美咲の恋勝負
「アズちゃん、お昼一緒に食べようか」
「美咲姉さん、私ってドジでまぬけでアホなんですう」
「知ってるわよ、何を今さら」
「美咲姉さんまで、ひどいですう。木杉主任に頼まれてた報告書のコピーしたんだけど終わった後、原本取り忘れちゃって」
「原本、どうなったの? 」
「木杉主任がヒラヒラさせながら持ってきてくれて、良かったんですけど、ドジでまぬけでアホやなって言われちゃいましたー」
「そのまんま言われたら傷つくわねえ。よし、私がアズの仇を取ってやる」
「美咲姉さん、頼りにしてますう」
美咲は面倒見のいい姉御肌、東京下町育ち。学業はそれなりだったが卒業して籐三商事に勤務している。勤めて五年の事務仕事はベテランの域になっている。くりっとした目に柔らかくムチムチ感がある顎から頬、肩までの栗色に染めた髪、きちんとした紺の事務服に張りのある胸、締まったウェスト、白いブラウスに包まれた腕や手先、スカートを膨らませている太股。恵まれた身体の美人が美咲だ。アズのように要領の悪い後輩に昼飯を誘ったりして世話を焼くのでお姉さまと慕われている。
美咲とアズの会話に出てきた木杉主任は三十歳独身、大きな目に天然パーマの髪。中肉中背の体躯を包むスーツ姿はきびきびした動作が似合っていた。頭が良いので仕事ができるが仕事一筋というのでもなく適度に遊びをして生活と精神のバランスを保っている。木杉は女よりはスロット打ってるほうが気持ちいいってタイプだ。めんどうな事を背負い込むのが嫌だった。
会社のビルを出てすぐの処にある小さな食堂が美咲のお気に入りだ。美咲とアズは店に入り定食を頼んで席に着いた。
「アズちゃん、いいこと考えた。木杉さん彼女いないでしょ、デートに誘ってそこでお灸をすえてやるわ」
「美咲姉さん、それってデートをするのがほんとの目的なんじゃないですかあー」語尾を上げながらアズが笑っている。頭が良くて仕事をまじめにこなす、そんな木杉は美咲のタイプなんだという事をアズは知っている。
「まあね、気になるタイプなんだけど。女を寄せ付けない雰囲気が憎らしいーし、微妙なとこね。んでも……ひょうたんから駒、身から出たさび、アバタもえくぼ、ちょっかいから始まる恋もあるってね、ボランティアもたまにはいいか」美咲は小首を傾げながら言った。
「わかりませーん」アズは奔放すぎる美咲についていけない。
ふたりが座るテーブルに定食が運ばれて会話が途切れた。
昼休憩を終えて会社の机に向かっている木杉のところに美咲がつかつかとやって来た。
「どうせ彼女とかいないんでしょ。私がなったげる」美咲は木杉にちょっかいをかけた。
「ありがと」木杉は断ると面倒なことになると考えた。仕返しされたら敵わない。ベテラン女性社員を敵にすると社内の女性全てを敵にしたのと同じことになる。お茶に雑巾を絞った水とか入れられたら堪らない。ハエとか入れられたら腹壊す。一瞬に深読みする木杉だが美咲が魅力的だというのも意識のどこかにあった。
「彼女になったんだからデートに連れてヶ」美咲が誘う。
「はい」木杉は暇つぶしになるならと了承した。
デートの日がやってきた。車でドライブしてみようと木杉が提案した。行き先も決めていないがドライブするのが目的だからと車を出すふたり。
「デートしてるんだから恋人同士よね」美咲はデート中に詰め寄った。
「えっ?!はい」木杉は早く帰ろうと思っていた。
木杉と美咲のカップルの間に障害ができた、いづみという恋敵の出現である。いづみは木杉の一見インテリに見える報告書や社内メールに惚れていた。木杉のことを頼れそうと考えたのだ。デート中に木杉の携帯を借りた美咲はメール受信欄を見て尋ねた。
「あら、いづみさんからのメールが多いわねえ」
「人のメール勝手に読むなよ」
「読まれて困るようなメールがあるのね」
「そういうことを言ってるんじゃないだろ!」
「あなたの知性的な文章にハートを持ってかれそうウフフン……ってなによこれっ」
美咲は恋人気分になっていたので浮気を見つけた女の顔で問い詰めた。恋は障害のあるほど燃え広がるのである。それが『ちょっかい』から始まったとしてもだ。
「おれはインテリだからね、モテルのしょうがないよ」
「なによ、ハンバーガーからはみだしたレタスみたいな頭してるくせに」
「なにワケのわかんないこと言ってるんだよ もういい、デートはやめだ」
「デートに誘ったのはそっちじゃないの、 こっちはボランティアなんだから」
「やっぱり女はめんどうだ。スロットでも打ちに行こうっと」
「じゃいつもの店に行こ、ジャグラーにいいの置いてるよ」
「よし、行こうか」
それまでとろとろと動いていた車は目的地が決まって軽やかに走り出した。デートをやめてスロットをしようと意気投合したふたりは美咲の通うパチンコ店にやってきた。ジャグラーが設置されてる辺りがなにやら騒がしい。体格のいい筋肉系のおっさんが、大人しそうなおばちゃんに凄んでいる。
「なにかあーん、おれがゴトでもやったってのか?」
「証拠はあるんか? 証拠。ほれ、出してみれ!ショーコ、麻原ショーコー」
おばちゃんは下を向いたまま震えている。
「ちょっと、なにすんのよっ!」美咲が筋肉男に向かっていった。
「関係ないのはすっこんでろ! それとも、姉ちゃんが代わりになるってか?」
「いっ、いいわよ、なろうじゃないのサ」美咲は怯まない。
「じゃあ、姉ちゃんを後ろから前から好きにさせてもらおうか」
「その前に決着つけましょうよ」美咲は筋肉男の言葉を聴いてゴキブリを叩き潰したい気分だった。
「よーし、それならスロットで1時間勝負だ、コインが多い者勝ち」筋肉男がまくし立てる。
「スロット……わかったわよ。私が勝ったらここへ二度と現れんじゃないよ」美咲は精一杯の啖呵を切った。
「いひひひ、後ろから前から……楽しみだワイ」筋肉男が卑猥な笑いを浮かべている。
勝負は開始された。筋肉男は今まで座っていた台を打っている。美咲は台選びから始めた。常連客になにやら聞いて台を決めた。
親しい常連客は多いが、皆年上でスロットは弱い。大丈夫なのか。
筋肉男が台を光らせた。ボーナスが当たったのだ。美咲の台は音も光りも無い。そのとき音が鳴った。美咲の携帯だった。
『美咲さん、わたし、いづみよ。あなたと同じ課の木杉さんのこと教えてほしいのよ』
「あなた、インテリが好きなら技術課の林さんにすれば」美咲はぶっきらぼうに返事した。
『やめてよ。サル顔には興味ないわ』
「今取り込んでるから後でね」美咲は通話を切った。
美咲は集中しようとするが木杉のことが気にかかる。
「頑張れ、美咲さん、俺がついてる」
木杉が肩を叩いてくれた。
木杉は自分のことより他人のことを優先する美咲の姉御肌に惚れたようだ。筋肉男に奪われるかも知れないという状況が木杉の恋心に火を点けたのかも知れない。
「美咲さん、好い人を選んだな、がんばって」
先ほど筋肉男に凄まれていたおばちゃんが応援する。振り返ると店の常連客皆が美咲を応援していた。
ここは美咲の住んでる町だ。下町生まれの下町育ちは仲間意識が強い。
ようやく落ち着いてスロットを打ち出した。台もそれに応えるように当たりだした。
また、携帯が鳴った。
『美咲御姉さま、アズです。営業課長の島 田吾作さんに食事誘われたんですけど……どうしたらいいですか? 』
「食い逃げよ」通話を切った。
残り時間は後10分、ふたりのコインは同じくらいだ。そのとき、筋肉男はそで口をゴソゴソしてコイン投入口に手を置いた。
「おっさん、それまでや」 「あいにくやったな、美咲はおれの女だ、あんたには渡さん」
木杉はそう言って筋肉男の腕をつかんだ。筋肉男の腕にはピアノ線が光っていた。ピアノ線を差し込んでコインを不正に出していたのだ。
店を出て車の中で美咲と木杉が会話している。
「後ろから前からどっちにする?」美咲が訊いた。
「んじゃ、後ろから……いただきまぁ〜す」
木杉はたい焼きを尻尾から食べていた。
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