第18章 |剴喬《モリガム》の皇子ランス
湖のほとりに、その古城は建っていた。白い城壁と尖塔が、湖の青い湖面に映えて美しく輝いていた。城の周囲を囲む白い城壁のところどころを蔦が覆っている。城門から続く街道を南に下ると、湖畔の街に出る。人々は、湖の恵みと飛麦の収穫で生活していた。青原の湖国と中原や赤原への中継点にあたるこの街道の街は、同時に、「湖の女王」の離宮への入り口としても知られていた。年に二度行われる「望月の祭り」「影月の祭り」には、数多くの巡礼が幾日もの旅をしながらやってくる。離宮の「月の庭」は、巡礼に解放され、三晩にわたる宴が繰り広げられるのである。
しかし、そうした祭りの時期を除けば、商人が訪れるだけの静かな街であった。いや、商人の他にも、この街を訪れるものはいた。各国の王族や貴族の子が生まれた時、将来その子を殻士や甲士にしたい場合には、女王に蚩鳳胚をもらいに来るのであった。また、この古城に住む剣聖と呼ばれる殻士に師事を求める若者達であった。また、
「技においては剣聖、力においては剣狼。速さにおいては剣竜。政においては剣崇。」
そう樹嵐の人々が褒めそやす殻士の一人は、湖の女王の聖護殻士として、離宮の「星の塔」にいた。しかし、彼はこうした若者たちに快く接することはあっても、今まで弟子をとることは決してしなかった。若者たちは彼と談議し、いくばくかの示唆を得るだけで満足して帰らねばならなかった。
獅子心王の四天王として赤き島の女王との戦いで雄名をはせた彼、剣聖キルディスも、今はすでに年老いていた。そんな彼のもとに訪れてくる若き殻士志願のものたちの中には、彼や彼の仲間達のような輝きをもった者はいなかった。
しかし、五年前、ある雪の晩のことであった。一人の輝きをもつ若者が彼の前に現れたのは。そして、その若者は、彼の生涯で唯一の弟子となった若者であった。
凍えた声をふるわせて、昼過ぎに古城の城門にたどり着いた若者は、紹介状すらないために城の中に入れずにいた。粗末な外套に身を包んだ彼の肩には雪が降り積もった。幾重にも布覆された蚩鳳もまた、雪化粧されていた。
城門を守る衛兵が何度、日を改めることを進めても、彼は動こうとしなかった。
夕刻、離宮へと帰ってきた廷吏の一人が、この頑固な若者の話を剣聖に告げなかったなら、彼は一晩中城門の外に立ちつくしていたろう。
単なる自分の名誉欲を満足させるためにのみ、剣聖の名に惹かれて訪れる若者たちが多かった、彼らに煩わされることを嫌い、キルディスが最近は来訪者を断りだしていることを廷吏も知ってはいた。その廷吏がわざわざ、夕食時に、古城の最奥部にある「星の塔」のキルディスを訪ねて、この若者のことを告げたのだった。ふと、キルディスは離宮の主である女王の言葉を思いだしていた。
「もうすぐ、あなたの待っていたものが訪れるでしょう。聖護殻士殿。」
期待が彼の胸を貫いた。彼が待っていたもの。それは、彼の剣の奥義全てを修得できる後継者に他ならなかった。彼がそうであったように、剣聖の名をうけることを許されるたった一人の殻士であった。長らく待って得られなかったもの。このまま、自分の積み上げてきたものが失われてしまうことが、彼には口惜しかった。そんな彼にとって、女王の啓示は吉報であった。
「星の塔」の殻士の間を飛び出した彼は、塔の階段を下り、回廊を抜け、雪が積もった庭園を通って、城門にたどり着いた。その頃には、彼の分厚い肩にも雪が積もっていた。
若者は蚩鳳の傍らにみじろぎもせず立っていた。そして、突然響きわたる城門の開く音にうなだれていた顔を上げた。門が開き、跳ね橋がかけられると、一人の大きな男が、その橋の上をゆっくりと歩いてきた。若者は、その長身の男が誰であるか気づかなかった。わずかに尖った耳と深い湖のような光をたたえた瞳を持つ男であった。その額には、剴喬族特有の螺旋角が突き出ていた。若者は、その角を見た途端に、この大きな男が誰であるのかを知った。赤い角を持つ剴喬族は一人しかいない。彼こそが、剣聖、湖の女王の聖護殻士キルディス・ダン・ヴレードその人であった。
剣聖は、雪にまみれた若者の金色の巻き毛から覗くその瞳の輝きに、自分と同じものを感じ取った。
「剣聖キルディス殿。」
そう若者はつぶやいた。
「私が、キルディスだ。」
若者の瞳に輝きがました。
「どうか、弟子にしてください。」
若者はまっすぐな瞳で剣聖に声をかけた。
「わしは、弟子はとらぬことにしている。」
キルディスは高鳴る胸をおさえ、静かに語りかけた。
「それでは、おそばにおいて使って下さい。」
丁重ではあるが、意志の強さを感じさせる言葉であった。
「蚩鳳をお持ちのようだが、それほどの身分の方が、小姓のまねでもあるまいに。」
若者の傍らに立つ蚩鳳を見上げながら、キルディスが話を続けた。
「家は、捨てて参りました。剣で身を立てるほか、私には生きる道はありません。」
この若者も今まで来た者達と同じであろうか。軽い失望が、キルディスの心に広がった。
「今宵の宿がないなら、この者の家に厄介になるがよい。明日、また来るがいい。」
キルディスの後ろには、若者のことを告げた廷吏が立っていた。
「さあ、私の家でくつろいで下さい。詳しい話は明日にでも。」
しかし、若者は食い下がった。
「剣の道に生きる者に、今日の勝利無くして、明日がありましょうか。」
その言葉が、キルディスの耳をうった。これと全く同じ言葉を、彼もかつて若き日に使ったことがあったのだ。
「よかろう。一手教授しよう。ついてくるがよい。」
キルディスは廷吏に向かって伝えた。
「守衛に蚩鳳を見てもらってくれ。この者と少しばかりここを離れるのでな。」
そう言って、彼は門をくぐった。若者は彼の後に続いた。
廷吏は、守衛を呼び、蚩鳳を見張らせると帰途に帰路に着こうとした。その時、彼は幾重にも布覆された間からのぞく蚩鳳の象眼に目を奪われた。
「この紋章は。」
「翼竜の紋章ですね。」
守衛が何気なくつぶやいた。
「では、あの若者は。」
殻士の間には、板張りされた修練場もあり、剣の稽古に用いられていた。剣聖は壁にかけられた木剣の一つを若者に投げ渡し、自らも構えた。
「外套を脱ぎなさい。」
「いいえ、このままで結構です。」
キルディスはうなずくと、木剣を身構えた。若者も木剣を構えて二三度振った。凍えていた腕に感触を取り戻すためであった。
「お願いいたします。」
若者は腕のしびれが取れてはいなかったが、相手を待たせるわけにはいかないと考えて、キルディスに向かい合った。
若者には、剣聖キルディスの姿が一回り大きく見えた。それでいて、彼の姿は木剣の遠くにあるように感じられた。彼は息すらしていないように感じられる。その瞳ははたして自分の姿をとらえているのだろうか。そう若者は感じとっていた。自分の体が吸い込まれるように動いた。
それは、若者が最も得意とする突きであった。己の体を省みず、相手を倒すための必殺の突き。若者の師が、彼に禁じ手としていた技でもあった。防御をとっていないため、木剣の勝負とはいえ、頭上のがら空きの部分に打ち込まれれば、命は無い。しかし、腰だめに勢いをつけて突き出すために、体重がかかり、この突きをかわすのは容易ではない。
「自分の命あっての剣法だ。」
と彼の師は戒めていた。
無意識の彼の体は、偉大なる剣聖の前で、その動きを選んだのである。
キルディスはその突きの切っ先に向かって自分の剣を繰り出した。十分に練られた彼の戦気「琺」が木剣を通してほとばしる。
若者の木剣と剣聖の木剣がふれる直前に、キルディスの「琺」が、若者の剣をその体ごと吹き飛ばした。
「いかん。」
若者が放った無意識の突きの鋭さに、手加減したと思っていた琺の掌配が狂っていたのだ。
キルディスは、殻士の間の壁にまで吹き飛ばされた若者のそばに駆け寄った。
とっさに受け身をとったのだろう。若者の体はわずかな打ち身だけですんだようだ。しかし、外套からのぞいたその顔を見て、キルディスは唖然とした。
「この方は。」
その金色の髪と、額からのびる剴喬の角、そしてすずやかな瞳は、この湖国の第二皇子のものであったからである。
皇子がキルディスの元を訪れてからはや五年の歳月が流れた。
湖の岸辺に沿った街道を数頭の一角騏が本城である白辰城から離宮へと向かっていた。赤地に白い翼竜を象った旗を押し立てた一角騏はこの湖国を治める王リオスの使者達であった。
城門を守る衛兵に口上書を手渡し、王宮の中へと導かれた彼らは、この城を治める離宮のニヴィアン女王への貢ぎ物を従者に渡し、挨拶を述べた。
水色の瞳と、光の具合によっては真っ白にさえ、見て取れるゆるやかな曲線を描く髪をもつ湖の女王は五年前とほとんど変わらぬ容姿を保っていた。
女王の傍らに、無言で立っている男は、剣聖と称される殻士の中の殻士であった。剴喬族としてはやや痩せていたが、赤い螺旋角を持つ男の長身は見るものを圧倒した。その男キルディスが尋ねた。
「たしか、卿は七将軍のひとり、スレイ殿でしたね。」
使者の中でもっとも年長の男がキルディスに答えた。
「これは、私のようなものの名を覚えていてくださるとは剣聖殿。」
「何をおしゃいます。湖国にその人ありと称えられたスレイ卿。私こそ、この国では客人でしか無いのですから。」
キルディスが上機嫌に話していた。
女王が口を開いた。
「第二皇子は湖の古城にある「星の塔」に居ります。使いをやったので、もうまもなく着くでしょう。」
「ありがとうございます。」
「この五年でだいぶ剣の腕も上達された。ごゆるりとご覧になるとよいでしょう。」
剣聖キルディスは微笑んだ。第二皇子は彼が人生の中で唯一もった弟子であった。そしてスレイもまた、本城に皇子がいたころに剣の手ほどきをしていた身であった。皇子が、キルディスと初めて出会ったときの使った突きを禁じたのも、彼の師であったスレイである。彼らは、共通の弟子の才能を鋭く見抜くとともに、深く愛していたのである。
彼は、雪のふりしきる晩に突然本城から、この離宮へと出奔した第二皇子を引き戻すために、自らこの離宮を訪れたことを昨日のことのように思い浮かべた。かたくなに戻ることを拒んだ皇子のあどけない顔も、彼の脳裏にはやきついていた。
「いえ、そうも参りません。じつは、皇子には一度本城の白辰城にお戻りいただかなければなりません。」
使者の顔つきがきびしくなった。
「やはり、王の具体は・・・。」
女王が深い悲しみをこらえてたずねた。
「はい。」
そのとき、女王の間に走り込んできた若者の姿があった。
流れるような金色の髪は額から左右にわかれ、肩にまで達していた。額には見事な玉細工環をかけ、その中央からは、見事な剴喬角がのびていた。赤地に飛竜を象った外套を左肩にかけ、青い胴着を身にまとったその体躯は剣聖のそれに迫るほどにまで伸びていた。
「スレイ卿!よく来てくれた。五年ぶりですね。ここに、私を迎えにきた時以来になる。あのときは、迷惑をかけました。」
皇子は使者の手を握りしめ、頬を紅潮させて笑った。
「皇子さまこそ、よくぞ、ここまで偉丈夫になられました。」
スレイの顔がかすかに緩んだ。
「ゆっくりしていってください。ここの魚料理は絶品です。それに、出来れば一手立ち会っていただきたい。五年もたてば、負けず嫌いの子供の腕も上達するものです。」
「このような年寄りを相手にご無理をおっしゃいますな。」
「何をいうか。湖国の猛龍、スレイ卿。」
屈託のない皇子に、キルディスは言った。
「皇子、スレイ殿はお迎えに参上したのだ。」
皇子の顔が曇った。
「では、父上が・・・・。」
「蓮月の暮れまでには、本城に戻られたし、との事です。」
使者は再び厳しい顔つきに戻り、口上を述べた。
「早速、旅支度を調えさせましょう。」
女王が従者に命じた。
「父上。」
五年も会わぬ間に、壮健だった父王の身をそこまで病魔が蝕んでいたとは。自ら望んで、この離宮へと引いた身であるが故に、今日の知らせは皇子の胸に突き刺さった。突然、この離宮に来て以来、父王とは手紙でのやり取りさえしていない。
もともと厳しい父王であったがために、許してもらえるとは考えてもいなかった。だが、彼は遠く離れていても、理解されていなくとも父王を深く敬愛していた。その父王の身に。皇子は大きく息を吸い込んだ。
使者達がしばしの休息をとったころには、皇子の旅支度も済んでいた。王の望みと言うことで、皇子は蚩凰を駆って行かねばならない。自分の死を見越し、兄のクルスを載冠させるとともに、その第一の殻士としての宣誓を第二皇子である彼に行わせるためであろう。第一の殻士となることは皇子が望んでいた事でもあった。そのために、湖国の殻士としてふさわしい実力を身につけるために、彼はキルディスのもとにやってきたのだ。しかし、それがこんなに早く訪れようとは。
女王の間に、暇乞いに訪れた一行に、キルディスが語りかけた。
「スレイ卿と使者の方々、皇子をよろしく頼みます。」
使者達は笑みで答えた。
「ランス皇子、これをもって行くがよい。」
キルディスが差しだしたものは、水星洵とよばれる一振りの剣であった。それは、彼の蚩凰剣、水月洵と対になる剣であった。
「わしのような隠居の身には、もはや要らぬもの、この国を守るために役立てて欲しい。もちろん、蚩凰剣もともにもって行くがよい。」
「しかし、それは・・・。」
ランスはためらった。スレイ卿達使者も息を飲んだ。殻士が己の愛剣を手放す時。すなわち殻士であることを捨てる時である。まして、いま渡されようとしている剣は。
水月洵、それは獅子心王ゆかりの名剣、天獣の剣の一振りであった。四天王と呼ばれたキルディスの剣聖としての全ての栄光と辛苦の日々を共にしてきた業物である。
「キルディスの志、無駄にしてはなりませぬ。」
女王もまた微笑んだ。
「そなたに受け取ってもらうことが、剣聖殿にとってはなによりの喜び。」
「わかりました。謹んでお受け致します。」
ランスは対となる水星洵を受け取った。剣聖は、愛弟子の肩を叩いて告げた。
「己の信ずる道を進まれるのですよ。」
皇子はまっすぐに師を見つめ、感謝の言葉を表しきれずに、何度もただうなずくだけであった。
赤地に白い翼竜を象った旗をおしたてた一行は、湖に映えるその白を後にした。一行は離宮と本城を結ぶ湖渡橋を進んで行った。湖国の第二皇子ランス・ライガ・ラウスはこのとき、まだ十七歳であった。
白の街道と呼ばれている、湖の離宮と本城を結ぶこの道は、初代獅子王の時代に、ランスの先祖である湖国の王が築いたものであった。湖の国特有の水源地帯とその間に広がる緑原をぬって、湖国中を結んでいた。一角騏はこの国で用いられる輸送手段であった。この一角騏が半日で進む距離毎に町が置かれ、そこで開かれる市が、町を中心にした村々を潤わせていた。
王子の一行は蚩鳳を運ぶため、足取りは遅かったが、ほぼ三日あれば本城にたどり着けると踏んでいた。
最初に宿をとった町の名をクラカッセと言った。街道の宿場としては小さな町であったが、蚩鳳宿の主人は笑顔と暖かい料理で彼らを迎えてくれた。疲れた彼らを訪れた町長も皇子に挨拶を述べるとそこそこに気遣って去って行った。
主人が奇妙な事を彼らに告げたのは、次の朝であった。
「ここのところ、蚩鳳ばかりがやってきますな。戦でもはじまるのでしょうか。」
「他にも、蚩鳳が?」
「はい、一昨日の晩にも、お一方見えられましてね。」
「一人なら、流れの甲士か傭具士あたりであろう。戦などとは大げさな。」
「いえ、こんな町に蚩鳳が二日続けて来るなんてないものですからね。」
スレイの言葉にランスもうなずいた。
「ご主人、心配なされるな。」
一行の出立を主人はなおも不安そうな顔で見つめていた。スレイの心にも不安が残った。王の死を望む者どもがうごめきはじめたのか。
本城への旅は滞りなく進んだ。街道をいく一角騏と蚩鳳の隊列は湖国の城へと一歩一歩近づくにつれ、多くの民人たちの熱烈な歓迎を受けた。彼らの到着は、前もって口伝てに伝えられ、道筋は人々の垣根で埋められていた。五年ぶりの第二皇子の帰還を人々は心から喜んでいた。同時に、王の容態を心から愁い、悲しんだ。
予定通り、三日目の昼過ぎに一行は湖国の本城、白辰城に着いた。城では、第一皇子クルス戴冠の儀の準備が進められていた。王の寝所に入ったランスを、母后メイスがえてくれた。父王は安らかに眠っていた。メイスは第一皇子クルスの母である。ランスとは血のつながりがない。
「あなたのお帰りを父王様は心待ちにしておりました。先ほどようやく薬史のおかげで眠ったばかりですの。」
母后メイスの顔にもやつれが見えた。
「思ったより、お加減がよいようで安心致しました。母后様も、無理をなさらないように。今宵は、私がついています。」
「ありがとう、ランス。クルスも戴冠の儀の準備がすみしだい、ここに来るでしょう。父王様も、戴冠の儀を心待ちにしておりますのよ。そして、あなたの、第一の殻士としての宣誓も。五年も会わなかったなんて、まるでうそのようですね。ランス。」
そういって母后は、息子を抱きしめた。やわらかな髪の香りとあたたかな母のぬくもりがランスにはくすぐったかかった。いたずらをして帰ってくるたび、父王がきびしく諌め、母后はこうして何もいわずに抱きしめてくれたものだった。実の母エレインが亡くなったときから、母后というより、母親として接してくれていた。
ランスは、母の肩が小刻みにゆれていることに気がついた。母は、声を殺して泣いていた。ランスは言葉もなく、母を抱きしめてやることしか出来なかった。
母の涙が乾いたころ、兄クルスも、寝所にやってきた。どちらかといえば、ランスはなくなった母エレインに面ざしが似ていた。
それに対して、第一皇子クルスは父王の眼差しをそのまま受け継いでいた。ランスよりも一回り大きな身長ではあったが、肩も腕もほっそりしていた。金色の巻き毛と螺旋角は、この兄弟を双子のように見せた。しかし、切れ長の兄の瞳は理知的で兄の意志の強さを物語っていた。弟の深い湖のような瞳はその慎重さを表していた。
五年ぶりの兄弟の対面であった。
「ここに直接来ていたのか。ランス。大きくなったな。」
「兄上こそ、立派になられました。わがままばかりの弟を許して下さい。」
「何を言う。それより、スレイの話では腕を上げたそうだな。誓宣の儀の後、競技会ではでは、多くの殻士が腕を競いあうからな。牛那族の央府からは見届け役として剣狼ゴリアテ殿も参られる。お前の師キルディス殿ももちろん来てくれよう。」
「はい。」
「お前が戻ってきてくれて本当にほっとしているよ。城は浮き足だっている。俺はまだまだ若すぎるからな。」
「そんなことはありませんよ。」
二人は、子供時代の屈託のない間柄にはもう戻れないことを感じながらも、夜遅くまで語り合った。
翌日は、慌ただしく過ぎていった。近衛の殻士たちと、誓宣の儀の打ち合わせを行い、近隣から訪れている領官達をもてなし、夜は父王を見舞った。
「帰ったのか。ランス。」
厳しかった父の横顔はやつれたとはいえ、昔のままだった。
「はい。父上も、おかわりなく。」
「戯言はいい。クルスとともに、この国を頼む。もはや戦乱の時代は過ぎ去ったとはいえ、殻士の力は国の象徴でもある。過ぎたことは忘れればよい。明日からを懸命に生きて欲しい。」
「はい。」
「クルスは体が弱い。その分、王としての力量を身につけるために、勉学に打ち込んだ。あれにない部分は、そなたが補うのだぞ。」
湖の離宮にその甲士が訪れたのは、ランスが本城へと発ってから二日目の夕暮れであった。黒い色の外套をまとい、背に長い剣を負った男は、城門の衛兵に手紙を渡した。差出人の名はカイナギと記されていた。
その手紙を受け取ったのは、剣聖と称されるキルディスその人であった。
「ついに来たか。では、ここに通してくれ。」
そう衛兵に告げると、キルディスは椅子の上に身を伸ばした。
「長い冬であった。」
衛兵に案内されてその男はやってきた。外套からわずかにのぞく切れ長の瞳が夕闇の中でも輝きを失う事なくキルディスを見つめた。
「待ったぞ。カイナギ。長い間。」
「では、約束通り、返してもらいたい。」
「見つかったのだな。鳳雛は。」
「そちらの準皇子殿は。」
「本城へ帰られた。もはや、彼は湖国の人となろう。で、お主のほうは。」
「鬣丹の戦奴だった。」
「今では、傭具士にしこんだのか。」
「ああ、いい腕だ。まだまだだがな。」
「お前がしこんだのなら心配はいるまい。不死王には、どう言ってあるのだ。」
「王は、強い者が好きなのだ。あいつの腕を見れば、余計なことは何も言わんさ。それに八擁の呟者との戦いで疲れて、今は眠っているよ。」
「玄の姫巫はどこに。」
「そこまではいくら剣聖殿でも教えられんな。」
「わかった。」
そう、力なくつぶやくとキルディスは息を吐いた。
「ひとつ頼みがある。」
「なんだ。」
「一手立ち会ってもらえぬか。」
カイナギは驚いたように尋ねた。
「蚩凰でか。生身でか。」
キルディスは安堵して微笑んだ。
「蚩凰で、それも本身でだ。」
「俺のように明日の命を考えぬもの相手でも良いのなら構わぬが、どちらかが死ぬぞ。」
「そうだろうな。」
「そうだ。」
「だが、この年になると、もう一度生き死にをかけた立ち会いをしてみたいものでな。」 カイナギはこの年老いた剣聖の瞳の奥にある輝きを読み取った。
「わかった。だが、条件がある。例のものを用意しておくことと、互いの弟子に立ち会わせることだ。」
「用意はするが、湖国の第一の殻士となる男は呼べぬかもしれぬぞ。」
「その時は構わぬが、俺の弟子には見せたいのでな。剣聖と呼ばれる男の太刀筋を。」
「わかった。では、湖国の誓宣の儀に立ち会った後に、再び、ここにて立ち会ってもらおう。」
「よかろう、再びここにて。」
カイナギは一礼して、去ろうとした。
「ところで、兄上のその後の消息は。」
キルディスのその声にカイナギは答えた。
「あの男の事など口にしたくはない。が、消息が分かれば、この手で殺すだろうよ。必ずな。」
暗い瞳であった。外套に覆われて、彼の姿は庭園の闇の中に溶けこんでいった。
「鬣丹族の近衛だった頃とはあまりに変わったな。カイナギ。」
キルディスは、自らの蚩凰のある蚩凰棟に向かった。彼は肩口から蚩凰腔に乗り込むと、蚩凰と一体化した。月の美しい晩であった。キルディスの駆る蚩凰は深山弓角蚩凰と呼ばれるものである。膂力よりは、素早い動きを真髄とする蚩凰であった。
その深山弓角蚩凰が月明かりの中で、いくつかの剣型を行った。だれも見ていないのだろうか。いや、離宮の庭に立つこの美しい深山弓角蚩凰の陰を見つめているものが何人かはいるのだろう。
月を見上げながら、彼は思った。かつての主、獅子心王を。かつての友、剣狼ゴリアテを。今は不死王の下にいる剣崇ロマーナを。そして、今別れたばかりのカイナギを。行方知れずとなった剣竜ダイリスを。そうした懐かしい顔の数々が月の浮かぶ空に現れては消えていった。
次の日から、数日、この深山弓角蚩凰と蚩凰の主の姿が離宮から消えた。それが、再び離宮の人々の目に映ったのは、彼が誓宣の儀のために本城に向かうその日であった。
湖で漁をする者たちの中に、奇妙な噂が流れたのはそのころであった。湖の中央に浮かぶ雪山島で、彼の深山弓角蚩凰の姿を見かけたというものである。
湖国王リオスの容態はその夜急変した。ランス、クルスら皇子と妻の看取る中で、湖国の王は眠るかのようにこの世を去った。獅子心王や紅雀王といった大国の王と、不死王との争いの中で、どちらに組することなく、湖国を守り抜いた、慎重で、偉大なこの王は天寿を全うした。わが子の載冠の儀、誓宣の儀を見ることは出来なかったが。
湖国を訪れていた各国の使者は自国にこの悲報を届けるために街道に散っていった。翌朝、王の死を知らされた国民たちは悲しみに泣き崩れ、国中は七日の間、喪に服した。七日間に渡り、本城において、王リオスの葬儀が行われた。離宮の女王ニヴィアンが携えた湖の岸辺に咲く白い百合の花が静かに眠る王の胸もとを飾った。近隣の王や諸候を始め、数多くの人々がこの偉大な王の弔問に訪れた。
新しい王の即位は八日目に行われた。近隣の王や諸候は、葬儀に続いて、この新王の即位に参列した。
王宮の湖王の間で新王クルスの戴冠の儀が行われた。神聖戒司が、湖の漣をかたどった王冠をひざまずくクルスの頭に載せた。新しき王は、善き国王となるための七つの誓いを賓客の前にて誓い、王宮の展望台から国民の前にその姿を現した。
悲しみに沈み、喪に服していた国民も、この新しき王クルスを喜び迎えた。新しき王は国民と共に湖国を守り、築いていくことを宣言した。




