第34章 囚われた|玄の姫巫《クロノアルア》
少女は天空城の多数並んだ尖塔の一つに囚われていた。囚われているとはいえ、囚人のような扱いをされているわけではなかった。
彼女がいる部屋の壁には、漆黒の鉱石で作られたタイルが敷き詰められており、窓すらなかった。食事や着替えは定期的に部屋の扉から侍従が運んできてくれた。
呟道の総本山から隠れ家に移った後、半月ほどで不死王軍の襲撃を受けた。守りについていた僧兵の多くが戦死し、負傷した。
襲撃時の戦いで八擁の呟者のうち数名が犠牲になった。眼海とよばれる遠見の能力者、耳地と呼ばれる遠聴の能力者、意山と呼ばれる遠心の能力者の三名である。三名とも、敵の襲撃を事前に感じ取れる能力者であった。
呟道にとって玄の姫巫はそれほど貴重な人材であった。高僧たちが命に替えても守ろうとしたのは、彼女が替えのきかない能力を持っているためである。
生き残った残った八擁の呟者たちが、たとえ奪われたとしても、不死王の危害が彼女に及ばないように封印術をかけていた
特に、末那空と呼ばれるの無我の能力者によって心の封印術をかけられた。また、彼女の持つ貴重な知識を守るために、阿耶天と呼ばれる蔵識の能力者によって封印がかけられた。しかし、その封印もこの尖塔に運ばれる頃には、不死王配下の魔理帥、ゲッセマネの手によって解けかかっていた。
玄の姫巫と呼ばれるようになったこの少女が生まれた時、両親の元に呟道の尼僧たちが訪れた。先々代の玄の姫巫が行った託言によって、その日に次世代の玄の姫巫女が生まれると告げられていたからである。もちろん同じ日に生まれた少女は複数いた。その全員が呟道の総本山に集められ、物心が付くと玄の姫巫としての能力を開発するための修練を受けた。
古代語や神聖語の読み書き、舞と呼ばれる精神を集中させるための舞踊。調和力を高めるための音楽、薬草から薬湯を作る薬学、呟道の経典の声明など、修練は多岐にわたった。
長い修練の中で、才覚がないと見なされたものはすぐに里に帰された。
「帰れるんだ。それなら。」
少女はちょっとずつ修練で手を抜き始めた。里に帰されるものほどではないが、上位に選ばれることのないよう、ほどほどに手を抜いていた。手抜きがあまりに露骨だとばれたらまずいと感じたからである。
修練が始まって、三年が過ぎる頃には、同じ誕生日の少女たちは五十名から十五名ほどに減っていた。今までの白い服と引き換えに、尼僧が新しい服を残された少女たちに手渡した。
「おめでとうございます。皆さんは三年の修練を乗り越え、見事に言姫巫となられました。今日からはこのお召し物にて修練をお積みください。」
尼僧たちは少女たちに色違いの服を渡していった。
「この服の色は、そのまま次世代の玄の姫巫女となられる方の順位をも示しています。
黒橡・樺茶・飴茶・桔梗・夕茜・朱鷺・萱草・刈安・青柳・青緑・浅黄・孔青・藍鉄・勝色・月白の順であります。」
少女が手渡されたのは月白と呼ばれる僧衣であった。月の光を感じさせる薄い青みを帯びた白であった。今まで手抜きしていたからか、少女は自分が一番下の階梯であることに気がついた。一番下、もしかしたら、次の選別で自分は里に帰れるかもしれない。少女はそう感じた。
「見事に言姫巫となられました皆様方は、晴れて呟道の尼僧の一員となります。生涯を呟道とともに歩んで頂きます。」
尼僧の言葉に少女は愕然とした。あれだけ手を抜いてふるい落とされることを望んでいたのに。二度と父と母に会えずに、この僧院の中で過ごすなんて。僧衣を受け取った手がぶるぶると震えていた。
個室へと戻った後、少女は一晩中泣き続けた。翌日、少女の泣き腫らした目に気づいた尼僧たちは何事もなかったかのように修練を始めた。
二度と帰れないという現実は、少女の心に静かな火をつけた。今まで手を抜いていた修練に本気で挑み始めた。この僧院で生き抜くしかないなら、できることは多い方が良いと気持ちを切り替えたからである。
少女の僧衣が月白から最高位の黒橡へ変わるまで一年とかからなかった。修練は最初の三年とは比較にならないほど高度で過酷なものではあったが、少女は全ての修練をそつなくこなした。周囲の少女たちが、嫉妬や劣等感を持てないほどの圧倒的な力の差を少女は身につけていた。気持ちを切り替えて、本気を出した彼女の才能はそれほどすさまじかったのである。
さらに三年が過ぎ、十五名の言姫巫の中から囁姫巫になる五人の少女が選ばれた。少女はその筆頭としてさらに修練に挑んだ。選別で選ばれなかった、残った十名の言姫巫の少女たちは、各氏族の街にある僧院へと旅立っていった。彼女たちは僧院で、人々の悩みに耳を傾けたり、身につけた薬学の知識を用いて治療したりした。一生を僧院で過ごすことには変わらなかったが、休みを取れば両親の待つ里への一時帰宅も許された。
五人の囁姫巫の少女たちは、聖理と魔理についても学び始めた。古代の知識、天宝輪についても解読されている範囲で学ぶことが許された。
三年の修練の後、五人の囁姫巫の中から次世代の玄の姫巫が選ばれることとなった。現在、玄の姫巫を務めている者の寿命が、まもなく尽きようとしていたからである。
玄の姫巫のもつ膨大な知識は、そのまま次世代の玄の姫巫へと受け継がれる。玄の姫巫の額に埋め込まれた青玉を新たな玄の姫巫の額に埋め込むことによって、その膨大な知識は受け継がれるのだという。
さらに修練が続き、次世代の玄の姫巫には、皮肉にも手を抜いて帰りたがっていたあの少女が選ばれた。彼女の才能はあろうことか、彼女の自由を奪ってしまった。だが少女は既に覚悟を決めていたため、その役目をすんなりと受け入れた。
玄の姫巫の替えがたい能力は時間に関するものである。それは、聖理や魔理、呟道や身徒たちには持つことのできない能力であった。
少女たちを次世代を担う玄の姫巫への育成するために集められたのは、先の時間を見通すという玄の姫巫特有の力を見つけ出すためであった。氏族の人々は、それを託言と呼んで、日々の生活や商い、あるいは戦いに生かしてきた。
玄の姫巫となった少女は時を見通す能力獲得の最終段階に入った。その役を担うために、呟道の僧院にア・マリンと名乗る聖理帥が招かれた。ア・マリンは少女を連れて樹嵐の各地を旅した。燈枝の閉鎖された三つの塔に忍び込んだり、萌胞の見える山岳地方の小塚を訪ねたり、紫丘や芒棚といった滅びてしまった国まで訪れた。
旅の最後は根の国の鏡のような池であった。少女はその美しさに心を奪われて、時を忘れて舞を踊り、水面の上を滑空した。
彼女を見つめる不思議な少年と話したのはこのときである。僧院の者やア・マリン以外と話すのは久しぶりだった。あの深い光をたたえた少年の瞳を少女はまだ覚えていた。
玄の姫巫の持つ時間を操る能力は、樹嵐のすべての知識を手に入れたと言われる不死王ですら持てなかった。
獅子王党に組みするア・マリンが、彼女の託言の力を手に入れようと共に行動しているという情報が不死王の下にもたらされると、赤原公が素早く動いた。兵力を動員して呟道の総本山を攻撃して、玄の姫巫を捕らえたのである。
彼女は丁重に不死王の下に送られた。だが、数ヶ月が過ぎても、玄の姫巫と不死王の対面はなかった。玄の姫巫は、ただただ尖塔の一部屋で過ごすしかなかったのである。
「何のために私をとらえたの。」
少女の疑問に答える相手はこの部屋にはいなかった。
アースが獅子王党に合流したころ、玄の姫巫奪還の計画は最終段階に達していた。近衛殻士団や銃士隊を抱えている赤原を超えて不死王の天空城にたどり着くのは無謀である。そこで現在は閉鎖されている聖理帥たちの三つの塔がある燈枝からの奇襲を計画していた。ここは天空城に隣接する土地であるが、無人の地であるので獅子王党が人目に付かずに玄の姫巫奪還を進めるのに適していると判断された。
デルゼント公は獅子王党を三つの隊に分けた。千の傷ハナーンを隊長とする奪還部隊。ティンタス伯を隊長とする支援隊。ペンガタント伯を隊長とする陽動隊の三隊である。
今回の作戦は獅子吼族のみで固められていた。党員の数は少なくなるが、前回、不死王軍の奇襲を受けたため、参加者を増やしすぎて、情報が漏洩することを恐れたためである。
獅子吼族以外の獅子王党員には、予め別の任務として赤原にある傭具士団の拠点の攻撃を命じていた。そちらに敵の注意が引きつけられれば、奪還作戦もうまくいくと判断したためである。
アースとインディア、コモドアはペンガタント伯の陽動隊に加盟した。千の傷のハナーンが率いる隊には、ウィグラフの息子であるフロスグラウ公、ティンタス伯の弟ティンベス、そしてデルゼント公が加盟していた。
ティンタス伯の支援隊はアースが拠点に着いたときにはすでに各地で物資の確保や情報収集に出発したため、誰が属しているかアースは知らなかった。
夜の闇に紛れて獅子王党はついに玄の姫巫の奪還に動き始めたのである。




