樹嵐吟唱 |不死王《ノスフェイル》近衛|殻士《ノウツ》長ガリア
天 と 地 と が 分けられし 災厄 の 日、
二つ を へだてし もの は ただ 海原 と 雲 のみ。
嵐 は 四十 の 昼 と 夜 続き、 美しき 大地 を 沈めん。
母なる 大地 を 逐われし 人々 は
そびえ立つ 樹嵐 の 懐 に 抱かれたり。
樹嵐 此処 より 他 に 拠るべき 所 なく
糧 も なかり せば
民 は 歌う。
新しき 大地 の 上 で。
深き 森 の 樹嵐 の 懐 の 中 で。
父 の 名 は 風、母 の 名 は 海 と。
風が凪いでいた。深樹海の光すら差し込まぬ深みの中で、一匹の若き獣が喘いでいた。その息遣いが、また新たなる敵を引き寄せるとわかっていながら、揺れ動く肩を押さえる術を若き獣は知らなかった。夥しい量の体液が、彼の蚩凰から深樹海の地表へと滴り落ちていた。彼の蚩凰も手傷を負ってはいたが、そのほとんどは返り血である。
正確に人の七倍を模して創られた戦うための生き物。厚い甲殻に包まれ、脚で立ち、剣を振るう。そして時には背にたたまれた光翅はためかせて宙を飛ぶ。樹嵐における最強の戦士。それが蚩凰を駆る甲士と呼ばれる人々であった。若き獣もまた、その一人である。幾多の敵を倒してきた。ただ、今度の討っ手は今までとは腕が違いすぎた。不死王も本腰をあげたのだろうか。若き手負いの獣は確実に万年銀杏のふもとから追いつめられていったのである。
最初の蚩凰と組み合ってから、すでに双月ばかりの時が流れている。彼も、彼の蚩凰にも限界が近づいていた。もう、光翅を使って跳ぶこともできないだろう。彼の薄紫の瞳にも疲労の色がにじみでていた。獣は深樹海の宿り樫の枝越しに遥かな天空を仰ぎ見た。この時刻では茜色の雲も見ることはできない。その雲の上にこそ本当の敵はいるのだ。不死王と自分を隔てている高さこそが、今の自分の無力さを示していることに彼は歯噛みした。
その時、縄杉の葉をかいくぐって跳ぶ黒い巨大な影が彼の視界に飛び込んだ。節剃角蚩凰独特の光翅の振音が深樹海の静けさを切り裂いた。両眼があおみを帯びた鈍い光を放っている。
「ようやく見つけたぞ。こんな所に隠れていたのか。」
蚩凰の肩口に立ち、討っ手の甲士は叫んだ。黒ずくめの甲鎧を身にまとった大柄な男であった。流れるような灰色の髪を背にまで垂らしていた。よく通った鼻筋の端正な顔が鎧に映えていた。だが、その瞳の鋭さは歴戦の強者のそれであった。
「どうやら、少しは討っ手を倒したようだな。傭具士どもは刃が立たなかったわけだ。」
甲士の蚩凰の足元には三体の蚩凰が横たわっていた。一体は背中を切り裂かれ、一体は長柄を胸板に打ち込まれていた。もう一体は頭を握りつぶされている。三体同時にかかったのであろうが、返り討ちになっていたのであろうか。
「いい判断をしているな。」
もはや老いにさしかかっている甲士の胸に熱い血がこみあげた。
「俺は不死王近衛殻士長ガリア・ガリノン・ガレウだ。貴様がどの様な罪を犯したかは知
らんが、不死王のために、貴様を討つ。せめて、名乗りだけでも挙げてもらわんとな。貴様の名は!」
自信がそうさせているのだろうが、この男ガリアの振る舞いには胸のすくものがあった。もしこうして敵味方でなければ、打ち解けることもできよう。若き獣は一瞬そう感じたが、ここは戦場でしかなかった。
「名乗りも上げさせずに、討ち果たすとは、俺の誇りが許さん。もう一度だけ問うぞ。 貴様の名は。」
不死王近衛殻士団長ガリアの大音声が深樹海の中に吸い込まれるようにして消えかかったとき、若き獣が自らの蚩凰の肩口に現れた。肩口まで垂れた褐色の髪と深い湖のような薄紫の瞳を持った、それはまだあどけなさを残す少年であった。
「まだ、何者でもない。俺は俺だ!」
ガリアの問いに応じるかのように、あらん限りの声で叫んだ。殻士ガリアはそれに微笑みで応えると、自らの蚩凰に乗り込んだ。宿樫の枝を揺るがして、独特の振音が唸りをあげた。右手には、「死神の鉈」と呼ばれる長剣を握りしめていた。左手には円形の盾を持っていた。
対する若き獣の剣は、傭具士から奪ったなまくらの蚩鳳剣でしかない。それも、先ほどの蚩凰との戦ったためだろうか、見るからにぼろぼろになっていた。
節剃角蚩凰は膂力こそ大王角蚩凰に譲るものの動きの速さからいえばこれに優る蚩凰はなかった。
現に高名な剣使いの殻士、甲士はこの節剃族の蚩凰の乗り手から輩出している。現に樹嵐の剣崇と賞賛される赤原公ロマーナは黄金節剃蚩凰を駆っていた。ガリアの蚩凰は、同じ流れを汲む白虎節剃蚩凰のそれである。やや、青味を帯びた体色と、白い斑紋、鞭のような触覚が特徴である。幾たびかの戦乱を越えてきたのであろう。無数の戟傷が体を覆っていた。
「隙がないな。」
それがガリアにとってはかえって面白味を増すことになった。これほどの若さの甲士など王族の若君がお飾りでなるぐらいで他には例がない。だが、ここにいる若き野獣が駆る蚩凰は、樹嵐のどの王族のものでもなかった。王角族の流れを汲むのであろうか。頭部から緩やかな曲線を描きながら天に向かってのびる一本角は、その先端に翼角を備えていた。そして鼻梁の部分が鋭く突き出していた。こんな王角族をガリアは今まで見たことがなかった。自分の白虎節剃蚩凰も大柄なほうであったが、相手の王角族の蚩凰は一回り大きかった。しかし、体格はほっそりしていた。ふつうの王角族の蚩凰といえば形ばかりは大きくとも、ずんぐりしたものが多い。甲紋も見覚えのないものだった。
傭具士たちは、今追っているのは不死王の敵だとしか伝えなかった。二十人以上いた連中のうち、万年銀杏にたどり着いた者は、すべて奴らに倒されたのだ。たまたま、休暇で泊まった蚩凰宿で、彼らの話を聞いていなければ、この危険な野獣は生き延びていたろう。
ほんの僅かな刹那で、ガリアはそんなことを思いめぐらしていた。隙こそないにせよ、それは糸を張りつめた気負いからくるものであろう。腕のほうはまだまだなのだろう。三騎とはいえ、しょせんは流れ者の傭具士風情にこうまで手こずっているようでは真の甲士とはいえない。それに敵から奪った剣を平気で使うようなでは、誇り高きを旨とする甲士道に反する振る舞いである。
「未だ、何者でもない若者よ。死出の土産に殻士の真の太刀筋というものを教えてやろう。せめてもの情けにな。」
「何を!」
といっては見たものの、こいつは今までの雑魚とは違う。白虎節剃蚩凰の両眼の光が輝きを増し始めた。せめて剣が保ってくれれば、勝算も見えるのだが。若き獣は己が手中の長剣を握りしめた。
ガリアは、自分の「死神の鉈」と呼ばれる長剣を僅かに後ろに引いて構えに入った。次にガリアが動くときに勝負が決まるだろう。その構えこそ一撃必殺の剣技「峰砂斗」であった。かつての鬣丹族との闘いで、近衛の蚩凰五騎を一瞬にして倒した技であった。
「逃さぬぞ、とくと見るがよい。これが峰砂斗だ。」
「ハァーッ」
鋭い気合いとともに、ガリアの白虎節剃蚩凰が踏み込んだ。左肘を胸につけたまま右の腕を僅かに引いて、すばやく打ち込んでくる。若き獣は、自分の剣で受け止めようとしたが、剣は粉々に砕け散り、彼の手には柄だけが残った。袈裟がけに切り込んでくる太刀筋を払いのけるようにそらしたために上半身は無傷であったが、後ろにあった磐杉の巨木が衝撃の煽りをうけて粉々に吹き飛んだ。左肩の甲殻が焼けたようにくすぶっている。
ああ、この技は見たことがある。若き獣の心がそう叫んでいた。だから、辛うじてかわせたのだ。剣の力ではない、何かの力の流れを相手にたたきつける技である。その構えと独特の呼吸が感じられたのである。
ガリアのこの必殺の技をそらした甲士など今までにいた試しがない。受け止める剣を押し込んでさらに肩口から切り降ろす。同時に練り上げた琺と呼ばれる力場をたたきつける。避けることなどできない力と早さで打ち込まれるために、山をも一瞬にして砂に変えると称された技なのである。ガリア自身、この技を受け止められる在野の殻士は並外れた膂力
を持つとされる倹狼ゴリアテの金剛角蚩凰ぐらいだろうと考えていた。
「よくぞ受け止めた。と言いたいところだが次はどうするのだ。もはや剣はないぞ。」
ガリアが低い、しかし殺気のこもった声で呟いた。ふたたび、僅かに剣を引いた峰砂斗の構えに入った。しかも、今度はすぐに攻撃に移らなかった。彼の剣の周りに激しい渦が起こり始めた。若き獣は先ほどよりはっきりとその流れを感じ取られた。磐杉が消しとんだのはこの琺によるものだったのだ。
若き獣は何を思ったのか、柄だけになった剣を捨てると両の腕を体の正面で交差させる
ようにして組んだ。黒剛蚩凰族が行う徒組のような構えであった。
「おもしろい。素手でこの峰砂斗を受けるというのか。」
しかし、一度だけとはいえ、ぼろぼろのなまくらで峰砂斗の太刀筋を変えた相手である。
「こいつなら、やるかもしれない。」
ガリアの心のどこかにそんな期待とも恐れともつかぬ感情が生まれていた。
それは長い長い沈黙であった。両蚩凰が鈍い光を放ちながらにらみ合っていた。いや、ひょっとするとほんの僅かな、例えば滴が磐杉の枝から根元へと落ちるほどの刹那だったかも知れない。一陣の風が均衡を破った。練り上げられた琺が剣の周りにあふれでんばかりに渦を巻いていた。
「ハァーーーッ」
ガリアの鋭い気合いが静けさを切り裂いた。鈍い手ごたえをガリアは感じていた。切り裂かないまでも胸元に届くほどの手ごたえのはずであった。琺の流れはその剣を中心に破壊の限りを尽くすであろう。
不意に、彼が乗る白虎節剃蚩凰の右腕の感覚が失せた。肩口にめり込んだ鍔を若き獣は押し
返し、なおかつ剣を握った白虎節剃蚩凰の腕をねじりちぎったのである。肩口の剣を掴んだまま、ガリアの白虎節剃蚩凰の右腕がだらりと垂れ下がった。互いの肩口から夥しい体液が吹き出した。
ガリアは無言のまま白虎節剃蚩凰を退かせた。この腕では剣を使うことはできない。相手の方が傷が深いにせよ、うかつに踏み込むことはできなかった。
若き獣の蚩凰は肩口をくすぶらせていた。左肩から側頭部にかけての甲殻は衝撃をうけて粉々になっていた。第3層の皮殻部まで届くほどの威力であった。
剣の威力をそこまでで食い止めたのは、一歩踏み込むことによって剣の威力を半減させ
たためであった。同時に琺の流れを読み、その流れを逆流させたのである。
蚩凰とつながれた彼の意識が朦朧としはじめた。すでに傭具士との闘いで消耗しきっていたのである。ガリアの白虎節剃蚩凰の動きにあわせて後ずさりした、その時、足元の磐杉の幹が崩れ落ちた。先ほどの闘いの余波を受けて、既に樹芯に亀裂が生じていたのであろう。磐杉の一丘もあろうと思われる幹が崩落していった。巻き込まれるように周囲の寄欅の枝がへし折れていく。
ガリアは辛うじて縄杉の一つにたどりついた。左腕一本で揺れ動く縄杉に長時間ぶら下がるのはできない。若き獣も、寄欅の根にしがみついたようだったが、崩れ落ちる磐杉もろとも深い奈落の底に吸い込まれていった。
「これで、終わったわけではあるまい。恐るべき王角蚩凰・・・。」
ガリアは奈落を見つめながら呟くと、残った力を振り絞って光翅を羽ばたかせた。せめてロマーナの治める赤原にたどりつければ、失った右腕を回復させることもできるであろう。縄杉にからみついていた蔓の葉で肩口を縛りつけてはいたが、かなりの出血は覚悟しなければならなかった。
この闘いの後、若き獣が深樹海を脱して、不死王のいる天空へと駆け登るまでには、なお数年の月日を経なければならない。
若き獣の名をアース・アーシャス・アーグという。失われた大王角族の蚩凰を駆る彼こそ、かつて、玄の姫巫が託言した白い星の子であり、やがて樹嵐の王と呼ばれる運命に生まれた若者であった。




