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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第1章 第6話 お店番

 灯台の朝は早い。朝日が顔を出す前から南西のやわらかい風が吹いている。風は半開きの窓をすり抜けてくるので、夜明けとともにおだやかな風で目覚めの時を迎えられる。それは何物にも代えがたい至福の時間と言って良いだろう。そして、朝日が昇るころには灯台のほうは灯火の役割を終えて、人知れず眠りにつく。

 窓から外に目を向けると遠い水平線に霞のような雲がかかっているのが見える。今日も透き通った空気でいっぱいの1日になりそうだ。


 昨日読みかけのままにしていたノートのことを思い出し、引き出しの中に片付けた。複製と言えども島に唯一残っているノートを風に飛ばされでもしたら大変だ。

 このノートは、島で一番見晴らしのいい灯台に置いておくのがふさわしいという島民の総意で預かることになったものだ。ノートを書いた主も、少し高台になっていて高波の心配もないこの場所を好んでいたようだし、ノートを灯台に置いておくことは、その人への敬意にもなると考えられた。灯台は島のシンポルであり、灯台に続く道には季節ごとにさまざまな草花が咲き乱れる。住人の散歩道としても親しまれているこの場所に保管しておくのは誰もが納得できる話だった。たまたま自分が灯台守の真似事をしていたので、成り行き上ノートの管理を任されることになった。

そんなこともあって、ノートを読む機会が当然多くなり、断片的な記述からこの島の成り立ちや言われなどに誰よりも興味を持つことになってしまった。ノートを読んでいると、島の歴史が自分の人生と重なっていくような不思議な心持ちになるから不思議だ。


 島はメーンランドから見ると南方に位置しているので冬の一時期を除けば、年間を通じて過ごしやすい。観光で来た人が、この地の緩やかな生活ペースに馴染んでしまい、そのまま居つくことになってしまったという話も時々聞く。居着かないまでも、数ヶ月ぐらいの滞在をする人は後を絶たない。メーンランドから遠くさえなければ、もっとたくさんの人が住んでいても不思議ではないだろう。ただ離れ小島のこの島に渡るためには、月に数度の船便か、最近飛来するようになった乗員数の限られる飛行船を利用するしかない。そんなこともあり定住している住人の数となると、両手で数えられるぐらいしかいないだろう。はっきり言えないのはなにが定住の定義かがわからないからだ。役所のようなものもなく居たい人がいるだけの場所なのだ。無人島との違いがよくわからない島と言っていいかもしれない。数時間で歩いて回れてしまうほどに島は小さいから、もともと多くの人が住むようなところでもないとも言える。

 そんな辺境の地ということもあって、偶然とは言え内陸とは異なった特異な自然環境がそのまま残されているのはありがたい話だ。守られてきた環境を維持することは住民たちのノートへの誓いになっているようにも思う。それほどに数百年前に書かれたノートの存在価値は大きく、島あってのノートか、ノートあっての島かわからないほどに、お互いに緊密な関係をもったものとなっている。島に憲章のようなものがあるとするなら、このノートにほかならないだろう。それだけにノートに対する住民の思いは強い。島で唯一住人の気持ちをひとつにするものになっていると言ってもいいかもしれない。


 気がつくとどこからかインクが近づいてきた。ふらりと現れて、いたと思うといつのまにか消えてしまう。この子がいると寂しくなることもないし、かといってじゃまをするわけでもないので、灯台は私が一人の時間をすごすのにちょうどいい書斎代わりになっている。そして、ここにいると不思議と気持ちが穏やかになる。できることなら住み着いてしまいたいけれど、みんなが楽しみに訪れるところと思うとそうもいかない。


「こん、こん。おはようございます。あら、インクもいたのね。おはよう。さては、二人でまた、ここで寝ちゃいましたね。いい夢が見られましたか」


「おはよう、ミリルさん。今日はいつになく早いですね」


「昨日少し早く帰らせてもらったので、今朝は早起きしてエモカさんのお店でパンをいただいてきました。このパンは一ヶ月も発酵させてから焼いたものだからとてもおいしいそうですよ。最近この島でみつけた酵母で、発酵にとても時間がかかると言われてました。その分とてもおいしいパンになるんだそうです。よかったら少しいかがですか」


「それはいい。いままでのパンとどう違うのか食べ比べしてみたいですね」


「では、このロールパンをおひとつどうぞ。きっとお気に召すと思いますよ。エモカさんのお店で少しいただいてきたんですけど、あまりのおいしさにほんとにびっくりしました」


 島にある食料品店というとエモカさんのお店だけで、もともと自家用に作って友達に配っていたパンがあまりに評判がいいので、島の住民にもおすそ分けしているということらしい。エモカさんはお返しはいらないと言ってだれからも何も受け取らないから、お店とは言えないのかもしれない。そんなエモカさんのやさしさがうれしい。


「ほんとだ、これはおいしい。普通のパンよりずっとやわらかくて、なんだか雲を食べているようだね。みんなが喜ぶのもわかりますね」


「そうなんです。ほんとうにふわふわしていて、食べるだけで幸せな気持ちになれます。よければもうひとついかがですか? 遠慮なくどうぞ」袋の中には、パンが2つ3つ入っているようだった。


「そんなにいただいてしまうと、ミリルさんの朝食がなくなってしまうから、また次の機会に私の分もお願いしていいですか。この発酵に時間のかかったというパンをお願いします」


「わかりました。じゃあ、一度家に戻りますね。10時にはお店に出られると思うので」


「そうだ、そろそろ船長の定期船も着きそうですね。お昼過ぎには私も行きます。新しい本が来る前でお客さんも少ないでしょうからミリルさんも午後からでいいですよ」


「あら、私が本屋さんにいるのが好きなのを知ってるのに。お気遣いは無用ですよ。では、また後ほど」


 パンの包みを両手に持って、灯台を出て行くミリルさんの後ろ姿をインクがじっと見ている。そうか、インクも食べたかったのか。気がつかないでかわいそうなことをしたかもしれない。次にいただいたときにはお前にも残しておくよ。


 今日は一ヶ月に一度の楽しい入荷日。天候さえよければ定期の船便で本が届く日になっている。このところ景気がいいせいかメーンランドの市場がにぎわっているらしく、新しいもの、古いもの、さまざまな時代のものが入荷しやすくなっている。今回もめずらしい本ががたくさんあるといいのだが、それも船商人のダルビー船長の目利きにかかっている。船長の選書はいつもおもしろいので店をはじめて以来ずっと頼りっきりだ。これまで期待を裏切られたことが一度もなくて感心するばかりだ。


 店主の私のほうはというと、お店、お店と言いながら、実際には留守にすることが多く、どこか日当たりのいい場所をさがして本を読んでいることがほとんど。新しく島にきた人はいつが定休日なのかわからないとよく言われる。もちろん私が島にいる限り定休日はなくて、問題は本をいつなら買えるのかということなのだろう。私のほうも、狭いこの島で本を勝手に持ち出すような住人もいないと思うからはっきりした返事もしないままにする。お客さんは仕方なしに、それぞれに店内の本を適当にみつくろっては椅子に腰掛けてページをめくっているということになる。店で本の話をするのもいいし、中には本を顔にのせたまま昼寝をしている人もいるぐらいだから、私設図書館といったほうが言い得ているのかもしれない。仮に販売収入を得たところで、この島ではそのお金の使い道もない。本を届けてくれるダルビー船長も受け取ってくれないのだから。


 そんな本屋に、草花が好きだと言ってよく島に通っていた女性が訪ねて来てお店の留守番をさせてもらえないかと言ってきた。もともと売る気もないような店なので、お客さんも少ないということを伝えてはみたけど、それでもいいからということで聞いてくれない。私のほうもいいかげんなもので、お給料もなしでよいのであればどうぞご自由にということでお店番が決まってしまった。それ以来、ミリルさんのお店と思う人が多くいる。はじめてのお客さんが来るたびに、店に出てこない爺さんが店主だと説明するのもさぞやめんどうだろうと思うけど、それでも本屋にいるのは楽しいらしい。


 待ち遠しい仕入の日は、私にとって月で唯一の本屋らしい仕事をする日になる。

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