第11章 |獅子吼《レグリロア》の国へ
少年は父の遺髪を手にし、夕焼けを眺めていた。コモドアとインディアが届けてくれたのは、この遺髪だけであった。彼の父もその蚩鳳も、蚩鳳剣も戻ることはなかった。
獅子王党の人々は激論を交わすばかりで、何一つ行動を起こそうとはしなかった。
党の中核の一人でもあった父を失い、党員は混乱を深めていた。多様な氏族の寄せ集めである獅子王党は、このままでは烏合の衆となりかねなかった。彼自身の苛立ちの理由はもう一つあった。父が命をかけて守ったという獅子吼族の若者「託言の子」の姿が、今ここに無いことだった。その若者は、初めての戦いで自分の蚩鳳を制御不能にしてしまったという。そしてなぜ、その子に、コモドアとインディアは父の形見の蚩鳳剣を渡してしまったのか。そんな若者が果たして、烏合の衆である獅子王党を束ねられるのか。父を失った悲しみは、その「託言の子」への反感と疑問にかわっていった。
この場所を出て、その若者に会いに行こうとすらフロスグラウは考えた。
そんな思いが強まっていたときに、「託言の子」と呼ばれる若者が彼の前に現れたのだった。
「僕の父の剣を返せ。」
会うなり、フロスグラウは叫んだ。
「父一人救えぬお前に樹嵐の王たる資質があるかどうか、いまここで僕と闘って決めようではないか。」
フロスグラウの駆る蚩鳳は、彼の父であるウイグラフのものと同じ五角大王蚩凰であった。
アースはこの若者の気持ちが痛いほどよく分かった。
「いや、この剣を持つにふさわしいのは君だよ。」
アースは、コモドアとインディアから渡された剣をウイグラフの息子フロスグラウへと返した。
褐色の髪、薄紫の瞳、通った鼻筋は紛れもなく獅子吼族の者であった。
獅子王党の人々の中には、その「託言の子」を獅子駆王の子として心から歓迎するものもいれば、疑うものもいた。
ウイグラフの片腕であったフレスカが、アースにこう告げた。
「あなたは確かに、獅子吼族にとっては、亡き王の忘れ形見かも知れない。しかし、ここに集う反不死王の人々の象徴となれるかどうかは、その出自だけでは決定できません。」
静かにアースに語りかけるフレスカに向かって別の者が口をはさんだ。
「何を言うか。そんなことを言っていればますます玄の姫巫の救出が遅れる。」
呟道の僧でもあるバイである。
普段は、慎重派の新しい指導者デルゼント公が、同じく王家の血を引くベンガタント伯と相談してから、こう切り出した。
「どうだろう。彼がまことに優れた勇者であるならば、あれを取りに行かせたなら。」
任務から戻ってきたばかりの千の傷のハナーンが叫んだ。
「馬鹿な。紅梢へ行けと言うのか。こんな若造では死ねと言うのも同じことだ。」
ティンタス伯が間に入った。
「では、君が若造と呼ぶこの若者に、君は心から従うと言うのかね。千の傷。」
「そういう貴公達こそ、獅子駆王の息子を死地に追い込めるのか。どう考えているんですか。デルゼント公。」
「そうだ、現に獅子吼族の何人の勇者があの塔へ向かい帰ってこなかったのか。」
ティンタス伯の子であり、ティンベスの兄、ティンダスも帰ってこなかった勇者の一人であった。
アースは迷っていた。ここに集う人々の中に、沈滞と苛立ちしか感じられないからであった。
アースが育った根の国は貧しくとも、日々の暮らしを讃える気概があった。ここにいる人々が望んでいるのは、追われた故郷への望郷の念や、自分自身の地位や財産の回復ではないのか。不死王への反感は、その口実ではないのかと想えたからである。
アースは熟考の上で決意した。この人々を導くことではなく、不死王と対峙するために、紅梢に向かうことを。そして父の剣を手に入れることを。それは、失われた獅子吼の国を再建することではなく、これから続いていく自分自身のための戦いなのだと。
アースが出発した二日後、任務に出かけていたコモドアとインディアが獅子王党へ戻ってきた。アースが出発したいきさつを聞いた二人は、アースを追いかけるために、そして玄の姫巫奪回のために、再び旅に出ようとした。
「フロスグラウ、なぜウイグラフ殿、父上の剣を。」
コモドアが尋ねた。
「返してもらったんだ。当然だろう。これは父の形見なのだから。」
インディアがたしなめるように語りかけた。
「その剣は、ウイグラフ殿が、獅子駆王、アースの父君に手渡された剣なのだ。獅子心王が亡くなり、獅子駆王が獅子咆剣を継がれたときに。獅子咆剣の写しとして作られた剣なのだ。」
「そんな。」
フロスグラウはたじろいだ。
「ウイグラフ殿は、崩れ落ちる城から、胸を貫かれて死にかけたアース殿を救い出した。どうしてだと思う。」
「それは。」
「ウイグラフ殿は、四天王亡き後、獅子心王を諌め、国を立て直そうとする獅子駆王殿にとって無二の親友だったからだ。」
「その友にだからこそ、写しの剣とは言え大切な剣を託した。そして息子の運命を委ねたんだ。」
「もっと早く話しておくべきだったな。」
インディアがつらそうに語りかけてフロスグラウの肩に手を置いた。
「ああ。君にとっては、アースは友ではないからな。」
コモドアもまっすぐにフロスグラウを見つめた。
「しかし剣もなく、紅梢に向かったのか。」
「薄暮の戦鬼士と立ち向かうなど、四天王並みの技量の持ち主でないと。」
「いや、ウイグラフ殿が生前、デルゼント公と相談し、アースが獅子王党の象徴として生きて行くために必要だと考えていたことだ。」
「とにかく、アースを追おう。ティンタスが供に付いたのだな。」
「フロスグラウ。君はどうする。」
コモドアが尋ねた。
「彼には玄の姫巫奪回戦の中核になってもらわねばならん。他の甲士達などどこまで当てになるものか。コモドア、君と共にフロスグラウの力が必要なのだ。」
インディアがコモドアに語りかけた。そんなインディアに向かって
「アースのことは頼んだぞ、インディア。」
とコモドアが頭を下げた。
「ああ、とにかく止めることしかできんがな。せめて中原で、全うな剣を手にいれてから臨ませるよ。」
インディアはフロスグラウとコモドアに話してから早速準備を始めた。
玄の姫巫奪回軍の準備が進む中、アースを追いかけるインディアが獅子王党を去った。
アースに追いつくのにはインディアですら三日を要した。半分牛那族の血を引く彼は、様々な形での情報が入ってくる。それを生かして最短距離で追いついたのである。同行していたティンタスは、インディアの訪れを心から喜んだ。
中原の国境の町外れにある蚩鳳宿でアースはインディアと語らった。半分牛那族の血を引くこの若者は、どこか冷徹に物事を見ているようにアースには見えた。
「君は本当に、不死王を倒したいと心から思っているのかい、アース。」
「えっ。」
単刀直入なインディアの問いにアースは息を詰まらせた。
「どうだい。」
「でも。」
「君は託言の子と呼ばれている。でも、牛那族には呟道を経済的には支えている者は多いが、心から心酔している者は少ない。まあ、僧達は別だがね。」
インディアの問いにアースが答え始めた。
「僕も、いろいろな街を見てきました。しかし、不死王の支配の圧迫を感じさせる街はそうは多くなかったです。」
「そうだな。樹嵐の多くの民が不死王の支配を歓迎している時期もあったからな。君の祖父に当たる獅子心王の悪口を言うつもりはないが、彼は樹嵐を力で支配しようとして、四天王に去られ、獅子吼族の滅亡を招いた。その戦乱の時代よりは平和であることは確かだよ。」
初めて聞く話にアースは驚いた。
「そんなにひどい時代だったんですか。」
「ああ、そのために馬弓族や隈黒族でも内乱が起きたほどだった。湖国ぐらいだな。その頃からずっと平和だったのは。まあ、あそこには女王の離宮があるから、どの民も戦乱は持ち込まないだろうが。」
少し間を置いてアースが話し始めた。
「僕自身も迷っているんです。この前戦ったのは、自分や洞ん爺の庵を守るためでした。しかし、これからは自分自身のために戦おうとは思うのですが。」
「できたとして。」
「えっ。」
「不死王を倒せたとして、その次に俺達は何をすればいいんだろうな。」
「・・・。」
「託言は、俺達の生き方を示したり、狭めたりはするが、結局は自分達で考えることが多いんだろうな。」
アースはこの若者の深い考えに、自分の決心の浅さを思い知らされるような気がした。
「獅子吼族の国を訪ねてみないか。今じゃ誰も住んではいないが。そこで不死王が何をしたのか。君自身の目で確かめるといい。アース。そして、本当に不死王を倒すべく君が決心するなら、その先の紅梢に向かうがいい。その時は止めはしない。見届けてやるつもりだ。」
インディアはそう言って目を閉じた。
「まずは、央府で、剣を手にいれよう。」
インディアが獅子王党の拠点を発ってから程なく、不死王正規軍の一翼を担う白樹犀甲殻士団が獅子王党の本拠地を急襲した。
大方の甲士たちは圧倒的な敵軍の前に抵抗することなく逃げだした。同族である彼らに故郷を追われたフレスカとその配下の犀甲族の者たちが最後まで抵抗したが、数日も保たずに敗れさった。
獅子王党の指導者デルゼント公のもと、一足先に獅子吼族の殻士たちは玄の姫巫奪回に向かっていた。
コモドアとフロスグラウは、塔に踏みとどまっていた。しかし、徒に戦いを挑むわけでもなかった。 甲士や剣士以外の残された者の多くの民は崩れいく塔の下部で息を潜めて、軍の攻撃が終わるのを待つしかなかった。その人々を少しでも守るために残ったのである。
僧バイが、呟道の抜け道をようやく教え、人々を救い出せなかったら、塔とともに運命を同じくするしかなかったであろう。
「君の父上ウイグラフ殿がいたなら、こんなことには。」
コモドアは、獅子王党の変質ぶりに失望していた。
「玄の姫巫を奪われれば、不死王の支配が完成してしまいますからね。」
「王無き殻士。民無き殻士。」
「えっ?」
「いや、君の父が口にしていた言葉だ。フロスグラウ。我々はなぜ何のために戦うのかとね。」
「王無き殻士・・・。民無き殻士ですか。」
「そうだ。君にも君の知らない父上のことをいろいろ話しておくといいようだね。」
「ぜひとも。」
「まずは、この人々を安全なところへ。」
「ええ。」
死の國へ
かつて城だった。そう思えるのは、城壁があるからだ。しかし、焼け焦げたその城壁を今は蔦が覆っていた。紫丘の中心に当たる場所にその城はあった。
その城の壁の一隅に、折り重なるようにして倒れている亡骸があった。数十もの白骨を緑が土に還そうとしていた。
「ここが、君の生まれた国だ。君の生まれた城だ。そして、その亡骸は、君の同胞だよ。殻士でも、甲士でも、王でも貴族でも、僧でもない。ただの民だ。蚩鳳も持たず、武器も持たず、戦う術すら知らない民だよ。」
アースは、その亡骸の前に祈る言葉すら知らなかった。
「まだ、子どもだったんですね。」
母に抱かれたままの、幼児の骨をアースは見つめた。
「ああ。なぜ自分が死ぬのかすら分からずに死んでいったんだろう。」
「かわいそうに。」
ティンタスが跪いて、蔦を取り払った。
「かわいそう。そう思うか。ティンタス。俺はそうは思わんぞ。」
「どうして。」
「こいつらは獅子吼族の栄華の中で死ねた。君の父上ティンベス殿や千の傷のハナーン、コモドアが受けた思いから比べれば、ここで死んだこいつらは幸せなのさ。」「そうでしたね。コモドア殿は目を抉りとられたと。剣を取りに向かった兄も帰っては来なかった。」
「僕は今日まで、不死王を憎いとか、闘いたいとか思っていませんでした。でもこれは。」
アースはそのままうずくまり言葉を無くした
「これは。」
「不死王だけを責めせれるだろうか。四天王が去らなければ、獅子吼族は負けはしなかった。ロマーナを裏切り者と呼ぶのはたやすい。だが、これ、この悲劇を招いたのは、獅子吼族自身に流れる戦いを好む血のためではないのか。」
「いつかはこうなる運命だったとでも言うんですか。インディア殿。」
ティンタスが涙声で叫んだ。
「先代の玄の姫巫はそう託言をしていたよ。だが、獅子吼族は聞き入れなかったのさ。やがて託言は成就されてしまった。」
「そんな、獅子吼族はどうして。」
「獅子吼族だけではないのさ。紅鬣族も、同じように滅びを辿ったんだ。」
「今では、紫丘は、多氏族で賑わっている。ここに来るまでに見てきたろう。それなりに豊かで平和な暮らしをしているのさ。この城だけが時を止めたままなんだ。」
風が城壁をすり抜ける度に、すすり泣くような声を上げた。
「不死王は、不死王は何のために樹嵐を。」
アースはつぶやいた。
「支配しようとしているんだ。死すことのない定めの彼が。」
「わからんさ。奴の考えることは。」
「だが分かることもある。恐るべきことに、不死王が八擁の呟者の護りを破り、玄の姫巫を手に入れたとしたら、すべての託言が彼の手に入るということだ。彼は天獣と戦い、不死を手にした。そして今、未来をも手にしようとしているのだ。」
「誰かが止めなければ、こうして人々が殺されるのですね。インディア。」
「そうだ。獅子王党の中には、そのことを愁いているものも多い。バイ殿や、千の傷ハナーン殿は、今の平和がかりそめであることを見抜いているんだ。」
「本当の平和とは。」
「そんなものが本当にあるのかはわからんがな。」




