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仮想の水 - Waterland of Inworld  作者: uota
第1章 誘い
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第15話 海の見えるインキ

 北島と南島の間にあって北島がよく見える場所に草屋さんはある。ほんとうはノーキョズという名前らしいのだけれど、みんなは草屋とか葉っぱ屋とかいう名で呼んでいる、だれも本屋をリブロールと呼ばないのと同じだ。そもそも、島に店の看板らしいものはほとんどない。だれも商売をしようなんて思わないのだから当たり前といえば当たり前で、売り買いのない支え合いの生活としてつながっているだけの話だ。


 ノーキョズは、島のめずらしい草花を集めたというお店。もともとメーンランドで理科の先生をしていたというノーキョさんの趣味が高じてはじめたそうで、草花の種子は無論のこと、植物を材料にした何でも屋さんといったところ。ノーキョさんは島の自然についても詳しいだけでなく、島一番の物知りとしても知られている。そんなこともあってみんなからは先生と呼ばれている。


「こんにちは。ノーキョさんいますか?」


「はーい、手を洗いますのでちょっとお待ちください」奥のほうからから声が聞こえた。なにか作業をしていたのかもしれない。


「これは、これは、オルターさん。早いですね」手をタオルで拭きながらノーキョさんが顔を出した。


「お仕事中のところすみません。昨日いただいたおいしい野菜スープのお礼にと思って、獲れたての跳魚を持って伺いました。いつになくたくさん釣れたものものですから」


「それはわざわざすみません。今日は釣りをお楽しみでしたか。いい天気になりましたからね」


「いつもいただいてばかりなので、たまにはお返しもしないと。お口にあうかどうかわかりませんが、今釣ったばかりです」


「おお、これは新鮮ですね。まだ、黄色い筋がくっきり見える」


 さすがに、生物の先生だっただけあって魚にも詳しい。跳魚は横腹にある黄色い線が鮮度を見る目安になることをご存知だ。


「また、いろんな種が増えているみたいですが。これはみんな野菜の種ですか?」


「野菜ですね。今撒けばおいしい野菜がたくさん収穫できますよ」


「それはいいですね、ノーキョさんの選んだ野菜ならおいしいに違いない。リブロールの横にも植えてみます」


「ああ、オルターさんはそれには及びませんよ。うちの畑にたくさん植えてありますから、いくらでもお分けしますよ」


「いやいや、それでは申し訳ない。そんなことしてたら商売にならない」


「その代わりにというわけではないですが、本屋さんをいつも書斎代わりに使わせていただいていますから気になさらないでください」


 結局いつもと同じように物々交換の話になってしまう。この島ではお金の価値さえもあいまいで、自分がほしいものがあれば誰かのほしいものをあげるというというのが生活のルールになっている。金銭のともなわない助け合いというところだろうか。


「ぜひぜひ、そうしてください。と言っても店主の私はほとんど留守でミリルさんにまかせっきりですが」


「ミリルさんにはいつもおいしいお茶いただいてます。あそこでお茶を飲みながら資料整理するととてもはかどって。海からの風がとても心地いいですしね」


「昼下がりのうたた寝の場所と決め込んでいる人もいるみたいですよ。もう、本屋かどうかも疑わしいですね」ミリルさんからいつも言われていることをそのまま話した。


「それそれ、ほんとうにうたた寝には最高で、私もよくうとうとてしています。でもそういう時間がまたいいんですよ。そんな本屋さんがひとつぐらいあってもいいじゃないですか」


「ありがとうございます。じゃあ、これからもうたた寝のできる本屋ということでいくことにしましょう。うたた寝屋ですね」


「うたた寝屋いいですね。本に困まれてうたた寝なんて、もうほかになにもいりません」


「今日は、そんなうたた寝屋からお尋ねしたいことがありまして」


「あらたまって、なんですか? 僕にわかることでしたら。ただ、女性のことはからっきしだめですよ」


「ははは、私も女性にはまったく縁がないですからご心配なく。実は先日古い印刷機が手に入ったので、島の新聞とか例のノートを印刷しようという話をしていましてね。それにちょうどいい印刷用のインキがないかものかと」


「あ、昨日コピちゃんが届けてくれた島便り、ありがとうございました。とってもいい話なので僕もなにかお手伝いできないかと思っていたところなんですよ」


 そう言うとノーキョさんは、奥の棚からまだ何も書かれてないラベルの張られた壜を持ってきた。


「えっとこれこれ、実はちょうどいいインキがあるんです。海辺でよく見るナミギワ草から作ったものなのですが、とても深みのあるブルーで、乾いてもまるで印刷したばかりのようにみずみずしい発色なんですよ。ぜひ、これを使ってください。メーンランドの人もきっと驚くと思いますよ。こんなきれいなインキはなかなか見たことないでしょうから。この壜に入ったものがそうなんですけど見てみてください。このインキで本でも作れば世界にふたつとないものができますよ」


「ほぉ、これはいい。この島の海の色そのものですね。ナミギワ草からこういう青い顔料が採れるんですね。今日、持ち帰ることはできますか?」


「もちろんですとも。昨日コピちゃんが来たときに預けようと思っていたぐらいですから。どうぞ遠慮なくお持ちください。あの新聞をたくさんの人に読んでもらうお手伝いができれば僕もインキをつくった甲斐があるというものですよ」ノーキョさんは楽しそうに話してくれる。ほんとうに誰かに使ってもらうことがうれしいのだろう。


「ありがたい。では、早速帰って試してみることにします。あれ、これ海の香りがする。してますよね?」


「あ、わかりましたか? それもこのインキのおもしろいところなんです。海の香りのするインキなんてなかなかないですよね。一度嗅いだら忘れられないですよ。女性の香水みたいに。あはは」


「うーん、これはすばらしい。ほんとうに相談しにきてよかった。みんな喜んでくれそうだ。ありがとうございます。紙もノーキョさんにいただいたものだし、何から何まで。ほんとうに助かってます」


「紙漉きこそ一番の趣味で、まだ捨てるほどありますよ。新聞はほんとうに楽しみにしてますからがんばってください。また、印刷機を見に伺いますね。」


 思いがけないお土産をもらった。気がつくと、リブロールへ戻るまでずっとインキの香りをかいでいた。きっとこのインキを使った新聞を読むときは目の前にこの青い海が広がることだろう。海の見える島だより……これはいいかもしれない。



 お店に戻るとミリルさんが、いつものように留守番をしてくれていた。


「おはようございます。大漁でしたか?」ミリルさんにはなんでも見透かされている。


「あれ、トラピさんも」


「トラピさんはミステリー小説が好きなんだそうですよ。密室ものなんですよね」


「オルターさん、おじゃましてます」すっかりくつろいだ様子だ。ミリルさんの人見知りしない性格がいつもたくさんの人を集めてくる。


「お好みの本はありましたか?」


「ミリルさんに島の話をいろいろ聞いてました。なんだか島そのものがミステリーみたいで」


「歴史伝承みたいなものかもしれないですけど、この島にもいろいろあったみたいですね」


「なんだか、はじめて住んでみたいと思うところに出会ったような気がしてます」


「あるのは青い空と海だけ。それだけなんですけど、それで十分なところですよ」


 なにも持たない主義のトラピさんには向いてるかもしれない。


「小説ほどにはおもしろくはないかもしれないですけど、古いことを調べる楽しみもありますし」


「そうなんですよね。人の手のかかったものがほとんどないところにも惹かれますし」


 しばらくすると、インキの入った壜からナミギワ草の香りがリブロールに広がっていった。


「今日もいいお天気……」ミリルさんが海のほうを見ながらつぶやいた。


「ほんとですね」トラビさんが遠い空を見ながら答えた。

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