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弟が死んだ日  作者: 紬
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 深夜十一過ぎ。真っ赤に腫らした瞼を一本の線のように細めて歪な笑みをつくる母が、真っ青な顔でふらふらと運転席から出てくる由樹を出迎えてくれた。


「アンタが出てってから達也君から電話が来たのよ。アンタの連絡先を聞かれたんだけど、よく分かんなくってね、あいでぃーって言うの? それ紙に書いといたから連絡してあげて」


「ん、後で連絡する」


 トランクから紙袋ふたつ分の千秋の遺品を取り出し、由樹は脂汗の滲む顔をグシャリと歪めて母親そっくりの笑みを作ってトランクから紙袋二つ分の遺品を取り出した。


 母は少し、不器用なひとだったと思う。鼻頭を真っ赤にさせて懸命に涙を堪えて、いっそ仰々しいまでに震える両手で紙袋を抱きかかえる母の横顔を盗み見ながら、由樹は下唇を噛んだ。


 子供の頃、父の言うことは絶対だった。母も弟の千秋も従っていた。その例外はあたしだけ。反抗ばかりを繰り返して、十五の時に当て付けのように煙草に手を出した。そのくせバレないように消臭剤を常に持ち歩いて、学校をサボる時は事前に母親の声色を真似て担任に連絡を入れるような小心者だったけれど。


 千秋だけがそれを知っていた。情けない姉だろう、と自嘲すれば千秋は必ず困ったように「俺は姉ちゃんになりたいよ」と最後にはそっと微笑んでくれた。


 十代のときは家が窮屈に感じて仕方なくて、何度も夜中に家を抜け出しては滑り台とブランコしかない小さな公園で煙草をふかした。



「──千秋の荷物、持って帰ってきたよ」


 分厚い父の背中に言う。リビングのソファーの上で観てもいないテレビを見つめる父親の横顔は、血の気を失ったように青白かった。由樹はいそいそと父親の足下に正座をして紙袋を横に置く母親の行動を黙ってみていた。


「少ないのね、四年も暮らしてたのに…」


「──殆どなかった。千秋が、あの子が処分したんだと思う」


 躊躇いながらもそう口にすれば、母は嗚咽を飲み込むように喉の奥でグッと唸った。父は相変わらず、見てもいないテレビばかり見つめていた。


「これはあたしが預かっとくね。千秋の元カノの荷物みたいでさ、処分するなり返すなり考えるから。あと達也君に連絡して欲しいものがあったら持っていっていいよって連絡していい? 千秋の部屋はそのままだよね、明日辺り来てもらうようにするから。あたしも落ち着くまでは休み貰うからさ」


 返事をすることもない父の横顔を見つめながら由樹は一気に捲し立て、いやにベタつくシャツの襟を引っ張りながらヘラリと笑う。


「そんなに休みを貰って大丈夫なの? 会社の人だって困ってるんじゃないの?」


「へーきよ、平気。弟の葬式なんですって言ったら、上司も暫くゆっくり休めって言ってくれたし」


 嘘だ。うちの上司はそんなこと言わない。帰ってくる途中、別れ話が拗れてストーカーと化した元々カレ、いやその前だったか? と同じレベルで引っ切りなしに電話してきたくらいだ。

 他にやることねぇのかよ。家に着く前に電源を落として正解だった。きっと明日か明後日にはクビだと告げられるかもしれないが、こっちも社員の権利である有給を使ってるんだから文句を言われる筋合いはない筈だ。


「じゃ、お風呂入っちゃって寝るね。おやすみ」


 父はあたしの顔を見なかった。最後まで。


 小さな紙袋を手に取って、由樹はそのまま二階の自分の部屋の隣にある千秋の部屋へと向かった。


 母が時折り暇をみて掃除をしているのだろう、部屋は当時のまま綺麗だった。小学生の時に祖父母が千秋の入学祝いに買っていた学習机とベッド。それから壁に掛けられているボードには高校時代の千秋とクラスメイト達の写真。その中に達也君とのツーショットもあって、なんだか笑ってしまう。


「ほんと、あたしと違って人気者だよねアンタは」


 どの写真も、千秋の周りは沢山の笑顔で溢れていた。何処にいても千秋は太陽で、他の皆んなはその周りをクルクルと廻っている惑星。そんな太陽系にあたしはいつも憧れていた。


「取り敢えずこれは明日まで保留。達也君なら知ってるかな、千秋の元カノ」


 知ってたら連絡先とか大学とか聞いて、知らなかったら捨ててしまおう、と由樹はグッと伸びをしながら昔と何ひとつとして変わらない弟の部屋を後にした。


 パタン、と扉が閉まる瞬間に部屋から押し出された空気は、どうしようもないくらい千秋の匂いを運んできた。

 由樹はそれを振り切るようにワザと大きな足音を立てて風呂場へと向かった。今になってドッと疲れが身体全体に押し寄せてきた気がした。


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