第6章 第8話 地産地消
「明日は六角柱の件もあるから、俺は一度船に戻るぞ」と言うと、船長はおいしい水の入ったボトルを抱えて行ってしまった。
ミリルさんと二人だけになると、昔の静かなウォーターランドに戻り、懐かしささえ感じた。人気のないリブロールもなかなか良いもので、本棚を眺めながら暖かい飲み物ひとつで過ごす時間は本屋冥利に尽きる。
本棚を眺めているのをだまって見ていたミリルさんが「本も少し増えました」とうれしそうに言った。メーンランドで色々な出来事があった間も船長は粛々と本を届けてくれている。何から何まで頼りっぱなしで、頭が下がるばかりだ。
「午前中も3人で、『種の起源』と『旅する心の本』のことでなんだか盛り上がっていましたよ」
ノーキョさんとスロウさんにはぴったりの本だったのだろう。どんな話をしたのか気になる。『種の起源』を見つけてくれたハロウさんにもあらためてお礼を言わないと。
本棚に見たことのない『時間の庭』という本を見つけて手に取ると、ミリルさんが前回の定期船で船長が届けてくれたものだと教えてくれた。「私にはちょっと難しかったです」と言ってミリルさんは笑った。ページをめくってみると、なるほどミリルさんの言うとおりで、なかなか噛みごたえのありそうな本だった。時間を感じない島に時間の本というのもおかしな取り合わせだ。壁に掛けられている動かない時計を見て、船長の考えている時間とはなんだろうと思った。時を刻まない時計を持ってきた船長が読む時間の本にも興味を惹かれる。
「そうだ、オルターさん。パンケーキを召し上がりませんか?」ミリルさんが思い出したように言った。
温泉で頭がいっぱいで、パンケーキのことをすっかり忘れていた。ミリルさんはすぐにできると言いながらフライパンを火にかけている。その言葉通り、少しするとパン生地の焼ける優しい香りが本棚の隙間をゆっくりと漂いながら満たしていく。
焼き上がったパンケーキはふわふわとやわらかで、ノーキョさん特製のクリームのような蜂蜜との取り合わせがそのおいしさを引き立てた。ミリルさんが言うように、この蜂蜜とエモカさんの超時間発酵のパンとの取り合わせも、言うことなしの絶品だろう。ノーキョさんの作るものは向かうところ敵なしの連戦連勝というところで、島の恵みをとても上手に生活に取り入れる術を知っている。日常を大切にするミリルさんと気が合うのもわかる気がする。
「私もちょっとノーキョさんのところに行ってきます」とミリルさんに言って席を立った。
出がけに、スロウさんも話したいことがあるようでしたよと言われた。なんの話かはわからないけど、何かおもしろい話を聞かせてもらえるのかもしれない。ノイヤールのロウルさんとイメージが重なって未だにもやもやしたままのスロウさんとも話したいことはたくさんある。
道すがらの風景をのんびりと眺めていると、数ヶ月の間留守にしていたことも忘れて、以前のおだやかな気持ちにすっかり戻っているのを感じる。故郷というのはこういうものなのだろう。いつでも戻れるこのウォーターランドには感謝の気持ちでいっぱいだ。
途中、ハトポステルの鳩にマリーさんへの手紙を託した。無事到着を知らせるだけでいい。船長もすぐに戻るつもりでいるはずだからそれで事足りる。
ノーキョさんのお店の近くまで来ると火事になった半島の南側が見えてくる。その再生は聞いていた通りで、ほんの数ヶ月でここまで戻るものかと目を疑うほどだった。これを島の水の力と言わずして他に何があるだろうと思わせた。おいしい水の持つ力は底知れない。命の水と言っても良いほどのものだ。海水だと信じて疑わなかった島の周囲を眺めて、畏敬の念さえ感じた。
ノーキョさんの畑は野菜の収穫が終わり、周囲の木がそれぞれの果実をつけている。まさに実りの秋の到来だ。お店の裏に回ると、ちょうどノーキョさんがその摘み取りをしているところだった。
「あ、オルターさん、いらっしゃい」
「おじゃまします」
「明日の報告会、料理の方はミリルさんと僕で腕を振るいますので期待してください。何かご希望はありますか?」
一瞬、島地鶏の卵料理が思い浮かんだけれど、こちらは招待される側になるのだろうから、ここはお任せとしよう。
「島のものなら、なんでもうれしいです」と言うと、「島の食材は素材が申し分ないですからね。腕はあまり関係ないかな」と言って謙遜したけれど、ノーキョさんの自然を生かす力は料理でも発揮されるのは島のみんなの知るところだ。
摘み取った果物の多さに驚いていると、ちょうど船も着いたところだから観光客も集まるのを見越して、多めの食材を用意しているとのことだった。確かに観光客にとってはノーキョさんの育てた食材や島の珍味を堪能する絶好の機会になるだろう。そんなところで謎だらけの旅の報告となるとどこまで話せば良いのかますますむずかしくなると思った。
咄嗟の思いつきで、明日の夕食の会は報告会というより、収穫祭にした方が季節柄よいのではないかという考えがひらめいた。きっとそのほうが、お客さんにも楽しんでもらえるだろう。
それをノーキョさんに相談すると、「収穫祭にふさわしいものを用意しないとダメだなあ」とちょっと困った顔をしたけれど、悪い気はしていないように見えた。摘み取った果実を入れたカゴを見ただけで十分すぎる豊作だということはわかる。
「ノーキョ農園のものが揃えば、みんな大満足間違いなしですよ」
「オルターさんもうまいですねえ」と言いながら照れくさそうな笑みを浮かべた。
カゴに入れられている果実に目を向けると、肌つやがよくキラキラと輝いて見える。どれもメーンランドでは見なかった珍しいものばかりだ。これを見て喜ばない人などいるはずがない。記念すべき第1回収穫祭の開催が決まった。
ノーキョさんは、続きは後にしますと言いながら、収穫用の剪定バサミやカゴを片付け始めた。
「オルターさん、何かご用件ではなかったですか?」
「ごめんなさい、作業の邪魔したみたいで」
「いえいえ、少し休憩しようと思っていたところだったので、ちょうど良かったですよ」
ノーキョさんの言葉に甘えて、庭のベンチの腰掛けた。テーブルに野菜ジュースの入ったピッチャーとコップを用意してくれた。
「実は伺ったのは、改良版インキのことで、船長の船に乗せる分がないかと思いまして」
「ああ、その話ですか。オルターさん、耳が早いですね」
「あ、ちょっと小耳に挟んで」と自分の記憶が意識世界の話だったことをごまかした。
「そう言えば、このインキを万年筆用にお渡ししたことが……ありませんでした? あれ、前のインキだったかな……?」
「既視感とかいう、あれですかねえ」と話を合わせた。
「オルターさん、もしかして六角の万年筆お持ちではないですか」
「あ、ええ、向こうでいただいたものが。どうしてそれを?」
「以前、どこかで見せてもらったような……緑色の。夢だったのかなあ」
ノーキョさんは、自分の記憶がどこから来ているのか不思議なようで、言葉にしながら頭を捻っている。違う世界の出来事が現実世界と付かず離れず重なっているのかもしれない。意識世界の出来事が現実世界へも滲み出しているのだろうか。そうなると頭の中に世界ができるという話をしたことも記憶のどこかに残されているかもしれない。
「船長にもお話ししたんですけど、作ったものは地産地消のままでいるのがいいのではないかと最近思うようになって。どうしてメーンランドへ届けるのかなと。できた場所で楽しむというのではダメなんでしょうか」
「観光で来てもらうほうがいいということですか」
「来てもらうといいますか、ここで必要な最低限の数だけ用意すればでいいのかなあと。作るのが大変という話ではないので誤解しないでくださいね」
「ええ、もちろん」
「ローソクも向こうで使ってもらって評判だと聞いているのですが、向こうの夜を照らすために適したものは向こうにあるような気もするんです」
ローソクの品質はウォーターランド製が勝るのはマリーさんも認めていた。ただ、向こうには向こうのローソクがあるのではないかというノーキョさんの言うことも正しいかもしれない。その土地ならではのものがあるということだ。気づかないうちにメーンランドの考え方を刷り込まれていたのかもしれない。
「実は、インキのことは船長からも頼まれたんです。稀少なインキを作れなくなった知り合いの方がいるらしくて。そういうなくなりそうな伝統を可能な範囲で代替することはまだ良いと思うんですけど、見知らぬ土地にどんどん特産品として送り出していくというのは、なんと言うか、僕自身この島の財産を切り売りしているような後ろめたさもあるんです」
ノーキョさんの言うことは至極もっともな気がする。この土地のものを使うのだから、島に感謝して必要最低限の分だけを作ればよいのではないかとないというのがノーキョさんの考えだ。
ノート氏の生きた大航海時代の貿易は必ずしも産地に貢献するものではなかったということを考えると、自分の考えはあまりに勝手で性急すぎたような気がしてきた。
島のものは誰のものでもないから、島以外の人へも譲り続けると言うのなら、ボルトンへも欲しいだけの水を渡すというのとなんら変わりないということだ。来る前に頼まれた、ルーラーさんへのお土産の話も同じで、あまり好ましい取引にならないかもしれない。そうなると、どういう形で期待に応えるかは悩ましいのだけれど。
「船長もわかってくれて、趣旨に賛同してくれたので、オルターさんは心配されなくて大丈夫ですよ。ノートを見つけてくれたお店の分はもちろん用意させてもらいますし、ハロウさんという方にもいつかお会いしたいとお願いしました」
島の自然を誰よりも愛しているノーキョさんが言う話は説得力がある。爪の垢でも煎じて飲まないと駄目だと思った。




