第13章 |牛那《ルダイ》の|技芸《ハリフム》カールラ
牛那族は、商才にたけた一族である。彼らは、樹嵐の多くの国々に済んでいる。その商業網は隅々にわたるまでひろがり、温和な笑顔を絶やす事なく商売にいそしんでいた。額につけた赤い蝋玉と、三編にして両肩にたらした柔らかな髪が、彼らの恰幅のよい体によく似合っている。忍耐強く、慎重であり、同族間の結び付きは、他のどの氏族よりも強かった。合理的な考え方で柔軟に対応するその性格は、同じようにどの国でも見られる羚挂族が、偏屈で排他的なのとは好対称であった。
そんな牛那族の国は、中原に広がっていた。樹嵐のまさに中心に位置するこの国は、多くの街道の交差点として、また牛那族にとって物資の輸送の要であった。王族や、氏族による支配が多い国々の中で、牛那族のこの国は、五家戸とよばれる共和制を施いていた。どの国に対しても対等に振る舞うかわりに、どの国からも不可侵の権利を認められていた。そのため、一度、彼らを敵に回してしまったら、それは同時に樹嵐の全ての国に攻められる口実を与えることになるのである。それほど彼らの牛那族は、各国の王族や支配者に取り入っていた。
潅木と丈の高い草原の入り乱れる国土は、魁蕗とよばれる豊かな実を実らせた。この実を発酵させた魁蕗酒は、樹嵐の民の喉を潤わせた。乾燥させた粘泥土と草を混ぜ合わせてつくられた家は、この国の熱い日差しから人々を守った。家畜として代われる犂蹄は、騏馬のような素早さこそなかったが、荷駄用としてはずば抜けて優れていた。決して豊かな土地とは言えない中原の国が、商都市として栄えているのも、この家畜のおかげと言えよう。
央府ワカナインガウヤは、湖国や青原の王都のような優美さこそなかったが、わずかな水を有効に使うために、水路を生かした衛生的で機能的な都市であった。周辺にいくつもの湖を持つため、この水路の水がかれることは無かった。大都市につきものの貧民窟がないというのもすごい所であった。五家戸とよばれる各家長の評議が行われる評定館を中心に、花びらをかたどった町並みは、美しく彩られていた。郊外の質素な粘泥土の家と基本的なつくりは同じであったが、家の商売に応じて壁が塗り分けられているのである。
央府の一番外側を除き、街を取り囲む城壁がないのも面白かった。しかし、周辺部は幾重にも掘られた水路と、緩やかな曲線を描く路地と、視界を遮る櫨蔵のために一種の迷路のようになっていた。初めて、この街を訪れるものは、みなこの周辺部のどこまでいっても同じ風景に出会い戸惑うのである。ただし、これには抜け道があった。水路を走る櫂舟に乗れば、いともたやすく目的の場所まで連れていってくれるのである。しかし、水路は何箇所にもわたって関門が設けられていた。簡単によそ者が入り込めるものではなかった。
ペウスは、蚩鳳を蚩鳳宿に預けて、街中へと散策に出かけた。宿の主に、舟をお使いなさいと忠告されたが、彼は自分の足で歩くことが好きだった。市の露店で、赤い果実を買い求め、それをかじりながらあてもなく歩いた。口の中に果実のさわやかな甘さが広がった。
道が開けると、広場が見えてきた。露店がとぎれたそこは、技芸たちの興業場になっていた。
不思議な楽器を奏でる僧たちや、歌声をはりあげる女達のあいだに交じって、石垣の縁に高札を掲げて、大道勝負をする男達がいた。丹塗りの木剣を用いて、技芸相手に立ち会いをして相手の体を染めれば勝ちというものであった。ペウスが着くなり、見るからに甲士風の男達が挑もうとしていた。
対する技芸は二人いた。一人は、赤と白の髪を短く切り上げているが、明らかに娘であった。そして、もう一人は長い巻き毛をなびかせた若者であった。どちらも、華奢な体を持つ二人は、かわるがわる甲士達の相手をしていた。
娘は長柄を、若者は鞭を用いていたが、ペウスが見ている間でも、五人の甲士風の男達を相手にして、見事に勝ちをおさめていた。長柄も鞭も、相手の木剣に絡みつきはねとばした。とくに、若者の扱う鞭はまるで生き物のようにうごめいて、相手の武具を封じてしまうのである。ペウスは鞭というものの扱いを見るのは初めてであったが、若者の技量には驚嘆させられた。彼の鞭の動きに目を奪われがちだが、明らかに何年も鍛錬を続けてきた者の持つ呼吸法を用いていた。
七人目の甲士が木剣を奪われ、すごすごと引き下がるのを見終わると、ペウスは石垣を越えて、彼に挑んで見ようと思った。
「今日はもうこれだけかい。お次はいないのかい。」
娘の威勢のよい呼び声が、技芸広場に響きわたった。
「いいかい。」
と言ってペウスが名乗りを上げた。ペウスが名乗り出て、彼らの前に出たとき、娘は一瞬だがぎょっとしていた。この若者の体の大きさに驚いていたのだ。だが、すぐに何食わぬ顔で娘は、ペウスの顎の前に白い手を突き出した。
「十ミラウ。」
と言った。
「腕のいいあんたらの講義料としては十ミラウは安すぎないか。」
ペウスは微笑みながら、金を娘に渡した。娘は口を突き出しながら言った。
「勝ちゃ、あんたの取り分は八倍だ。」
顎で、武具庫をさすと娘は、鞭使いの若者のほうに行った。
ペウスは武具庫から棍を見つけ出すと、二三度回して、表に出た。
若者は、ペウスの選んだ武具を見て微笑んだ。
「なるほど、考えたな。長いほうが届きやすいか。」
ベウスはその言葉に答えずに、棍の先に丹を塗り付けた。
「そいつ、隈黒族よ。」
「なるほど、力だけは自慢の連中か。」
巻き毛の若者は挑発しにかかっていたが、ペウスは生来ののんきさで取り合わなかった。
「では、行きますか。」
棍をはすに構えると、若者の瞳を見つめた。
「では、行きましょう。」
若者はそう言い終わると、烈火のごとく鞭を振り降ろした。鞭は生き物のようにペウスの棍に絡みついた。しかし、今までの甲士のように、この相手の武具を鞭にからめとって奪うことは出来なかった。いや、ピクリとも動かなかったのだ。
次に若者は鞭をひねった。再び命を与えられた鞭は空を切り、ペウスの頭上に襲いかかった。水平に差し上げられた棍に当たり、勢いをそがれた鞭はそこで再び、絡みつくかに思えた。しかし、棍で角度をかえ、勢いをました鞭の先端が延びるようにペウスの額に向かってきた。
「鞭端に重りをしこんでいたのか。」
先ほどまでの戦いでは見せなかった新たな鞭の動きに翻弄され、ペウスは棍をさっと手放した。鞭で棍をからめとった若者は、嘲るようにペウスに言った。
「おまえの負けだぜ。」
ペウスは微笑みながら、指さした。
「そうか、僕の気のせいかな。君の胸の染みはなんだい。」
若者の黒短束の上着に、丹の染みがついていた。
「いつの間に。」
ペウスは微笑んだ。
「さっき、棍をからめとったとき、棍の端を蹴ったのさ。そのままの勢いで、君の手に入るときに、わずかに角度が狂う程度にね。」
観衆から歓声が上がった。
「カールラ、あんたの負けね。」
髪を刈り上げた娘が娘が、金袋を持って出てきた。
「いや、これが戦いなら、武具を取られた僕の負けさ。それにしてもすごい鞭技だ。よかったら、少し話してくれないか。どんな師匠から学んだんだい。」
巻き毛の若者カールラはうなだれていた顔をあげて微笑んだ。
「あんた、すごいぜ。どうせ今日は店じまいだ。相手もいないだろうし。あんたの棍についても教えて欲しいね。」
「まったく、金が要らないなら、しまっちまうよ。」
娘があきれた顔でペウスに尋ねた。
「いったろう、安い講義料だって。それに勝負は僕の負けだ。」
「なんてお人好しなんだい。」
娘は絶句したといわんばかりに、口をおさえた。
「そいつは、俺としても返してもらうわけにはいかない、と言いたいところだが、どうだい。今夜の飯代と言うのは。宿はもう決めてあるのかい。そうか、じゃあ、ここいらの技芸連中で繰り出して、飲み食いしたら送っていこう。」
カールラがそうもちかけた。変わり身の早いところや、先ほどの挑発の仕方と言い、このカールラはつくづく頭の回転の早い奴なのだとペウスは思った。
技芸連中の馴染みの酒場に繰り出したペウスは、カールラの生い立ちを聞かされた。といっても、この央府のはずれにある雑貨商の前に捨て子として置き去りにされ、雑貨商の夫婦を両親として育てられた彼の出自は、全くわからなかった。巻き毛ぐらいしか手がかりは無かった。
優しかった養父母と暮らしていたころ、その家に厄介になっていた廻国修行者の手ほどきを受けたのが、彼が武道に歩み始めたきっかけである。
同じ技芸仲間であるラップもまた同様の身の上であった。彼女は母親と共に央府の外壁までたどり着いたものの、そこで母親は息を引き取ってしまった。あちこちの店で見習いとして今まで命を繋いできたという。
技芸一座の座長クラングは馬弓族の男であった。かつては剴従として、重用されたことのあった彼は、些細ないざこざからその職を逐われ、酒で身を持ち崩し、今では技芸の座長としてその日暮らしをしていた。もはや、初老の息にさしかかっていた彼は、往年の目の輝きを失っていた。しかし、その長身の体躯は今でも剣を取らしたら凄腕だろうという雰囲気をにじませていた。
軽業師のカンカは辺境の民、鹿晋族の若者だった。技芸の一座では綱渡りや玉乗りなどをして子供達に人気があった。若い頃は、探索者として樹嵐の各地を旅していたという。 食事も一息ついたころ、彼のかきならすリュートの音色が酒場に響きわたった。一座の歌姫ミロンがその音色にあわせて陽気な声を張り上げる。彼女は湖国の剴喬族であった。額に螺旋角を持ち、それを飾るように宝石で彩られた髪飾りをつけていた。長卓の上が片付けられると、髪を短く刈り上げたラップというあの娘がその上に勢いよく飛び上がった。そして、ミロンの歌にあわせて踊り始めた。ここでは、よくある事なのだろう。まわりにいあわせた客たちが歓声と手拍子でこれに答えた。
ペウスとカールラの話は、ペウスの生い立ちや武道談議にはじまり、カールラの諸国での思い出話へと続いた。




