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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第1章 第4話 おくれて話す老人 *

 終点は老木の生い茂る無人駅で、赤く錆びついた小さなバスだけが私を待っていました。周辺には人の気配もなかったので、すぐに開いていたドアからバスに乗り込み、運転手に行き先を伝えました。


「終点のアター・リーフまでお願いします」


「……」


「あの、このバスは共同鉄道の運営するものですよね?」


「……」


「えっと、これは岩礁のほうに行くバスでいいですね?」


「……」


 耳が遠くて聞こえないのか、運転手からの返事は返ってきませんでした。ただ、しきりに発車時間を気にしているようでした。バスの中ほどの席に座って、これから向かう先に見えていたきれいな雲を車窓から眺めながら出発時間を待ちました。


運転手に話しかけたことも忘れ、鞄から地図を出して方角を確認していたとき、


「わしが個人でやってるバスでさあ……」


「行くところはいつも同じだ……」


 まるで今そこに戻って来たかのように、老齢の運転手は突然私に向かって話しだしました。田舎暮らしのせいでのんびりしてるのか、よく耳が聞こえなかったのか。変なずれを感じるお爺さんでした。


「そうさ、岩礁の方面へ行くだ」


 その後、運転手からの言葉もなく、バスは発車予定時刻ぴったりに駅を出ました。次の列車が来るわけでもなかったので、時間になるまで待っている必要があったのかどうか私には知る由もありませんでした。蒸気で走るバスはリアヌシティでは目にしなくなっていたこともあって、なつかしい乗り心地を楽しんでいるうちに、子供のころ母と買い物によく出かけたことを思い出しました。少し遠方まで出かけるときにはいつも名前を縫い付けたかばんを持たされたものです。実際、道に迷ってその名前だけを頼りに見知らぬ人に自宅まで送り届けてもらったことも何度かありました。母はその都度、私を叱ることなくよく帰ってきたとほめてくれました。内心は好きなところに勝手にいってしまう子供のことが心配で仕方なかったのではないかと思います。遠出をするときにはいつも母のいたころのことを思い出します。


 終点にはバス停とわかるものはなにもなく、うっそうとした木々に囲まれた小さな広場があるだけでした。バスが折り返すのも苦労するところだと思ったのですが、振り返るとそこにすでにバスの姿はなく、帰りの時刻も聞くこともないままに原っぱの真ん中に一人ぽつんと取り残されてしまいました。その先は交通手段もなかったので、自分の足と地図だけを頼りに歩くことになりました。


 バスを降りてからは人に会うこともなく、雑草に見え隠れしながら細く続く道だけが私の行く先を案内してくれました。途中、『迷い道注意』と書かれた小さな看板が道端にぽつんと立っていました。それはずいぶん昔に置かれたものらしく、鳥の休憩所にでもなっているのか上のほうは白く汚れ、行き先名のアターリーフ(ater leaf)という文字は、薄く擦れて読み取るのもやっとという状態でした。その場所は、地図にも書かれてなく、小さなサンゴ礁は染みか汚れのあとのようにも見えました。もちろん陸地の存在は確認できませんでした。上空には艶やかなエンジ色をした鳥が私を品定めするかのように円を描きながら飛んでいました。日差しも途切れがちな深い山あいを半日ほど歩いて、対岸に島があるだろうと思われる小さな入り江になんとかたどり着きました。リアヌシティーから流れているエルダ川の河口と近いのかどうかもわかりませんでした。


 羽のある鳥であれば島に渡るのも容易であろうに……


 何か知ることがあったら私に教えてほしい。


 バスを降りたのは正午を少しまわったころでしたが、この海辺にたどり着いたときにはあたりはすっかり夕闇に包まれていました。目を凝らして波音の聞こえるほうを見ると岩場の目立つ小さな入江でした。南から渡ってくる甘い潮風。海に少し突き出すようにつくられた板張りのボート乗り場。赤い塗装がすっかりはがれ落ちた埃まみれの半ば朽ちた手漕ぎボート2艘が波に揺れていました。霞の先にかすかに見える影が島だとしても、とてもそこまでも渡れるような代物とも思えず、逆に島のほうが意志を持って人の出入りを拒んでいるようにさえ感じられました。低く垂れ込めた雲のせいで、遠くを走る列車の音が幻聴のようにかすかに聞こえましたが、それ以外には草が風にさわさわと揺れるだけで、星も見えない漆黒の闇と静寂が私を包み込んでいました。


 缶切り、髭剃り、インク瓶、蝋燭、スプーン、ナイフ、火おこし…思いつく限りの生活用品を詰め込んだザックは今にもひとつ残らず吐き出してしまいそうなほどに膨らんでいました。長い道のりでへとへとになっていた私は、荷物を下ろすとすぐに崩れかけた屋根の漁師小屋跡に草を敷き詰めて寝床をつくりました。そして、横になるとすぐに疲れのせいか意識が朦朧としはじめ、周囲の様子もなにもわからないままに泥のように寝込んでしまいました。真夜中を過ぎたころに空腹感でうとうとしましたが、やさしく頬をなでる心地よい風に誘われ、深くいつまでも続く夢の世界にすぐに戻ってしまいました。夢の中ではあの緑鮫が現れて私を迎え入れてくれました。どこまでも永遠に続く無限の闇の先に落ちてしまうような、後にも先にもない一夜でした。

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