第18話 豚の素性
夏の日差しも少しずつ強くなってきた。最初のナツヨビが来てもう少しで一ヶ月になる。
今日は久しぶりにエバンヌで音楽を聞きながらノルシーさんの入れたお茶をいただいている。ここが島で最北の場所になる。最北と言っても最南端との距離は1kmもないから、何も変わるものはない。もともとこの島がメーンランドの南に位置している温暖な場所なので、冬の一時期を除けば、北といってもそれほど寒いわけでもない。
話好きなノルシーさんのところには島の情報が集まるので、ときどき遊びに来ると楽しい。今日もおもしろい話が待っていた。
「最近豚を連れた人と会わなかった?」ノルシーさんが食器を洗う手を止めて、唐突に話しはじめた。
「豚?」
「そうそう、普通に豚」ノルシーさんが笑っている。
「でも、ちょっと小ぶりの豚かな」と言うと両手で犬ぐらいの大きさを作ってみせた。
この島には養豚をはじめそうな人はいないから、 最近来た人なのかもしれない。
「なんでもね、ここ最近、島のあちこちで見かけるみたいよ。この狭い島で豚牧場でもはじめるつもりなのかな?」
「豚の牧場?」
「ない?」こちらの顔を覗き込むように見ている。ノルシーさんはなんでも受け入れられる人なので、ときどきこちらが呆気にとられるようなことを言う。
「どうでしょう……そんな島?」
ノルシーさんのお店は、お昼まではお客さんがほとんどいない。もっともジャズが多いお店だからそれは当然のことで、夕方近くからお客さんが入り始める。お店の名前のエバンヌは昔知り合ったピアニストの名前から取ったと聞いた。使い込まれたアップライト・ピアノの音がこの島唯一の音楽というところ。普段ピアノを弾くのはノルシーさんだけだから、ノルシーさんが話し出してしまうと、潮騒の音だけが唯一のBGMになる。そんなのんびりしたお店だ。
「あれ、もしかしてトリュフ? トリュフがとれるのかな?」
「トリュフって、トリュフ?」と思わず聞き返してしまった。
「そうそう、あの誉れ高きトリュフ様。豚は嗅ぎ分ける力があるんだよね? たぶんトリュフを探してるんじゃないかな」
「トリュフねぇ。この島で採れるのかな? 採れたとしても、あれは都会のお金持ちが好きなものだよ」それが理由でこの島に来る人が多くなるのもどうなんだろうと思う。
「お金の匂いがするものにいい話はないし……」
「手に入りにくければいさかいのもとにもなるけど、たくさんあればそんなことにもならないでしょ」
「たくさんある? 匂う?」と聞くと、
「匂うね。トリュフ狩り名人の気配……」と、鼻に指を当てたノルシーさんは、探偵気取りだ。
「養豚場かトリュフ……」
「ちょっと待って、もしかすると飼い豚かもしれない。豚と散歩してるだけかも」
「飼い豚って……それにしても人けのないところを歩いてない? 広場あたりでは見かけたこともないし」
「散歩ってそういうのものでしょ。違う?」
エバンヌの店内には、カメラの好きなノルシーさんが撮った島の草花の写真がフレームに入れられてところ狭しと飾ってある。 観光で来た人が最初にこの店を訪れるというのもよくわかる。島を知りたい人にはちょどいい情報が集まってる。
「今度、豚名人見かけたら聞いてみよう。オルターさんもそうしてよ」
「トリュフ名人でしょ? その豚はなんですか? って聞くの?」
「そうそう、豚の素姓は調べておかないと」
「素性ね」
勝手なことをとりとめもなく話しているうちに、 すっかり日が登った。 小さな窓から日が差し込んでカウンターテーブルのコーヒーカップを柔らかく照らしいる。
私はカバンから紙と鉛筆を取り出し、島の出来事を書きはじめる。 気がつくと、島便りのために島のことを書くのが習慣になっていた。ノルシーさんはお客のいることも構わず、お店の掃除をはじめた。もともと私を客とも思ってないのだろうけど。こういう気のおけない関係が落ち着く場所をつくる。みんながエバンヌに集まるのもそういうことだろう。いつか島便りで、エバンヌの紹介もしないといけないと思った。




