生まれ変わったロミオとジュリエットは、今世では幸せになりたい
「ねぇ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの? あなたがモンタギュー家のロミオでなければ、私たちの愛を阻むものはないというのに」
満月の晩、バルコニーの上から彼女は俺にそう言った。
あの時代、俺たち貴族には自由恋愛というものが認められていなかった。
国にとって或いは家にとって都合の良い相手と結婚するのが当たり前で、何の価値もない平民との身分違いの恋など許されない。敵派閥の貴族との恋愛なんて、言語道断だ。
俺の両親も兄妹も友人も、みんなそうやって人生のパートナーを決めてきた。だから俺も、同じように父の選んだ相手と結婚するのだろう。小さい頃からずっとそう思ってきた。
しかし――俺は出逢ってしまった。彼女に。ジュリエット・キャピュレットに。
ジュリエットは、とても美しい女性だった。
ぶっちゃけ顔が好みだ。あと身体つきも最高。まさに一目惚れだった。
性格はお淑やかで、趣味も合う。これまで何人もの見合い相手と会ってきたけれど、これほどまでに会話をしていて楽しいと思える女性はいなかった。
一目惚れをした。そんなのは、きっと後付けの理由に過ぎなくて。
彼女との逢瀬を繰り返すたびに、愛おしさが増していくのを実感出来た。
だけど、モンタギュー家とキャピュレット家は、血で血を洗う争いを繰り広げている。
だから俺と彼女の……ロミオとジュリエットの恋愛は、決して許されるものじゃない。
俺たちが愛し合っていると知られれば、間違いなく罰を受けることになるだろう。良くて勘当。最悪「家の恥晒し」として殺されるかもしれない。
許されないことだとわかっていた。バレた時のリスクも、重々承知しているつもりだった。それでも、俺とジュリエットは互いへの想いを失くすことが出来なかった。
俺はジュリエットのことを愛していて、彼女の為ならばモンタギュー家を捨てる覚悟だってあった。彼女もまた然り。
「駆け落ちしよう」。俺の提案を、ジュリエットは快諾した。
隙を突き実家を抜け出した俺たちだったが、残念なことにすぐに追っ手に囲まれてしまった。
両家に包囲された森の中で、俺とジュリエットは「来世で幸せになろう」と、小瓶に入った毒を飲み干した。
心臓の鼓動が弱くなっていくのを感じながら、俺とジュリエットは最期の時まで一緒にいるべく抱き合った。
ジュリエットは弱りきった声で、俺に尋ねる。
「ねぇ、ロミオ。初めてデートした時のこと、覚えてる?」
「勿論だとも。キャピュレット領の湖畔で、一緒にお弁当を食べたよな」
「うん。あの時私は、サンドイッチを作っていって……」
「だったな。ジュリエット手作りの苺ジャムサンド、凄え美味かった」
そう答えたところで、ジュリエットが突然俺の胸から離れた。
不思議に思い彼女の顔を見ると、眉間にしわが寄っている。一体どうしたというのだろうか?
「……ちょっと待って。私その時、苺ジャムのサンドイッチなんて作ってないんだけど?」
「何言ってるんだよ? 「このジャムに使われている苺は、ロミオの為に丹精込めて作ったものなのよ。私たちの恋心のように、優しくて甘酸っぱい味……なんてね」とか、頬を赤く染めながら言っていたじゃねーか」
「はぁ? 私がそんな恥ずかしいセリフを吐くわけないじゃない。あの時作ったのは、卵サンドですぅ。しかも使った卵は、露店で安売りしてたやつだっての」
「露店で安売りって……仮にもデートに持っていく弁当なら、食材にくらいこだわれよな!」
「あー! 今認めたわね! 苺ジャムじゃなくて卵サンドだったって、認めたわね! 語るに落ちるとはこのことだわ! ハンッ!」
「「仮にも」って言っただろうが! それに初デートだとは一言も言ってねえ!」
毒のせいで互いの命が尽きかけているというのに、俺たちはみっともない口喧嘩を続ける。
「大体あなたはいつもそうなのよ! 二人の大事な思い出も、鶏のごとく三歩歩いたらすぐに忘れて。後生大事に胸にしまい続けている私が、バカみたいじゃない!」
「そういうお前こそ、そのいつも自分が正しいみたいな考え方やめた方が良いと思うぞ! お前が非を認めないせいで、一体俺がどれだけ苦渋を舐め続けたことか」
最早初デートの時のサンドイッチの具材なんて、どうでも良かった。俺とジュリエットはここぞとばかりに互いへの不満をぶちまける。そして――
「あー、もう! お前なんて――」
「あー、もう! あなたなんて――」
『大っ嫌いだっての!!!』
燃え上がっている恋心ほど、この上なく冷めやすい。
ついさっきまで抱き合うくらいラブラブだったというのに、気付けばこのザマだ。
こうして俺たちは、死ぬ直前に別れたのだった。
◇
あれから一体どれだけの年月が経ったのだろうか?
俺は現在、日本という国で生活している。
今の俺は、モンタギュー家のロミオじゃない。門田露澪という、ごく普通の高校生だ。
聞いたところによると、俺とジュリエットの恋物語は今なお語り継がれているらしい。物語の中では、俺とジュリエットは愛し合ったまま永遠の眠りについたそうだが。
しかし、実際は違う。俺とジュリエットは、最期の最期で大喧嘩をして別れた。
命を賭けて愛し合っていたというのに、死ぬ直前でその愛を失うとは、なんとも滑稽な話だ。
というか、今更ながらこう思う。「別れたんだったら、どうして俺たちは死ななければならなかったのか?」と。
悲劇的結末を迎えた前世は、不幸だったと言っても過言じゃない。
だからこそ、今世こそはその不幸を帳消しにするくらい幸せにならなければならない。
もし再び俺を主人公とした物語が紡がれるのならば、是非ともハッピーエンドを描いて欲しいものだ。
高校の入学式も滞りなく終わり、俺は晴れて高校生になった。
入学式の翌日。登校すると、昇降口にはクラス分け表が張り出されていた。
「えーと、俺は何組かなー」
出席番号は苗字の五十音順なので、比較的見つけやすい。俺は「門田」なので、大体出席番号7、8番といったところだ。
A組から確認していくと、早くも俺は自分の名前を発見した。
『あった』
偶然にも俺と同時に、隣に立っている生徒も自分の名前を見つけたようだ。
「Aクラスか」と呟いているので、どうやら彼女はこれからクラスメイトになるらしい。
しかし今の声、どこかで聞いたことがあるな。もしかして、中学の同級生とかなのか?
そんな予想を立てながら、隣の生徒の方を見て――俺は固まった。
「なっ……お前は……」
一度目と心を奪われたその美貌を、見間違える筈がない。
俺の隣に立つ彼女は、紛れもなくジュリエットだった。
俺の声に反応して、彼女もこちらを見る。そして俺と同じく固まる。
「あなた……もしかして、ロミオ?」
「そういうお前は……ジュリエット?」
これが物語であるならば、なんとも悲劇的なはじまりだろうか?
令和という時代の、日本という国で、俺と彼女は大変不本意な再会を果たすのだった。
◇
「どうしてここにあなたがいるのよ、ロミオ?」
「そのセリフ、そのままそっくり返すぞ、ジュリエット」
互いに指を差し合いながら、俺とジュリエットは呟く。
俺たちの指先が小刻みに震えているのは、ひとえにこの再会が信じられないから(或いは信じたくないから)だ。
あの日森の中で喧嘩別れして、数百年。俺たちはこうして再び巡り合った。
今の心境を一言で述べるのならば、「運命なんてクソ喰らえ」である。
「生まれ変わって15年、優しい両親のもとで育てられ、気の利く友人たちに囲まれて。凄く幸せな人生を送ってきたわけだけど……まさか一番思い出したくない人物と再会することになるなんて」
ジュリエットは額に手を当てて、「はーあ」と長く大きな溜め息を吐く。
「私被害者なんです発言するのは結構だが、俺だって望まぬ再会をしているんだからな。被害者なんだからな」
「はいはい。犯人はみんなそう言うのよ、このストーカー。……同じクラスだからって、軽々しく話しかけてこないでよね」
「誰が好き好んで話しかけるかっての」
ロミオとジュリエットはかつて恋人同士だったかもしれない。だけど今の俺たちは、恋人でも何でもない。友達にすらなりたくない。
極力彼女とは関わらない方向でいこう。
……と、思っていた時期が俺にもありました。
俺たちの願いは、教室に着くなり打ち砕かれる。
現世での俺の名前は門田露澪。対してジュリエットの名前は、江藤樹里。
「門田」と「江藤」。俺たちの苗字は、五十音順では非常に近い。
その為俺とジュリエットの席は、すぐ近くになっていた。
A組には小野寺くんという生徒がいた為、前後の席という最悪の事態だけはなんとか免れた。
ありがとう、小野寺くん。君が生まれてきてくれたことに、心から感謝するよ。
二人の間の席に小野寺くんがいることで、俺とジュリエットは例えばプリントを後ろに回す時とか顔を合わせずに済む。
休み時間も自発的に話しかけたりしなければ、学校内で関わることもないだろう。
折角の二度目の人生だ。前世のことはキッパリ忘れて、貴重な青春時代を謳歌するとしよう。
そう思っていた俺だったが……思い描いていた薔薇色の高校生活は、担任の恐るべき一言によって台無しにされる。
「それじゃあ親睦も兼ねて、席替えをしましょうか」
……この流れはマズい。
俺とジュリエットはつい先程、数百年ぶりの再会という運命の悪戯……いや、神様の嫌がらせを受けたばかりなのだ。
こういう不運は、立て続くものである。
頼む、神様。ジュリエットと再会したことに対して二度と恨み言を吐きませんから、もう広い心で許しますから、どうか俺と彼女の席を離して下さい。具体的には、廊下側と窓側にして下さい。
ふと二つ前の席を見ると、ジュリエットが机の上で手を合わせて、目を瞑りながら祈りを捧げている。
よく見ると、彼女の手にはロザリオが握られていた。……いや、気持ちはわかるけどさ、もうちょっと隠せよ。
俺とジュリエット、二人分の願いはどうやら神様に届いたようで。俺は教卓の目の前の席に、そしてジュリエットは窓側最後列になった。
常に教師の前というのはかなり緊張するし、正直嫌なわけだけど、ジュリエットの隣に比べたら数百倍マシだ。彼女の隣に座るのは、前世で終わりにして欲しい。
担任の話を聞きながら、ジュリエットの方を一瞥する。
ジュリエットは、あからさまにガッツポーズしていた。
因みに、ジュリエットの隣は小野寺くんだった。
前後の席の次は、隣同士かよ。もうお前ら、運命の赤い糸で繋がっちゃってんじゃないの? もういっそ、付き合っちゃえよ。
ジュリエットが小野寺くんとイチャイチャしている間に、俺はもっと可愛くてお淑やかで自己主張を押し付けてこない女の子とラブコメしているからさ。
席替えが終わり、ホームルームもようやく本題に入り始めたというところで、いきなり小野寺くんが手を上げた。
「あのー、先生」
「どうしましたか、小野寺くん?」
「僕視力が悪いんで、前の席に行きたいんですけど……」
なん……だと?
俺は思わず後ろに振り返る。
一番前の席なら、俺の席以外にもある。だけど不思議と、嫌な予感がしてならなかった。
背中は一瞬にして冷や汗でびっしょりになるし、顔面は蒼白だし。
同じことを恐れているのか、ジュリエットの顔も真っ青になっていた。
「そうですか。では門田くん、小野寺くんと席を交換してあげて下さい」
この野郎小野寺余計なこと言うんじゃねーよ。
心の中で舌打ちをしまくりながら、俺は小野寺くんと席を移動する。
隣を見ないように努めながら席に着くと、ジュリエットが自身の机を窓側に寄せて、俺と距離を取った。だからあからさま過ぎるんだよ、お前は。
「他に席を変えて欲しい人はいますか? ……いないようですので、ホームルームを続けますね。みなさんはこれから一年間、クラスメイトとして一緒に学校生活を送ることになります。特に初めて隣になった学友は、この先の一年間おいてとても大切な存在となることでしょう」
ラブコメを助長するかのような担任の発言に、俺はイラッとした。
ジュリエットも同じ気持ちなのか、口角がピクピクしている。
「そこでまずは、隣の席の人とお互いに自己紹介して下さい。名前と出身校と好きな食べ物と……好みの異性のタイプとか互いに発表しちゃって下さい」
『チッ!』
担任の要らん気遣いに、俺とジュリエットは同時に舌打ちするのだった。
◇
本日はホームルームだけなので、午前中で学校が終わる。
放課後いきなり下校しても良いのだけど、昼飯時だったこともあり、俺は学食で昼食を取って帰ることにした。
俺と同じように考える生徒は案外多いらしく、食堂の席はほとんど埋まっている。
一つだけ空いているテーブルがあったので、椅子取りゲームの如く急いでその席に座ると……
『あっ』
対面に、ジュリエットが座ってきた。
「何で同じテーブルに着くんだよ?」
「私の方が、1秒早かったし」
小学生か。
「お前は唐揚げ丼か。昔から肉が好きだよな」
「昔って、何百年前の話をしているのよ? そういうあなたは……えっ? 卵サンド?」
そう。俺がランチメニューとして選んだのは……卵サンドだった。
「好きなんだよ、卵サンド。……思い出の味だからな」
「……忘れたんじゃなかったの?」
「忘れてたよ。でも、思い出した」
昨日食べた朝食のメニューすら覚えていないのに、数百年前食べた卵サンドの味は今でも覚えている。なんともおかしな話だ。
「だからあの時俺の言ったことは間違ってて。お前の言ったことが正しくて。……その、すまなかったな」
あの時とは、俺とジュリエットが死ぬ直前の時のことだ。別れることになったあの口喧嘩の原因は、俺にある。
「そんなの、もう時効よ。……それに私だって、嘘ついてたし」
「嘘?」
「安売りの卵なんて使っていないわ。使ったのは、お小遣いを切り崩して買った高級卵よ。その……あなたに「美味しい」って言って欲しくて」
俺とジュリエットの顔が、赤くなる。
チラッと彼女を見ると、突然胸が高鳴った。
ジュリエットとのわだかまりが解消された今、彼女への不満なんて何一つない。寧ろ可愛い思えてすらくる。
……あれ? どうして俺って、ジュリエットのことが嫌いなんだっけ?
「ねぇ、ロミオ」
ジュリエットが話しかけてくる。
「私たち、やり直せると思わない?」
互いに関わらないようにしようと言っていた今朝とは一転して、復縁しないかと提案するジュリエット。
数百年ぶりに再会したこと、席替えで隣同士になったこと、そして現在のやり取り。心変わりするのも、頷ける。
恐らくだけど、俺もジュリエットも単に意地を張っていただけで、本気で互いのことを嫌ってなどいなかったのだ。
俺はもう、モンタギュー家のロミオではない。彼女はもう、キャピュレット家のジュリエットではない。だから――
門田露澪と江藤樹里ならば、今世こそは幸せになれるのかもしれない。