第十九話 義兄の妻の皇太子妃様にアドバイス 〜sideサラ〜
ハミルトン様と婚姻し第二皇子妃となって、王宮入りしたのが数ヶ月前。
ようやく王宮での暮らしに慣れてきた頃、とある噂話が私の耳に入ってきた。
「あの皇太子殿下とジェシカ様が仲違いをなさったですって……?」
ハミルトン様の兄上、私の義兄にあたるヒューパート・レンゼ・ハパリン皇太子殿下。
そしてその妃である元スタンナード公爵令嬢のジェシカ様は、近頃は信じられないほど仲が良かった。
ジェシカ様が皇太子妃となる前はあまり皇太子殿下と良好な関係を結んでいるとは聞かなかったので、私とハミルトン様の結婚披露宴にて彼らの姿を目にした時は驚いたものだ。
周囲に話を聞いてみれば、一年の婚約期間中に仲を深め、今ではすっかりおしどり夫婦なのだとか。
私も王宮に入る以上、城の中の空気はピリピリしていない方が望ましいので、たいへん嬉しかったのだけれど。
どうしてかその状況が揺るぎ、今は夫婦喧嘩中らしい。
「……心配ですね」
私が平穏に日々を送れるかどうかが。
「放っておきなよ、ただの痴話喧嘩さ。兄上はダメ男だから、行動を起こせば起こすほど嫌われてる。可哀想な人ではあるけどサラが気にするようなことじゃない」
「しかし最悪、皇太子夫妻が別れてしまうようなことになれば、王位継承権一位がハミルトン様になってもおかしくありません。そうなればお傍にいられる時間が減ってしまいます」
「……そういうことか。それは確かに、わたしとしても困るな。サラの顔が長時間見られないのは辛い」
そう言いながらハミルトン様はぎゅっと私を抱きしめてくれる。
その温もりに包まれた私は、「私がどうにかいたします」と答え、ハミルトン様を抱き返した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日から私は、ジェシカ様と皇太子殿下の関係を調べ上げた。
そしてわかったのは、私が王宮入りする少し前、ジェシカ様を虐げていた使用人を皇太子殿下が全員解雇していたこと。そしてそれ以前は、お二人の関係が今ほどではないにせよドライだったということ。
「これは裏がありそうですね……」
王侯貴族は政略結婚が当たり前、想いを通わせないことも多いけれど、これは少し違う気がする。
おそらくお二人は純粋な夫婦ではない。つまりどういうことかというと形だけの関係――つまり、白い結婚。
周囲に怪しまれないよう偽装してはいたものの、我慢の限界が来て現状に至る、といったところに違いない。
もちろん私の推測が正しければ、の話だけれど。
私は侍女に『お時間があれば一緒にお茶をいたしませんか』という一文を書いた手紙を渡し、ジェシカ様との接触を図ることにした。
もちろん断られればそれまで。しかし同じ王宮に住まう妃同士として改めてきちんと顔合わせするべきだし、ジェシカ様にとってそう易々と無視できない誘いであろうことはわかっていた。
案の定、すぐに返事があり、西棟と東棟の間に位置する庭園にてお茶会が開かれることになった。
「お忙しい中お越しいただきありがとうございます、ジェシカ様」
「こちらこそお招きくださいまして感謝いたしますわ」
私の前に現れたのは、思わず目を瞠るような美しい女性だった。
さすが完璧令嬢と呼ばれていた方だけありますね、と感心せずにはいられない。私もハミルトン様にはいつも「世界で一番可愛い」だとか「君より素敵な女はいない」などと褒めてくれるけれど、到底彼女には及ばないだろう。
そんな羨ましい彼女はしかし、どこか悲しげで虚な目をしている気がした。
これはぜひ聞き出して、悩みの解消のためのアドバイスをして差し上げなければ。
最初は他愛ない世間話やら私の惚気話などをし、その後、本題へ切り込んだ。
「ジェシカ様は、いかがなんです?」
「――わたくし?」
表情は完璧な淑女の笑みだったけれど、たった数秒押し黙ったのを見るに、動揺したらしい。
やはり聞かれたくなかった話題なのだろう。それがわかっていながら私は彼女が適当な嘘を吐く前に口を開いた。
「差し出がましいようですが、一つアドバイスをさせていただいてよろしいでしょうか?」と。
最初はあまりハミルトン様のことを好ましく思っているわけではなかった。
生家ヘズレット伯爵家のために嫁がされるだけで、この婚約は私の意思など微塵も反映されてはいない。貴族にはよくある話だと頭では理解していても、ハミルトン様と顔合わせして抱いた感想は、「ふーん」程度の味気のないものだった。
当時七歳のハミルトン様は微妙としか言いようがない容姿をしていた。
別に醜いわけではない。というより、普通以上に顔立ちは整っているくらいだ。ただ、完璧な美貌過ぎる皇太子殿下に比べれば劣るように見えるだけで。
それでもどうにか本音を隠し、最初の数ヶ月はハミルトン様と穏便に過ごしていた。
しかし会う回数が多くなるうち取り繕えなくなっていって、ある日些細な口喧嘩が起きた。
「婚約するならヒューパート様の方が良かったですのに!」とか、そんなことを私が言ったのだったと思う。
おかげでハミルトン様は目に見えて落ち込んでしまい、まともに私と言葉を交わしてくださらなくなった。王族を怒らせたと私は両親に叱られ、仕方なく謝った時、ハミルトン様がヒューパート様より容姿が良くないことにかなりの劣等感を抱いていたことを知った。
そしてそれを悪いと思いつつ、その分私が侮られないよう、勉学を人一倍頑張っていたということも。
その時、私は初めて、ハミルトン様を悪くないなと思った。
だが当然惚れるに至ることはなく、それから何度も何度もハミルトン様に不満を持ったり突っかかったり困らせたりし続けた。
しかしそれでもハミルトン様の妃になるため、ハミルトン様に歩み寄り、彼が好きなものや嫌いなものを理解したりの努力は欠かさなかった。
そしてついに彼の本音――出会いの時からハミルトン様の寵愛を受けていたのだと知ることになり、ハミルトン様から優しく口付けられて、以来ずっと私の心は彼の虜である。
ジェシカ様とヒューパート様も、幼少の頃から険悪な仲であったと聞く。
きっと私とハミルトン様のように、喧嘩が絶えなかったのではなかろうか。もしかするとジェシカ様は私より聡明な方だから、はっきり不満を口にしたりせず、絶え続けていたのかも知れない。
――どちらにせよ、間違いなく言えることは、ジェシカ様はヒューパート様に歩み寄ってはいないだろうということ。
一度心を開いてしまえばあとは簡単、というわけではないけれど、わかり合えることも多くなる。それから恋心が芽生えたり、仲が進展したりすることはあるはずだ。
ジェシカ様はヒューパート様との仲が冷え込んだままでもいいのかも知れない。別れるまで、公の場でだけ仲の良い夫婦を演じればいいのだから。
けれど、私はそれを容認することはできかねる。その大部分はハミルトン様との平穏な暮らしのためであるものの、ジェシカ様を応援する気持ちもないわけではない。
頑張ってほしい。頑張って、幸せになってほしい。
皇太子妃である彼女にこんな想いを抱くのは失礼だろうか。年長者のような、幼子を見守るような老婆心なんて。
でも、私の言葉を聞いたジェシカ様はどこかうっとりとした、まるで乙女のような目をしたから。
やはり彼女はヒューパート様のことがお好きなのだと私は確信し、これで間違っていなかったと思った。
「ご健闘をお祈りしています」
私は心からの応援を送り、微笑んだ。
お茶会はとても楽しかった。