第16章 |鬣丹《マノア》の戦奴シーバ
紫煙と罵声が空気を濁らせていた。樹乱一を誇る青原の王都とはいえ、貧民街が入り乱れるこの辺下層では、けたたましさと臭気があふれていた。同時にそれは、生きる者達の活気を呼び起こしていた。この様なところでも生を謳歌している者達もいるのだ。
その男は漆黒の外套を身にまとい、街を歩いていた。外套の裏地は血を含ませたような真紅であり、歩く度に裾からその裏地がのぞいた。その背には巨大な剣が負われていた。
人が押しあう雑踏でも、その男の周囲にはぽっかりと隙間があいた。人々を気圧させる何かをその男は放っていた。男は、迷路の様なその街路の突き当たりの道を曲がると、地下への随道へと降りていった。そこは闘戯館へと続く道であった。
闘戯館の中は、男達のむせかえるような体臭と歓声で満たされていた。紫煙のくゆりいく様が、天窓からこぼれる光の中に浮かび上がる。すりばちのような客席を、百を下らないだろう人影が埋めつくしていた。中央の黒ずんだ砂地はいったい何人の戦奴の血を吸い込んだのだろう。男が客席の一つに座り込んだとき、その砂地に新しい血がまた吸い込まれた。勝利者は、隈黒族の巨漢の男であった。ねじりちぎった相手の腕を振り回し、客席に投げ込んだ。何箇所からか歓声があがった。赤い錐帽子を被った道化が賭け札と引き換えに金を渡している。白い錐帽子を被った女が賭け札を金と取り替えている。次の試合の戦奴が高らかな呼び声で呼び込まれた。
浅く黒い肌と尖った耳から、灰狼牙族の者だと見て取れた。大柄な体とたくましい腕に薄く汗がにじんでいた。戦いの前に必ず行う鍛錬のせいだろうか。幾多の戦奴をここで葬ってきた彼は、今やこま闘戯館随一の人気戦奴であった。不適な微笑みで観客に答えると、彼は鎖棍を振り回し、勝利を約束した。
もう一人の戦奴が呼び込まれた。観客から笑い声が漏れた。対戦相手は、まだ小柄な少年であった。肩まで垂らした銀色の髪は、頭頂に近づくに従って、赤味を帯びていた。少年の右頬には刀傷が走っていた。涼しげな光をたたえたその瞳は、荒々しい闘戯館にはおよそ不似合いな者であった。全体的にほっそりとした体格が、さらに少年をか弱くみせた。
闘戯開始の鼓斗が高々と打ちならされた。灰狼牙族の戦奴の胸あたりまでしかないその少年は緩やかに曲線を描く長刀を握りしめていた。戦奴につきものの鎧や盾を少年はまったく身につけていなかった。白い柔らかな布でつくられた服を羽織っているだけである。
灰狼牙族の戦奴は胴殻と呼ばれる分厚い鎧をおびて、たくましい腕で鎖棍を振り回して少年に迫った。
誰しもがこの闘戯館つきものの虐殺興業が始まったのだと思っていた。通常の賭は勝敗に対して行われるが、この興業は違う。試合が何分持つかを賭けるものなのだ。
最初の一撃が打ち込まれた。棍の先に取りつけられた星状球が鈍い音とともに砂地にめりこんだ。砂が白い煙となって四方に飛び散った。灰狼牙族の戦奴は意外と言った表情で、体勢を立て直した。少年は闘戯場の柵の上に飛び乗っていた。
「こいつ、逃げ出す気かよ。」
観客が声をあげて、彼を押しもどそうと手を伸ばす前に、彼は再び、柵から飛び上がった。着地の一瞬を狙い定めて、灰狼牙族の戦奴の星状球が打ち込まれる。外套の男の目に鋭い光が走った。次の瞬間には、男は目を伏せて微笑んだ。
観客が立ち上がり息を飲んだ。星状球はぶんという音を立てて風を切り裂いた。もうもうと立ちこめる砂煙の中に、灰狼牙族の戦奴は勝利を確信して立っていた。少年は、砂の上にうずくまっていた。だが、砂煙が止むまで誰一人声を上げるものはいなかった。
ひざまずいていた少年はゆっくりと立ちあがった。その瞳には、あの涼しげな光が相変わらず宿っていた。
立っていた灰狼牙族の戦奴が、かすかによろめいた。次の瞬間、灰狼牙族の戦奴は額を割られて、砂地に音を立てて倒れ込んだ。
長刀から滴る血を振り払うと、少年は再び生還の扉の向こうに消えた。観客達の歓声はおそらく彼の耳に届かなかったろう。それほど長い沈黙の後にしか、観客達も我を取り戻すことが出来なかったからだ。
最後の試合も終わり、観客達がやけを起こして怒鳴りながら歓楽街へ向かい始めた頃、外套の男は、闘戯館の奥の部屋へ通されていた。館主のバブェミは、外套の男の顔なじみらしかった。
「なぜ、あの子を闘戯に出した。待てなかったのか。この俺を。」
バミフェは笑顔で答えながらも、おどおどしていた。
「なにせ、ここんところの不景気で奴隷も値上がりしてね。生きいい戦奴ならまだしも、虐殺用の戦奴は自前の中から出さなきゃならないきまりなんでね。」
「灰狼牙族の看板戦奴をつぶすのを解っていながらか。」
「いや旦那、ここだけの話、あいつめ、自分の強さを鼻にかけて別の闘戯館の館主クルミタイと組んで、よその部屋の戦奴をたいらげようと言うつもりでしてね。」
「まあ、いい。どうせ値を釣り上げようというのだろう。」
「そりゃあ。ただでさえ珍しい鬣丹族の戦奴ですぜ。安く買い叩かれてはこまりますぜ。」
「前置きが長いな。金だ。約束の二倍用意してある。」
「旦那、今夜からあいつは花形ですぜ。」
「そう言うと思っていたよ。バブェミ。こいつで手をうとう。マクフェル戦刀をつける。」
「えっ、そんなに気前よくしていいんですかい。旦那。」
「いい戦奴はすぐに元が採れるのというのがお前の信条だろう。俺もそれに習うだけだ。」
「まっ、戦奴も傭具士も同じですかね。」
バフェミは喜々として刀を受け取り、鞘から取り出して眺めはじめた。
「こいつあ良い品で。」
「では、いいな。」
バブェミの呼び声で、奥の戦奴部屋から手鎖をつけられた少年が連れてこられた。
「二人だけにしてもらえまいか。バフェミ。それから、手鎖の鍵をくれ。」
「よろしいですが、首をかかれないようにしてくださいよ。旦那。」
バフェミは微笑みながら、侍男から鍵をうけとり、男に手渡すと部屋から出ていった。
「座れ。」
外套の男は無造作に鍵を渡すと少年に命じた。少年は鍵を受け取ろうとしなかった。
「俺を、どうするつもりだ。」
ぶっきらぼうに少年が尋ねた。涼しげな瞳であった。何もかもを飲み込んでしまうようなそんな瞳であった。銀色というよりは純白に近い髪が肩まで伸びていた。体つきはほっそりしていたが、服の上からも骨の太いたくましさが感じられた。
「お前の好きにするがいい。」
外套の男は、自分の帯刀をいきなり卓の上に投げ出して、微笑んだ。
「お前の好きに。」
その言葉が終わらぬうちに少年が、手鎖のまま外套の男に切りかかった。外套の男はそれの帯刀を交差した腕で受けた。腕にはめられた環輪と少年の繰り出す刃が火花を散らした。少年と男は同時に微笑んだ。
「するがいい。」
「お前……。強い。」
外套の男が腕を下げた。
「ティスミリンに直に学んだのだよ。お前はその直系の技を受け継いでいるようだな。」
「あの流派を知っているのか。」
外套の男はゆっくりとうなずいた。そして微笑んだ。
「傭具士になってみないか。シーバ。そして、強くなるのだ。」
「なれるものか。どこに俺の蚩鳳があるというんだ。戦奴の俺の。」
「おまえは、どんな蚩鳳でも乗りこなせるのだ。そういう血の持ち主なのだ。前もって調べさせてもらった。私のようにな。」
少年は理解しがたいというように首を振った。
「あんたの名前は。」
少年の涼しげな瞳の底に微かな炎が揺らめきはじめた。母を失って以来、心の奥深くに沈んでいた炎であった。戦奴としての戦いでは一度も感じたことのない熱い思いであった。
「カイナギ。そう呼べ。」
「カイ…ナギ。」
洞守族のトガリ
カイナギの陣館は、赤原にある包山の一角に在った。そこには、彼の配下である何人か傭具士が常に詰めていた。彼の右腕とも呼べるラズーと言う男は顔の左半分が焼けただれた男であった。他の傭具士が、まだ少年のシーバをあざ笑うのに対して、この男だけが彼をまともにとりあってくれた。
もう一人、スラヴヌという白狗牙族の古参傭具士も彼の技を見て興味を持ったのか、翼相手になってくれた。
蚩鳳棟にシーバが連れて行かれたのは、彼がここに来て、鍛錬を始めてから双月後の事であった。カイナギとラズーは、シーバを連れて蚩鳳棟の最深部へと進んだ。その底には、水が流し込まれた堀が広がっていた。堀は十六に区分けされていた。堀の一つをのぞき込んだシーバは息を飲んだ。捻れた角を持った蚩鳳の頭部が水底に揺れていた。区分けされた堀の一つ一つにそれぞれ異なる蚩鳳が沈んでいた。
「各地の戦役や闘いで無傷で残った蚩鳳達だ。どれでもすぐに使えるようになる。」
ラズーが笑う声が棟の奥に響いて帰ってきた。
「しかし、己が血を分けた蚩鳳でなければ動かないのだろう。」
カイナギがシーバの肩をつかんで微笑んだ。
「お前の血は、特異なのだ。甲士と蚩鳳の血の絆を越えるほどにお前の志意が強ければ、どの蚩凰でも乗りこなすことができよう。」
「では、俺の志意が弱ければ、」
ラズーが続けた。
「その時は、お前は蚩鳳の心に飲み込まれて目覚めなくなる。二度と。」
「あそこにあるのは、そういったものたちの墓さ。」
カイナギが指さす棟の右手に墓標が立ち並んでいた。
「選べ。」
シーバはうなずいて堀へと進んだ。しばらく歩き回った後に、彼が選んだのは真紅の羽飾りを付けた蚩鳳だった。
「やはり、あいつを選びましたか。知っているんですか。鬣丹族の蚩鳳だと。」
「知りはすまい。あの戦いのときには、お前すら生まれていなかったのだからな。」
「やはり、血が呼んだのですかね。」
彼は答えずに、シーバの選んだ堀の水を抜いくために、水門の一つを開いた。
「ラズー。トガリのじいさんを呼んで来てくれ。」
ラズーはうなずくと、堀の奥にある緑の扉の部屋へ入っていった。
水門から激しく水が流れ出ていく。ゆっくりと蚩鳳の姿が水の中から現れてくる。シーバは堀の歩とりに座り、その姿に見入っていた。
「気に入りそうか。」
カイナギはその後ろから話しかけた。
「いつ、乗れる。」
「今、蚩鳳典怜が来る。お前の選んだこいつは駄々子でね。腕のいい蚩鳳典怜なんだが、少しは時間がかかるかもしれんぞ。」
「今日、乗れるか。」
「おう、来た。直接、聞け。」
ラズーに腕を引かれて来たのは、片足の無い老人だった。半ばはげ上がった頭と対照的に腰のあたりまでちぢれた髭がのびていた。
「なんか用かい。カイナギ。」
「トガリ爺。また頼む。」
「また、ラズーめがわしのかわいい蚩鳳を壊したのかいのぅ。」
「いや、俺やラズーのじゃない。新入りのだ。」
老人トガリは、灰色に濁った右目をしばたかせながら、カイナギの視線を追った。
「ほう、今度のはまた若くてきれいじゃのう。しかも珍しい氏族じゃ無いか。お前、甲士にか。」
「こいつ、いつ乗れる。」
シーバは、堀の中の蚩鳳を指さした。
「なんとまあ、お前、こんな扱いにくいやつを選ぶのか。まあ、鬣丹族としちゃ、選びたいだろうがのう。」
そう答えると、カイナギのほうをぎろりとにらんで、小声で言った。
「カイナギ、ロマーナや不死王にゃ、どう言うつもりだ。鬣丹族に紅鷺蚩鳳とは。」
「心配はいらん。いい甲士が欲しいだけだ。俺はな。」
トガリは、シーバにむきなおると、
「明日の昼までには仕上げておこう。わしの仕事を無駄にせんようにな。ちゃんと乗りこなしてくれよのう。」
トガリは、腰に下げた瓶から酒を取り出すと、一気に飲み干した。強い臭いがシーバの鼻をついた。
「さあ、仕事じゃ。お前らは、ここから帰った。帰った。」
「いくぞ。」
ラズーに促されて、シーバも出口へと向かった。
「明日だな。」
シーバはつぶやいた。
トガリの仕事ぶりはすさまじい物である。水封された蚩鳳を、再び使えるようにするには通常腕利きの蚩鳳典怜が三人がかりでも七日はかかるとされる。凍えきった筋を暖め、眠っている心をゆっくりと目覚めさせなければならない。その仕事を彼はたった一人で、しかも半日で仕上げてしまったのである。
シーバはトガリに疎まれながらも、朝からここに来て、蚩鳳が蘇るのを待っていた。
「できたぞ。ぼうず。」
トガリが額の汗を拭いながら話しかけた。
「乗ってもいいのか。」
「カイナギを呼んできてくれ。もし、お前が蚩鳳に乗ったまま気でも狂って暴れられたら、ここらはめちゃくちゃじゃからのう。」
「呼んでくる。」
シーバは蚩鳳棟の通路を全力で駆け抜けていった。
「カイナギの蚩鳳を運んでもらうんじゃぞ。」
トガリは、濁った瞳をほころばせながらつぶやいた。義足の調子が悪いのだろう。座り込むと、膝の辺りをしきりにさすり出した。
「こんな逸品が動くのを見られるとはのう。長生きはするもんじゃ。」
しばらくの後に、カイナギとラズーの蚩鳳が、堀の中から新しい蚩鳳を引き上げた。
カイナギはこの日、自分の左腕と呼べる甲士を手にいれたのを確信した。
蚩鳳棟の中部には、蚩鳳用の擬闘斗場が設けられていた。そこまで運ばれた蚩鳳にシーバは乗り込んだ。
肩口の甲殻から、胸部の胸腔へと滑り込んだ彼は、蚩鳳座に座って、カイナギの指示どおりに、眠っている蚩鳳に呼びかけた。
「目覚めろ。目覚めろ。目覚めろ。俺の蚩鳳よ。」
蚩鳳の鼓動が彼の耳に響きわたる。その鼓動に重なるように、シーバの鼓動が高まる。その時、シーバの心に何者かが圧迫をかけてきた。
「お前は誰だ。何者だ。」
シーバは答えた。
「俺はお前の主だ。」
「ちがう。お前は私の主ではない。」
その声はシーバを拒絶しはじめた。偽者のこの異物を拒否し、排除し、明らかに抹殺しようと試みた。
「ちがう、ちがう、ちがう。お前はいらない。私の主ではない。」
シーバの頭の中を燃えさかる炎がうごめいていた。シーバの心は打ちのめされ、押しつぶされそうになった。
「認めろ。俺は、お前の主だ。」
シーバは、薄れいく意識の中で絶叫した。
炎の嵐は唐突に止んだ。シーバの薄れいく意識の中に、別の心が流れ込んで来た。燃えさかる炎が夜空を赤々と染め上げていた。
彼は主を待っていた。彼を育んでくれた国の危急に際して、彼は彼の務めを果たすべく望んでいた。しかし、城が燃え落ち、多くの人々が死んでいく中で、ついに彼の主は彼を目覚めさせ、戦場に赴くために現れることはなかった。
シーバは叫んだ。
「忘れろ。忘れてしまえ。」
その光景は、彼が母親を失ったあの悪夢の光景にあまりにも似ていたのだ。
「俺が、お前の主だ!」
その彼の苦い思い出に、蚩鳳の心が忍びこんだ。
炎に包まれる母親の絶叫が繰り返し彼の心を切り裂いた。何度、この悪夢から逃れようとしたろう。遠ざけようとすればするほど、悪夢はよみがえってきた。
母親の口が炎の中で動いた。息を吸い込んでいるのだろうか。それとも叫んでいるのだろうか。いや、違う。その届かない言葉を、声にならない言葉をシーバは受け止めた。自分の体を燃やし尽くす炎の中で、母は、息子の名前を呼んでいたのだ。
何も出来なかった。何も。そのことが、彼の心をばらばらにしたのだ。
母を焼き尽くす炎の向こうで一つの影が彼に呼びかけた。
「奪うな。私の蚩鳳を奪うな。お前は甲士になどなれない。母すら見殺しにしたお前は勇者の資質がない。」
それは、蒼ざめた貴族であった。かつて、この蚩鳳の主であった男の影であった。
貴族は氷のような手でシーバの肩をつかんで叫び続けた。
「奪うな。母親を見捨てた子よ。」
シーバはその手を振りほどいて叫び返した。
「消えろ、これは俺の蚩鳳だ。」
その気迫のこもった声がシーバ自身の心を確かなものに蘇らせた。蒼ざめた影は悲しげな視線を投げかけて消え去った。
シーバは目覚めた。
「勝ったな。」
カイナギは微笑んだ。まるで、幼い子供のようなそんな微笑みであった。
「やはり、強力な抗呪が施してあったのじゃのう。おそらく、城の誰かが、残された蚩鳳全部を敵の手に渡さぬためにかけたのじゃろう。」
ラズーがつぶやいた。
「じいさん、わざとはずさなかったな。」
「これくらいの、試練も必要じゃて。」
胸腔からはいだしたシーバが肩口に現れた。
「これは、俺の。」
シーバの頬を何かが流れ落ちた。
「蚩鳳だ。」
トガリのじいさんが、武具庫の中からラズーに運ばせた蚩鳳剣は、ゆるやかな曲線を持った長刀であった。
「この蚩鳳にゃ、こいつがいい。」
ラズーがあきれて言った。
「じいさん、いきなり、こいつをわたすのか。俺が何度頼んでもさわらせなかったのに」
「おまえさんの蚩鳳は腕の力が足りんのよ。こいつは重さだけではなく、速さで切る剣じゃからな。」
「そうかい、じゃあ、となりにあった砕鳶はもらっとくぜ。」
「ちいっ。まあ、いいじゃろう。」
「明日から、蚩鳳での鍛錬をはじめるぞ。シーバ。」
カイナギがシーバの肩に手をのせて告げた。
蚩鳳での鍛錬は、実戦を常に想定されて行われる厳しいものだった。戦奴時代の経験を生かし、剣士としては既に一流と呼べるシーバも、蚩鳳での戦いに慣れるまでは、一月あまりを要した。だが、傭具士長としてのカイナギの剣に対する知識全てを注ぎ込まれたシーバは、やがて、ラズーに比肩するだけの力を身につけていった。他の傭具士達の力は既に凌駕しつつあった。
「要は勝つことだ。」
カイナギは繰り返し聞かせた。
「勝つことは生き残るということだ。」
シーバはうなずいてその言葉を飲み込んだ。
「われら傭具士の戦いには、常にその二つが最優先される。次に大切なのは、与えられた使命を全うすることだ。これは、新しい仕事を約束してくれるからな。」
「己の技量を越える仕事など受けぬ事だ。成功したとしても、誰もほめぬ。死んだとしても誰も悲しまぬ。」
「勝利にも二通りある。片腕になって生き残ったとしても、われわれには他の生きる道を得ることは出来まい。だから、完全なる勝利を選ばねばならない。」
「敵には敗北を与えることだ。徹底的な敗北をね。つまり、死んでもらうことだ。」
「剣での戦いはかけひきだ。互いに届かない間合いにいたのでは勝負がつくことはない。剣のとどく間合いにありながら、こちらは傷つくことなく、相手を倒す。相手の技量、技、心の動きすべてを感じるのだ。己の心で。考えようとはするな。それは、焦りにつながり、心を曇らせる。ただ、感じるのだ。」
「周囲にあるものは、風のそよぎ一つおろそかにしないことだ。足下の小石一つが命取りとなるものだ。光も、風も全てを己の物とせよ。」
「蚩鳳剣の使い方にも幾通りかがある。基本的なものは撃つこと、斬ること、断つことだ。それぞれ、力の加え具合も、太刀筋も人の身で扱うものとは異なる。勢いがあまれば、自分の蚩鳳の脚を斬り裂くことになる。」
そういったカイナギの教えの一つ一つをシーバは噛みしめていった。
カイナギの剣技には定型というものがなかった。もちろん、基本的な動きはあったが、相手の一つの打ち込みに対して、一定の返し技が決まっているわけではなかった。数多くの実戦を積み重ね、命のやりとりを経てきた傭具士たちの編み出した剣法は、正規の殻士団の剣法とはおおよそ異なっていた。
カイナギの配下にある傭具士は五十人以上いたが、樹嵐各地に散っていたために、ここに常時待機しているものは五名前後であった。
そのうちの一人は、傭具士としては古参の男スラヴヌであった。彼は、カイナギとともに幾多の死地をかいくぐってきた白狗牙族の甲士である。カイナギが不在のときは、留守を預かるとともに、ラズーとともにシーバを鍛錬してくれた。
ヴァラキアム、ミノーシアス、ティクリスといったカイナギと同格の古参の傭具士たちは、各々数名の傭具士を従え、樹嵐各国に赴いていた。甲士とはいえ、彼らの主だった任務は諜報である。時には、暗殺などの仕事が与えられることはあっても、蚩鳳による戦いは滅多に行われない。
不死王の正規兵としての近衛殻士団があり、ロマーナや、ドナー、ケルトといった友邦諸候の抱える殻士団もある。表だった軍事行動は彼らの任務であった。
それでも、正規軍の手数が不足する場合には、彼らが駆り出されることもあった。
その日、カイナギからの使者がもたらした任務は、かつて不死王が滅ぼした国の残党狩りであった。スラヴヌは、残っている全員の傭具士を率いて、カイナギに合流すべく旅だった。ラズーとシーバの姿もそこにあった。
蚩鳳を率いての移動となると、隠密行動とは呼べなくなる。荷蹄車を仕立てようが、蚩鳳自体で歩こうが、大勢の傭具士が一度に動けば人目を引かざるをえない。
彼らは、分散し、さまざまな街道を別々に移動するか、どこかの国の殻士団に仮装して移動することが多い。殻士団になりすますためには、最低氏族と蚩鳳の種類がそろっていなければならない。今回の移動は、三つの街道に分かれて目的地へと向かった。シーバはラズーとスラヴヌとともに行動した。
街道には、蚩鳳宿と呼ばれる蚩鳳棟を備えた施設が必ず設けられている。酒場と宿泊施設を一緒に営んでいるために、他の人々もここを利用する事はある。また、甲士や傭具士に仕事を依頼するためには、こうした施設を訪れることが一番早いとされていた。剣士や職人とちがって組合にしばられることのない傭具士たちは、たいていこうした宿の酒場で、その日ぐらしの仕事をさがしている。
シーバたちが、キセンヌという宿場町の蚩鳳宿で食事をとっていた時にも、酒場には五人の傭具士がたむろしていた。
「ようよう、お前らか、今日着いたってぇのは。」
スラヴヌがすばやく二人に目配せした。
「関わりあうなよ。少なくともここではだ。」
「聞こえねえふりかよ。お高いなぁ。」
別の男が杯を片手にからんできた。酒場の親父は慣れた手つきで、客棚の皿や杯を片付けはじめた。割られてはたまらんのだろう。しかし、よくあることだといった顔つきで、調理場の少し奥に引っ込んだ。
「ったく、羽振りがいい連中はすぐにこれだあね。」
別の男がにじりよってきた。
「食い終わるまでは我慢しろ。」
ラズーがにやりと、シーバにささやいた。スラヴヌの口元にも同じ笑みがあった。彼の皿は大方空になっていた。ラズーも残っていた肉を口いっぱいに頬ばった。
「いい話があったら回しちゃあくれないか。」
最後の男がシーバの後ろに立った。シーバはゆっくりと最後の一口を噛みしめた。
「どんな話がしたい。」
ラズーが男の一人に話しかけた。
「棟の蚩鳳が気にいらねえんだよ。甲蚩鳳じゃねえやつなんかこの町にはいりやがってよ。」
ラズーの赤棘網眼蚩鳳のことをからかっているのだろう。甲蚩鳳と呼ばれる数多くの蚩鳳はその頑強さから戦闘に適していたが、ラズーの蚩鳳はその甲蚩鳳に含まれないものであった。ともすれば移動や連絡、軍事的に使われるとしても、偵察などに用いられるものであったからである。
「で、赤棘網眼蚩鳳の物見野郎はどいつなんだい。」
「赤い頭の蚩鳳が二つってか。」
今度は、シーバの蚩鳳をからかいはじめた。
「親父、こいつらは、ここの町のものか。」
スラヴヌが酒場の親父に尋ねた。
「とんでもないさね。早く宿代のつけを払ってもらいたいよね。」
店の奥から親父の声が聞こえてきた。スラヴヌはわかったというようにうなずくと男たちに話しかけた。
「賭けをしちゃみないか。あんたらの蚩鳳と、この二人の蚩鳳で野試合をして、勝った方が二千ミューン。」
「五対二でか。」
「ああ、なんなら、五対一でもいいぞ。」
ラズーが毒づいた。
「いいがね。」
「親父、ここいらに広場はあるか。」
「宿場のはずれに、后峪ってところがある。」
「では、明日の夜明けに、そこで。」
「いいのか、気が変わって逃げやしねえだろうな。」
そう念を押しながら、男達は去っていった。
スラヴヌは店の親父にミューン硬貨を渡しながら、
「口止めしてくれよな。見物人が多いのは嫌いなんだ。それと、葬儀屋の準備もだ。」
「面倒は嫌いなんだ。他の連中には言わん。ここの支払いも、今の内にしてもらいたいね。夜逃げされたらかなわんからね。もちろん、死んじまったら,支払いするものもいなくなっちまう。」
親父はそう力みながら、右手を差しだした。スラヴヌはあと三枚の硬貨を渡しながら言った。
「葬儀屋もだぞ。」
「あんたらの分かね。」
毒づく親父を笑いながら寝室へ上がっていった。
「棺桶は五つだ。いや、少し増えるかもしれんがな。」
翌朝、シーバとラズーはまだ暗いうちにスラヴヌにたたき起こされた。
「今の内から、体を起こしておけよ。朝飯だ。食っておけ。」
干し肉と果実を手渡しながら、そういった。
「シーバのお手並み拝見ってとこでしょう。スラヴヌの旦那。一銭にもならない仕事をつくっちまって。」
ラズーがスラヴヌの真意を言い当てた。
「シーバの初陣だ。かつては正規軍だった残党を相手にするよりは荷が軽いだろう。むろん、あいつらは助っ人を連れてこようが。」
「そこまで読んでいてねぇ。」
ラズーは呆れていった。
かつては、どこかの国に殻士として仕えたという噂を持つスラヴヌであった。傭具士傭甲士の仲間の間では、どちらかといえば、堅物で通っていた。
「あんたも、なかなか食えないねぇ。」
そういって、ラズーは笑った。
階下に降りて、親父に部屋の鍵を渡すと三人は蚩鳳棟へ向かった。
蚩鳳に乗り込み暖めながらスラヴヌが声をかけた。
「ここいらの夜気はだいぶ冷え込む。十分にあっためとけ。」
蚩鳳の筋肉は、ある程度の気温がないと機能が鈍る。甲蚩鳳と呼ばれるものほど、内部の筋肉が温まるのに時間がかかる。
「出るぞ。」
蚩鳳棟を出た三騎の姿を紫色の曙光が映し出した。
男たちは后峪にすでに来ていた。五人の仲間以外にも、そこかしこに隠れている蚩鳳の気配をシーバも感じていた。
「全部で十人か。」
「いや、十二人だ。」
ラズーとシーバは、お互いに愛騎の肩口に座り、声をかけあった。
「なんなら、爺さんも入っていいんだぜ。五対三でもね。」
「そうだ、かまわんぜ。」
「逃げちまうとおもってたんだがな。よく来てくれたよ。」
「ほんと、ありがとうよ。」
男たちは口々に嘲りの声を上げた。
「物見野郎、来たか。」
一際大柄な白狗牙の男がわめいた。
「いや、二人で十分だ。年寄りのわしは隠れているもぐら相手に一汗欠かせてもらうからな。」
そういうなり、スラヴヌは光翅をはためかせて舞い上がった。それが戦いの合図であった。峡谷の岩陰に隠れていた七人の傭具士が一気に躍りでてくる。
板突垂角蚩鳳が二人に、独鈷嶺雄角蚩鳳が三人、竪琴双蚩鳳が一人、七星紋蚩鳳が四人、長肘腕蚩鳳、中でも眼を引いたのは、雪散紋節剃蚩鳳と呼ばれる大柄な蚩鳳であった。その肩口には、ラズーの蚩鳳をからかっていたあの白狗牙の男がいた。
「あいつだけは、俺がやる。」
そういってラズーが切り込んだ。相手は数を頼みに襲いかかってくる。
シーバは蚩鳳剣を身構えると、襲いかかってくる七星紋蚩鳳の一つの切っ先をかわして相手の胴を横なぎにした。
「重い。」
人なら楽々両断にしていたが、彼の持つ蚩鳳剣がいかに切れ味の優れたものでも、蚩鳳の体を切り裂くは困難であった。別の七星紋蚩鳳が後ろから飛びかかる。タイミングをずらして、もう一体が右から切り込んできた。
「感じるのだ。心で。」
カイナギのその言葉がよみがえった。シーバの紅鷺蚩鳳は彼の意志よりも体の反応に従った。後ろの敵を突くなり、かがんだ体で右からの切り込みをかわし、引いた剣で相手の踏み込んだ左足をなぎはらった。倒れかかった首筋にとどめを突き刺す。
そのあまりの早技が他の敵の動きをとどめた。
「こいつ、強いぞ。」
「ひるむな。一度にかかるぞ。」
一方、ラズーはその間に、独鈷嶺雄角蚩鳳三騎を血祭りにあげた。次に、例の白狗牙族の男が乗る雪散紋節剃蚩鳳ににじりよっていた。相手の余りの強さに、逃げ腰になって飛び立った板突垂角蚩鳳二騎は、スラヴヌに切り裂かれた。
七星紋蚩鳳、長肘腕蚩鳳三騎がシーバに踊りかかってきた。シーバは、相手の攻撃の流れに逆らうことなく、己の剣を繰り出す紙一重の間合いを見いだしていた。七星紋蚩鳳は上から必殺の剣を降りおろしてくる。七星紋蚩鳳は右から、長肘腕蚩鳳はやや遅れて左から挑みかかってくるため、三つの動きが重なる瞬間があった。シーバは、相手の動きを止めないために、ぎりぎりまで待ち、後ろに跳び下がった。七星紋蚩鳳と七星紋蚩鳳の体がぶつかりかける。シーバは、二つの蚩鳳を飛び越えると、長肘腕蚩鳳一騎に的を絞り、その胸板を切り裂いた。体勢を立て直した七星紋蚩鳳は後ろから串ざしになり、どうと倒れた。唯一のこった七星紋蚩鳳も、一太刀もシーバに浴びせる暇もなく、その首を飛ばされた。
雪散紋節剃蚩鳳は機をみはからって、ラズーに挑みかかった。その視野の広さと動体視認の高さから、格闘戦に向いていると呼ばれているこの雪散紋節剃蚩鳳はまた、やや長めの腕から繰り出されるすばやい剣技にも定評がある。シーバたちにからんだ男たちの蚩鳳の中では、最もすぐれた騎体であった。
「お前のおんほろでやりあえるのかい。」
そう毒づく彼の声も、仲間全てを倒された今となっては強がりにしかならなかった。
「来い。」
ラズーはにやりとした笑顔で答えると、再び蚩鳳の胸腔に戻った。
蚩鳳同士の戦いでは、通常は蚩鳳の性能がその勝負を決めるといわれていた。しかし、一度でも殻士と呼ばれるものたちと戦った甲士ならば、そんな言葉をうのみにはしないだろう。蚩鳳と真に一体化した殻士たちの動きについていけるものではない。また、そのような蚩鳳から繰り出される剣技の威力は、同じ種の蚩鳳の数倍に匹敵する。最後に物を言うのは、殻士たちの技量なのだ。
不死王の傭具士隊長カイナギの片腕とされているこのラズーもまた、そうした技量の持ち主であった。
雪散紋節剃蚩鳳は、自分の長い腕を生かした戦いに持ち込むべく、浅目に間合いを取ろうしていた。対する赤棘網眼蚩鳳を駆るラズーの腕は普通なみであった。相手を斬ろうとして踏み込めば、確実に相手の切っ先の方が、こちらの騎体に届くだろう。ラズーは待ちの体勢に入った。多くの実戦を踏んできた彼は最善の方法を素早く選びとったのだ。
二騎の蚩鳳の間に緊迫した沈黙が流れた。聴こうとすれば、風のそよめきすら届くであろう。そんな静けさがあたりを包んだ。
先に動いたのは、雪散紋節剃蚩鳳の方であった。白狗牙族の男は、待ちに入ったラズーの心を読み切れずに、先手に回ったのである。こうした状況では、焦りをもっているほうが先に動き、己が立場を不利にする。それが、実戦での戦いである。
「そうか。」
上空で羽ばたくスラヴヌが言った。
「くっ。」
ひざまずいていたシーバの口元がゆるんだ。
「来いよっ。」
ラズーが叫んだ。
「この、物見野郎がぁ。」
白狗牙族白狗牙の男が叫んだ。
雪散紋節剃蚩鳳の持つ蚩鳳剣は両刃のかなり長い剣であった。その剣をふりかぶるなり、雪散紋節剃蚩鳳は右上から切りかかった。ラズーは動かなかった。その右上からふりおろされる剣が空中で向きをかえると、それが鋭い突きにかわって、ラズーの赤棘網眼蚩鳳ののどもとにせまった。ラズーはまだ動かなかった。
「こいつ、俺の突きをかわそうともしないのか。」
動かないラズーに対するその不安が焦りとなって、白狗牙族の駆る雪散紋節剃蚩鳳の鋭い突きの動きを鈍らせた。
ラズーは、十分に相手の動きを引き付けると、首のひねりだけでその鋭い突きをかわし、勢い余って突き出されてくる相手の両腕を下からなぎはらった。それは、先ほど、シーバが見せたのと同じ動きであった。
白狗牙族の男は、肘から先を失った愛騎を胸殻ごしに眺めていた。だが、その不幸な眺めを見ていたのは一瞬の事だった。宙を舞う両腕が地に落ちたときには、彼の視界は奪われていた。ラズーの繰り出す突きが蚩鳳ごと、彼の体を貫いたからである。
「どうだい、物見野郎の剣の技のほどは。」
戦いは終わった。日は、ようやく峡谷の中にも光をもたらした。
「まだまだだな。」
スラヴヌは二人の若き傭具士を前にして言った。
「無駄な動きが多すぎるぞ。シーバ。教えられた通りにできる実戦などありはしない。相手が多くなればなるほど、そうなるぞ。」
シーバはうなずいて聞き入った。
「蚩鳳剣の扱いに慣れることだ。シーバ。蚩鳳は人の七倍。剣もまたそうだ。大きさだけではなく、重さもまた考えの中に入れねばならぬ。それを、力をこめて振り回すのだ。人を斬る剣の扱いとは別物と考えるのだ。そうしなければ、蚩鳳剣の太刀筋をつかむことなどできぬぞ。」
シーバは真剣にその声に聞き入った。
「ラズー、お前もだ。」
「へっ、俺もかよ。」
「いかにも相手を倒すためとはいえ、あそこまで胸元に飛び込ませてはならん。肉を斬らせて骨を断つなどと言うのは、殻士の戦法であって、我ら傭具士の戦法ではない。われらの戦法はそんな下策であってはならんのだ。」
「はいはい。」
ラズーは腐りきって返事をした。
「まったく、かけひきってものがわかってもらえませんかね。シーバ、お前も気にすることはないぞ。初陣で六騎も倒したんだ。こいつは大したもんだ。」
「しかし、スラヴヌ副長のいうことも確かなことだ。最初の相手を斬ったときに、重かった。そう感じた。それが本当のところだ。」
「そうだなあ、まだまだ斬ろうとしちゃいねえ。」
「叩いただけだ。」
「もっとも、カイナギの教えをうけたといえば、らしい戦い方ではあったがな。」
スラヴヌがつぶやいた。
「そうだろうな。」
「しかし、カイナギだからこそできる戦い方をしていてはは、命がいくつあっても足りんぞ。」
「考えてみます。自分の戦い方を。」
「そうすることだ。四日後には、目的の場所に着けるだろうからな。」
「行きますか。」
ラズーがそう切り出した。三騎の蚩鳳は街道を朝日に向かって歩き出した。いつ来たのか。宿屋の親父と葬儀屋が、棺桶を積んだ馬車からそれを見送っていた。




