第一話 ホーム
頭の中で神様がいつも言う。
「お前って、本当に駄目なヤツだな」と。
俺はよく分かっているじゃないかと声を掛けてやりたい。
「花火」
*
それは大事件だった。
「は、中島って彼女いたの!?」
俺は思わず大声を出してしまう。
「声がでかいんだよ、お前は。」
友人の中島は髪をかき上げて格好をつけるそぶりをする。
「だってお前一ヶ月前は二次元が恋人なんて言ってたじゃんかよ!」
「まぁ、なんて言うか流れってやつ~。」
「お前、あんなにキャロちゃんキャロちゃん言ってたろぉが!」
「あ~あいつはもう主人公とくっついたし。」
「クソがぁ!」
事の発端はこの中島が昼休み、校内では使用禁止のスマホを隠れていじっていたときのことだった。
中島を含む友達三人衆と弁当をつつきながらホラー画像を交換していたときに、彼がスマホの画像フォルダーの写真の一つを誤タップした。
そこに映っていたのは、彼が色白の萌え袖女とツーショットをキメているある意味での恐怖画像だった。
あの中島に彼女。
信じられなかった。
「いや~何か中学の頃から気にはなってたんだけどな、最近また連絡とるようになって。んでまぁ、ちょっと外行きませんかって言ったらOKもらって。」
中島がソーセージをエロ動画のごとくチュパチュパなめながら言う。
本当なぜこんな奇行してる奴に彼女ができるのか分からない。
彼女さん、騙されていませんか?よければ相談に乗りますよ。
何なら中島なんてやめて、俺と――
――馬鹿野郎。
「ということで非モテ協定を脱退するぜ。俺は。」
そう言って奴はソーセージにかじりつく。
残りの友人一人(俺と同じく彼女いないが、女子受けはいい奴)が、彼女とABCのどこまで行ったかなど根掘り葉掘り聞きなめる。
その会話の様子は、どこか遠く離れた世界で聞いている感覚だった。
*
生まれてきてから十七年。
彼女なんて出来た事が無かった。
小学校、中学校と過ごす過程で女子に出会い何度も恋に落ちた。好きで好きで堪らなかったが、告白なんて出来るわけも無かった。
なぜなら成功して付き合うという未来が全く見えなかったから。
モテる要素なんて一つも無い人間が自爆攻撃したって意味の無い事だ。気持ち悪い奴だと思われながら引かれておしまい。
自分で言うのも何だが俺は結構最低な人間だと思う。
さっきだってそうだ。
友人(というより悪友)に彼女ができたら、罵りの言葉よりもまずはおめでとうと言ってやるべきなのに。
「カズ、悪いけど現社のプリント見せてくれない?」
毎朝水曜日の昼休み、弁当を食べ終わった後の時間に、友人へこの一言を投げ掛けるのがもはや自分のルーティーンになっている。
四時間目にある現代社会の授業。
毎回予習としてA4表裏サイズのプリントをやって来なくてはならない。しかしこの内容が意外と難しい。
定期考査で中の下辺りをうろうろしている学力なので、このプリントを埋めるだけでも頭が痛くなる。
―ああ、面倒くさい。
これが俺の口癖。
結果、当然のように周りの『出来た奴』の努力をかすめ取る形で答えだけを写させてもらっている。努力を知らないアホ。こんな奴に彼女が出来るわけがない。俺がたとえ女だったとしても俺みたいな奴と付き合いたいなんて思いもしない。
カズは重い腰を上げ冷めた目で一瞥した後、渋々とプリントを俺の鼻先に押し付けた。
ありがとう、とへらへらしながらそれを受け取る。
カズは何も言わずすぐに自分の席に戻って、そのまま来週提出の別の課題を消化する作業を再開した。
目の前に広げられたこのプリント。ふと一度は自分でこのプリントを埋めた事があるのだろうかと振り返る。
大昔ならあったかもしれない。入学したての一年生の四月とか。
こんなんだからモテやしないんだ。
そのまま机に伏せて寝不足続きの頭を休めたかったが、空白しかないプリントが俺を睨み付けてくる。仕方なしに手に持ったシャープペンシルを動かし始めた。
*
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください。』
駅のホームに踊りながら入って来て、そのまま通り抜けてゆく電車をぼんやりと眺める。
帰りの電車はあと十分程度しないと来ない。各駅停車の便を逃してしまい、快速の電車しか停まらない時間帯に運悪く差し掛かってしまった。
手持ち無沙汰で近くの空いていたベンチに腰を下ろし、ホームをぐるりと見回してみたが、特段いつもと変わらない光景が広がるだけであった。
夕方の早めの時間だったので構内にそこまで人がいるわけではない。
早めに退社できたOL、別の高校の制服を着て友達と戯れる女子の群団。
あそこにいる奴らが俺に対して恋に落ちていてそのまま告白してきてくれないかな、と気色の悪い妄想を頭の中に描いてみる。
そしてすぐ自己嫌悪に陥る。これだから非リア充は、と。
頭の中がピンク色でどうしようも無い自分が時々怖くなる。この感じは大人になっても続いて、将来何かしら性犯罪を犯して刑務所に入るのだろうか。
さすがにそうなりたくはない。
すれ違う人みんなに恋する気分は一体いつになったら終わるのだろうか。
ああ。ハメハメしたい。
彼女がいつからホームに立っていたのか覚えていない。
彼女が立っていたのは丁度俺が乗り過ごした路線のホームで、同じ高校の制服だったからつい目に留まってしまった。
背中まで垂れる長い髪、胸は小さめ、背は低め。
髪で隠れて顔はよく見えず、自分好みかどうかは判断できなかったが、さっきのように頭の中でその長髪女が赤面で告白してくる妄想をしてみる。
そして自己嫌悪に陥る行程を二回ほど繰り返した辺りで、ふと彼女の足下を見た。
彼女の茶色いローファーの踵は、黄色い点字ブロックよりも前にはみ出ていた。
『まもなく電車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください。』
頭上の電光掲示板を見る。快速の電車だ。しかし彼女はそのアナウンスを聞いても足を戻さなかった。聞こえていないのだろうか。
『まもなく電車が参ります。』
周りにいる奴らはみんな内側に下がりスマホの画面を見たり友達との談笑に戻る。
後は彼女だけだった。
早く下がらないと危ない。
『黄色い線の内側へお下がりください。』
彼女はただ真っ直ぐに線路の向こう側にある広告板の方を静かに見つめているようだった。
夕陽が差し込んできて、彼女の長い髪が細い糸のように光った。
『まもなく―』
徐々にアナウンスの音に混じって、電車の擦り切れた音が聞こえてきた。
この駅には止まらない快速の電車なので減速する気配はない。
彼女は依然として動こうとしない。
―じわり、と嫌な汗をかいた。
『―電車が参ります。』
もう俺の視界には彼女しか見えなかった。
自然と体に力が入った。
―そして、俺の目は、彼女の足が一歩前に出るのを捉えた。
*
ゴォォォォォという快速電車の通り過ぎる音が聞こえる。
快速電車は速度を緩めず、知らん顔でただ走り抜けていった。
息が上がっていた。
瞬間的に体を動かしたせいだ。
真っ白く染まっていた頭が冷やされていく感覚が体の芯に垂れてくる。
息を整えながらも今現在の自分が置かれた状況を俯瞰的に見てみる。
まず俺の右手は細い彼女の腕を制服の上からしっかりと掴んでいて、左手はその腕がずれないように制服から伸びた手首を同じくしっかりと握り締めていた。
そんな俺に掴まれて身動きが取れない彼女は、一歩踏み出せばホームから飛び出てしまうギリギリの位置で静止していた。
長い髪が突風によって後ろに流れて、俺の顔を殴っていた。
目に入りそうで少し怖い。
周りの音はいつもと変わらない。
遠くから聞こえる広告音声も、四、五人の女子高生が駄弁りながらゆっくり歩いて行く靴音も、反対側のホームから聞こえる電車のアナウンスも。
周りの雑音の濃度が変わることはなかった。
俺達のこの状況に気がついた者がいるのだろうか。
声をかける者はいない。
――強いて言うなら、今向こうのおばちゃんが俺達二人を奇怪な目つきでなめ回しているくらいだ。
まずは悲惨な状況にならなかった事に安心し、続けて怒りが沸いてきた。
「お前、何やってんだよ。」
自分の声が思った以上に強く出た。
彼女は電車の通り過ぎた線路だけを見つめていたが、ようやくこちらの存在に気がつくように顔を向けた。
整った顔立ちにはどこか見覚えがあった。
やっぱり俺と同じ学校だ。
彼女はしばらく俺の問いに答えず、ただ俺をじっと見つめていた。
亜麻色の瞳が俺を刺してくるように感じた。
彼女の視線は俺の顔から繋がれた手へと移った。
そして、きゅっと閉じられていた唇を開放した。そこから漏れ出た吐息と、発せられた声はとても小さく、細長かった。
「――セクハラ・・・。」
――途端に俺の冷静だった頭が沸騰し始めた。
「えっと、俺今お前の事救ってやったんだけど。分かっている?」
体の重心を自分の足に戻した彼女はこちらを向く。
馬鹿みたいに無表情だった。
「別に頼んでいない。」
「いや、自殺しそうだったら止めるだろう普通さ。」
「――自殺?」
彼女は小首をかしげた。
「違うのか?」
「違う。自殺じゃない。自殺じゃなくて逃亡。」
「――逃亡・・・?」
「世界から。」
彼女はこちらをじっと見つめながら、ぼそぼそと呟いた。
あ、やべぇ奴だ、とおもわず頭を抱えたくなる。
ひょっとしたら俺はよく分からない厄介ごとの沼に自ら飛び込んでしまったのかもしれない。
何がともあれ、あれは飛び込み自殺以外の何者でもない。
「手、離して。」
彼女から諭されて、ようやく俺は掴んでいた手への圧を落とした。
――離す瞬間、途端に心細さを感じた。
この手を離したら、彼女はすぐに反対側のホームまで行ってでもまた飛び込み自殺しそうな気がしたから。
一瞬ためらうが、このホームに電車が入るのはもう少し先だから、とそのまま手を離す。
二人の間を気まずい沈黙が襲う。
彼女はただぼんやりとしていたから。
俺に関して言えば、どうしたらいいか思案してたから。
――あと女子と身体的接触をした事による動揺の二つが入り乱れていたから。
俺は困窮した末に、先ほどまで彼女が見つめていた広告板に目をやる。
そこに載っていたある物を見て、とっさに声をかける。
「・・・うどん食うか?」
承諾の返事を貰えたのは意外だった。
亀投稿です。
一応書きだめはしてるんですが、大幅に改稿しながらなのでやっぱり遅いんです。はい。
そこまで甘い展開にはならないとは思いますが、もしよかったら数週間後くらいに覗きに来てください。