第46章 樹嵐の底で
不死王傭具士団長カイナギは、自分の部下達にスラヴヌの敵討ちを託して、全く別の場所へと向かっていた。淵樹海へである。かつては獅子心王の四天王と呼ばれた男を淵樹海で見かけたという探索者の言葉を頼りにである。
剣聖キルディスは自分の手で倒した。剣崇ロマーナは赤原の地で病に倒れた。剣狼ゴリアテは今頃、央府で瑠璃王の船の護衛に当たっているはずである。
となれば、残りの四天王の一人は剣竜と呼ばれた男に違いない。四天王と呼ばれた者の中で一番速く獅子叫王と袂を分かち、その後、鬣丹族の殻士になった男である。しかし、ある日、突然消息を絶ち、姿を消した。
その当時、鬣丹族は不死王とそれに味方する白樹の犀甲族、赤原の白狗牙族との対立を深めていた。その中で剣竜の名を冠する殻士団長の失踪は味方の動揺を招いた。事実、鬣丹族はその後まもなく滅亡し、自分もこうして傭具士として生きていく道を選ばざるをえなかった。
カイナギは兄である剣竜ダイリスに対して、ずっと憎しみを抱き続けてきた。鬣丹族滅亡の日に、燃えさかる雛巣城で亡くなってしまった妻と子の復讐を果たそうとしていた。
淵樹海への道は街道も整備されておらず、獣道と藪をかき分けて行く難路であった。それでもカイナギの蚩鳳は歩みを止めること無く歩き続けた。おおきな滝に道を塞がれたときにはためらわずに光翅を用いて滝を飛び越えた。針のような鋭い根を持つ大樹を降りる際には、一つ一つ慎重に足場を選んで下りていった。
カイナギの現在使用している蚩鳳は、棄躯との戦いの後で手に入れた鬣丹族の紅鷺蚩鳳である。あの日ルマナから手に入れた朱鬣蚩鳳は、スクタイの屍屠顎蚩凰との戦いで半壊してしまった。ヤバネが棄躯への改造用に洞窟に集めていた蚩鳳の中に鬣丹族の紅鷺蚩鳳が数体あったのである。この戦いに赴くために、傭具士団の典怜であるトガリに頼みこんで、動かせるように整備し直してもらったものである。光翅を用いての飛翔は得意であるが、決して甲蚩鳳のように頑丈な装甲は持っていない。
半月かかってようやくカイナギは樹嵐の底である淵樹海にたどり着いた。日がほとんど射し込まないここですら分かるほど、赤い木漏れ日が射し込んで木々を照らしていた。
その男の蚩鳳は、無数の巨蟲の死骸が折り重なり、その上に立っていた。そして巨大な二対の刀を振り続けて戦っていた。蚩鳳の数倍ほどもあろうという弩蛇蟲は次から次へと海から這い上がってくる。あるときはその頭に大刀を突き刺し、あるときは細長い胴を小刀で寸断して死骸へと変えていった。周囲が暗闇で覆われるまで男の戦いは続いていた。
カイナギは男の戦いが終わるまで、固唾を飲んで待っていた。
「そこに居るのはカイナギか。久しいな。」
意外なことに先に声をかけてきたのは戦っていた男の方であった。
「何が久しいか。四天王の立場を捨て、殻士団長の立場を捨て、こんなところで虫退治か。」
カイナギの目がつり上がった。蚩鳳剣を抜き、斬りかかっていく。だがすさまじい剣を男の長刀は軽くいなした。
「まあ、そういきりたつな。」
男は落ち着き払った声で答えた。
「ふざけるな。お前がいなくなった後、国がどうなったか知っているのか。」
カイナギはイライラして叫んだ。
「ああ、噂には聞いているよ。ここにも補給者や探索者がたまに来るんでね。まあほとんど日中は相手はしてやれないが。」
相変わらず、男は落ち着き払っていた。
「こんなところで虫退治だと。それが誇りある殻士のすることか。」
カイナギの怒声に対して男、剣竜ダイリスは少し声色を変えて返事した。
「樹嵐を沈みゆく定めから少しでも長く守るための仕事だからな。」
意外な言葉にカイナギは語気を緩めた。
「何だと。」
「ああ、だがその仕事もまもなく終わりだ。」
「なぜだ。」
「ここにも知らせが届いている。瑠璃王の船が見つかったことも、氏族が移動を始めていることもな。」
「・・・。」
カイナギは言葉に詰まった。
「さすがに少し疲れたよ。」
相変わらず、殺気立つカイナギの前で、ダイリスはいきなり胸甲を開き、蚩鳳の外に出てきた。腰にかけていた水筒から水を飲むと、大きい丸薬のような食べ物をかじり始めた。
「お前も食うか。」
ダイリスはそう言って手を差し出した。久しぶりに見た兄の顔はとても老いていた。あの頃の四天王や殻士団長として輝いていたときの顔とはまるで別人であった。
「いいから、剣を抜いて俺と戦え。」
カイナギはさらに声を大きくして叫んだ。しかしダイリスは年老いたしわだらけの顔を上げるとカイナギに向かって語り出した。
「樹嵐が誕生して割とすぐに、この巨蟲、弩蛇蟲たちが現れ始めた。そして樹嵐の根幹である部分を食い荒らして数を増やしていった。」
「そんな昔から。」
カイナギは蚩鳳剣をとりあえず納めてダイリスの話を聞く気になった。
「世界が海の底に沈んでしまったからな。こいつらも生きるのに必死何だろう。」
カイナギは腕を組んだまま黙っていた。
「最初の頃は、誰もこの巨蟲に気がつかなかった。だが、蚩鳳を手に入れて化獣を退治し、氏族が樹嵐に広がっていくうちに、ここのことが分かったんだ。」
「それがどうかしたか。」
「樹嵐が根を食い荒らされて沈んでしまうなんてことは、やっと大地に降り立った氏族達には広められなかったのさ。そこで代々たった一人の蚩鳳乗りがここで巨蟲、弩蛇蟲を狩ることになった。情報を制限するためにな。しかし、他の化獣とは違って、普通の蚩鳳剣では、弩蛇蟲を狩ることはできない。」
「なぜ、それをお前が引き受けるんだ。」
「ああ、そうか。知らないよな、先代は、お前も会ったことがあるだろう。ティスミリン殿だ。」
「ティスミリンだと。」
カイナギはまだ子供の時に何度か剣技を手ほどきしてくれた殻士の顔を思い出した。
「そのティスミリンもまた、師匠に、その師匠も先代師匠にと、代々一人でこの仕事を引き受けてきたんだよ。先代達は、古代化獣の鋏を用いて剣を作ったそうだ。加工はかなり難しかったらしい。」
「なんで、お前が。よく分からないな。」
「蚩鳳は化獣退治のために作られたが、氏族達はそれを手にして互いに争うようになってしまった。だが、やがて樹嵐は沈む。」
「弩蛇蟲のせいか。」
「それもあるがな。」
といってダイリスは海の底を指さした。海に沈んでしまった古代都市の巨大な建造物が真っ暗な闇の中でも見えた。
「建物が見えるだろう。闇の中なのにな。海の底で赤い何かが光っているんだ。」
そう言ってダイリスは目を閉じた。
「樹嵐は重くなりすぎたんだよ。その根は古代都市群を飲み込み、遂には地殻を破ってしまうほどに。」
「それがあの赤い光なのか。」
「そろそろ蒸気が噴き出すころだな。最近、吹き出す頻度が増えてきている。」
そうダイリスが言うなり、巨大な水柱が吹き上がり、夥しい蒸気が周りを覆った。
「瑠璃王の船が旅立ったとしても、新しい樹嵐できっと同じことが起きるのだろうな。海はつながっているからな。」
ダイリスは目を閉じて遠くを見つめながら話した。
「なあ、お前に一つ頼みたいことがあるんだが。」
「ふざけるな、お前とは戦うためにここに来たんだ。あの日、雛巣城で焼け死んだ妻と子の仇をとるためにな。」
「そうか。そんなことがあったのか。」
「ああ、だから、蚩鳳に乗って俺と戦え。」
カイナギの声に返事はなかった。ダイリスはゆっくりと息をしている。
「もう、氏族同士で争うのはうんざりなんだ。妻と子のことは済まなかったな。きっとお前も今日までつらい道を歩んできたんだろうな。」
巨大な水柱が再び吹き上がり、夥しい蒸気が周りを覆った。赤い鈍い光が二人の顔を照らした。
「そんな詫びなど聞かんぞ。」
「俺が頼みたいことだけ聞いてもらえれば、それでいいさ。その後は斬るなり突くなり好きにしろ。」
「ほう、そうか。なら頼みとやらを話すがいい。その間は待ってやる。」
「ありがとう、弟よ。この刀をやる。」
蚩鳳が持っている二刀の長刀を指さした。
「天獣の剣だ。五月雨と時雨。二つともやる。」
「はあ。」
「だから、新しい樹嵐へ行き、俺たちの代々受け継いできた仕事をお前にも頼みたい。」
「なんだと。」
「俺の蚩鳳もやる。お前は、どんな蚩鳳でも動かせるんだろう。俺自身は大分くたびれてしまったが、こっちはまだ動けるんでな。」
「・・・。」
「だが、乗り手の方はもう長くはなさそうだ。どうせ死ぬなら後事を託したいと思っていたんだ。たがあてがなくてな。今更、ここをほっておいて探しにも行けそうに無い。」
ゴホゴホと咳を詰まらせながら、ダイリスは話し続けた。
「一日中の巨蟲、弩蛇蟲退治。その間は十分な水も食事もとれない。その上ここではきれいな水も、まともな食糧も手には入らない。時折、支援物資が届くがな。さっき食っていた丸薬もその一つだ。もう乗り手の方が限界のようだ。」
やや離れたところで三度目の巨大な水柱が吹き上がった。
その咳き込む姿に、カイナギは自分の殺気が薄れてしまっていることに気がついた。今更、こんな年老いた兄を殺したところでなんになるのだろう。妻も子も戻っては来ない。
「分かった。引き受けよう。」
カイナギはその言葉を押し出すのにかなりの時がかかった。ダイリスは眠っているのだろう。咳き込むことは無く、ゆっくりと横たわって深い呼吸をしていた。
「ありがとうな。」
そう言ったきり、ダイリスはカイナギをそのままにしてまた眠りに落ちていった。いつの間にか淵樹海にも朝の木漏れ日が射し込んでいた。




