第15章 剣狼ゴリアテ |紅耳《リンガロツプ》族の乙女
牛那の央府ワカナインガウヤの一角に、若き樹嵐の男たちにとって憧れの場所がある。剣狼と称されるゴリアテが催す道場、練資社がそれである。
魔女との戦いを終えたペウスは、族長パグンズの紹介状を携えてここを訪れた。各国の殻士団が、どちらかといえば、同族の貴裕層の子弟中心に門戸を開いているのに対して、ここは、誠実に武道を学ぼうとする者たちを広く迎えていた。羚挂族や、牛那族、鹿晋族といった、どちらかといえば穏やかな氏族の姿も、ここでは多く見られた。もちろん、白狗牙族・灰狼牙族、犀甲族、剴喬族、馬弓族など勇ましい氏族の姿もあった。彼らは、剣士として、あるいは闘士として身を立てることを望んでいた。もちろん、その多くは故郷に帰り、ありふれた生活の中に、ここで学んだ武道を活かしていくしかないのだが。
蚩凰を持ちながら、甲士としての技術を磨きにくるような若者たちも数は限られるもののやってきた。その多くは、一族の中で初めて甲士となった若者や、殻士団では階梯の下の身分にいる子弟であった。
彼らは、剣士志望の者たちにとっては羨望の的となっていたが、厳しい状況に置かれているのは、むしろこうした身分の不確定な甲士のほうであった。
ゴリアテは数多くのこうした若者たちを直接師事してまわっていた。もちろん、何ヵ月かの研修期間を経る間に、不心得な者は容赦なく弾き出された。練資社ではたとえ、表面的な才覚の無いものでも、忍耐強く努力する者が優先して残された。事実、彼のもとを離れ、活躍している剣士や甲士の中には、最初ここを訪れたときには、郷里ではひ弱で使いものにならないと笑われていた者が何人もいた。
ペウスは、道場の受付をしている馬弓族の若者の一人に、紹介状を渡した。
「ここでは、実力がものをいう。紹介状より、まず君の腕を試そう。蚩凰にのってというわけにはいかないけれど。奥の部屋で胴着を借りて、誰かが呼びに来るまでまっていてくれないか。」
「わかりました。」
はじめから、紹介状などやっかいだと思っていたペウスは、道場の新鮮な、活気のあふれた空気がうれしかった。隈黒族の砦城で過ごした鍛錬の日々がよみがえってきた。胴着に染み込んだ汗の臭いが鼻をくすぐった。
迎えに出てきたのは、なんとあのポレスであった。
「来たのか、ペウス。早く上がってこい。早速稽古だ。」
「兄上、お元気そうで。」
「あいさつなどいい。」
道場に通されたペウスは、いきなり何人かの道生と組まされた。故郷の若者たちよりも、熱気と力強さを感じさせるものばかりであった。噂通り、樹嵐の様々な支族の若者達が集まっていた。
ペウスが組み合う姿を、道場の奥で見つめているのは、彼の兄ポレスと、この道場の主ゴリアテその人であった。
「あいつが、おめえの弟か。」
「はい。」
「いい腕をしてんじゃねえか。半月もしごきゃおめえとだって五分になるかもよ。」
「そこまでのびますかね。」
ポレスが尋ねると
「この俺が言うんだ。間違いはねぇ。お前だってここに来てそんなには日にちが経ってないのに今は師範として教える側じゃねえか。」
ゴリアテは上機嫌に目を細めた。
「ペウス、道場の方々を紹介する。こちらが剣代のユキムラ殿。馬弓の勇者だ。そして、徒手代のプリシタ殿。お前と同郷の隈黒族だ。こちらは、槍矛代のポンペイ殿。そして、あちらが師範のクリヒコ殿、エダニス殿、サッワハ殿だ。そして、奥の方が道場主のゴリアテ殿だ。」
「宜しくお願いします。隈黒族のペウスです。」
「おう、ポレス師範の弟とはいえ、特別扱いはここではないぞ。」
徒手代のプリシタが親しげに話しかけてきた。
「ははは、確かに、ここはきびしいからな。」
ポレスは頭をかいた。
「何を言っている。ポレスにもお主らは同じことをいったなあ。」
ゴリアテが話の輪の中に入ってきた。
「それは、ちょっとだけ昔のことです。」
師範のエダニスが恥ずかしそうに答えた。
「兄上は、師範なのですか。」
ペウスが尋ねると
「まあ、一応な。」
ポレスが恥ずかしそうに答えた。
「一応では困るわな。師範殿。」
ゴリアテの一言に一同がどっと歓声を上げた。
「道場主、どうですか、今夜は、ペウス殿の歓迎会というのは。」
「ようは、貴様らが騒ぎたいのだろう。」
「その通り。」
「その前に、もう一汗だ。ガウェン、お前は奥に走って、宴会の用意を頼んで来い。」
「はい、分かりました。」
ペウスを迎えてくれた馬弓族の若者が奥へと走っていった。
「いいか、隈黒の新入り殿に、抜かれるでないぞ。乱取り開始!」
道場に剣狼の声が轟きわたった。
ポレスから紹介された宿舎に荷物を運び込んだペウスは、軽い食事を階下の食堂で済ませると、部屋に戻った。彼の机の上には、あの箱があった。
この紋様の意味は何なのだろう。ペウスは魔女の残した箱を見つめていた。
「本当に古代語だったら、分からないな。」
正方形をした箱は、ペウスのがっしりとした両手の中にほぼおさまった。
「あの魔女の本当の名前は、確か、カズンさんといったけど。」
そのとき、箱の紋様が輝き始めた。箱の表面には、古代語の文様にかわって、共通語の刻印が現れた。
「そうか、あの人は、この箱の呪文を解いていたんだ。『遥かなる時を越えて、我を捜せ、大いなる苦難の来る前に 唱えよ、水晶の乙女、我を導けと』だって。ふーん。いったい、この中には、何が入っているんだ。」
ペウスがそう呟くと、箱はまばゆい光を放って開け放たれた。
「うわっ。しまった。今のが解放の言葉になったのか。共通語だぞ。なぜ、力なんて無いはずじゃないか。」
箱の中から、忌むべき古代の魔物でも呼び出してしまったらどうしようと、ペウスは身構えた。箱から飛び出した光の塊が中に浮かんでいた。それは、水晶の多面結晶であった。そして、きらめく結晶の中には人の形をした影があった。
「なんてひどいことを。生きたまま宝石にしてしまうなんて。」
くるくると回転するその水晶の中には、手の平に載るほどの乙女が封じられていたのだ。 おそるおそるペウスは手を伸ばした。彼が触れたとたん、水晶は光のつぶてとなって飛び散った。彼の手のひらの上には乙女だけが残された。
「なんだ。この娘、生きているのか。」
ペウスのがっしりとした手のひらの上で、小さな乙女は、少しずつ、温もりと柔らかさを取りもどしていった。
「やったな、ペウス。」
いつの間にか、その男は彼の背後に立っていた。見覚えのある姿であった。
「ザイナス。いつのまに。」
「君が、この子を目覚めさせるのを待っていたのさ。血塗られていない、無垢なる甲士の手によってしか、この封印を解くことはできないと託言されていたからね。」
「あの魔女が、この箱を持っていることを知っていたのですか。」
「ああ、この箱は失われた塔から、あの魔女が盗みだしたものだからね。彼女は、不死王とはとは別の形で、永遠の命を望んでいたんだ。彼女自身の力では、それが不完全にしか得られないことを知っていたのさ。そこで、この箱を盗んだのさ。」
「この子は?」
「紅耳族の乙女。導きの水晶の乙女だ。かつて瑠璃王が、来るべき樹嵐の崩壊を予言し、彼の遺産を託すべく、この世に残したといわれている七人の乙女の一人さ。」
「瑠璃王?」
「ああ、樹嵐は、いいか、よく聞けよ。このままでは、沈むのだ。」
「そんな、この大きな樹嵐が沈むなんて。」
「昔話では聞いたことがあるだろう。世界は一度すべて水の底に沈んだんだぞ。」
「でも、その時にも、樹嵐は沈まなかったんでしょう。だから、天竜王は、ここに十氏族を導いた。」
「そうさ、そしてその天竜王の子が瑠璃王だ。天竜王は、十氏族を導きながら、彼自身は樹嵐に生きてたどり着けなかったのさ。」
「そんな昔話は聞いたことがないです。」
「しかし、それが真実さ。かれらは、どうやって海原を越え、沈み行く多島海からここまで来たのだと思う。」
「蚩凰でじゃなんですか。」
「殻士や甲士達だけが来たわけではないぞ。」
「そうですね。そう言われれば。でもどうやって。」
「船さ。空を飛ぶ船。天駆ける船、浮く船でここへ来たんだ。それが、瑠璃王の城へ行けば、残っているか、その手がかりが得られるんだ。」
「帰り道でガも船のことをいっていました。」
「そうさ、彼もこのことを知っている。樹嵐の未来を知っているのは、彼の死せざるものや、玄の姫巫のほかには、わずかしかいない。そして、君も今日、その一人になったんだ。」「そんな、いきなり言われても、困ります。」
「共に捜さないか。ペウス。幻の瑠璃王の城を。樹嵐の民を救う道を。」
「私からもお願いするわ。」
ペウスの手のひらでいつのまにか目覚めたし紅耳族の少女がささやいた。両手を、ペウスの手のひらにつきながら、苦しげに少女は続けた。
「私を目覚めさしてくれたことに心から感謝します。あなたが私にとっては導きの星なのです。あなたが望むなら、私も、故郷へ帰れるのかもしれません。」
「どうだ。ペウス」
ザイナスが頼んだ。
「お願いします。」
水晶の乙女がペウスを見上げた。
「わかりました。僕に出来ることなら、やってみます。」
「ありがとう。」
「でも、君の故郷に瑠璃王の城があるのなら、すぐに見つかるんでしょう。」
「いえ、私は、私自身の記憶を失っています。私は、だからこそ、私自身を導いてくれる人が必要なのです。」
「そして、君が、その予言された導き手なんだよ。」
「でも、どうして僕なんかが選ばれるんですか。」
「強さや、賢さだけでは、人を救い、導くことは出来ない。その道は、覇者となるより、賢者となるよりも険しい道だからさ。だからこそ、忍耐づよく、そして、人を心から信じることのできる者だけがたどり着ける場所なんだよ。瑠璃王の城は。そうでなければ、隠されている意味がない。そう、託言されているのさ。」
「僕には無理だと思います。そんなこと。」
「あの魔女との闘いの時に聞いたろう。君は、人を殺したことはあるかと。道を開くのは、血の汚れを受けていない甲士だと言われているのさ。そして、君は今、見事に水晶の乙女の封印を解いた。」
「樹嵐が沈む。全ての人々も、このままだと沈んでしまうんですか。」
「そうさ。君の力が必要なんだ。」
「まず、湖の離宮に住む女王に、紅耳族の彼女の抗呪紋を消してもらおう。そうすれば、彼女の記憶の一部ぐらいは戻るかもしれないからな。」
改めてみると、少女の腕や足からは、螺旋模様の文様が浮きでていた。
「この子達はもともとこんな大きさなんですか。」
「いや、もとは我々と変わらないのさ。城にたどり着けさえすれば、元の大きさに戻すこともできるかもしれない。」
「このことを道場主のゴリアテ殿には話していいですか。君達と一緒に行くにしても、ここの道場に厄介になったばかりだし。急に出て行くとなると、一言断るしかないと思うんです。」
「それなら心配はないさ。もうすぐ、湖国では、大規模な武闘会が開かれる。それには、ゴリアテ殿も招かれるそうだ。君の兄のポレス殿も行かれよう。供として行けばいい。」「そうか。でも、湖国から先はどこへ。」
「それは分からないが。この子の記憶が手がかりだ。」
道場に帰ったペウスをポレスが迎えた。
「ペウス。お前が、来てからもう一月になるが、頼みたいことがあるんだ。」
「兄さん、僕に出来ることなら喜んで。」
「実は、湖国の王が危篤らしい。新王の即位に向けて、武闘会を開き、多くの甲士を募るのだそうだ。そこで、この道場からも何人かの代表を出すことになった。」
「そうか、兄さんがその代表なんだね。」
「いや、俺は道場暮らしが気に入っているんだ。どこかに仕官しようとは考えていない。しかし、天下に聞こえる道場からいいかげんな代表を出すわけにもいかんのだ。そこで、お前とガウェンの二人に、湖国へ行ってもらいたいんだ。」
「兄さんを差し置いてなんてとても無理です。それに他にも、師範の方々や、僕よりも格上の方々がいらっしゃるじゃないですか。」
「他の師範とて、大方は仕官先が決まっている者ばかりなんだ。この道場には、物見遊山や腕だめしだけで行ける者はあまりいないんだ。うまく、勝って湖国に仕官できればよし。下手に予選辺りで負ければ、よそでの仕官にも響くからな。幸い、ガウェンは馬弓の刃自の地位が保証されている。お前は、隈黒の砦城に戻っても良いし、道場で気ままに暮らすこともできるしな。」
「けれど。」
「自分の力を試すつもりで。何も優勝しろとは言っていないし。俺は、お前を世に出したいと思っている。これは、そのいい機会だ。」
「わかりました。兄さん。できるだけの事はやってみましょう。」
ザイナスの言葉が思い起こされた。
「どうやら、僕は旅から旅への運命が待っているらしい。」
そう、そして、この若者は多くの人々と出会うことになり、樹嵐の人々の運命を左右することになるのであった。




