第14章 |炎蛇《エンダ》を使う魔女ゼリア
ペウスはふと、酒場の盛り上がりに加わらない男達が、奥の席に座っているのに気づいた。
「おい、ペウス、お前、歌は歌えるか。」
「苦手だ。はっきりいってね。ところで、あの奥の連中はこの酒場には不似合いだと思わないかい。」
「こりゃ珍しいな。あのハゲ頭はどう見ても呟道のくされ坊主だ。となりにいる外套の男は、どうやら魔理師ってところだな。どっちにしろ、酒場になんか用のない連中だ。」
「もう一人、今戻ってきた男は?」
「牛那族の五家戸の一統だな。たしか。ほら、蝋玉が朱色だろ。」
今まで、別の卓にいた傭具士らしき男と話していたその男は、僧侶と魔理師に何かを耳打ちしていた。
カールラはおもむろに立ち上がると、犀甲族の傭具士らしき一人に声をかけた。
「イスハ。あいつらと何を話してたんだ。」
「よう、カールラ。元気だったか。ああ、あいつらか。何か大仕事らしくて。腕のいい奴らを捜してるんだそうだ。金払いは良さそうなんだが。ああいう、うさんくさい連中は好かんから断ったよ。」
「どうもな。イスハ。まっとうなお前らしいといえばお前らしいが。」
カールラは戻るなりペウスに耳打ちした。
「何かやばい仕事を引き受ける連中を捜しているんだそうだ。少し、からかってみないか。いい話なら乗ってみるのも悪くないしな。すこし、技芸暮らしにも飽きていたんだ。」
「他の連中に断らなくてもいいのか。」
「話を聞くだけなら遠慮はいるまい。」
ペウスも重い腰をあげて従った。
呟道の僧ガは聖理帥ザイナスに話した。
「この店ではもう見つかりそうもないね。明日は場所を変えてみよう。」
「ここを選んだのは貴様だ。呟道の託言だといってな。」
「いさかいはやめましょう。お二人とも。ようは、私どもだけでなく腕利きの甲士を見つける事なのですから。」
「単なる甲士ではだめだね。あの魔女のためにもう何人死んだと思う。三人だぞ。」
「炎蛇を倒せさえすれば、後はお二人だけでも何とかなるのでしょうが。」
「そのための甲士だ。生身の人では、あの大きさの炎蛇にはとても太刀打ちできない。」
「しかし、炎蛇の吐炎をふせげる蚩凰となるとね。」
「速さだけではだめでしょう。」
「今度は、時間をかけて、抗呪紋を施すことだ。」
「しかし、そんな事を認める甲士となると、やはり誇りのない傭具士になってしまいませんか。そうなると腕のほうが。」
「金を積めば、なんとかなるだろうが。それより手配は大丈夫なのだろうね。」
三人の論議の静まるころあいを見計らって、カールラが声をかけた。
「腕のいいのを捜してるんだって。少し、話が聞かしてくれないか。」
牛那族が顔をしかめて、仲間につぶやいた。
「聞くだけむだですよ。こいつは大道技芸だ。私たちの仕事には役に立ちません。」
カールラは鼻でせせら笑うと、
「腕のいい隈黒族の甲士もいるぜ。」
と言うなり、ペウスを彼らの前に押しだした。
「どうだい、若いが腕は確かだ。」
聖理帥が、ペウスを見上げた。その額には、銀鎖で飾られた犀甲が突き出でいた。前髪からこぼれみえる瞳は鋭い矢のような光を放っていた。
「隈黒族か。蚩凰は大黒剛をお使いか。」
ペウスは軽くうなずいた。彼は、聖理帥というものを見るのは初めてだった。まるで命まで吸い込まれそうな気がして、目をそらした。
「若すぎますよ。」
牛那の男が口をはさんだ。
「そうかい、じゃあ、こっちは帰らしてもらうぜ。」
カールラが踵を返そうとしたとき、僧が声をかけた。
「では、話をしよう。受けるかどうかは、その後に聞かしてもらおうかね。」
「そうかい。じゃあ、座らせてもらうぜ。」
カールラは手招きして、ペウスを隣に座らせた。
聖理帥は、あいかわらずペウスを見つめていた。
牛那族の男が話を切り出した。
「央府から、犂蹄で五日ほどのところにニクスホニという村があります。そこにいってある女性を救いだして欲しいのです。魔女の手から。」
「魔女だって。そりゃ、こちらさんのような魔理師の出番だろう。」
犀甲の男がカールラに向かってつぶやいた。
「私は、聖理帥だよ。」
「おっと、失礼した。ま、どちらにしたって、甲士や腕の立つ連中の仕事じゃないぜ。」
僧が続けた。
「化獣がいるのです。。魔女の操る。そいつを倒していただければ、魔女の方は、私たちが引き受けます。」
ペウスは尋ねた。
「どんな化獣ですか。」
「炎蛇とよばれているものです。」
カールラが目を丸くして叫んだ。
「そりゃあ、無茶だ。いくら蚩凰だってあいつの吐き出す火を受けたら焼けただれちまうぜ。」
「断るなら早いうちに消えるんだな。技芸。」
牛那族の男がカールラにすごんだ。
「はいはい、言われなくってもな。おい、行くぞ。」
カールラは、ペウスを促して立ち去ろうとした。
「誰を助けるんです。」
ペウスは椅子にかけたまま尋ねた。
「それは、引き受けてはいただけない以上、お話し出来ません。」
「では、引き受けましょう。」
牛那族の男は唖然とした。大方の傭具士が二の足を踏む話に、この若者は乗ってくるのである。よほど世間知らずなのか。
「本当にいいのかね。」
僧は微笑みながら尋ねた。
「いいですよ。炎蛇は何頭いるんですか。」
「一頭だけですが。」
「それなら、大丈夫。」
カールラが呆れはてて声を張り上げた。
「なにが大丈夫だって。お前、死にたいのかよ。」
ペウスは微笑み、カールラに答えた。
「故郷の黒森にはうようよいてね。よく相手していたんだ。」
突然、聖理帥がペウスに話しかけた。
「お前、今までに人を切った事があるか。」
唐突な質問にペウスはとまどった。
「えっ。」
「人を切り殺したことがあるのかと聞いている。」
聖理帥はさらに重ねた。
「ないですね。」
少しはにかみながら、ペウスは答えた。
「ガ。こいつが託言の甲士殿だ。」
聖理帥は僧に同意を求めた。
「託言を信じる気になったかね。聖理帥殿。」
「たまにはくそ坊主のまぐれも当たるものだな。」
「いつ出発しますか。」
ペウスの言葉に、牛那の男が答えた。
「明日の暮れまでに、蚩凰を運べる荷蹄車を用意します。明後日には。」
「では、明後日に。」
「貴飛威門の前で。」
そう言って三人の男達は立ち上がり、店を出ていった。
後には、呆れ果てたカールラとペウスが残った。
「本気かよ。お前。」
「話次第で受けるといったのはあなたのほうですよ。」
「いきなり化獣退治かよ。わかった、わかった、俺もつきあうぜ。」
あきらめ顔でカールラがつぶやいた。その話を聞きつけた髪の短い娘がやってきた。
「何につきあうんだって、カールラ。あたいもまぜなよ。」
「今度ばかりは、お前は連れて行けない。ラップ。この物好きの骨を拾いにいくんだからな。俺は。」
ペウスは微笑んで答えた。
「その時はよろしく。」
貴飛威門に約束通り、男たちはやってきた。ペウスとカールラは、簡単な旅装を整え、男たちと合流した。ラップは、カールラの反対を押し切りついてきていた。荷蹄車に、ペウスの大黒剛蚩鳳を乗り込ませると、男たちは騎馬にまたがった。荷蹄車の御者台に、カールラとラップが乗り、ペウスは蚩凰ともに荷台にまわった。
呟道の僧と聖理帥の騎馬に続いて、牛那の男が並ぶ。その隣には、酒場では見なかった剣士の姿があった。甲士ではなく、人間同士の戦いをなりわいとするのだろう。後ろで束ねた髪と、剃りあげた額をもつ馬弓族のおとこであった。
荷蹄車の御者台から、カールラは油断なく男たちの立ち居振る舞いを眺めていた。
昼過ぎに、小高い丘の上で、一行は昼食をとった。
牛那族の男から名乗りが始まった。
「私はセウカと申します。央府のはずれで小さな武具屋をやっています。」
ふっくらした頬と、三編みにした髪は肩まで伸ばされていた。人当たりのいい笑顔を絶やすことがない男であった。だが、カールラの話では、牛那族の五家戸の下で動きまわる者らしい。単なる商人ではないのだろう。これだけの旅の支度を整えられるのも、そのためかも知れない。
次に名乗ったのは、僧であった。
「わたしは、ガという。見ての通りの呟道の僧だ。もっとも生臭さだがね。」
そういって、剃りあげた頭をかいた。浅黒い肌が、褐色の僧衣に映えてこの男の顔つきをさらにたくましく見せた。
呟道の僧は、奥深い山の道館で暮らし、どちらかといえば他のとの接触を断つ修道僧と、街の中に入り、人々ともに生きる徳度僧に分けられる。身分を問わずにさまざまな治療を行うことで、人々の中にとけ込んでいた。はっきりした教義などを持たず、樹嵐に住む多くの氏族が混在した集団となっていた。
「私は、馬弓の刃自でワカヒトと申します。」
あの新顔の剣士がそう名乗った。額を剃り上げ、脇髪を後ろで束ねた刃自独特の髪型は、ペウスにとっては馴染み薄いものであった。その背には、ほとんど直刀に近い長剣を負っていた。落ち着いた雰囲気を漂わせながらも、肩の辺りの盛り上がった様子から、かなりの使い手であることが感じられた。
「僕は、隈黒族の甲士でペウスといいます。」
「俺は、カールラだ。まっ、技芸ってとこだな。鞭の扱いなら任せてほしいね。」
「あたいは、ラップ。料理なら任して。剣の腕も、刃自さんほどじゃないけど、自信あるよ。」
勝手についてきたラップが割り込むとカールラはやれやれといった顔をした。
「そろそろ、詳しい話を聞きたいのですが。」
「そうそう、誰を助けるんだい。」
ペウスとカールラが切り出した。
「五家戸の一つ、ソウ家の令嬢です。」
「相手は。」
「ゼリアという名の魔女です。魔理士や呟道の僧とかではなく、もっと古き血の一族らしいのです。」
「その魔女が、なぜ令嬢を。」
「自分の領域を不可侵として認めさせるためだそうです。もっとも、周辺の村々を荒らし回って、若い娘をさらっているのですから、放っては置けないのです。」
「令嬢を見殺しにしてもか。」
「牛那族の央府では、正規の人員が動きははじめます。多分、金で傭具士でも雇うのでしょう。その前に、令嬢を救い出すのが目的です。報酬は一人あたり四万ガラン。もちろん魔女の財宝のうち、近隣から奪われたもの以外は山分けですが。」
「いい条件だぜ。しかし、まあ、あんたや、離れ刃自が金で動くのはわかるが、なんで呟道の坊さんや聖理帥まで。」
「私は僧兵なのだよ。魔女が住む洞穴のそばにはクスホニの村という村がある。小さいながら僧院があってね、そこから本山に知らせがあったのだ。」
「ふーん。なるほどね。であんたは。」
聖理帥はかすかに笑っていたが、
「俺は、魔女の持つ古き知識に興味がある。捜しているんだよ。失われた古き王国と、その城をね。」
「へっ、変わっているね。そんな古いもの捜してどうしようってのさ。」
ラップが言った。
「お嬢さん。あなたの故郷も、今は失われてしまったね。」
「あたいに故郷となんてないや。あんたなんかに、いったいあたいの何がわかるっていうんだい。」
ラップはいきなり立ち上がりと喧嘩ごしになった。今にも、細剣を抜いて切りかからんばかりであった。
「すまん。俺の勘違いらしい。」
聖理帥は淡々として頭をさげた。
「捜している城と言うのは。」
ペウスが尋ねた。
「瑠璃王の城。樹嵐に初めて氏族が訪れた時の最初の王の居城さ。」
「へぇー。じゃぁ二千年は昔だな。」
「呟道にも言い伝えでしか残っていない。」
「そうか、今は玄の姫巫もいないしなあ。」
「魔女が知っていなかったら。」
「その時は、その時だろう。」
「そろそろ行くか。」
僧は火を消して立ち上がった。
明日にはクスホニに着くという晩の事であった。ザイナスは荷物の中から取り出した薬草を煮つめ終わると、それをペウスの大黒剛蚩鳳の甲殻に塗り始めた。
「よく聞け。炎蛇の吐炎はこれで五回は防げる。正面からは受けるなよ。目には、抗呪紋は書き込めないからな。」
「炎蛇はどれくらいの大きさなのですか。」
「渚胞を一巻にするくらいだ。」
ペウスはカールラに尋ねた。
「渚胞一巻っていうと。」
カールラは呆れて腰を抜かしかけた。
「俺たちが技芸をやってた広場をおぼえているか。あれぐらいだ。」
「うーん。黒森のより、ずいぶん大きいな。カールラ、僕の荷物をとってくれないか。」「ほらよ。」
ペウスは荷物を解くと、なかから大きな包みを取り出した。
「あの店で買ったやつか。」
「そうだ。」
「何を買ってきたのよ。やだ、くさーい、何よこれ。」
ガが後ろから声をかけた。
「ほう、渋蓬の皮か。」
「黒森の炎蛇は、小さいやつだけれど、こいつでよく眠ってくれたんですよ。」
「いぶすのか。」
「ええ。大きいと効くのに時間がかかるでしょうけど。殺さなくてもすみそうだし。」
そういってペウスは微笑んだ。
「本当に人どころか、生き物を殺したことはないのか。」
「いえいえ、魚や鳥を食べなければ、森の中では生きていけませんでしたから。」
「お前らしいな。まったく。」
その魔女の住む洞穴は、クスホニの村からそう遠くはなかった。村には、わずかな年寄りを除いて人影が無かった。
「みんな、逃げたよ。」
自ら、望んでここに残った年寄りたちは、細々と畑を耕していた。
一行は、ついに洞穴の前にたどり着いた。崖柞に開いた無数の穴の一つには、恐ろしい炎蛇がいる。そして、もう一つは、魔女のいる場所へと通じているはずだ。洞穴の前は広場になっており、何人かの骨が散乱しているのがわかった。だが、異様なのは、焼けただれて座り込んでいる三体の蚩凰の亡骸であった。
「右の一番大きな穴が、炎蛇のいる穴です。」
セウカがペウスに話しかけた。
「崖の上から、滑り落ちてこい。炎蛇は、俺と刃自でおびき出す。」
僧ガが続けた。
「忘れるなよ。五回だぞ。正面からも受けるな。」
ザイナスが念を押す。
「やめるなら、今のうちだぜ。」
そう言って肩を叩くカールラを見つめると、ペウスは
「例のやつを頼みます。ラップさんもよろしくお願いします。」
「へっ、さんづけされたのなんか、何年ぶりかね。まっ、料理は得意なんだ。任せときな。」
ラップが笑った。
ペウスは自らの大黒剛蚩鳳に乗り込むと、双叉鎖を握りしめた。二股になった叉の基に、星球のついた鎖が巻き付けられていた。相手の長さを考えると、首を押さえるのに専念すればいいだろう。洞穴から、体全部が出ないうちに、勝負を決める、それしかないとペウスは考えていた。
彼の蚩凰はゆっくりと光翅を広げた。他の蚩凰と異なり、大黒剛蚩鳳は飛ぶことがほとんど無いため、光翅を伸ばすにも時間がかかる。翅鞘が跳ね上がり、折りたたまれていた光翅がゆっくりと朝日の中にのびていった。
「行きます。」
ペウスはそう言うと、胸腔の中に潜り込み、蚩凰を空に飛ばした。甲殻の分厚い、重いこの蚩凰は、本当にゆっくりと空に舞いあがった。
「飛べるんだな。隈黒の蚩凰も。」
「何言ってんの。」
毒づくカールラを促して、ラップは仕事を始めた。
ペウスが崖の上までたどり着くと、ザイナスの抗呪紋を受け終わったワカヒトとガが、洞穴の前に飛び出した。ワカヒトは、太刀をかざし、ガは拳を構えて叫んだ。
「魔女め、お前を倒しに来たぞ。娘を返せ。」
洞穴の穴の奥までその声が響きわたった。その声が深いうねりのように、かえってきた。それが静まると、どこからともなく、地響きのような声が聞こえてきた。それが、炎蛇の鳴き声だと気づいたのは、その声が洞穴の入り口近くまで達したときだった。
「来るぞ。」
ワカヒトが叫んだ。
「その蚩凰の陰に回れ。この模様が効けば、直接吐炎を受けない限り、俺たちも平気なはずだ。」
ガとワカヒトはすばやく蚩凰の亡骸の陰に回って息を殺していた。
ずるずると引きずるような音と、ゴォーという風のうなりがゆっくりと聞こえてきた。洞穴の穴の奥で二つの赤い炎がゆらゆらと揺らめいた。それは炎蛇の瞳の放つ血のような光であった。
炎蛇は、洞穴の前の様子を伺うように、ゆっくりとその首を突きだした。なめらかなろうのような表皮に、真っ黒な玉石のような瞳が二つある。その瞳は光を受けて、血のように鈍く輝いている。あたりの気配を確かめ終わると、炎蛇はずるずるとはいだしてきた。耳はないが、頭の後ろからつららのような触覚が幾重にものびていた。
「今だ。」
セウカが叫ぶと同時に、ペウスは三叉鎖を構えて崖をかけおりてきた。
「大きい。」
直接目にするまで疑っていたが、本当にこの炎蛇は大きい。彼の故郷の黒森に住む炎蛇の何十倍あろうか。
「もう、やめるわけにはいかないな。」
自分自身を奮い立たせるかのように、ペウスはつぶやいた。
崖の崩れる音に振り向いた炎蛇は、駆け下りてくる蚩凰に気づくと、ゆっくりと鼻腔を膨らませた。それは吐炎を吐き出すために周囲の風を集めるしぐさであった。炎蛇のまわりに集まった砂ぼこりが小さな渦を幾つもつくった。
ペウスは、左腕を顔の前に突きだした。目は抗呪紋を受けていないのだ。ここに吐炎の光熱を受けるわけにはいかない。
炎蛇の瞳が黒から紫へと変化した。後ろに伸びた触覚がわずかに左右に開く。その瞬間であった。すさまじい嵐が、ペウスを包み込んだ。灼熱の炎がかけぬける。あまりの光熱に崖の一部がひび割れて崩れ始めた。大黒剛蚩鳳の甲殻に書き込まれたザイナスの抗呪紋が銀色に輝き、吐炎と蚩凰との間に壁をつくった。炎も熱も、蚩凰の体に届くことはなかった。
「大丈夫なのか。あいつ。」
「見ろ、炎の中でも動いている。」
動揺する仲間を後目に、ザイナスだけは、自分の術の成果を確信していた。
ペウスは突進を止めずにいっきに飛び込んだ。二撃目を放とうとしていた炎蛇の鼻面を三叉が襲い、これを地面にうちすえた。太い首筋では、三叉の幅が足りないと感じた彼は、とっさに攻撃の場所を変えたのだ。
「止めた。」
蚩凰の亡骸のかげから、ワカヒトとガが現れた。ラップとカールラは旅竈と渋蓬を抱えて、炎蛇に近づいていった。
「気をつけて、炎蛇の鼻先には行かないように。」
セウカが叫んだ。
「おい、お前ら、どうするつもりだ。」
ガとワカヒトが顔を見合わせた。
ラップが旅竈に火を起こすと、カールラは旅竈へ渋蓬を投げ込んだ。その煙があっというまに辺りを包み込んだ。
「これでいいのか。ペウス。」
「ええ、これで寝てくれるはずです。下がっていてください。」
ペウスは三叉を使って炎蛇の鼻面を押さえながら叫んだ。
「ほんとにだいじょうぶなのか。あれで。」
「渋蓬には、麻酔作用があるのは、呟道の坊さんなら、誰でも知っているかと思った。」 ザイナスが皮肉めいてつぶやく。やがて、炎蛇の動きが鈍った。
「こんな面倒をかけるのなら、始末しちまえばいいのに。」
カールラがぼやいた。
「僕の持っている棍や、棹では叩いて倒せそうもないんでね。こいつだって操られているんでしょう。魔女に。」
「お優しいことで。」
「ぐすぐずしないでいこう。」
「よし、次は魔女だ。」
一行は、洞穴のひとつに飛び込んだ。洞穴は迷路状になって入り組んでいた。
「どっちへいけばいいんだ。」
「こっちだ。」
先頭になって進んだのはワカヒトであった。彼ら刃自は、発達した感覚の持ち主として知られている。暗がりの中でも、驚くべき視力を持ち得るように訓練されている。視覚だけでなく、嗅覚や聴覚も必要に応じて鋭敏にできるのだ。
「何かいる。」
ワカヒトは立ち止まり、太刀を構えた。
曲がり角に待ち受けていたのは跳び蛟とよばれる生き物であった。五匹が一度に太い尾を使って飛びかかっていた。
「気をつけろ、こいつは毒を持っているぞ。」
セウカが叫んだ。口の周りにぞろりとならんだ白い歯をたいまつの明かりが照らし出す。 ワカヒトが切り込んだ。だが体を覆う厚い鱗は彼の一撃をはじき返した。
とびかかってきた一匹にラップはあわててたいまつを投げつけた。炎にあぶられ、跳び蛟は怯んだ。
「火に弱いのよ。きっと。」
「油を使え。」
ガはたいまつ用の小さな油壷を跳び蛟の群れに投げつけた。一瞬炎は洞穴の壁を照らしだした。その熱に押され、跳び蛟が洞穴の奥に逃げ去った。
「こっちの穴を行こう。」
ワカヒトが再び先頭にたった。
「あんなのがまだ出てくるんじゃ無いでしょうね。」
ラップが両手を上げてうんざりした。
一行は迷うとなく、魔女のいる広間に到達した。
「人間か。まさか、ここまでどうやってきた。わたしのかわいい炎蛇は。殺したのかい。」しわがれた声の持ち主は、額に星のような光を放つ大きな石を埋め込んでいた。
「あんたがゼリアか。」
ワカヒトが呼びかけた。
「そうじゃ。いまではそう呼ばれている。」
「いけない。」
ザイナスが叫んだ。名前による支配のが、古代の聖理帥たちの力の源である。ワカヒトは相手の名を呼んだ。同時に魔女の術中に落ちてしまったのだ。魔女が真の名をそう簡単に漏らすはずは無いのである。
「気をつけろ、お互いの名は言うな。魔女に心を支配されるぞ。」
ワカヒトは、影に包まれ、その動きを封じられた。
「わたしのかわいい炎蛇を殺した。かわりにお前たちを召使いにしようかね。」
「ふざけるな。」
ガが飛び上がると、魔女めがけて蹴りこんだ。たが、その蹴りは、魔女に届く前に弾き飛ばされた。
「壁がある。しかし見えんぞ。」
ガは地面にしたたかにうちすえられ叫んだ。魔女を包む見えない魔法障壁があるのだ。
「お前ははさがってろ。」
ラップを後ろに下げると、カールラは鞭を取り出して魔女にかかっていった。表に残ったザイナスは、魔女の位置をつかむと、精神を集中して古代神聖語の詠唱を始めた。ワカヒトを包んでいた影は、次第に人の輪郭を失いつつあった。
「気をつけて。」
ラップはペウスの陰に隠れながら叫んだ。
蚩凰を持ち込めない以上、ここでの戦いはカールラの方が優れている。いつでもかかれるように棍を握りしめながら、ペウスはカールラの勝利を信じた。
カールラの鞭が見えない壁に当たって、稲妻を発した。
「なんと、その鞭、理を刻んでいるな。そうか、ならば、こうしよう。」
魔女は、腰にさげた袋の一つをカールラに投げつけた。すると彼の鞭が蛇に姿を変え、彼の両腕に巻き付いた。巻き付かれたカールラの腕は異臭を発して焼け始めた。
「鞭使いには鞭じゃ。」
「ああっ。」
ラップが叫ぶと同時に、ペウスが動いた。
「おばあさん。安心して。炎蛇は眠っているだけだから。」
「こりゃ、かわいい坊や、お前も仲間か。」
「これを使ったんだ。」
ペウスは渋蓬の袋を投げた。
「そうかい、こいつで眠らせたのか。じゃが、聖理帥はどこにいる。まさか、坊やじゃあるまい。」
魔女は、瞳を真っ赤に染めながら叫んだ。
「あたしはやつらが大嫌いなんじゃ。」
その顔には老婆と娘の顔が重なっていた。
この間にザイナスは詠唱を終えた。
「勝ったな。」
ザイナスは呟いた。
「表か。」
大声で叫ぶと、魔女は杖をふり、巨大な稲妻を放った。ザイナスと魔女をつなぐ洞穴の間で二つの古い力がぶつかり合った。
「し、しまった。これは、魔理ではないか。どうして、魔理師と聖理帥が一緒にきておるのだ。」
ぶつかり合う力の様を見て、魔女はつぶやいた。次の瞬間、鋭い稲妻が押し返されて、魔女に襲いかかった。魔女は後ろの壁に吹き飛ばされた。
ザイナスは、くずれかけた洞穴の中から姿を現した。
「偽の名では、人を縛縛ることはできようが、もう終わりです。あなたの真の名は、カズンと言うのでしょう。」
「どうして、私の真の名を知っている。お前は、魔理師なのか、それとも聖理帥なのか。」
「そのどちらでもありませんよ。そして、そのどちらでもあります。」
ザイナスは微笑んだ。
「やはり、当たっていた。魔女カズン。死せざる者や、かの赤き島の古き者に組みしているわけではなくてよかった。それなら、私にも勝ち目がある。」
「お前は、」
「失われた塔の最後の司祭ですよ。あなたもかつて住んだことのある塔のね。」
「そうか。」
「あなたの解放も私の使命の一つでした。もう忘れかけていましたがね。その使命のことは。さっきの刃自にかけた術で思いだしました。」
「あたしを解放する。」
「そう、あなた自身の呪いからね。」
ザイナスは短い詠唱をすると魔女の額に一つの紋を書き込んだ。
「では、あの坊やが。昔、玄の姫巫が言っていた。」
だが、その言葉はザイナスに届かなかった。額の紋は鈍い輝きを放って魔女の肌にとけ込んでいった。魔女は、ペウスを見つめると何かを伝えようとした。
ペウスは、カールラを助け起こそうとしていたために魔女を見なかった。魔女は悲しげに、袋の中から、一つの箱を取り出して抱きしめた。
それきり魔女は力つき動かなくなった。そのしわに覆われた顔が美しい一人の娘の顔になった。
「これが、この人の本当の姿です。忘れないでくださいね。かつては志の高い人だった。」 ザイナスは、悲しげにつぶやいた。
「殺さなければ、いけなかったんですか。魔女とは言え。」
ペウスが叫んだ。
「誰かが、解放してやらなければ、彼女は救われなかったんです。もう長い間彼女は縛られていたんです。彼女自身のかけた呪縛からね。」
ペウスは、何も言い返せずにそっと魔女の亡骸を抱いて洞穴の外へ出た。広場の片隅に穴を掘り終えて、魔女の亡骸を丁重に葬ろうとしたとき、魔女の抱いていた一つの箱がペウスの目にとまった。
「よほど大切なものだったんだろうね。」
ラップがつぶやいた。
「一緒に埋めてあげましょう。」
そうつぶやくペウスに、ガが話しかけた。
「お前が持っていてやれよ。その魔女のことをずっとおぼえているようにさ。」
ガは、カールラを抱えていた。ザイナスはワカヒトを抱えて洞穴の表に出た。
ワカヒトを包んでいた影は消えたが、彼は眠りこんだままとなった。カールラの両腕も焼けただれ、二人ともガの癒やしを十分には受け付けなかった。
「どうにか、ならないのか。」
「総本山へ行けば、直るはずです。このまま、行きましょう。」
「おい、セウカ、礼は大丈夫なんだろうな。」
僧ガが依頼主でもある牛那族の若者に声をかけた。
洞穴の奥から魔女に連れさられていた人々を助けだしたセウカは、にっこりと微笑んだ。
「もちろんですとも。もし、彼女の親が断っとしても、私が一生かかけて、この人と一緒に働いて返します。」
そういって震えている牛那族の少女を抱きしめた。
魔女の蓄えた財宝の一部は、連れ去られた人々と、クスホニの村人に分けられた。
ザイナスはいくつかの書物をうけとると、金は要らないと行って去って行った。カールラとワカヒトはペウスの蚩凰でクスホニの村まで運ばれ、そこから牛那族の呟道総本山までは別の蚩凰で空を運ばれた。ペウスとラップは、僧ガとともに村まで来た道を荷蹄車に揺られて帰った。
「大金持ちってがらじゃないけどね。」
ラップはうれしそうに言った。
「カールラさんの手がもとどおりになるといいですね。」
「なんだい、治るって言ったのは、あんただよ。」
「動くようにはなるでしょう。でも、あの火傷のあとは消せないと思うんです。」
「ふっ、火傷のひとつやふたつ気にする奴なんか、技芸仲間にゃいないよ。それより、あんた、あの取り分、みんな呟道の寺にやっちまうんだって。」
「ええ、私たちにはいらないものですから。私はこの巻物一つで十分。」
僧ガが笑った。
「うへっ、なんだいそりゃ。宝のわきでる巻物かい。」
ラップがのぞき込んだ。
「船をつくるための巻物ですよ。」
「ふーん。坊さんの考えることはわかんないや。ペウス、あんたはその箱一つかい。」
ペウスは胸にあの箱を抱いていた。
「ええ、あの魔女の形見ですね。大切なものだったんでしょうね。」
「中身はなんだい。」
「こりゃ、古代語の封印紋だな。ザイナスになら、開けられるかもしれないがあんたらにゃ無理だね。」
「あいつは、いつの間に消えたんだよ。だいたい、あいつがはじめっから稲妻をどかんとだしときゃ他の人も死なずにすんだんだろう。あの魔女ともわけありらしいし。」
ラップが口を尖らせた。取りなすようにガが話しかけた。
「魔理師にしろ聖理帥にしろ、技を使うときは、時間がかかるんです。まして、相手の居場所がわからないと術のかけようもないしね。」
「あの炎蛇はどうなったろう。」
三叉は抜いてきたけれど。魔女がいなくなって、どうやって生きていくのだろう。ペウスはつぶやいた。彼の手の中にある箱が、樹嵐の未来を左右するとは、今の彼は気づいていなかった。




