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弟が死んだ日  作者: 紬
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 大家さんは七十代くらいのおばあさんで、とても優しいひとだった。涙で目を潤ませて「千秋ちゃん、本当に亡くなったのね…」と声を震わせて、骨張った皺だらけの細い両手で由樹の手を握って暫く離さなかった。冬先の水道水のように冷たい体温だった。大家さんの畳はこちらで買い替えておく、という言葉に甘えて由樹はへらりと笑いながら何度も頭を下げた。

 途中でお隣さんだという五十代くらいのおじさんや、よく立ち話をしていたという二十代後半のバンドマン風の男が合流しても、由樹は脂汗の滲む顔でへらへらと笑いながら赤ベコのように頷くだけだった。


 大家のおばあさんは弟の千秋を孫のように可愛がっていたそうだった。今時の子には珍しく顔を合わせれば必ず挨拶をし、その度に高齢の大家さんを気遣ってなにかと世話を焼いていたらしい。そんな話を延々と聞いた。

 結局由樹がアパートの敷地内から出たのは父親からメッセージが届いて二時間後のことだった。


 由樹は車内に白く渦を巻く煙に目を細めながら、苛々とした様子を隠すことなく備え付けの灰皿にまだ長さのあるタバコをグッと押し込んだ。短く切った爪と肉の間に灰が入り込み、それに舌を打つと同時に後方の車からクラクションを鳴らされて二度目の舌を打った。


「うっせえ!! こちとらペーパードライバーなんだよ!! 標識見えてねぇのか!! 制限速度守ってんだよ!!」


 窓を開けてビュービューと勢いよく入り込む、痛いくらいの冬の冷たい風に顔を顰めて叫び声をあげる。聞こえてやしないだろうが、そんなものはどうでもいい。どうだっていい。叫び出したい気分だった。


 トランクで静かに揺れている四年分の思い出というにはあまりにも少なすぎる弟の荷物も、遺書のひとつもなかった空っぽのような六畳半の部屋も、知ったように『良い子』だとばかり口にする知らない沢山の誰かたちも、明日から復帰するのか? と仕事のことでしか連絡を寄越さない上司も、なにも言わずに勝手に死んだ弟のこともすべてに腹が立って仕方なかった。


 違う、違う。本当は自分自身に一番腹が立っているのだ。なにが自慢の弟だ。その弟のことをなにひとつだって知らないくせして、今になって姉気取りで頼って欲しかったと後悔して悔いている自分自身のバカさ加減に腹が立って仕方ないのだ。


「だあぁぁぁあぁぁ!!!! クソッ!!! クソッ!!」


 グッとアクセルを踏み込んで、クソみたいに街頭がどんどん減っていくクソみたいに中途半端な田舎の実家へと当時五年落ちで買った中古車を走らせる。ローンは払い終わったばかりだったが、この際少しくらい擦り傷が付いたって構わない。


 なんならこのままガードレールに突っ込んで死んだって構わない。姉ちゃん、アンタに聞きたいことがあんのよ。言いたいこともクソほどあんのよ。なんで死んだのよ。なんでアンタ、あたしを、姉ちゃんを頼らなかったのよ。


「──クソッ!!」


 クラクションを鳴らす。慟哭のように無意味な音だけを発する自分の声を掻き消したくて。姉ちゃんの運転は荒っぽいんだよなぁ、なんて助手席でのんびり笑う弟の声が聞こえた気がした。


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