第四話 古典
なんとなく見えてきた気がしないでもない。
でもプロットから順調に外れたのでさらに執筆速度は遅くなるのである。
駅から自転車に乗り換えて十五分。
少し緩やかな丘を上ると見えてくるのが、今俺が第二学年として在籍している高校である。
俺の高校は一応進学校として設立されており、高校二年生の俺達にはすでに受験を想定したカリキュラムが丁寧に組まれていて、俺達はそれなりの努力でそれについて行くことを課せられている。まあ教員は俺達が怠けてサボることも考慮して計画を立てているのではないかと最近は思っているのだが。こんな考えが俺の心の奥にあるから、俺の怠け癖がフル活動するのである。
朝の教室の中はいつも通りうるさかった。
ホームルームまであと二十分という時間でクラスの半分以上が自分の机に鞄を置き、親友とたわいもない話を繰り広げている。
俺がクラスの中央にある自分の席に着くと、中島、カズなどのおなじみのメンバーが近づいてくる。
中島が昨日に引き続いて彼女とのホカホカエピソードを披露し始めるので、全員でボコボコにしてやった。
「そんで、お前今日はプリントいいのか?」
カズが俺の方を見て言う。
そうだ、宿題のプリントをやっていないんだった。
・・・。
「・・・おぉ。頼むわ。」
しばらくして担任が来てホームルームを始める。
*
毎回古典の授業で思うのだが、移動教室が面倒くさい。
俺達のクラス(二年文系)の古典の授業は三クラス合同で行う。成績が平均より上か下か、それで合同になったクラスがさらに分かれる。ところが、俺のいる『点数低い組』の人数がちょっとばかし普通の教室に入りきる数じゃないので、二年次教室棟から少し離れた『大演習室』を使用している。
何せ授業開始五分前に移動開始しても、ベルと共に教室に駆け込むくらいだ。校舎の端っこと端っこを移動する感覚だから、とにかく面倒くさい。もはや時間割の古典の文字を見ただけで、朝っぱらからステーキを食べたように腹が重くなる。
今日も今日とてギリギリに大演習室に駆け込む俺と友人数名。
授業担当する黒縁眼鏡のババァ宮本が、もっと早く移動しろと言葉を投げる。
冗談じゃないぜ。こちとらさっきの時間も科学で移動教室だったんだよ。
いつも通り自分の割り当てられた席に座って教科書やノートを広げる。
――さて、寝るか。
俺は前の席の人(ポニーテールの女子)に隠れるようにして体を丸めた。
「はい。じゃあ今日も性悪論の漢文ね~。教科書開いて。んじぁ昨日書き下しはしたわけだし、早速読んでもらうよ。」
宮本は俺に気づかずに授業を進める。
「それじゃあ、浜辺。浜辺美穂、読んで~。」
「・・・はい。」
――丸まっていた体はすぐに伸ばされた。
宮本に当てられて、静かに席を立ったのは。
美穂であった。
あの美穂、どの美穂、その美穂だ。
美穂は教科書を右手に持ち、その小さいけれども耳に残る透き通った声を大演習室に響かせ始める。
・・・そういえば昨日学校が同じだったと聞いていたなぁ。忘れてた。
どこかで見たことあると思ったらこの古典のクラスだったのか。
個人的にはとてもよろしくない心境だ。
「また明日」と言われたのに、それよりも前に会ってしまうというのは少し気まずい。なぜなら俺はまだ何も心構えが出来ていない。昨日は状況が非日常的だったので言葉がつっかえなく出てきていたが、今日は違う。
何度も言うように俺が女子と話したことのある回数というのは同年代の内気男子と比べても極端に少ないほうなのである。
そんな俺が女子と今日また会う約束をしていて、どう対処しようか迷っている中に予定よりも早くのご対面とあらば。
どうしろと。俺にどうしろと?
しばし熟考するが、そもそも彼女は俺より前の席に座っているので、気づかれてはいないだろうという推論に至る。
ならば悩む必要などありはしない。
このまま何も反応を起こさず、彼女に気がつかれないようにすればいい。
少なくともこの授業中、またはそれが終わった後の移動時間内に彼女から気づかれなければ、俺の勝利である。そうすれば俺にはほんの僅かな猶予期間が与えられる。
そこで会話および解決の糸口を見いだせるとは思えないが、考えをまとめることくらいは出来るだろう。
ならば。今日は睡眠学習をするべきではない。
この教師宮本は寝ている俺を注意するのと同時に、俺を教科書読みに指名したことが何度もある。指名されたら最後。美穂に俺の存在を知られてしまう。
宮本の目を引く行動をするわけにはいかない。
俺はすぐさま丸めていた体を伸ばして真面目に教科書に取り組む(ふりをする)。
これで解決。俺って頭いい。馬鹿。
――「お、何だ斉藤。寝てないなんて今日はやる気じゃないか。じゃあ斉藤、続きを読んで~。」
・・・クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
俺はナイアガラの滝で叫びたかった。
宮本の野郎め。俺に恨みでもあるのか。
俺はとっさに美穂の方を見た。
美穂は俺の方なんか見てもいなかった。
・・・そうか。そういえば彼女には俺の名前をまだ教えていなかった気がする。
ならば今の指名だけでは気づかれてはいないだろうと俺は一瞬安堵するが、どのみち俺は今席から立って教科書を読まなければいけない。声を出したら気づかれるだろう。
俺は目立たないように席から立ち上がって、ぼそぼそと聞こえるか聞こえないかのレベルの声で読む。
これでいい。
時折彼女の方をチラチラ見ていたが、俺が席に座るまで彼女がこちらを振り向いたり、何かに気がついたそぶりなどは一切見せなかった。
まず危機は乗り越えた。
俺はその後も目立たないように前を見続けた。前の女子のYシャツが透けて、水色のブラ紐が透けている。俺はそれに焦点を合わせながらふと思う。
あいつ、名字は浜辺か。
浜辺美穂。
*
終了のベルが鳴るのがいつもより遅い気がした。
そりゃ寝ていないんだから仕方がない。
けだるげな号令と共に席を立って頭を下げる。
そして俺はすぐさま出口の扉へ向かう。
一刻も早く、彼女が俺に気づく前にと。
廊下に出た。これで俺の勝利だ。
さて。だがこれからが勝負だ。どのみち彼女に会うのは変わらないのだ。
残りの午後の授業でしっかりと心構えを――
――Yシャツの裾が引っ張られていた。
体がギリシアの彫刻のように固まる。
「今日。忘れてないよね。昨日と同じ時間に。駅でね。」
振り返るとそこにいるのは。
予想通り、俺以外に授業で立ち上がったその人であった。
無表情な微笑だった。
主人公の名前は意図的に出さないようにして「俺」でずっと乗り切ろうとしましたが、無理だったので名字ぐらいはつけてやろうと思ってつけました。
斉藤です。覚えてやってください。
・・・美穂の名字についてですが。
浜辺。はい。ごめんなさい。でもイメージに合うのがそれなんですよ。
浜辺○波さんとは。えぇ。はい。
何も関係ありません。
世間が冬休みから抜ける前にまた投稿したいです。
よいお年を。