2. 転回
それから我々は、表面上は告白以前の友人関係に戻った。すなわち、弁当を机を連ねて食べ、休み時間には歓談して、LINEを交わし、たまには学外でも遊ぶ、そういった関係。
クラスメートや友人からは「前のは何だったんだよ」などと安心まじりのからかいを受けた。何にしても教室の雰囲気は回復して、ずれた軌道は元に戻った。
……とはならなかった。やはり我々の間には何かしらの障害物が立ちはだかっていた。それが彼との友人関係を妨げるのである。表向きはこれまで通り笑いつつも、心の中には一片の翳が差していた。あれから数日経つとその翳は薄くなってきたが、なくなりはしなかった。翳は確実にそこにいた。
彼との会話も、テキストでのやりとりも、普段はすらすらと平滑に進むのだが、ある瞬間にぎこちなくなることがある。ほかの友人とコミュニケーションを取るときにはほとんど起こりえないことであった。無理をする僅かな時間がしばしば発生するのである。私は改めて、一度崩れた人間関係を復元するのは至難の業であると痛感した。
私はこの現象を、彼が未だ恋愛感情を捨てきれていないことと、私が告白された衝撃をまだ引きずっていることの二つに帰着して納得させた。しかればこの問題は時間が解決してくれるだろうと思った。私は少し気を回復した。
ところが、一か月が経っても上記の現象はなくならなかった。もはや夏は消え、あまりにも短い秋が訪れようとしているのに、私と彼の間には見えない「壁」があった。探ろうとすれば避けられてしまう、身のこなしが軽い鉄のカーテンであった。
「壁」の原因を私は当初、彼が私のことを気にかけ続けているからではないかと推察した。なるほど、いくら口先で「気持ち悪いとか思ってないよ」などと言ったところで、恋心を自白した相手なのだから内心では避けていると思われても仕方がない。同性に対する恋なので尚更のことである(彼は私を異性愛者だと思っているに違いない)。私は「そうじゃないよ」と彼に伝えるだけの胆力が欠けていた。
私は再び悩みのフェーズに入った。友人として、同じ趣味嗜好を持つ仲間として、私は彼とできるだけ仲良くしたいと思っていたのである。それが叶わないから私は悲しかった。
自分自身を振り返ってみても、告白の衝撃が残っているとは感じられなかった。従って私は彼のほうに原因があると考え、様子を観察した。
彼はいつ窺っても男女を気にしない広い人間関係のもとで生きていた。その分け隔てのなさが私にはうらやましかった。私とも会話をしてくれるのは言うまでもない。
陽気ではないが爽やかで、裏がなくて、優しい人間。彼のことを改めてそう実感した。友とするには最適なタイプである。
私はいったん、彼は性格が良すぎるがゆえに私のことを気にしすぎてしまうのだ、私のほうは既に平常運転に戻っている、と結論付けた。それで十日間の安息を得ることができた。そのころにはコミュニケーションも以前より回復傾向にあった。
しかし、10月の下旬になって、この説は綻んだ。
決定的な矛盾が見つかったわけではない。ただ、徐々に崩壊していくきっかけとなった日があるとは断言できる。
その日、私は彼を含む友人三人と弁当を食べていた。どんな会話をしていたのかはもう覚えていないが、流れで弁当に入っている具の話になった。彼でない友人の一人が冷凍のパスタが好きだと言い、もう一人はマスカットがいいと陽気な笑みを浮かべて語った。
彼は「お母さんが作ってくれる唐揚げが一番好きなんだ」と言って笑顔で指差した。確かに衣の剝がれもなく、綺麗で揚げ具合もちょうど適切な具合であった。
そして場の「ノリ」によって、彼でない友人の一人がもう一人にマスカットを渡して食べさせた。これで私を含む四人全員が互いに好きな料理を渡しあうことになった。彼は私の担当であった。
彼は私の対面にいて、箸でとるには少し遠かった。弁当箱を近づけるという手もあったはずだが、なぜか彼は「はい」と言いながら箸で摑んで食べさせてきた。全く、意味も意図も分からなかった。
私は思わず瞬時体を後ろに引いたが、彼を傷つけるのを恐れて彼の意のままにした。箸に当たるまいと口を調節したが、引き際に一角が唇の内側をかすった。箸の感覚はいやに長く残った。
直後、友人の一人が「それ、あーんってやつ? お前ら恋人同士かー?」と我々をからかってきた。明らかに本気の言葉ではなかったが、真向かいの彼は頬を赤くして「違うよ!」と大声を出した。周りのクラスメートがいっせいに我々のほうへ振り向いてきた。
私は確かに美味しい唐揚げを咀嚼し、塩味と旨味、鼻に抜ける醬油やニンニク、生姜の香りを味わいながら考えた。彼はまだ私に恋心を抱いているのではないか、やはり恋愛感情を捨て去るのは不可能なのだろうか、と。
そのあと、彼はわざわざ私に謝ってきた。
「さっきはごめん! 迷惑かけて」
「何がだよ。全然迷惑なんかしてない」
「……ならよかった。ありがとう」
こう言って彼はやさしく微笑んだ。屈託のない表情。私は一瞬、胸が詰まる思いをした。
このころから、私の心中に解読しがたい奇妙なものが湧き起こり始めた。彼と私の関わりのレベルを、私はつぶさに考えるようになった。以前にはありえなかった現象である。
客観的に見れば、彼は特に私との関係を変化させていなかったと思われる。しかし私の中には漠然たる疑念に近しい感情が渦巻き始めていた。これは、私がもう少し彼に悪意をもっていたなら、すぐさま「不満」へと置き換えられるものであった。
彼が他の友人とばかり話していると、私とももっと話してほしいと思う。いざ話せたときには言葉にしがたい満足を感じる。クラスの女子と楽しげに顔を合わせていれば、お前は異性と話せて何がそんなに嬉しいのか、と疑心する。
私は彼をしばしば目で追うようになった。一度、彼がクラスの女子にハイタッチされているのを見たときには、思わず驚きの声を上げてしまった。
今の私は、明白に過去の私とは別の人間であった。
この感情は一体何なのだろうか? 私は独り考えた。よもや他人に相談する気にはなれなかった。これは相談によって自分の外に情報が漏れるのを恐れたがゆえである。「思ひて學ばざれば則ち殆し」とはいうが、私は殆くとも構わないから、自力で答えを導きたかった。
いったん私は、親友への嫉妬という論で問題を片付けようとした。私は納得しかけたが、どうもぴったり自分に当てはまる感情ではないように思われた。
証明はできない。だが直感は「これは単なる嫉妬ではない」と告げていた。
そして、弁当の件から十日ほど経ったある日、行きの快速に乗ろうとしたとき、ふと思いついたのである。
――もしかして、恋じゃないか?
まさか、と思った。私は彼に恋愛感情を抱いているのか? 私は自分自身を疑った。
自分は彼を親友と想うあまり生じた独占欲を恋心だと勘違いしているのではないか。その線は濃厚と思われた。しかし、別の自己が「お前は友人へ向ける強い感情と恋愛感情を区別できるのか」と問うてきたとき、私は沈黙してしまった。
後ろの乗客に押されていったん私は我に返ったが、ドアが閉まると再び精神世界に戻った。けたたましいジョイント音と駆動音、抑揚のない自動音声が耳に否応なく入る。
いくら考えても私が彼に向けている感情は、ただの友人に向けるものから逸脱していた。彼が私にとって普通の友人ならば、ちらちらと様子を窺ったり、会わない日にも何度も思い出したりはしない。昂奮とともに一種の絶望感が湧き上がってくる。
かつて同級生が言った、「お前ら恋人同士かよ」という言葉がふと脳裡をよぎった。
今の我々は、友人同士ですらないかもしれないのに。
ふと顔を上げると、列車がホームを通過していくところであった。各停を待つ人々が顔も認識できない勢いで後ろへ去っていく。彼との関係もこのように壊れていったのだろうか。私はいやになって視線を下ろした。
かつてと違って登校時の私は独りであった。そのために考える時間は多く取れた。無駄に晴れ晴れしい空をときどき見上げながら、本当にこれは恋なのか、もしそうならどうすべきか、可能性はあるのか、思いを巡らせていった。
私は今までに作り上げた説の半分を棄却した。私が平常運転に戻っているなど、とんでもない思い違いだったのである。むしろ頭がおかしいのは私のほうなのかもしれなかった。
最終的に、彼のことをこれ以上好きになるべきではない、という結論が導き出された。この恋愛に希望は少なく、害ばかり多い。残念ながら、同性間恋愛は異性間恋愛よりもさらに妨害物で満ちている。
そもそも、一度告白を断った相手に交際を頼むなど、自分勝手の極みである。すべての恋愛は自己中心的かもしれないが、それにしても度を越している。彼は十中八九、不快な気分になるであろう。
あるいは彼がもう別の人間に気を移している可能性も十分考えられる。そうなれば私の立つ瀬はない。
既に私の前には峻厳な崖が切り立っていた。彼が私にまだ好意を持っているかも定かではなかったのだから。
彼の振る舞いからして、私を恋愛的に好きである可能性は低かった。何しろ彼は私以外と話している時のほうが楽しそうなのである。そのような状況下でまだ恋を続けるのは無益でしかない。
私はできる限り彼と距離を取ることにてし、彼の存在を脳内から排除しようとした。それが私にとっても彼にとっても、最も幸せな道であると思った。
この日、私は彼のほうを見ないようにし、接触しないように努めた。努力は功を奏した。彼は私に何も言わなかったし、隣になることもなかった。追加の宿題は私が勉学以外に思考を行わせる暇を奪ってくれた。
だが中規模の攪乱がかえって生態系多様性を高くするように、理性が自己の恋心を鎮圧しようと試みるたびに恋は強化されていった。
私自身が恋愛に立ちはだかる障害となって、荒ぶる心の炎に油を注いでいたのである。理性は恋心を破壊してしまうほどに強くなく、どれだけ努力しようとも中規模の攪乱しかもたらせなかった。
徐々に私の中で不随意運動の割合が増えていった。私は彼をちらっと見る、その眼球運動を止めることができなかった。彼と話せたときの表情筋の動きも、同じく制御不可能のものであった。
全ての彼の仕草が私に対する希望と絶望に映った。
例えば、彼が話してくれるから私に何らかの恋愛的好意を持っているのではないかと思える。むろん私の勘違いに決まっていようが、それでもそう考えることをやめられない。話せなかった日には落ち込んで、やはりこの恋愛は成就しないから捨て去ったほうがいいと思う。
私がこれだけ悩んでいる一方で、彼はもう新しい生活に踏み出しているらしかった。彼は皆に平等に接していた。もしかすると彼はまだ私に恋心を抱いていて、その気持ちを表に出さないよう必死で努力しているのかもしれなかったが、そう考えるのは虫が良すぎる。
自身の感情をコントロールできないのはとても惨めである。本来人間とはこんなどうしようもなく馬鹿な存在ではあってはならないはずなのだ。現実と理想の差が、暗い影を心中に落としていた。
晴れた日も、脳内では決して止まない豪雨が轟音を鳴らしながら降り続けていた。
言うまでもなく、この恋愛を他者に相談することはできなかった。
相談は私が同性に恋をしていることを曝露するのを意味するからである。誰も私が両性愛者であることを知らない。私に対する目線を不可逆的に変える「恋愛相談」という行為を実行に移す気には到底なれなかった。
それに、他人に話したところで解決する気がしなかった。自分を救えるのは結局、自分だけなのだというのが私の信条だったのである。
次回更新は3/3の予定です。