第17章 |棄躯《ロスティーツ》 |鬣丹《マノア》の旋風 ルマナ
小高い萼のあちこちに無数に開いた穴が、その場所を一つの要塞と化していた。表面を覆う蔦の間からさえ殺気が感じられる。
傭具士たちは四十近くまで集まっていた。カイナギ配下の者はその内の四分の一に満たなかった。この仕事に併せてかきあつめられたものが大半を占めている。しかし、不死王傭具士隊という存在はその日暮らしの彼らには魅力的なものであった。
カイナギは襲撃の準備を終えて、配下の傭具士たちに語りかけた。
「ここの連中は、犀甲族の麟軌曹の残党と称しているが、中身は山賊に等しい。剣士がほとんどで、蚩鳳の数は十騎に満たない。だが、問題がひとつある。全ての蚩鳳とその殻士が棄躯だということだ。こちらも死人が出る覚悟でかからねばならない。正規軍も相当の被害が出たらしい。こっちにお鉢が回ってきたのもそのせいだ。」
「棄躯だって。やばい仕事だ。」
「割り増しはあるんだろうな、隊長。」
「命あってのこの稼業だぜ。」
傭具士たちから不平の声が一斉にあがった。
「棄躯?」
シーバがカイナギに尋ねた。
「自分の身体を捨てて、蚩鳳と一体化した連中さ。蚩鳳に乗ると、狂っちまうという噂もある連中だ。味方以外の動くものはみんな切り刻む。自分が死ぬ恐さも感じないから、死ぬまで戦い続ける。決して引かない。」
カイナギが言った。
「割り増しはなしだ。嫌なものは帰っていい。こちらの繰り出せるだけの数を揃えたのもそのためだ。腰抜け野郎に生き残れる仕事じゃない。」
カイナギは冷たく言い放った。
「いいか。やりたい奴だけ残れ。全員の頭数だけの金は用意してある。残った連中でそれをわけりゃいい。」
こうまで言われて帰る者はほとんどいなかった。受けた仕事はやり遂げることが傭具士にとっての数少ない信条である。もう一つの信条、自分の力量を越える仕事を引き受けないこと、に従った者は、三名しかいなかった。
「隊長、俺たちの蚩鳳は、甲蚩鳳じゃねえ。今回は斬りあいになるんだろう。ひかせてもらうぜ。」
「いいだろう。」
カイナギは去って行くものは止めずに、残った者に指示した。
「犀甲族なら蚩鳳は珠貴七虹蚩鳳か。」
「ああ。ほとんどはそうらしい。二、三騎はちがうがな。」
「棄躯となると、とどめを刺すまで油断ができんな。」
「首を飛ばすか、殻士をつぶすかのどちらかだ。」
「攻撃の合図はスラヴヌが取る。十人ずつ正面と、左右にわかれ包囲陣を敷く。残りは上に留まり、漏れたやつを叩く。」
「正面の指揮は俺に任せろ。」
白狗牙族の男トラフが言った。彼は、今回参加した新参である。その仲間が一斉にうなずいた。
「右は俺だ。」
剴喬族のブレーデが声をあわせた。かつては翼竜殻士団にいたという猛者である。
「左はわしが行こう。」
老齢に差し掛かった羚挂族のギンムが手を上げた。この男はカイナギとは古い付き合いであった。が不死王の下での仕事は嫌ってなかなか受けようとはしなかった。
「上は隊長が残ってくれ。」
ギンムがいった。
「いや、俺は切り込ませてもらうよ。今回はな。ここにはスラヴヌに残ってもらおう。」
「わかりました。」
スラヴヌは、新参者の中から、甲蚩鳳を持たない者を選び出して残らせることにした。
「いいか、お前らの蚩鳳は速いのが取り柄だ。逃げて来る奴は後ろから切り裂いても構わないから一騎たりとも逃がすなよ。」
「では、頼むぞ。」
カイナギの言葉を合図に無数の穴に向かって、次々と蚩鳳は飛び込んで行った。
戦いは始まった。三十五対十。数の上ではこちらが圧倒的に有利なはずであった。しかし、正規軍を蹴散らした厄介な連中相手である。
正面からトラフにしたがって入り込んだシーバは、正規軍の十二星紋蚩凰に出会った。四騎の蚩鳳は洞穴の暗がりの中から不意に現れた。
「生き残ってるやつがいたのか。」
傭具士の一人ハミラは十二星紋蚩凰に向かって歩き始めた。
「よかったな。無事で。」
だが、甲殻が傷だらけのその十二星紋蚩凰はどこか様子が変であった。いきなり剣を振りかざし、ハミラに襲いかかった。ハミラの刀角蚩凰はかわし損ねて、左腕を奪われた。
「裏切ったのか。こいつら。」
「気をつけろ。囲まれたぞ。」
ラズーは気が付いた。
「こいつらも棄躯になっちまったのか。」
動きこそ鈍かったが、十二星紋蚩凰の攻撃は恐ろしいものであった。それから一時の間に、味方は次々と倒されていった。ハミラは残された腕で切りかかった。その攻撃は、十二星紋蚩凰の肩から胸にかけてを切り裂く痛烈な一撃であった。それほどの深手を受けながら十二星紋蚩凰は平然とハミラの刀角蚩凰をまっぷたつにしたのである。
「こいつは本当に先駆け用の十二星紋蚩凰の力なのか。」
「気をつけろ。そう簡単には倒せんぞ。」
「首を飛ばせ。殻士をつぶすのでもいい。半端な打ち込みではこちらの命をとられるぞ。」
かれら傭具士は場数を踏んできた強者ぞろいである。その彼らが背に冷たい汗を感じながら、たった四騎の十二星紋蚩凰を相手に苦戦を強いられた。死を恐れぬ上に、通常の三倍は強い力を持っていた。トラフは辛うじてその一つをしとめた。シーバとラズーが二人がかりで一騎を倒す間に、二人の味方が切り裂かれた。もはや動かなくなったケランの雪散紋節剃蚩鳳を執拗に敵は突き続けていた。
「このやろう。」
ミンラーヨは、大黒剛蚩鳳を駆り、巨大な円月斧をその敵に振り降ろした。腰の所で両断された十二星紋蚩凰は、上半身と下半身に別れながらも、しばらくの間動き続けていた。
最後の一騎を倒すためにさらに三人が傷を負った。
「たった四騎相手に、戦力が半減とは。しかも、お目当ての敵はまだ出てきていない。」
残っていたスラヴヌの背後で、ギアンが声を上げた。
「副長、敵が。」
萼の一つの上に、その蚩鳳は立っていた。緑深い風景の中で、その周囲だけが奇妙なことに色を失っていた。漆黒の甲殻をもつ蚩鳳であった。夜の闇を切り抜いてきたかのようなその姿であった。後頭部が楕円形に伸びていた。甲殻にびっしりと書き込まれた刻紋は、陽の光の中にぬめりと光っていた。右手に握られた戦斧は先端が鎌状に突き出ていた。その刃にも蝶羽のような透かし彫りが施されていた。
スラヴヌは叫んだ。
「逃げろ。」
俺は、こいつを知っている。まずい。ここにいる誰もが、こいつには勝てない。たとえ、彼であっても、カイナギ隊長ですらだ。
「逃げるんだ。」
だが、その叫びよりも速く残っていた四人の傭具士たちは動いていた。
黄昏の色をまとったその蚩鳳はひどくゆっくりと動いているように見えた。ぎこちないその動きがそう錯覚させたのである。人型の蚩鳳とは異なり、こいつは、四本の足と、四本の腕を持つ。
傭具士たちの攻撃は、四騎一度に行われた。あらゆる死角むを突いた、息のあった
見事な攻撃であった。しかし、勝負は一瞬であった。四騎の蚩鳳は、その異形の蚩鳳の繰り出す戦斧の、たった一戟で上下に両断されてしまったのだ。
四騎の上半身が、支えを失って、ゆっくりと地表に落ちていく。それを見届けた後、異形をした蚩鳳の胸元の隔壁が開き、その男が現れた。
「お前は、逃げるのだな。」
くぐもった声が響いた。金色の髪を逆立てたその殻士の瞳は金色に輝いていた。
「お前は、私を知っているようだ。命が惜しいのなら、逃げてもいいぞ。ただし、逃げ切れればの話だがな。」
スラヴヌは覚悟を決めた。蚩鳳剣をゆっくりと鞘から抜き、青眼に構える。
「なぜ、お前が、ここにいるのだ。黄昏の戦鬼士。不死王の命で、失われた塔を守っているのではないのか。」
「そこは、もう一人の戦鬼士に任せてあるのさ。」
「正規軍を倒したのも、貴様らの差金なのか。スクルト。」
「正規軍。あの歯ごたえのない連中の事か。いまのこいつらの方が楽しめたがな。」
スラヴヌの中で何かが弾けた。激しい気合いとともにスラヴヌは打ちかかっていった。そして、その打ち込みは、彼の最期を告げる一撃でもあった。
最奥部にたどり着いたのは、三十騎のうち半数であった。ブレーデの率いる一隊は二騎の棄躯を倒すために壊滅していた。トラフ隊は、シーバとラズー、ミンラーヨだけが辛うじてたどり着いた。カイナギが同行したギンム隊は棄躯三騎を葬り、七騎がここまで来た。
その最奥部で、残りの棄躯が彼らを出迎えた。
「お前か。カイナギ。帰れ。」
「こんな所で、貴様に遭うとはな。ルマナ。」
蚩鳳の胸腔の中で半ば肉の塊と化しているその男の口が醜くうごめいた。
「生身の傭具士風情が我々棄躯を相手に戦えるものか。昔のよしみで言ってやる。さっさと帰りな。」
「後ろから切りつける様な男の情けはいらないよ。」
「いいのか。生きて帰れる機会をみすみす失っても。」
「俺はあの時に死んでいるのかもしれん。半分な。」
ラズーとシーバが身構えた。残った棄躯はルマナを含めても四騎はある。ここまでたどり着いている味方は彼らを含めて十騎程度に過ぎなかった。
「いいだろう。戦いを楽しもう。不死王の死神傭具士長殿。」
「そうするか。鬣丹の旋風。」
ラズーは別の棄躯に向かって飛び出した。その動きにあわせてシーバが重なるように前に出た。二騎の棄躯がラズーにかかってきた。その一つの打ち込みをラズーは受け止めた。
シーバはラズーの赤棘網眼蚩凰を飛び越え、二騎目の棄躯に振りおろした。
生き残った傭甲士たちが一騎の棄躯を相手に苦戦していた。ニテイは盾ごと左腕を切り取られていた。トラフとコミノが隙を窺っていた。飛び込んだレネリルと呼吸を併せてトラフが動いた。レネリルの一撃は棄躯の頭部にめりこんだが、その動きは鈍る事なく、逆にレネリルの四星散紋節剃蚩凰は横なぎに切り裂かれた。トラフが正面からかかり、後ろに回ったコミノが突き刺して、ようやく棄躯の動きが止んだ。を
カイナギは動かなかった。ルマナも動かなかった。
ラズーは、にじりよってくる棄躯を弾き飛ばすと、連続して激しい打ち込みを加えた。そのいくつかを棄躯は受け止めた。だが、ラズーの激しい剣が棄躯の右腕を切り落とし、さらに左肩に食い込んだ。剣を失った棄躯は残された左腕で赤棘網眼蚩凰の喉下をつかんできた。ラズーは、剣を離し、左腕を胸腔の隙間にめりこませ、その鈎爪で棄躯を駆る殻士を握りつぶした。
シーバは振り降ろした剣を食い込ませたまま棄躯とにらみ合っていた。相手の突きを避けるため、剣を残したまま離れたシーバにラズーが剣を渡した。
「シーバ、胸を狙え。」
肩から剣を突きだした棄躯がシーバの紅鷺蚩鳳に襲いかかった。シーバは身をかがめて相手の懐にもぐりこみ突きを見舞った。
ルマナはゆっくりと細剣を構えた。
「お前がなぜ、その剣を持っている。」
「この鷲爪剣か。王に託されたのさ。落城の時にな。」
「なるほどな。」
カイナギは火蛾馳蜂蚩鳳の背に負った巨大な幅広剣を構えた。
「お前の部下もなかなかやるな。こいつらも腕利きの棄躯だったのだ。」
「正規の殻士なら知らんが、命知らずはお前ら抱けじゃないんでね。」
「傭具士も同じってことか。」
「腕も、そうだ。」
「その割りには、ここに来たやつの数が少なかったな。」
「運がないのさ。」
朱鬣蚩鳳の動きは、かつて鬣丹族とともに戦ったカイナギの知っている動きとは全く異なっていた。節剃蚩鳳を上回る速さでかかってきた。
「これが貴様の手にいれたものか。」
「そうさ。」
「笑わせるな。」
カイナギの幅広剣がルマナの鷲爪剣と激突し火花を散らした。細剣のルマナの剣が、カイナギの幅広剣にめり込んだ。
「勝つのは俺だ。」
ルマナが叫んだ。
カイナギはひび割れた剣を捨てた。ルマナが武器を持たないカイナギににじりよってきた。
ルマナの一撃目は辛うじてかわしたものの、二撃目は、カイナギの駆る火蛾馳蜂蚩鳳の右腕をきりとばし、肩から胸近くまでめり込んだ。
「どうした。カイナギ、こんなものか。」
カイナギは胸腔の中で静かに笑った。火蛾馳蜂蚩鳳の腹部が反り返り、反動をつけて朱鬣蚩鳳の蚩鳳にぶちあたった。その腹部の先端から針が飛び出し、朱鬣蚩鳳の胸殻にめり込んだ。胸郭は粉々に砕け散り、当たりに光をばらまいた。
「ふっ。お前の勝ちだ。カイナギ。」
針から送り込まれた毒が半ば肉塊とかしたルマナの身体にも容赦なく襲いかかった。
「お前がうらやましいよ。魔道に墜ちてすらかなわないとはな。」
カイナギは答えなかった。だが、同じく殻士を志した者として、ルマナの心は痛いほどわかっていた。
胸郭から身を乗り出したルマナはカイナギに向かって手を伸ばした。毒のためにけいれんを始めたその腕は力尽き垂れ下がった。ルマナの身体がそのまま地上に流れ落ちた。首だけが辛うじて原形をとどめていた。
「黄昏の戦鬼士には手を出すなよ。いいか、カイナギ。」
だが、その言葉はカイナギに届かなかった。
「眠れ。ルマナ。」
カイナギのとどめがルマナの命を断った。
カイナギはさらに奥へと進んだ。こいつらだけではない。何かが、こいつらを棄躯へと変えてしまったのだ。その元凶がいるはずだ。そいつらを倒さない限り、彼らの魂は救われないのだ。
その奥には、泡が弾けたような無数の穴を開けた壁面が広がっていた。その闇の中に、そいつらはいた。
闇の中で、その男の瞳だけが赤黄色に輝いていた。痩せた身体に紫の布を巻き付けただけのその男は、洞守の民にしては非常に長身であった。異形の蚩鳳と巨大な殻士を背にして、その男はカイナギに向かって声をかけた。
「私のかわいい息子たちをかわいがってくれたね。」
妙に甲高く、よく響く声であった。
「お前があいつらを創ったのか。」
カイナギが尋ねた。
「そうさ。あいつらは強さを望んでいた。それも己の技量を越える強さをだ。」
「だから、望み通りにしたというのか。」
「そうさ。おもしろい試みができたよ。あいつらを育て、倒した相手もさらに棄躯に出来たしな。」
「死体まで使うのか。」
「ああ。生きが良ければね。もっとも、蘇らせても役に立ちそうもないやつらは捨ておいたがね。」
「正規軍の連中は裏切ったわけでは無いのだな。」
「裏切るも何も、一度死んだのだからね。君たちもいい素材になるだろう。」
「名を聞いておこうか。」
「ヤバネという名だ。聞いたことはあろうね。」
「ああ。蚩鳳にかけてはお前の名を知らぬ者はいまい。少なくとも、我々のような裏の世界まで知りつくしている者ならな。」
「光栄だ。死神傭具士長殿。トガリも元気でいるかな。」
「ああ。じいさんは相変わらずさ。あんたこそ、不死王の下にいると思っていたが。」
「今でもそうだ。」
「不死王の正規軍を相手にしてか。」
「王も知ってのことさ。わしの望みは、蚩鳳の力を極めることさ。手段を選ばずにな。」
「ぐるというわけか。」
「しかし、不死王もよほど殻士を出し惜しみするものだ。傭具士で済ませようとはね。」
「俺たちは、貴様の試みにつき合わされたというわけだ。」
「ああ。ものわかりがいいようだね。」
「その後ろの男は、あの二人の戦鬼士の内の一人か。」
その巨大な男は、樹嵐のどの氏族にも属しているように見えなかった。そして、複雑な幾何学模様に彩られた部屋の景色がその男の周りだけ妙にくすんで鮮やかさを失っていた。
「スクタイ。カイナギどのが相手をしてほしいそうだ。」
「シーバ。ルマナの使っていた蚩鳳剣を取ってくれ。ラズー。手出しするなよ。」
「はい。」
シーバはカイナギに蚩鳳剣を渡した。
「よく見ておけ。強さを求める余り魔道に墜ちた殻士の姿があれだ。」
「言うことはそれだけか。」
男はまるで砂を口に含んだ様な声を男は発した。
「ひとつ聞きたい。お前が倒したのは、大王角蚩鳳か。それとも、紅鷺蚩凰か。」
「忘れたな。ひ弱な相手の事は。」
「そうか。いいだろう。では俺の名を刻んでおけ。カイナギだ。お前に本当の安らぎを取り戻してやろう。」
「ふっ。どれだけ楽しませてくれるのだ。その傷だらけの蚩鳳で。」
「俺は、こいつを借りるさ。」
崩れ落ちたルマナの蚩鳳を指さした。
「面白いことを言うな。他人の蚩鳳をどう乗りこなすというのだ。」
「トガリに聞いていないか。蚩鳳を選ばぬ男たちのことを。
「そうか。お前がそうなのか。しかし、棄躯の蚩鳳は生身の者では扱いがたいぞ。」
「いいさ。」
カイナギは、ひび割れた胸腔から溶け残ったルマナの身体をひきだした。
「ルマナ。力を貸せ。」
ルマナのゆがんだ手を握りしめると、カイナギは小さな声でつぶやいた。
「立て。朱鬣蚩鳳よ。」
ルマナの朱鬣蚩鳳が、カイナギの手によってゆっくりと立ち上がった。駆動系の損傷はほとんど無かった。だが、カイナギの突きによって胸腔は砕かれ、甲士の身体が半ばむき出しになっていた。
「ほう。乗りこなせるのか。」
ヤバネが驚きの声を上げた。
スクタイが自分の蚩鳳に乗り込んだ。後ろに楕円形の発達した頭部が伸びているその姿は、灰色の甲殻にびっしりと書き込まれた刻紋とあいまって異様な雰囲気をもたらしていた。その動きは、他の蚩鳳の滑らかな動きと異なり、ぎこちなさがあった。右手に握られた戦斧は先端が鎌状に突き出ていた。その刃にも蝶羽のような透かし彫りが施されていた。
カイナギは感じていた。かつてのこの蚩鳳の持ち主の心が流れ込んでくることを。棄躯になってまで強さを求めた男の業を。
スクタイが挑んできた。戦斧がまるで生き物のように華麗に宙を舞った。カイナギは剣を鞘に納めたままでその攻撃の全てをかわした。
「こんなものか。魔道に墜ちたお前の力は。」
カイナギの顔に怒りが走った。その怒りは鼻から頬にかけて無数の血管痕を浮き上がらせた。その流れるような模様が彼の顔を白虎節剃蚩凰の顔のように見せた。
「スクタイ。遊びはやめろ。不死王の傭具士長に失礼だ。お前と屍屠顎の力を見せてやれ。」
ヤバネが口元をひきつらせながら叫んだ。スクタイは攻撃の手を緩めると後ろに下がった。
「楽しいよ。本当に。」
呼吸を整えて琺を練り始めた。
「くっ。琺で勝負するのか。どこまでゆがんだ奴だ。」
だが、その琺は他の殻士たちの使うものとはかけ離れていた。屍屠顎蚩凰の構える戦斧の周囲の空気が揺らぎ始めた。同時に、屍屠顎蚩凰の甲殻にびっしりと書き込まれた刻紋のいくつかが血を帯びたように赤く光った。やがて、その光が薄れた。あの男の周囲が妙にくすんでいたように、今また屍屠顎蚩凰の周囲が色を失い始めた。そしてその灰色の領域が屍屠顎蚩凰を中心に、徐々に広がり始めた。
「これは、ただの琺では無いな。」
琺を使った蚩鳳の戦いは一瞬で決まる。次の打ち込みまでに再び琺を練り直すには時間がかかる。受ける側は琺の流れを見極めて自分の太刀を繰り出さねばならない。
屍屠顎蚩凰の周囲に広がった灰色の空間はやがて深い闇へと変化し始めた。
カイナギ自身は琺を使ったことは無い。だが使おうとすれば使うだけの技量は持ってい
た。
「これは、負の気を使う琺なのか。」
通常、殻士が用いる琺は、殻士の志意を核として、蚩鳳のものと合わせながら練ったものである。技量によっては、周囲の流由風を用いることもある。どちらにせよ、生きている者が使う技である。たとえ相手を倒すための琺だとしても発するものの命を源とする以上、琺自体もまた命の流れの延長上にあるといってよい。だが、今目の前の敵が使っている琺は、周囲の流由風を完全に止めるのである。それは、森羅万象の活動を停止させる魔理の術につながるものであった。まさに死の停滞の力である。
カイナギの今乗っている棄躯は一度死した蚩鳳である。強大な負の琺が彼の前に存在しつつあった。それは、かわせるような生やさしい規模の琺ではなかった。
「先に仕掛ける。」
カイナギは動いた。必殺の突きを繰り出す。狙いは蚩鳳の頭部のみである。
同時に、戦斧のまわりに集められたスクタイの琺の一撃が放たれた。決して速い動きではなかったが、かわそうとした朱鬣蚩鳳の動きが封じられていた。屍屠顎蚩凰の放つ琺は、朱鬣蚩鳳の半身の感覚を失わせていた。それどころか甲殻は砕け散り、むき出しになった筋組織が腐臭を放ち始めた。
すれ違いざまに見舞ったカイナギの一撃は屍屠顎蚩凰の右頭部を吹き飛ばしていた。だが、一度放たれた琺は激しい流れとなって朱鬣蚩鳳をむしばみ続けた。
「こんな技があるとはな。」
カイナギは、琺を練り、蚩鳳の全身に緩やかに巡らせた。腐敗が止まった。
「いかん。スクタイ、一度引くぞ。」
頭を飛ばされた屍屠顎蚩凰を見たヤバネが叫んだ。右頭部を全く失いながらも、その蚩鳳は辛うじて動くことが出来た。通常なら、蚩鳳の心とつながれている殻士も即死しているほどの深手のはずである。
朱鬣蚩鳳は半壊状態で辛うじて立っていた。
「とどめを。」
スクタイが叫んだ。
「いかん。あやつと差し違えるつもりか。たとえやつを倒したとて、その部下がいるのだそ。スクタイ。またの時を待つだ。」
ラズーが動きかけた。だが、カイナギはそれを制した。
「よせ、今のお前の腕でかなう相手ではない。」
「しかし、今なら。」
朱鬣蚩鳳が崩れ落ちた。」
「死神傭具士長殿。また会おうぞ。」
屍屠顎蚩凰の手に乗せられて、ヤバネは飛び去った。
「首を切られても死なんとは。不死身なのか。黄昏の戦鬼士の蚩鳳は。」
額から滴り落ちる汗をカイナギは拭おうともしなかった。




