第6章 |獅子王党《レグリアンド》獅子王党 ウイグラフ
ウイグラフが訪れたのは、成就の刻まであと二度の太陽と月の祭りを残した日のことであった。村の家々は準備に追われ、気の早い年寄り達は酒瓶を囲んで話し込んでいた。
ウイグラフは珍しく一人で来たのではなかった。同じような甲冑に身をつつんだ二人の男を伴っていた。
一人は亜麻色の髪を三編みにして後ろで束ねていた。額に不思議な光をたたえた蝋玉がはめ込まれてあった。もう一人の男はやや痩せていた。赤毛を器用に後ろに流して銀の輪で留めていた。右目はいつも閉じたままであった。おそらく見えないのだろう。三人とも同じ翼を持つ獣をかたどった紋章を胸につけていた。
アースが洞ん爺を訪ねたとき、洞の中でウイグラフと洞ん爺の激しくやりとりしている声が聞こえた。戸の入り口に座り込んでいた三編みの男インディアは心配そうなアースの顔をじっと見つめると、
「案ずることはないよ。成就の刻が近づいているのだから。」
と呟いた。
泉の前で剣の稽古をしていた隻眼の男コモドアは、手を休めるとやはりまじまじとアースを眺めるのだった。
話に一区切りがついたらしく洞ん爺が水がめを手にして扉から姿を現した。
「これはこれは、いつ来たのだ。アース。」
自分達の声を聞かれているのがわかっているはずなのに、洞ん爺はいつもと寸分たがわぬ笑顔でアースを迎えた。
「アースを御座へ連れていきます。」
洞ん爺の後を追いかけてきたウイグラフが、半ば顔を赤らめながら叫んだ。
「連れていってどうするのじゃ。刻が満ちるまでにはまだ二度の祭りを経ねばならんぞ。」
「しかし玄の姫巫が捕らわれたとなれば事情は異なろう。いかに八擁の呟者の守りがあろうとも、そう長く続くものではない。急がねばまた多くの国が彼の者の手によって滅ぶことになる。」
「そのためにこの子の力が要るというのか。ウイグラフ。獅子の子とて爪や牙を磨くのには長い歳月をかけるものじゃ。」
「それでも、彼の者の力を食い止めるためには、託言の子の力にすがるしかないのです。」
やや落ち着きを取り戻したのか、ウイグラフは言葉を和らげながらつぶやいた。
コモドアとインディアは静かに垣根の向こうへと姿を消した。アースだけがこのやりとりの場に残された。
「成就の刻が訪れていないというのに、無理ばかりいうものではない。」
「彼の者の討っ手が、あちこちを嗅ぎまわっています。」
「いつかはここも見いだすというのじゃな。」
「そうなりましょう。」
「ア・マリンめがしくじった今となっては。よかろう。せめてこの子に知らせてはおこう。じゃがな、刻が来ぬかぎりは何もできはせぬぞ。」
ウイグラフはなおも不満気だったがようやくわずかにうなずいた。
洞ん爺は覚悟を決めた。静かに万年銀杏を指さすと
「あの木の根を伝って降りていくと大きな空洞に出る。そこにやがてはお前の物となる大いなる力がある。しかし、それはたやすき力だ。お前の心一つで良き力にも悪しき力にもなる。おのが理を磨くのじゃ。そうしなければその力はお前自身を飲み込んで滅びへと誘うだろう。よいかアース。」
アースは悲しげな洞ん爺の瞳を見つめながらも、その言葉の意味をほとんど理解できなかった。
大きく息を吸い込むと、洞ん爺は杖を片手に根を降りはじめた。アースはその後につきしたがった。万年銀杏の根はからみつきうねりながらゆっくりと下に伸びていく。ところどころは静かな水の流れを伴っていた。その周囲は苔むして、滑りやすくなっていた。降り続けていくうちに、すべてが灰色の闇におおわれて苔の緑だけが最後まで残った。
「さて、アース。おさらいじゃ。闇夜で道を切り開く術は。」
「三つあります。永久なる光の力を召還する方法と、光を蓄えしものの力を利用する方法と、それから内なる真の瞳を目覚めさせる方法です。」
「さて、ここではそのどれを使えばよい。」
「ええと、永久なる光の召還には時間がかかりますから。光を蓄えしものもここには見当たらないし。真の瞳を目覚めさせる方法しかありません。」
「それなら、試すがよい。」
アースはゆっくりと息を吸い込むと歌うように唱えた。
「内なる瞳よ。あるがままの姿をあるがままに示すべし。」
アースの瞳は深い紫色の輝きを発した。人の内なる真の瞳の力が目覚めたのである。灰色の闇に沈んでいた根が再び絡み合うその姿を現した。根自体の発する光は温かな白燈色をしていた。根はさらにうねりをましながら、下へとくだっていった。苔むしていた根がその表面をさらけだしはじめていた。所々は流水のためにひどく滑りやすくなっていた。
ふいに広い空間に歩み出た。その中央では、万年銀杏の根が絡み合って大きな篭のように丸みがかっていた。洞ん爺は静かに指さした。
「あれじゃ。」
その節くれだった指のさきに大きな、とてつもなく大きなものがうごめいていた。網の目のように張り巡らされた万年銀杏の根越しに見えるそれは、まるで地鳴りのような規則正しい音を放っていた。褐色を帯びた表面は無数の繊毛に覆われ、地鳴りのような音に合わせてはずむように波打っていた。所々から太い根のような管が、万年銀杏の根と絡み合うように伸びていた。丘のように大きな曲線を描いている。まるで一本の大木がそそり立つようにも見えた。その根元には、半球状の透き通った部分があった。地鳴りの合間に時折、その部分がブルッと動いた。胚蝉の蛹を見たことがあるが、こいつはもっと大きな生き物の蛹なのだろうか。アースはそんなことを考えていた。
「これが大いなる力じゃ。」
洞ん爺のつぶやきを耳にしながら、アースは大いなる力とは何であるのかにようやく気づいた。
「まさか、伝説の中だけじゃ。」
成就の刻までの残りあと二度の祭りが開かれることになった。その祭りの一つをアースは村で迎えられなかった。ウイグラフの提案ではあったが、村や村人達に災いが降り掛かるのを恐れた洞ん爺は、根の国や茎の国のあちらこちらへとアースを連れて旅したからである。枝の国の白樹、橙枝や、赤原、中原といった葉の国の上はすでに彼の者の支配下にあった。しかし、茎の国の多くや、根の国のほとんどは、未だに彼の者すら手の届かない場所が多かった。とはいえ、道の要所には関検がもうけられ、巡回のための蜂蛉兵が飛び回っていた。
今では少なくなった、洞ん爺のような呪い師はどの村でも歓待された。アースはその若い弟子としてよく働いた。しかし、国から国、町から村へと旅するうちに、アースは言い様のない不安にとらわれるのだった。
鹿晋族は優しくいい人ばかりだった。しかし、あのふるさとでも、アースはひとりぼっちの他所者であった。中原の隈黒族は勇猛で大柄な人々であった。青原の灰狼牙族は誇りたかき人々であり、身徒殻士と呼ばれる蚩鳳乗りが呟道の僧院を守っていた。額に二本の角を持つ湖国の剴喬族は湖沿いに目映いばかりの町を築いていた。年に一度行われるという闘技会では、各氏族の蚩鳳がその技を競っていた。剣だけで無く、棍や槍、長柄を使う甲士も見られた。また、琺と呼ばれる気を練り、それを剣に乗せて放つ技を持つ殻士もいた。
中原に住む牛那族は穏やかで、いろいろな種類の店を出していた。各地の小塚や洞窟で時折出会う羚挂族は、気むずかしいが腕のいい職人ぞろいであった。
緑野で各地を育てている馬弓族は、背が大きく、厳しいしきたりを守る勇ましい人々であった。しかし、そのどれもがアースとはまったく違う瞳の色、髪形をしていた。
「この樹嵐には十の氏族がおる。」
洞ん爺は何かの折にそう教えてくれたことがあった。洞ん爺のような洞守の民を加えると八つの民の国を既に見てしまったことになる。いったい、自分は何者なのだろう。その不安はいつも深い底知れぬ淵のようにアースをとらえて離さなかった。
太陽と月の祭りの日を一月の後にひかえ、アースは洞ん爺とともに故郷へと戻ってきた。ポッポ爺さんの頭にはめっきり白いものが増えていた。アースが家の門に立ったときもしばらくは呆けたようにじっとこちらをうかがっているだけであった。
「こりゃあ、本物じゃ。」
ポッポ爺さんが最初に呟いたのはその一言であった。
アトナはいつものようにあたたかなフクランを用意して迎えてくれた。幼なじみのウィグロはウィルマという娘とこの祭りの間に結婚することになっていた。
アースもまた、少年ではなくなっていた。すでに村人の誰よりも大きく、たくましくなっていた。洞ん爺の倍はありそうであった。何年かぶりに訪れた村は、どこかよそよそしさが感じられた。自分の成長のありようが原因であることはわかりきっていた。それだけに、ウィグロやションカのような幼なじみとの語らいは楽しく、心やすらぐものであった。
「結婚式にはでてくれよな。ションカの歌もきけるぞ。」
「なにを言ってる。ウィグロ。お前の歌よりは俺の方がずいぶんとうまいぞ。」
アースは心から笑った。彼が始めたあちらこちらの旅での話は、村からほとんど出かけることのない友にとって珍しいものばかりであった。プッルだけは父親と共に、作物を納めに村を離れていた。それが残念に思われた。
祭りの用意があわただしく進む中、洞ん爺の庵にウイグラフとその連れの二人、インディアとコモドアもやってきた。三人はしばらくは洞ん爺のもとにとどまったが、再び、どこかに出かけて行った。洞ん爺から聞いた話では、何かあわただしい動きがあるようであった。




