第14話 跳魚釣り
「おはようございます。慣れた手つきですね」
最近島に来たトラピさんに声をかけられた。
「いやいや、まだほんとにはじめたばかりで。知り合いの船乗りの人に竿をゆずってもらったので暇つぶしにでもなればと思いましてね」
「時間つぶしという割には、1、2、3、4……もう7匹もいる。これなんという魚ですか?」
「跳魚です。いつもだとこうはいかないから。ほんとにたまたまです。羽虫を捕食するときに跳ねるので島の人はみんな跳魚と呼んでます」
「餌は羽虫を?」
「あ、これは羽虫に似せてるだけですよ。虫を鳥の羽でつくって、水面の少し上をふわふわさせておくだけ」
「そうなんですね、鳥の羽さえあれば釣れるということなんだ」
「まあ、少しそれらしく見えるように細工はしますけど。たいした手間はかからないですよ」
今朝は朝から天気がよくて、以前船長からもらった竿を持ってチャルド川に来ていた。 チャルド川は湧き水の出る池から海に流れ込んでいる小さな小川で、川といっても小さい島なので塩分を少し含んだ汽水になっている。
今日は羽虫が多いせいか、跳魚の食いつきが思いのほかいい。さっきからナツヨビがおこぼれを狙って上のほうを旋回しながらこちらの様子を伺っている。
跳魚は身がやわらかく、少し干して酢漬にするととてもおいしいので、知り合いに届けてあげると喜ばれる。マリネのようにして食べる人もいるらしい。島の周辺には大きな魚もいるようだけど、私にはここで跳魚に相手をしてもらうのがちょうどいいようだ。老人と海ならぬ老人と川というところか。今日は、草屋の先生においしいスープをいただいたお返しになればと思い朝早くから釣りに精を出している。
「今朝は、お散歩ですか?」
トラピさんはまだ30代だろうから、早起きするというような年でもない。
「僕は、もともと大道芸をやっていたので、家の中にずっといると身体がなまってしまって」
「大道芸はパントマイムのようなことを?」
「いやいや、手品ですね。なんでも隠してしまう。よくある手品です。」ないないさんはもしかするとトラピさんが隠したのかもしれないとありもしない考えが頭をよぎった。いやいや、そんなわけはない。
「見ててくださいね。このハンカチを」
そう言うと真っ白なハンカチをポケットから出して、私の手の上に乗せた。
「いいですか、ハンカチを丸めて」
トラピさんは自分の手で私の手を覆った。
「はい、これでハンカチは消えてしまいました。手をゆっくり開いてみてください」
「ほー、まったくわからなかった。これは見事だ。どこに行ってしまったんだろう」
「これはほんとうに簡単な手品ですよ。種も仕掛けもありますから」
「人を隠してしまうこともできるんですか?」思わず口をついて出た。
「場合によってはやりますけど、それなりの仕掛けは必要ですね」
「そうですよね。そんなに簡単にできるわけでもないですよね。うんうん、それはそうだな」
ものを持たない島とものを隠す手品。これも何かの縁のようにも思う。
「また、みんなの集まったときにいろいろ見せてください。この島にはたいした娯楽もないですからね」
「もちろん機会がありましたら喜んでやらせていただきます。それより……」
竿の先を指差すのでそちらをみると、竿の先がぴくぴく動いて羽が見えなくなった。
「あー残念、逃げられてしまいましたね」
タイミングが少し遅れてうまくあわせられなかった。
「釣りの邪魔をしちゃってますね」トラピさんは頭をかきながら申し訳なさそうに言った。
「それより、少し持っていかれませんか。この島では遠慮はなしですよ。島の名物も知らないとなると隣人としてほっておくわけにはいきませんからね」川に入れてあった魚籠を引き上げすすめてみる。
「ほんとにいいんですか? やっぱり早起きするといいことがあるなあ」と言いながら魚籠をうれしそうに覗き込んでいる。
真剣に選んでいる顔を見ていると、こちらも思わず笑ってしまう。2、3匹を手にしたと思うとあっという間に手品のようにどこかに消えてしまった。
トラピさんはしばらく料理の話などをしたところで、もう少し散歩してくると言い残してリブロールのほうに姿を消した。 気がつくとナツヨビもいつのまにかいなくなっていた。着の身着のままでこの島に来たというトラピさん。荷物らしいものもほとんどないのだそうだ。ものがなくなる人もいるし、何も持ってこない人もいる。どこまでもモノと縁のない島だと思う。でも、モノに縛られない幸せはやってみた人にしかわからない。それが本当の自由というものだろう。
さて、お土産の跳魚も釣れたから、草屋さんに行って印刷用のインキのことを相談しよう。あそこなら、きっとこの島ならではのインキがあるはずだ。