第31章 樹嵐の根幹 剣竜ダイリスと傭具士長カイナギ
淵樹海、それは樹嵐の最下部に位置するまさに樹嵐の根幹を支える部分である。かつて世界は海に飲み込まれてしまった。胚珠が海に投じられ新たな大地となった樹嵐が生まれた。やがて海退が進んで陸上となった樹嵐ではあったが、ここ淵樹海は大部分が未だに海水につかったままである。
枝々の隙間からは海に沈んでしまったという太古の天人たちの街が見えた。しかし、海に潜ることはあまりに危険であったので、誰もその街へ行こうとは思わなかった。
そもそも、ここにはほとんど人が寄りつかなかった。理由は巨大な弩蛇蟲たちである。蚩鳳と比べても数倍はあろうかという長さをもった虫たちが、毎日海水の中から這い上がってくる。夥しい数の弩蛇蟲が巨体をくねらせて枝々に絡みついている。
ほの暗い夜明けとともに戦いは始まった。たった一人の蚩鳳乗りが、根に絡みつく弩蛇蟲たちを切り裂いていった。もちろん弩蛇蟲たちも反撃してくる。巨大な口を開いて蚩鳳をかみ砕こうと襲いかかってきた。しかし、二つの刀を使いこなす彼の敵ではなかった。左手の刀で牙の攻撃をかわすと、右手の刀で弩蛇蟲の頭部を切り落とした。
一際巨大な弩蛇蟲が、蚩鳳の背後から飛びかかったが、光翅を用いて難なくその突撃を交わし、喉元に刀を突き立てた。まるで後ろにも目が付いているような動きであった。 樹上から飛びかかってくる弩蛇蟲の攻撃に対して、男は漂木の枝の間に身をかがめてかわした。その背中に飛び乗ると刀を突き立てて切り裂いた。
小さめの弩蛇蟲は連携をして蚩鳳の手足を絡め取ろうと巻き付いてくる。男は刀を空中に放り投げると、蚩鳳の拳に着いた棘状の突起で弩蛇蟲を叩き潰した。落ちてきた刀を撮ると自由になった手で足に絡みついた弩蛇蟲を突き刺した。
戦いは休むことなく、日没まで続いた。淵樹海に特有の漂木が海面を覆っていた。その一面を弩蛇蟲の体液が埋め尽くした。彼は、日没の後、今日倒した弩蛇蟲たちの数を一本の巨木に刻んでいた。
気の遠くなるほどの戦いを男はずっとたった一人で続けていた。瑠璃王の船が見つかり、新しい樹嵐への旅立ちの手筈が整うまで。それが先代から彼が受け継いだ約束であった。
戦いを終えると彼は自分の駆る蚩鳳を滝壺で冷やした。この滝は淵樹海で唯一澄んだ水のある場所であった。
蚩鳳の冷却と自己修復のためには清らかな水が欠かせなかった。湖国で開発された蚩鳳は、元々は化獣たちから氏族を守るために作られた。そのため、湖国の湖のような清潔な水が大量に必要であった。
一通り冷却と蚩鳳剣の研ぎがおわると、男はその日初めての食事を取った。淵樹海で取れる数少ない食べ物である果実と、漂木の根に棲む貝類を焼いて食べた。食事が終わると、吊り下げられた布の中で男は眠りについた。また、明日の戦いに備えるためである。
漆黒の闇の中に、男が駆る蚩鳳が立っていた。額から生える巨大な角は刀角と呼ばれる蚩鳳の特徴をしていた。だが男の蚩鳳の刀角は一際大きく鋭かった。
蚩鳳の左腰には、二本の緩やかな曲線を持つ蚩鳳剣があった。もし、ここに腕利きの蚩鳳乗りが居たのなら、その二振りの剣の正体を一瞥で見抜いたであろう。それほど高名な剣であった。名を天獣の剣、時雨と五月雨と呼ばれていた。
たった一人で戦う男は、かつて剣竜と呼ばれ、獅子心王の四天王として名をとどろかせていた。その後、紫丘を離れ、鬣丹族の剣術指南役に招かれた。数年で殻士団長にまで上り詰めた。それほどの腕前であった。
彼の名をダイリスという。馬弓族の偉丈夫であった。
しかし、男は錆谷の雛巣城から突然姿を消した。王や団員にも何の断りもなく突然に消えたのである。当時、殻士団には彼の弟も居た。
数年後、錆谷は不死王軍の手によって壊滅した。その戦いにも彼は現れなかった。最後まで抵抗した彼の弟は大怪我を負い、蚩鳳を亡くし、剣崇ロマーナに捕らえられた。
弟の大怪我は、背後から仲間の殻士に切りつけられた時に負ったものだった。
「お前の腕をこんなところで亡くすのは惜しい。どうだ、我々と手を組まんか。」
勝者である剣崇ロマーナの言葉に、弟の心は動いた。仲間に背後から切りつけられ、大怪我を負いながらも切りつけた仲間を倒した。我が家に駆けつけたときには、すでに屋敷には火の手が回っていた。三階の窓からは助けを求める妻と息子の姿が見えた。しかし間に合わなかった。炎はあっという間に妻子を包み込んだ。
「仇のお前たちのことか。ロマーナ。馬鹿か、俺を誘うなど。」
「そう言うな。お前は鬣丹族の殻士仲間に裏切られたそうじゃないか。そうでなければ腕利きのお前が背に傷など負わんだろう。いまさら義理立てしてどうする。」
弟は歯ぎしりしてロマーナをにらんだ。しかし、不思議と目の前の男を斬り殺して仇を取ろうという思いは浮かばなかった。なぜだろう。
「もっともっと強くなりたいのであろう。お前は。顔に書いてあるぞ。」
剣崇ロマーナは笑った。
こうしてダイリスの弟は、赤原公である剣崇ロマーナと手を組んだ。ただ、殻士団に入ることだけは彼の矜持が許さなかった。
「傭具士となって協力するなら、やぶさかではない。」
そうこの弟こそ現在の不死王傭具士長、カイナギその人であった。
彼は後頭部に束ね、持ち上げていた巻き髪を切り落として総髪となった。顔に入れ墨を入れてかつての身分を偽った。
不死王に与する洞守のトガリは、蚩鳳の修理をする中で、カイナギの特殊な体質に気がついた。
「ほう、こりゃめずらしいのう。」
「なんだ、爺。早くおれの蚩鳳を直してくれ。」
「うむ、お前さん、そこの蚩鳳に乗ってくれんか。」
トガリはカイナギの持つ蚩鳳とは別の蚩鳳を指さした。
「乗れるわけないだろう。これは俺の蚩鳳じゃない。」
「まあ、いいから。」
カイナギは、しぶしぶトガリの指示に従った。機嫌を損ねて蚩鳳の修理が遅れるのがいやだったからだ。
胸腔に入り込むと、背中の傷が少し痛んだ。
「あっちの蚩鳳棟まで動かしてくれ。」
「だから、他人の蚩鳳なんて動かせるわけないだろう。」
だが、不思議なことに、その他人の蚩鳳はカイナギの操縦で動いていた。
「次はこいつじゃ。」
「それにこいつも。」
「あとあいつも頼む。」
昼時までにカイナギは修理棟にあった二十一騎の蚩鳳すべてを運び出した。
「やはりのう。めずらしいのう。お前さんは本当にどんな蚩鳳でも乗りこなせるんじゃ。」
「はあ、そんなわけないだろう。」
「事実、動かしてるじゃろうが。」
蚩鳳は基本主である殻士や甲士の操縦しか受け付けない。そう言われている。なぜなら、蚩鳳は胚から生まれ出たときに、己が主となる者の掌を囓り、その血を取り入れるためである。
湖国の離宮に住む女王ニヴィアンの元に各国の有力者が集うのは、我が子に蚩鳳を授けるためであった。
ただし、例外もあった。馬弓族の蚩鳳である。それらは祖父から父、そして子へと代々受け継がれていく長命な蚩鳳であった。本人でなくとも血のつながりがあれば動かすことができた。
「お前さんのような者が希にいるんじゃよ。わしも実際に会うのはこれで、ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、たしか五人目かのう。」
「そんな馬鹿な。」
カイナギは認めようとしなかった。
「ほれ、あそこで修練しておる小僧がおるじゃろ。まだ小さすぎて蚩鳳には乗らせてもらえんが、あの小僧もお前と同じじゃ。」
捻れた左右非対称の角を持ち、手には鳥のような手甲を身につけている。その少年が棟の外で一心不乱に剣を振っていた。
「ラズーとか言ったかのう。あの小僧は。あの小僧もお前と同じようにすべての蚩鳳を移動できたぞ。」
からからと笑うトガリの声が蚩鳳棟に反響していた。
これで物語の中に四天王を全員描くことができました。ただ二人すでに故人となっていますが。ダイリスとカイナギの因縁はどうなっていくのか思案中です。




