第2話 残されたノート
「これが、橋のたもとに浮かんでいた瓶から見つけられたノートの書き出しだよ。実際には最後に書き足したのかもしれないけどね。ノートはこの島を目指してきた若者が後世に何かを伝えるために書き残したものだね。当時のことだから、一人ではさぞやたいへんな旅だったろう。ノートは68年前にここを訪れた人がみつけたものと伝えられているけど、書かれている内容からするとそのさらに50年から100年以上前のことだと思うよ。今から200年近く前かもしれないね」
「ひみついっぱい!」
「少なくともここにあるものは隅々まで全部読んだんだけどね。ただね、これは現物ではなくその一部を写し取ったものだから読み取れないところも多い。書き写すことさえできないところもたくさんあったらしいよ。ページの抜けもあるようだしね。それを、書いた本人が持っていってしまったのか、島のどこかに残っているのかもわからない。なにしろ200年近く前の話しだし、そのころは島の住人なんて海鳥とミドリ鮫ぐらいなものだろうから。5年前に引越していった住人が島に残しておいたほうがいいだろうということでこの写しを店に置いていってくれたのだけれど、それでなければだれの目にも触れないまま忘れられたかもしれない」
「ノートさん、たすかった?」
「なんでも、嵐と大潮が重なって広場にまで水が入り、水かさがひざの高さほどになったときに橋のあたりに流れ着いたそうだよ。おそらくは島のどこかに隠してあったものが、増水のせいで土といっしょに流れ出してしまったのだろうね。そのノートを借りた人が写しとったのがこれだね。ノートそのものは、いつのときか行き先がわからなくなって、今はこの写しだけが島に残ってるというわけだね」
「じっじのたからもの?」
「そうならいいがね。ときどき読み直してみてはいるけど秘密を匂わせるようなものさえ見つけられなくてね。実際のところ単なる生活の記録として書いただけなのかもしれない。コピの言うように宝物でもみつかると楽しいけどね」
コピはノートの話が大好きだ。同じ話を何度も飽きずに聞いている。
「ノートの話はこれぐらいにして。今夜はお月様もきれいに見えそうだし、早めに店を閉めて東浜のほうまで散歩でもしてみるかい? ミリルさんも今日はどこかに出かけるような話をしていたよ。月のきれいな日ぐらい早く帰ったらどうかと話したからね」
「じっじもおふろでシワのおのばし」
「こら、よけいなことはいわなくていい」
「あしたもくる」と言うとぴょんと椅子を飛び降りた。
コピがこの島に来たのはいつごろだったか。ある日突然店先に現れて、いきなり何してるのと聞いてきた。あまりに唐突だったので、思わず本屋に見えないかと答えると、本があんまりない本屋さんだと物怖じもしないで言ったのを今でもよく覚えている。もっとも当時は決まった定期便もなく本の調達も思うようにできていなかった。新しく来た人から読み終えた本を集めていたのが現実で、そう言われるのも仕方ないことだった。コピは見たままを言っただけだ。
結局その日は、本が船で運ばれてくる話や、島民が読んだ本を店において、またほかの人がもっていくというような話をしただけだったと思う。おかげで、コピがどういういきさつでこの島に来たのかは聞かず仕舞いになってしまった。なにかこの島への思いがあって来たようだが詳しい事情はいまでもわからない。ここではそんなことを知ることさえあまり意味がなく、誰もそれぞれの過去について気にとめもしない。見知らぬ人がふらりと立ち寄って、顔見知りの人が突然いなくなる。いつものことだ。メーンランドに住む人からするとちょっと奇妙な近所づきあいがここでの日常なのだ。でも、その気兼ねのないつきあいが町にはない良さだと思っている。戻りたいときにいつでも帰れる場所があるのは、それがどんなところであろうといいものだろう。
今日は湯船に入れると温まるユイローの葉をたくさん摘んできたから、灯台でゆっくり月見風呂でも楽しむことにしよう。
東の空には大きな赤い月が昇り始めていた。この島の月は島の特有の大気のせいかとても赤く見える。この季節ならではの景色として昔から楽しみにする人も多い。
今夜はその赤い月を酒の肴にじっくりとノートを読み返してみるのもいい。これを書いた先人もきっと月明かりを頼りにノートを書き綴ったのだろう。