第五話 利用
明けましておめでとうございました。
センター前ですねー、当事者ですが。
「君の名前って斉藤っていうんだ。昨日聞くの忘れてた。」
西の空が柔らかい茜色に染まっている放課後、駅前のドーナツ店。
甘い香りが鼻腔をくすぐる中、俺と美穂はカウンター席にてドーナツをつついていた。
こういった店には入ったことがないので、どれがおいしいなんてのは全く知らない。なんとなく選んだ宇治抹茶味が以外と口に合った。
またしても彼女と二人きりになってしまったが、昨日のことや今日一度会っている事もあってか大分なれてきている部分もある。
「なんで今日の古典の時、俺に気がついたんだ?名前知らなかったなら分からないだろう。」
烏龍茶の入ったカップのストローを歯で噛みながら、彼女が隣の俺の方を向く。
「最初会ったときから、授業でたまに一緒になる人って分かったよ。いつも授業中寝てる人だって。あと一応LINEの名前も斉藤だったし。」
「ああ。そう・・・。」
つまり午前中のあの努力は無駄だったということですか。そうですか。
美穂は手にしたリングドーナツをそっと口で啄み、紙ナプキンで唇についた油分を拭き取る。その挙動一つ一つが今までの男友達との付き合いではなかったものであるので、やっぱり彼女は女子であるのだと再認識。いい加減覚悟を決めないといかん。
「ところでなんで今日は俺を呼び出したんだ?」
昨日の俺のあの恥ずかしい台詞の後、彼女がすぐに俺に言った。
自殺しない代わりに明日も来てほしいと。果たして彼女は俺に何を求めたいのだろうか。
「うん。まぁちょっと待って。もうすこし。」
美穂はそう言うともう一口ドーナツをちぎり、駅から出入りする雑踏の流れをのんびり見ながら口を動かした。
俺はその態度に違和感を覚えたが、昨日の会話でこいつはよく分からない人間だと言うことを知っていたので、黙って横で同じように宇治抹茶味を楽しんだ。
*
遠くから来る電車のライトが、反対車線のホームへとつながるレールを光らせる。その光は夕闇の街を走り抜けてきた戦士の帰還のようなイメージだ。
ドーナツ店を出た後、俺達は駅の改札をくぐって再びあのホームへと向かう。
またホームはまばらだった。
俺はそこにいる人達を見ながら、俺もこの電車に乗れば普通に家に帰れるんだけどな、と愛しい我が家の存在を思う。
美穂は昨日と同じようにホームにたたずんで電車を待っていた。といっても俺の隣で、人一人分の間を開けて。
俺は時折彼女を横目で見る。
隣に立っていると男女の違いというものについてどうしても意識させられてしまう。
具体的には、そう。胸である。
彼女は日本人女性らしいおしとやかな大きさの部類ではあるが、その制服のしわが男の作るものとはひと味違うところと、陰の付き方で分かるその膨らみが描く弧には、どうしても男としての何かを突き動かすそれがある。
女性は『男が胸を見ている時はすぐ分かる』らしいが(情報源はクラスの女子の会話を盗み聞いたもの)、果たして彼女は俺の視線に気がついているだろうか。
頭の中で神様が言った。
『このエロガキ。』
『脳みそに詰まってるのは男性器か?』
『やっぱりどうしようもねぇ奴だな、お前。』
『最低、変態、ドスケベ。』
『モテないわけだわ。ほかの奴らと比べてさ。』
・・・分かってるよ。分かっている。
俺は目をしっかりと彼女の胸部から顔へと合わせる。
彼女はこれからどこへ行こうというのだろう。この電車に乗ると、住宅地街を抜けてビルの数が多くなる商業オフィスエリアへ行き、都心へと近づく。
何か買い物だろうか。
「なぁ、俺が来た意味ってあるのか?」
隣にいる一回り小さい体に問いかけると、こちらを見上げてきた
「あるわよ。もちろん。大切なことが。」
彼女はそれだけ言って、顔を下ろす。
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください。』
昨日も今日も変わらないアナウンス。
見ると彼女の足下は丁度黄色い点字ブロックだった。
「まさかまた自殺するのか?」
「そんなわけ無いでしょう。あなたが止めたのに。」
真っ直ぐに言われて妙に安心した。
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください。』
電車のライトがホームを差し込む。
昨日と同じ快速電車だ。
止まる気配はない。
すると彼女は俺の目の前に来た。
前ならえのように俺に背中を見せる。
『まもなく電車が参ります。』
彼女が俺にしっかりとした声で言った。
『黄色い線の内側へお下がりください。』
「突き落として。」
え。
「私は自殺しないって約束した。だからあなたが私を殺して。」
*
電車は通り過ぎた。
昨日のように、知らん顔で。
俺の目の前にあった生命は、そのままそこにある。
心臓も動いている。
心臓が止まりそうになったのは俺の方だ。
「・・・何でだよ。」
「自殺するなとは言われたけどね。別に死ぬななんて言われてないし。」
「ここで死ぬなって言ったら?」
「さぁ。どうだろ。」
なびかせた髪を手ぐしで解きながら、ホームに残る喧噪に目をやる美穂。
俺はそれを見て、恐ろしいくらいに心が冷めていた。
そこまでして死にたいのか。
そこまでして逝きたいのか。
他人に命を絶たさせようとするなんて。
自分さえ『逃亡』出来ればいいのだろう。彼女は。
例え俺がここで殺人罪で捕まったとしても。
――何から逃げたいんだ、お前は?
俺はいつもやる気がなく、それを自覚しているくせにまだやる気を出そうとせずにその場でうじうじしている自分に毎日呆れ、軽蔑し続けている。
怠惰の化身。
――現実から、駄目な自分から逃げ出したいのは俺の方だよ。
今日の頭の中の神様は絶好調らしい。
『お前って、本当に駄目な奴だな。』
『でも。』
『――人のこと考えずに死にたがる彼女はもっと駄目な奴。』
――あぁ。そうか。
それでいいのか。
「・・・お前は馬鹿だよ。」
発した言葉はまたもや力強かった。
彼女はこちらを向いて微動だにしない。
「馬鹿野郎だ。」
俺の中に渦巻いている感情を表すなら黒くてドロドロしたもの。
そういって彼女の腕を強く掴んで引き摺る。
こんなことがためらいなく出来る自分に心の隅で驚く。
「明日暇か?」
「・・・え?」
この質問は予想外だったようで無表情が困惑の表情に変わる。
「昨日言ったろ。世界には楽しい事あるって。」
「お前が死にたがる理由が本当に社会に絶望しているのかどうなのか知らないけど、そこまで死にたがるんなら、俺はそれを止める。」
「――この世がまだそこまで捨てたものじゃないって、楽しい世界だって事を証明してやるよ。」
彼女に答えさせる暇を与えてはならない。
彼女の手をしっかりと引いて、ホームから逃げるように二人で立ち去る。
――手の感触やぬくもりなんて考えてはいけない。
後ろを振り返らずに小走りで歩いていたので、彼女がどのような表情をして俺に付いてきたかは分からないが、少しばかりの抵抗を示しただけで、言葉を発することはなかった。
ただ明らかに戸惑っているのは空気で分かる。
なすがままにされている彼女を、駅前のバス乗り場まで手を引いて連れて行き、丁度着いていたバスに強引に押し込む。
ようやく彼女の顔を見たが、やはり戸惑いが無表情な仮面からこぼれ落ちている。
発射する直前、俺は再びしっかりと手を握り彼女の目を見て言う。
「いいか、死ぬなよ。絶対にだ。また後でLINEする。」
彼女の返答なんて待たずに、きびすを返してバスから降りる。
バスの扉はすぐ閉まった。
ロータリーをぐるりと回って都市の中に入り込んでいくバスの窓には、意味不明なものを見る目でこちらを見る美穂がいた。
バスはそのままゆったりと駅前から出て行った。
*
俺はバス乗り場の近くにあるベンチに座る。
ため息一つ、それからゆっくりと自分の判断を咀嚼していく。
別に俺は本気で彼女にあんなことを言ったわけではない。
今回のことで決心が付いた。
今の自分から抜け出すためには、強制的に、『自己嫌悪を殺してでもして』、自分の環境を変えなければ駄目だ。
それくらいのことをしなければ、俺はこれから先も、何をやっても自己嫌悪。
だから何事にもおっくうになって、それが原因で怠惰な心が芽生え、それにまた自己嫌悪。
負のスパイラルを断ち切れない。
これから自分がすることを一時間前の俺が見たら自己嫌悪による心臓発作で死んでしまうだろう。
――でも、もういい。
これはチャンスだ。
今までの自分から抜け出すための。
明日彼女を外出に誘う。
――『世の中の楽しいこと探し』という名目で。
そしてこれからそれを何度も続けていく。
――これで親密度を上げて、彼女の心に入り込めばいい。
これを利用して、浜辺美穂を堕とす。
――彼女を作る。
こういうのを闇落ちって言うんですかね?
さて、今回も相当更新速度が遅くなりましたが、次回はさらに延びる予定。
気長にお待ちください(何様やねん)。
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