した。後ろに、飛び退くと、倒された仲間がまだ握っていた鋸を手にした。
「おもしれえじゃねえか。」
二人は、じりじりと相手の周りを回りながら、機を伺った。歴戦の仲間としての呼吸だけが頼りだった。長柄を構えて、炎の中の大王角蚩凰もまた待っていた。
その刹那、炎に巻かれた磐杉の枝が弾け、火の粉をまき散らしながら落ちてきた。三者が同時に動いた。
「速ええ。」
板突垂角蚩鳳の男は背筋を駆け抜ける恐怖を感じた。幾度かの死地をくぐり抜けたときにすら感じたことの無い圧倒的な恐怖であった。それは、彼自身の恐怖では無かった。彼の駆る板突垂角蚩鳳のあげる震えであった。もし、それを言葉にr
ることが出来るのならこう言ったに違いない。
「にげろ。」
と・・・・。だが、その震えを抑えつつ、彼は自らの半身に命じた。それが、最後の打ち込みになるだろう、鮮やかな軌跡を描いて、鋸を振り降ろした。
大黒剛蚩鳳の男もまた、機を同じくして、アースの死角を狙って挑みかかった。相棒の一撃を交わせたとしても、こちらの攻撃を交わすことはできない。
磐杉の枝が、その瘤根に打ち当たって大きく弧を描いてとんだ。
アースの大王角蚩凰は、奪った長柄を板突垂角蚩鳳の胸板に打ち込んだ。がら空きに成った、その背に 大黒剛蚩鳳の長剣がたたき込まれようとした。それを長柄の柄で受け止め、アースの反撃が始まった。 大黒剛蚩鳳の胸郭板がぐしゃぐしゃに砕け散り、その巨体が、深樹海の闇に吸い込まれていった。長柄の刃先がぼろぼろになっていた。力任せに、蚩凰の体にぶつけたためであろう。斬るというより、叩いたという感触がアースの大王角蚩凰の手を伝わっていた。大黒剛蚩鳳はその頭部をアースの大王角蚩凰の左手に捕まれていた。長剣を振り回したが、空しく空を斬るだけであった。傭具士は、己の意志を受け付けなくなった大黒剛蚩鳳を懸命に御そうとしていたが、彼の愛殻の絶叫とともに流れこんでくる圧倒的な恐怖の前にうちのめされていた。アースの大王角蚩凰が、大黒剛蚩鳳の頭部を握りつぶしたのだった。アースは大黒剛蚩鳳の剣を奪うと正面に構えた。
磐杉枝は再び、瘤根に当たり、深い森の深淵に吸い込まれて行った。
青水晶の茨の中で、ウイグラフは待った。おびただしい出血が彼の五角大王角蚩凰の心を通して、彼の意識すら、薄らいで行かせた。真に、蚩凰と一体となった者ほど、自らの愛騎の痛みを感じるという。 すなわち、蚩凰の死はそれを駆る甲士の死であった。ウイグラフもまた、そんな真の甲士(殻士)の一人であった。この傷みが、殺気となってあの追っ手を引きつけることはわかっていた。利き腕を封じられたいま、あの傭具士を倒すためには、一撃の奇襲しかなかった。
じっと待った。必ず、奴は現れる。その時が、唯一のチャンスだった。
ラズーの心は震えていた。彼の最高の喜びが彼の心の中で叫んでいる。
「あいつは強い。あいつは速い。だが、勝つのは俺だ。」
水晶のように透き通った茨の枝々の中を飛翔しながら、ラズーの蚩凰の触覚は相手の蚩凰の気を伺っていた。
「いる。隠れて、そうか、そこか。」
ラズーの剣が茨の幹毎、ウイグラフの五角大王角蚩凰を串刺しすべくたたき込まれた。
「むだだ、そんな晶化した幹でさえぎきれるものか。」
幹の表皮を弾き飛ばしながら、剣は青水晶の茨の幹にめり込んだ。ウイグラフの五角大王角蚩凰は、その剣を自らのわき腹にのめりこませるままにして、剣を捨て、左腕で刃を握りしめた。
「なぜよけぬ。」
ラズーの砥すまされた感覚が危険を告げていた。
「こいつは何を考えて」
そう呟いた最中、彼の蚩凰の頭上に結晶化した茨の実が幾つも降り注いだ。一つ一つが彼の蚩凰ですら抱え切れぬ程の大きさの実であった。
とっさに剣を離し、逃れようとしたが、その実の一つが彼の蚩凰を直撃した。そのまま、茨の巨大な晶実とラズーの蚩凰は茨の森に飲み込まれていった。
ウイグラフの五角大王角蚩凰はラズーの剣に刺されたまま、やがて動かなくなった。
「アース・・・。」
炎は万年銀杏や磐杉の全てを覆いつくし、燃えさかっていた。その炎を背に受けて、そそり立つ巨大な影は、足元に横たわるもう一つの影に、何度も何度も、その拳を撃ちつけていた。かつては、黒く覆われた甲殻皮が粉々に砕け、既に原形をとどめてはいなかった。凶暴な衝動だけがその巨大な影の中で渦巻いていた。炎が勢いを失い、朝の光が空を紫色に染めようとしていた。巨大な影は力を失い、跪いた。激しく燃える内なる炎が、その巨大な影の全ての力をも燃やし尽くしてしまうかのように。
そんなアースの下に不死王近衛殻士団長ガリアはやってきた。
なんとか苛烈な戦いの末、ガリアを退けた者の、アースは万年銀杏の下に落ちていった。
「飲み込まれてしまったのか。アース、おまえの心は、その大王角蚩凰の闇の領域に。」
落下する大王角蚩凰の巨大な影を見つめながら、老人はつぶやいた。たとえ、彼の力をもってしても、大王角蚩凰に己の心を奪われた殻士を救うことは出来なかった。文字どおり彼は大王角蚩凰の一部と成り果てたのである。生まれたばかりの狂った大王角蚩凰の・・。三人の傭具士の蚩凰とガリアの白虎節剃蚩凰は、アースが倒した。しかし、もう一人のあの奇妙な蚩凰の男は、ウイグラフの後を追って行ったはずだ。あいつか、他の仲間がいるとしたら、今の疲れきったアースは格好の標的となるだろう。
「雨だ。」
燃えさかる炎の怒りを静めるかのように雨が空から落ちてきた。




