第25章 剣崇ロマーナの死
剣聖キルディスの訃報が樹嵐を駆け巡ってから三月後、赤原公、剣崇ロマーナは病の床にあった。彼が剣聖キルディスと不死王傭具士長カイナギの立ち会いに招かれていたにも関わらず、参加できなかった理由の一つがこの病であった。
ロマーナは、不死王近衛殻士長ガリアを呼び寄せてこう言った。
「キルディスは果報者だな。無事後継を育て上げ、己が技と天獣の剣を託し、そして戦いの中で死ねたのだから。」
「剣崇殿、気弱なことをおっしゃってはなりません。」
「ガリア、よいのだ。己が体のことは自分自身がよくわかっている。」
湖国の第一の殻士となったランスのように、己が技と天獣の剣を託せる相手が、今のロマーナにはいなかった。唯一、後事を託せると思っていたガリアは託言の子との戦いで蚩鳳の片腕を失った。蚩鳳の腕は典怜によって回復することはできようが、彼の自信の腕も同様に傷を負っていた。蚩鳳の死は殻士の死とも言われる、絆の深い高名な殻士ほど蚩鳳の受けた傷を自分の体にも負ってしまうからだ。
「ガレイと言ったな。そちの息子は。湖国の競技会でも活躍をしたと聞いている。一度会って、じっくり話してみたいものだな。」
「はあ。」
ガリアは言葉を濁した。彼の息子ガレイは、不死王近衛殻士団の厳格な殻士風を嫌っている。腕があるのに未だに銃士隊に籍を置いているのもそのためであった。
「やはり、無理か。」
ロマーナは、ガリアの表情から後継にガレイを据えることは困難であると理解した。なかなかの頑固者だとは噂で聞いている。腕は確かだが、高慢さが目立ち、目上の殻士ともそりが合わないと聞いている。
「私の磨いた剣技は、私の代で失われるのだな。」
ロマーナは、窓から見える赤原の景色を遠く見つめていた。四天王と呼ばれながらも、不死王と手を結び、剣の道より政の道に力を入れすぎた報いであった。
剣聖キルディスのように殻士として高名を馳せ、弟子入りを志願する者が後を絶たなかったのなら、希有な才能を持つランスとの出会いも必然であろう。
剣狼ゴリアテは、広く門戸を開き、どの氏族からも弟子を取り、練資社という一門を育て上げることに成功している。
「ダイリス。お前は今、どこにいるのだ。剣竜よ。お前になら、この胸の内を余すことなくさらせようものに。」
ロマーナを慕うガリアの前ですら、こんな言葉を吐き出してしまう今の自分の情けなさを改めて痛感した。
「すまぬな。ガリア。赤原と不死王近衛殻士団のことはお前に託す。」
そう呟くと、ロマーナは寝台で静かに目を閉じた。かつて赤原にその人ありと慕われた偉丈夫の腕は、今は枯れ木のように痩せ細ってしまっていた。
ガリアは、ロマーナの寝息が落ち着くまで見守ったが、静かに寝所を後にした。
「さあ、どうなる。これからの赤原は。獅子王党がまた動き始めている。あの託言の子の動きもその後は掴めん。これからが思案のしどころだぞ。」
ガリアは自分を戒めるように呟いた。
自宅に戻ったガリアは、ちょうど銃士隊の宿舎から帰宅していたガレイを自分の居間に呼び出した。
「ガレイ。どうも剣崇ロマーナ殿の体調は思わしくない。」
「そうですか、父上。」
ガレイは父に素っ気なく答えた。この息子は、己が剣技を高めることには非常に熱心だが、それ以外のことにはまるで無関心であった。志を共にする銃士隊にも腹を割って話せる友人は数少ないようだった。
「まあ、それとは話が変わるのだが、ガレイ。お前に死神の鉈を譲ろうと思う。」
それまで表情の乏しかったガレイが、このときばかりは目を丸くして叫んだ。
「父上、ご自分のおっしゃっていることがわかっているのですか。」
「無論だ。わしの腕では、もう死神の鉈を振るうことはできまい。お前なら、我が家の秘技、峰砂斗も放つことができる。潮時なのだ。殻士としての私はもう。」
「そんな悲しいことをおっしゃらずに、また鍛錬を積んで、元の腕に戻せば・・・。」
そう言いながらも、ガレイの顔は父の剣を自分のものにできるという喜びに包まれていた。
ガリアはため息をついた。我が子ながら、底の浅い。腕は確かだが、殻士としての心根がまるで育っていない。私は教え導けなかったな。そんな思いがガレイの心に広がった。
ふとガリアは、託言の子と呼ばれるあの若者があのとき叫んだ言葉を思い出した。あの涼やかな眼差しとともに。口の脇まで垂れた褐色の髪と深い湖のような薄紫の瞳を持った、それはまだあどけなさを残す少年であった。
「まだ、何者でもない。俺は俺だ!」
まだ何者でもないときが、私にも剣崇殿にもあったのだな。まっすぐに己の道を信じ前に進む力を持っていたころが。ガリアはロマーナのように窓から広がる赤原をじっと見つめていた。
その脇でガレイは父から譲られるという死神の鉈の対となる人用の剣を手にして喜んでいた。
不死王と呼ばれるその男が赤原を訪れたのは、ガリアがガレイに失望した晩のことであった。不死王は飛空術を用いて、赤原公の寝所の窓から直に入ってきた。そのため、その姿を目にすることは赤原公の館の家族や使用人の誰にもできなかった。
「不用心だな。剣崇。お前ともあろう者が。」
「これは、不死王猊下。このような場所まで。」
目覚めていたロマーナは咳き込みながら上体を起こした。
「礼はよい。楽な姿勢のままでいろ。」
「はい、猊下。」
「今にも死にそうだな。ロマーナ。どうする。わしならその命を長らえる術も持っているぞ。」
不死王はしゃがれた声ではあったが、優しく今際の際にあるロマーナに語りかけた。
「いえ、猊下。棄躯や戦鬼士のようになってまで生きながらえたいとは思いませんし、戦いへの執着も、私はそんなに強くはありません。」
「そうか、ロマーナ。残念だが、そなたの意思を大切にすることにしよう。」
「ありがとうございます。猊下。」
「そなたは、今日までわしに力を貸してくれた。その礼を改めて言おうと思ってな。」
「もったいない。不死王猊下が、あのとき、樹嵐を戦乱から救ったのは間違いありません。」「二つほど氏族を滅ぼしてしまったがな。ロマーナよ。」
「氏族同士で争っていては、再び赤き島の女王が攻め入ってきたときに対処できません。」「そうだな。止むを得なかったのかな。」
「蚩鳳戦の消耗で国土が荒れ果ててしまっては、元も子もありません。」
「そうだな。剣崇。」
剣崇ロマーナの口元がわずかに緩んだ。
「あの戦いの日々の中にこそ、私の輝きがありました。」
それが、赤原公、剣崇ロマーナの最期の言葉となった。その言葉を知るものは樹嵐では不死王ただ一人となった。
不死王はロマーナの息がゆっくりと止まるのを見届けてから、再び飛空術で己が城へと帰っていった。
ロマーナの妻、アイリアと娘フェニキアがその死に気づいたのは翌朝のことであった。直ちに不死王近衛殻士団が招集され、今後の対応と葬儀の段取りにあたった。
アイリアは、夫が後継を持てなかったことを悔やんでいたことに気づいていた。彼とアイリアの間には、フェニキアという娘の他に、もう一人男児がいた。しかし、幼いときに戦乱に巻き込まれて亡くなってしまっていた。
「あの子がもし生きていたら、夫は憂いなく死ねたのかしら。」
アイリアは流れ落ちる涙を止められなかった。娘はそっと母に寄り添って抱きしめていた。
葬儀の段取りが一段落つくと、誰が次の赤原公となるのかに話の焦点が移った。筆頭候補であるガリアは、後継となることを固持した。自分の腕が万全ではないことを理由にはしていたが、尊敬するロマーナの死で心が空っぽになってしまったのである。
結局、有力な若手の中から、赤原公の娘フェニキアの婿を取るという形で、後継選びはいったん保留となった。
赤原公の蚩鳳棟には主を失った彼の黄海節剃角蚩鳳と天獣の剣、蛇舌爛がそのまま残された。




