第36章 翡翠の来訪者
馬弓族の住む緑野は樹嵐で一番広大な面積を誇る。一面を豊かな草原で覆われ、肥沃な土壌は耕作や牧畜に適していた。この地の名産である滑空蝗は、湖国の騎騏と並んで樹嵐を移動する際の手段として重宝されていた。また、天牛虫の幼虫は、その味わい豊かな肉が好まれていた。
馬弓族は頭領を中心とした封建制度が敷かれていた。一族は郎党と呼ぶ血縁集団により強固に結びついていた。頭領のフガク家は都であるヒョウアンケイに居を構えていた。
数年続いた紛争により、現在では頭領家のフガク家の支配力が弱まり、判官家ミカヅチ家が実質的に馬弓族を支配していた。ミカヅチ家を筆頭判官として、アハヤト家、イタケル家の三家が輪番制で判官を務めていた。
馬弓族には、頭領家、判官家と並ぶ名家として?官家と政官家がある。
?官家はイヅモ家、イズナ家、ハジチ家の三家があり、主に信仰を司る家系である。
政官家はアサマ家とミナカタ家があるが、有能な若者であれば養子として迎え入れ、主に政治や訴訟を司っている一族であった。
他の氏族と異なり、馬弓族の外見は郎党が同じであれば、非常によく似た容貌をしていた。刃自と呼ばれる蚩鳳乗りは、代々の蚩鳳を受け継いで駆っていた。そのため、大刀角蚩鳳は長命であることで知られていた。他の氏族の蚩鳳が唯一の乗り手を持つのに対して、この特性は特に際立っていた。赤き島の女王の来襲時には、馬弓族の刃自は、祖父が倒れれば、父が、父が倒れれば息子が同じ蚩鳳を駆って戦い抜いた。
重装甲ではない大刀角蚩鳳が活躍できたのはこの特性のおかげでもあった。
ガウェンは馬弓族の中でも武勇で名を響かせている刃自であった。政官家の傍流である彼の血筋は、決して武門の家系ではなかった。ミナカタ家の分家である彼らの生家には、現在名をとどろかせている三つ子の兄弟がいた。長男がガウェン、次男がガフェリン、三男のアグウェンである。
?官家に宮参りした際に、イヅモ家の神官から三人それぞれに産着を渡された。ミナカタ家の家紋は梶の葉をかたどったものである。
長男がガウェンには梶の葉の中に日輪、次男がガフェリンには梶の葉の中に月、三男のアグウェンには梶の葉の中に星が描かれた家紋であった。
三人はすくすくと成長し、三人ともゴリアテの開いている練資社への遊学が認められた。そこでも三人は競い合って腕を磨き、社中でも有数の使い手になるまでに成長した。
ペウスが始めた瑠璃王の船探索の旅に、ガウェンは同行したかったが、傍系とは言え、長男という立場がそれを許さなかった。心苦しかった彼は、代わりに弟のガフェリンを派遣した。聞くところによると判官家の刃自であるワカヒトもその探索に同行しているとのことであった。郎党が異なるため、ガウェンはワカヒトとはあまり親しくは無かったが、修練で何度か手合わせをしたことがあった。若いが、まだまだ成長の余地のある若者であった。
年に一度、馬弓族の郎党が一堂に会する催しがあった。今では剣を使うことが主流であったが、馬弓族の名が表すとおり、もともとは弓の名手を多く輩出した一族である。鬣丹族の天翼弓とは異なり、小ぶりながらも、幾層にも素材を重ねた剛弓であった。蚩鳳を持たなかった時代に彼らは滑空蝗の背に乗り、この剛弓を用いて化獣と戦っていたほどである。神弓祭と呼ばれる催しは、郎党の中から一番の腕利きが技を競い合って、その年の五穀豊穣を祈願する習わしであった。
傍系ではあるもののガウェンはこの催しにミナカタ家の代表として参加していた。
頭領系であるフガク家の代表としては、まだ幼いながらも凄腕と評判のワサーダが出場していた。後見人としてアソマがすぐそばに寄り添っていた。
判官家ミカヅチ家の代表としては、やや年配のトウセイが出場していた。ちなみに前年の優勝者でもあった。
アハヤト家、スサマルは筋肉隆々の武人である。弓だけでなく、太刀の扱いも上手であった。
イタケル家のハヤマルはワサーダより少し上の若者である。連射を得意とする弓の名手として知られていた。
イヅモ家からは、ハンガックと名乗る女性の射手が参加していた。初めて神弓祭に参加するため、どのくらいの腕前なのか知られていなかった。
イズナ家からは、タワトウと呼ばれる大柄の刃自が参加していた。彼は蚩鳳乗りとしても高名であった。
ハジチ家からの代表者は今回いなかった。
アサマ家からは、キョウケイが参加していた。彼はガウェンとも交流が深かった。
各家からの代表が弓場に並んで弓の手入れをしていたところ、突然に見慣れぬ来訪者が訪れた。
翡翠色の外套を深々とかぶり、背には剛弓と天翼弓の中間ぐらいに見える大きさの弓を背負っていた。来訪者はいきなり矢をつがえると的に向かって放った。矢は見事に的の中心に命中した。
「誰だ、神聖な神弓祭に。無礼だぞ。」
並んでいたイタケル家の代表でハヤマルが叫んだ。
翡翠色の外套をまとった来訪者はその声に対してこう告げた。
「この中に、私の矢よりも正確に的の中心を射抜ける者がいるなら、挑戦するが良い。だが、失敗したら、その両目に私の矢が刺さると思え。」
来訪者の言葉に代表たちはすくみ上がった。そもそも神弓祭は五穀豊穣の祈願のためでもあるので、的は普段稽古しているものより遙かに小さく、そして遠くにある。
「どうした。誰も挑まんのか。つまらんな。」
来訪者が笑い出して各家の代表たちに侮蔑の笑みを漏らした。
「私がやろう。」
すくみ上がった代表の中から一人の男が立ち上がった。代表の中でも一際大きく、がっしりとした男であった。ガウェンである。彼の背には梶の葉に囲まれた日輪の家紋が描かれていた。折しも、太陽はまさに南中の位置にあった。
「とはいったものの、俺は剣の方が好きだから、弓はあまり熱心に修練していないんだよな。」
ガウェンはぼそりと呟いた。同じく代表であったフガク家のアソマがそのつぶやきを聞き取ってしまい、
「大丈夫か。」
と声をかけたが、ガウェンはそれに答えること無く、右手を挙げ返答した。
ふぅーっ。ガウェンは息を吐いて次に長く息を吸い込んだ。練資社で集中力を高めるときにした修練を思い出してやってみた。
剛弓を構えて、矢をつがえた。
「思ったよりも遠いな。そして小さいな。」
だがそんな雑念を払うように呼吸を繰り返して集中した。
「ホオーッ。」
大声と共に矢を放った。そもそも矢を放つときに声など出さない。しかし、ガウェンは剣技を繰り出すときと同じかけ声を思わず出していた。
矢は的の中心に命中した。いやそれだけでは無い。翡翠の外套をかぶった来訪者の矢を突き破り、的に命中していた。
「私の矢よりも正確に的の中心を射抜ける者がいるなら、挑戦するが良い。と言っていたな。失敗したときのことは聞いていたが、成功したときはどうすればいいんだ。」
ガウェンは来訪者に向かって尋ねた。
「ふふふ。弓技が廃れたと聞いている馬弓族にもまだまだ優れたものがいたとはな。面白い。貴様、一年後に私の城へ来るが良い。その時もう一度勝負しよう。」
そう言うと、男は外套を深々とかぶり、何事かをブツブツと呟くと忽然と姿を消した。
「成功したときはどうすればいいんだって。逃げるなよ。それにお前の城ってどこにあるんだ。」
周囲の拍手喝采をよそに、ガウェンは頭を抱えて苦笑いした。
それからの半年、ガウェンは修練を重ねた。今まであまり熱心に行わなかった弓の修練にも力を入れた。その間、練資社の伝手を生かしてあの翡翠色の射手についての情報を集め続けた。しかし、樹嵐中に情報網を持つ牛那族の手を借りてもも翡翠色の射手についての手がかりは得られなかった。
ある日、ガウェンは判官家からの呼び出しを受けて、ヒョウアンケイへと向かうこととなった。政官家の仕事をしている父の名代としてである。いかに腕利きとして知られているガウェンでも、ヒョウアンケイの格式だった手続きは苦手であった。かれの属するミナカタ家は政務を得意とする一族である。しかし、三兄弟は修練に熱心で、政務やしきたりにはやや疎かった。
父の名代としての仕事を終えて、判官家の館を辞したのは既に夕刻であった。宿などは特に取っていなかったが、せめて夕食は取りたいと思ったガウェンはヒョウアンケイの繁華街へと向かった。良い匂いが漂ってくる料理屋の前で立ち止まり、
「ここにするか。」
というと店の中へ入った。
料理屋は十五人も入ればいっぱいになってしまうこぢんまりとした店であった。店員にお勧めの料理を頼んでできあがるのを待った。
奥の座敷には、数名の若者が盛り上がっていた。その中の二人には見覚えがあった。フガク家の代表ワサーダ、イヅモ家のハンガックである。むこうもこちらに気づいたようで手招きしながら
「こっちへ。」
と誘われた。
「神弓祭以来ですね。」
とワサーダが親しげに話しかけてきた。
「あの矢は見事でした。」
ハンガックもガウェンを褒め称えた。残りの若者は、どうやら二人の弓の修練仲間であるらしい。届いた食事を平らげながら、ガウェンは二人に相談をした。
「実はあの時のことで困っているんだ、一年後に城へ来いって言われたんだが、手がかりはなくてな。」
ワサーダが困っているガウェンに声をかけた。
「勝手な言い草ですよ。行きようがないし。」
「そうなんだ、手を尽くしてはいるものの、全く行方が掴めない。」
二人の会話を聞いていたハンガックがきょとんとして尋ねた。
「あら、そんなことで困っているんですか?」
えっという顔をして、ガウェンとワサーダが固まった。盛り上がっていた修練仲間も息を飲んだ。
「何か知っているのかい。」
「いえ、でもあの神弓祭の時に、あの男が討った矢を持ち帰ったものですから。」
「ガウェン様が引き裂いたあの矢ですか。」
ワサーダがまじまじとハンガックを見つめた。
「はい、それを師匠に見せたところ、矢に使われている矢羽根が珍しいものだと行っていました。」
ああ、そうか。手がかりは残していたのか。あり翡翠色の来訪者は。それに気づかなかったなんて。ガウェンは少し落ち込んだ。
「師匠なら、今、弓の手入れのためにヒョウアンケイに来ていますが、お会いになりますか。」
ハンガックの言葉に
「もちろんだ。」
とガウェンは即答した。
ハンガックの師匠によれば、翡翠色の来訪者の使っていた矢羽根は黒森に住む黒曜鳥のものだという。それを聞いたガウェンは、一旦緑野に戻り、蚩鳳を伴って黒森へと向かった。練資社のポレスに、隈黒族への紹介状も書いてもらった。あれほど探して見つからなかった男の所在が分かったのは丁度一年がたった頃であった。
黒森の最奥地に荒れ果てた男の城はあった。あちこちが崩れていて、とても人が住めるような状態ではなかったがガウェンは城の奥へと進んだ。やがて大広間にたどり着いた。
「ようやく来たか。小僧。あの日の再戦をしようではないか。」
翡翠の外套を上げ、男はガウェンに語りかけた。緑色の髪、緑色の瞳、そして顔には無数の鱗があった。
初めて目にする男の姿に少しひるんだものの、ガウェンは剛弓を取り出して矢をつがえた。今回はガウェンが先手を取った。矢は的の中心を射貫いた。
翡翠色の男は矢をつがえると三連謝した。そのどれもが的の中心を射貫いた。ガウェンの矢は引き裂かれた。
少しもたじろぐことなくガウェンは三連謝した。太陽はあの日と同じ南中にあった。矢は男の矢を引き裂き、的の中心に刺さった。
男は、今度は慎重に矢を放った。しかし、ガウェンの矢に当たったものの、はじかれて的に当たらなかった。矢筈に蚩鳳剣で用いる鉱石をはめ込んでいたためであった。
「なるほどな。考えたな。小僧。」
「弓の腕では五分五分でしょうから。少しばかり知恵を使いました。」
「よかろう、おぬしの勝ちだ。」
翡翠色の男は立ち上がるとこう言い放った。
「この城にあるものはすべてお前のものだ。好きにするがいい。」
そう言うと静かに王座に座り込んで動かなくなった。緑色の髪は茶色く縮れ、顔の鱗ははらはらと床に舞い落ちていった。崩れ落ちる顔の奥からは鈍色に光る頭蓋骨が見えた。
「良きかな良きかな。永い時を超えて、待っていただけのことはあったぞ。小僧。」
口を開くことなく男の声が聞こえた。
辺りを見回したガウェンはため息をついた。
「こんなぼろい城に何があるって言うんだよ。」
そう言いながらも、ガウェンは大広間から続く通路へと歩み続けた。最奥部に宝物庫と思われる部屋があったが、鍵はかけられていなかった。宝箱が散乱し、中は殻だった。
「なんだよ。何もないじゃないか。」
そうガウェンが呟くと、壁の一つが輝き始め、そこに隠し扉が現れた。扉を開くと、そこには箱があった。ペウスが持っていたものと同じ箱であった。
ガウェンの目の前で箱は自然に開いた。中から水晶の乙女が現れた。銀筆尾のパラシートスと名乗る少女であった。
ガウェンは水晶の乙女を抱えてペウスの元に向かった。ちょうどランスがペウスの元に向かっている頃であった。




