教国共和国護衛依頼編⑤
日が昇ってきた。どうやら夜が明けたようだ。地面に胡坐をかいていた俺は、立ち上がり少し背伸びをした。相変わらず昨日打った背中が痛い。確認してみると、結構な打ち身になっているようだ。フィリアは目の前で横になり寝息を立てている。あの後、フィリアは泣きつかれたのかそのまま眠ってしまった。俺はそのまま一晩起きて見張りをしていたのだが、どうやら何事もなく朝を迎えることができたようだ。
「ん、んんぅ…」
それにしても、彼女の寝顔を見ると未だにドギマギしてしまう。我ながららしくないと思い、気を逸らすために昇る日を見ながら今後のことについて考えていると、
「んんぅ…? っ! ごっ、ごめんなさい!私寝ちゃってた!?」
「おはよう、フィリア。よく眠れたか?」
どうやら、彼女が起きたようだ。少し寝ぼけつつも昨晩気づかぬ内に寝てしまっていた自分に慌てている。このような天真爛漫さが、彼女本来の性格なのであろう。
「申し訳ないわ、ユート…。あの後、ずっと見張りしてたの?」
「まあな。でも、体は十分休まったし、一晩睡眠をとらなくて支障が出るようなやわな鍛え方はしてないから大丈夫だよ。2,3日ぐらい寝ないで活動するのは、冒険者の必須スキルだ。ほれ」
彼女に、朝食代わりの水や食料を渡す。このような緊急事態の時こそ、栄養補給は欠かせないのである。
「わ、ありがとう。こういう携帯食料、私初めて食べるわ。いただきます」
「高貴な聖女候補様には、こんな冒険者のしみったれた飯はお口に合わないかな?」
「そんなことないわよ。孤児院の財政がひっ迫した時は、ちびっ子たちに食べさせるためにシスターともっとひどいご飯を食べてたんだから。それに比べたら天国みたいな食事よ」
意外と庶民的な聖女候補様である。おいしそうに携帯食料を頬張る彼女を尻目に、俺も携帯食料に口を付けながら、何とかこの少女が無事に共和国にたどり着くことを願った。
「それで、今後のことなんだが、どう動く?」
食事が終わりひと段落してから、俺たちは腰を落ち着けつつ今後のことについての話し合いを始めた。セバスなる爺さんが最後の道で待ち伏せていることが予想される今、どのようにしてあの爺さんを対処するかを考えなければならない。
「そのことなんだけど、私、考えたんだ。今後私たちが絶対に達成しなきゃいけない目的は、神器を無事に“掃滅の魔女”殿に届けることなんじゃないかって」
「…そうか?」
「そうよ。そして、セバスの目的は、私の殺害と神器の奪取。であるなら、私が囮になって、あなたが神器を“掃滅の魔女”殿に届けてくれれば、私たちの目的は達成させる見込みは高いわ」
「待て待て、そりゃ神器は無事に届けられるかもしれないが、それじゃあんたが」
言葉を濁しているが、彼女がやろうとしているには囮というより殿である。あの爺さんと対面したら、万に一つでも彼女の命はない。
「いいのよ。それにあなたにだって利のある話でしょう?私たちが二人でセバスに立ち向かっても、彼を退けられる見込みは低い。その点、私の案であればあなたは安全に共和国に戻ることができるわ。セバスは私の命を狙っているのだから、あなたより私の方が囮に向いているし」
確かに、そうかもしれない。彼女の案には十分理がある。何より、昨日野営地でもたらされた地獄。あの地獄を作り出した張本人ともう一度向き合うことを想像すると、それだけで恐怖で足がすくみそうだった。しかし…、
「あんたは、今回の依頼人だ。依頼を受けた冒険者として俺は、あんたを見殺しにして、共和国に戻ることなんてできない」
「依頼のことなら、あなたたち冒険者はもう十分役割を果たしてくれたわ。それに、あなたは昨日命がけで私を助けてくれた。それで十分よ。依頼はもう達成されたと見なされていい。神器を“掃滅の魔女”殿に渡すことは依頼じゃなくて私個人のお願いになっちゃうけど、もともと神器の輸送は依頼の内に含まれてなかったもの。最後のお願いなんだ、できれば聞いてほしい」
「でも…」
「感謝してもしきれないわ、ユート。昨日、静かに慰めてくれて、とても嬉しかった」
そうやって強がると、彼女は少しのぎこちなさを残しつつも綺麗にほほ笑んだ。あの日の□□□の笑顔と重なる。「□□□□、□□□□□□□□、□□□□□□□□□□」俺は、また立ちすくんでしまうのか?「□□□、□□□。□□□□、□□□□□□□。□□□□□、□□□□□□□□□□、□□□□□□□」あの爺さんと向き合うのが怖くて、また何もできないままなのか?「□□□□□□□、□□□□、□□□□□、□□……」大切な何かがあるのに、臆病で無力な自分のままでいいのか?
違うだろう。例え無力であるのだとしても、どうしようもない現実が目の前に立ちはだかるのだとしても、それでも立ちむかわなければならない。自分の臆病さを殺し、前に進んで玉砕しなければならない。大切な何かがあるのだとしたら、それを守れるよう動かなければならないのだ。
それこそが、□□□を犠牲にして生き残った俺の意味なのだから。
「ど、どうしたのユート?急に黙って手を掴んだりして」
俺は、無意識にフィリアの手を掴んでいた。
「やっぱり俺は、あんたを見殺しにして共和国に戻ることなんてできない。依頼なんて関係なくだ」
「義理も利益も、もうあなたにはないでしょう?」
「義理も損得も知ったことか。ここであんたを見殺しにしてしまったら、俺はもう一生自分を認めることができない」
そう。逃げることなんて、もう許されないのだ。ここで臆病にも立ちすくんでしまうのであれば、そんな自分はもう死んだ方がいい。彼女の言う通り逃げてしまえ、お前はあの爺さんに少しでも敵うはずないと、そのように語りかける自分を、俺は心の中で絞め殺した。
「…手、震えてるよ?」
「当然だろう? 今から、あの化け物ともう一度向き合わなきゃいけないんだから。俺は臆病だから、怖くて怖くて仕方ないんだ」
「なら…」
「それでも、怖くても、俺はあんたに生きてほしいんだ。あんただってここで死にたい訳じゃないだろう?」
「私は…」
「教国から逃げてきて、大切な人はみんな殺されて、一番信頼していた人には裏切られて…。今は居場所のない感覚でどうしようもなく感じているかもしれないが、それでも生きていれば道は開けるんだ」
俺がギルド長のババアに救われたように。彼女の人生もまた、これから多くの救いが、幸福が待っているはずだ。
「…それでも私、やっぱりあなたについて来てなんて言えないわ。私と一緒に命をかけてなんて、とても言えない」
「なら、お互い命がけで生き延びればいい。俺もあんたも、こんなとこで終わっていい訳ないんだ」
「それって詭弁じゃない」
「詭弁もへったくれもあるもんか。いいか、これから俺たちは、文字通り命をかけてあいつから逃げ切るんだ。だからあんたも、もう自分が囮になるなんて言わないでくれ」
彼女の手を握り返す。俺の熱は彼女の失意に届いているだろうか。
「…ちょっと、手が痛いよ。強く握りすぎじゃない?」
「すっ、すまん!」
思わず反射的に手を離す。しまった、つい強く握りすぎたと反省していると、
「分かった。でも約束だよ?必ず、二人で共和国まで逃げ切ろう。私を置いて、あなたが死んだら許さないんだからね」
「ああ、俺の信念にかけて約束しよう。違えるつもりは毛頭ない」
そう言うと彼女は軽やかに笑った。先ほどのどこかぎこちない微笑みとは異なり、明るく、まるで白い百合のように笑ったのだった。
俺たちの目指すべき方向性が定まったので、引き続き今後どう動くべきかを話し合う。
「まず、さっき言ってた俺たちの絶対に達成しなければならない目的を修正しよう。俺たちの目的は、二人が無事に共和国に逃げ延びることだ」
「そうだね、達成のハードルが上がった」
「その達成の上がったハードルを少しでも下げるために、他の目的を妥協しよう。最悪の場合、神器は奪取されてもいい」
「神器が奪取されるなんてもう取り返しがつかないよ? セバスの言う主様がなぜ神器を求めているのかも分からないし」
「そこら辺の話、教国の長老から聞いてないのか?」
「殺されちゃった長老様が言うには、教国外部の組織が絡んでいるらしいんだけど…。まだ分からないことが多くて調査中だったみたい」
「まぁ、分からないものは仕方がない。最悪神器が奪取されたとしても大丈夫、うちのババアが何とかしてくれるさ、多分」
「うわ、すごい信頼だね。所で思ったんだけど、最悪の場合って神器が奪取されて、私たちも殺されちゃった場合じゃない? 不吉なこと言うけどさ」
「それは最悪の場合じゃなくて俺たちの目的が未達成だった時の場合だ。はなから目的の未達成を計算にいれる馬鹿はいないだろう?」
「それもそうね。それじゃ、どうやって目的を達成する?」
「今のままじゃ、逃げ延びるための装備も道具も準備も何もかもが足らん。荷物はほとんどあの野営地に置いてきちまったからな。あるのは俺の武器と煙幕玉、あとはあんたが持ってる神器だけ。フィリア、神器は使えるのか?」
「私が今神器を使えてたら、それはもう聖女候補じゃなくて聖女様でしょ。使える訳ないじゃない。使えるのは杖なしでの魔術行使になるから高が知れてるけど…。ユート、ちょっと後ろを向いて」
言われた通りに後ろを向く。すると、昨日の戦闘で打ち身になって腫れていた背中の痛みがみるみるうちに和らいでいく。背中を触ってみると、まるで怪我したことさえなかったかのように腫れが引いていた。
「生命属性による治癒魔法か? すごいな…。杖なしでこれだけの効果を発揮するなんて、流石は聖女候補様だ」
そういえば、昨日もクリスに対して応急措置をするために治癒魔法を使っていたな。これほどの治癒能力は金等級の杖あり、下手すると白銀等級の魔法師に匹敵するかもしれない。治癒魔法は魔力を生命属性のエネルギーに変換して対象の自己治癒能力を活発にするのだが、通常ではもっと治癒に時間がかかってしまうはずだ。このように迅速に痕なく治してしまうのはすごい効果なのである。
「もう、言ってくれればすぐに治癒魔法をかけてあげたのに、我慢してたの?」
「悪い悪い、昨日のあんたに頼むのは少し気が引けていたからな。正直すげー痛かったから助かったぜ」
「どういたしまして。見ての通り、私が実践的に使えるのは生命属性の治癒魔法くらいかな。申し訳ないけど、戦闘では役に立てないと思う」
「いや、十分すぎるよ。それに、魔法以外でも多分人手が必要だからな。色々動いてもらうことになると思う」
「分かったわ。それで、足りない装備と道具と準備はどうするの?」
「不測の事態に備えて、行きの道中でここら辺一帯に色々な物資を仕掛けておいたんだ。手伝ってくれた金等級の冒険者たちに感謝しろよ? これから一日かけてその仕掛けておいた物資を回収しつつ、本来のルートに少しずつ近づいていこう。そんでその間に、あの爺さんに一杯食わせるような準備と作戦を考えるんだ」
「それじゃ、今日一日は諸々の準備期間に充てるのね。セバスと対面するのは明日?」
「そうだ、今日で万全の準備をして、明日の明け方にあの爺さんと対面。爺さんを乗り越えて、そのまま明日の内に共和国内に逃げ込む。おおよそのスケジュールはそんな感じだ」
「明日の内に? 昨日5日くらいかかりそうって言ってなかった?」
「爺さんを乗り越えてからは、多分大幅に時間を短縮できる方法がある。大丈夫だ、とっておきがあるからな」
爺さんと対面する時間は明日の明け方以外でもいいが、日中だと通行人が通りかかる危険性がある。冒険者たちを皆殺しにした彼だ、様子を見られた通行人も同様に殺してしまうであろう。他の人たちには迷惑をかけられない。それに、可能性が低いとは思うが、あまり時間を遅らせればもしかすると教国の爺さん以外の勢力の刺客に発見されて襲われるかもしれない。リスクを減らすためにも、動くならあまり時間をかけないように動くべきだ。
「りょーかいりょーかい、行こう、ユート!」
「あまり急ぐなって。つまずいても知らんぞ?というか、あんた道知らんだろ」
「あ、それもそっか。ユート、早く早く!」
「へいへい、分かったよフィリアお嬢様。それじゃ、動くとするか!」
ぐいぐい先に行こうとする彼女の様子を見て、思わずあの爺さんと似たように彼女に呼びかける。これから立ち向かうであろう敵は強大で生き残ることさえ困難なはずなのに、明るく揺れ動くような彼女につられて、俺はどこか晴れやかな気持ちで腰を上げるのだった。
「そういえば、フィリアは爺さんの戦闘スタイルについて知っていることはないのか?」
回収した物資の中身を選別しつつ、フィリアに問いかける。ふむふむ、弓矢に盾、あとは閃光弾か。明け方に戦闘するなら、閃光弾はギリ使えそうだな。
「セバスの? どうだろ、セバス気が引けるからってあんまり自分が戦闘しているところ見せてくれなかったから…。あの剣で戦ってくれた時は何度かあるよ。クリスが言うには、セバス相当剣の達人だったみたい」
「だろうな、俺もまるで歯が立たなかった。あの剣術に対抗するためには、こっちもよほどのズルをしないと勝てないだろう。それに…」
「クリスを爆発させたあの魔法ね」
「…あぁ。クリスだけじゃなく、他の冒険者たちの多くもあの魔法でやられたんだろうな。遺体の様子がそうだった」
「ユート、あの魔法を食らってたらもしかしてやばかった?」
「そうだな、戦闘がもっと長引いていれば、やばかったかもしれない。クリスを爆破させるのに投げナイフを使っている辺り、多分対象に接触して魔力を付与する必要があるんだろう。あれほどの爆破を起こすためには、ある程度の魔力付与が必要になるはずだ」
おそらく属性は熱属性と運動属性。魔力を対象に付与し、一定の魔力が付与できたら熱属性と運動属性のエネルギーに変換して爆破しているのだろう。あの威力を見るに、まともに防御魔法を使えない俺がくらえば一発でお陀仏である。
「なんとかして、攻略法を考えないとな。搦め手を使って崩したいところだが、あの爺さん搦め手にもすぐ対応してきそうだしなぁ…」
「突破口はないの?」
「ある。多分、あんたの魔法だ、フィリア」
「私の? 私の魔法なんて、戦闘では使えないと思うけど」
「いや、あれほどの効力であれば、戦闘中に用いてもすごい効力だと思う。先輩の冒険者たちの戦法を真似させてもらおう」
フィリアが怪訝そうな顔をしている。まぁ、口で説明するよりやってもらった方が早いか。選別した物資をフィリアと分担しつつ、俺は来るべき戦闘に向けて少ない知恵を絞って作戦を考え続けていた。