孤高のバドミントン
僕は弱い。
彼は強い。
それでも、僕は、たった一人であるき続ける彼に、仲間の存在を教えたかった。
『仲間同士で切磋琢磨して、楽しみながら強くなる』は、嘘である。
自分との戦いだ。
他人とは、それこそ戦争だ。
相手を蹴り落とし、踏み台にし、そして勝利を望み。
貪欲を極めた末、長いトンネルを抜けたときのように、やっと勝利という光が見えてくる。
苦難の壁のその向こうに、栄光という光が、見えてくる。
だから、俺はチームプレーというのが嫌いで嫌いでしょうがない。
団体戦ほど、嫌なものはこの世界に存在しないと言っても、過言ではない。
どんなに自分を磨き、強くなり、勝利の光に手を伸ばしても。
鬱蒼と茂る森のごとく、俺の味方が邪魔をしてくる。
光を遮り影が差す。
望んでいた栄光が、一瞬にして、消え失せる。
硬式バドミントン男子シングルス。
俺が獲得したメダルは数え切れない。
全国は、家が貧乏でバス代が出せないため、行かない。
だが、県大会は常連だ。
そして、一位常連。
小学校からやっているが、シングルスで負けたことのある相手は一人だけだ。
教えてくれたコーチ一人。
それが悔しくて、唇を噛み切るほどに悔しくて。
俺は鍛錬した。
ひたすら鍛錬した。
強くなった。
そして、敵なしになった。
練習の成果は、努力の成果は、試合にきちんと現れた。
努力だけは裏切らない。
絶対に、練習した分反映される。
努力すれば勝てる。
だが、ダブルス。
勝てるはずの、もし二対一でやったとしても俺が勝つ可能性が高い、そんな試合に負けた。
負けていた。
俺の方に来た球は、全て完璧に返した。
一度もミスしていない。
動き方も気をつけたつもりだ。
それなのに、負けた。
俺の努力は、味方によって潰された。
悔しさ、怒り。
感情を抑えるのに精一杯だった。
だが、俺は負けた時、何も言わずその場を去った。
俺は教訓を得た。
『仲間同士で切磋琢磨して、楽しみながら強くなる』は、嘘である、と。
だから、今回の大会、コーチに頼んだ。
俺はシングルスだけに出る。ダブルスには絶対に入れないでほしい──
スポーツの団欒は、あってはならない。
俺は一人で勝つ。
仲間と一緒に勝つなど、虚言に過ぎない。
仲間など、害悪でしかない。
頼られるだけの仲間は……
不必要だ。
本番当日。
俺は会場について、コーチに渡された予定表を見て、言葉を失った。
なんだ、これは……!
普段口を開かないと自分でも思っている。
だが今は、驚愕の事実を前に、そうつぶやくしかなかった。
ダブルス。
俺は出たくないと、言った。
要求した。
コーチを信頼して、要求した。
そのはずであったのに、ダブルスのトーナメント表には俺の名前が書いてあった。
一体どういうことだ。
すぐさまコーチに、この問題を解決するよう要求した。
しかし、コーチは断った。
ダブルスのもう一人を、俺に会わせたいと言うのだ。
意味がわからない。
そんな理由で、そんなどうでもいい要因で、俺はダブルスに出されなければならないのか。
何度も反論し、俺以外の選手と組ませるよう説得した。
しかし、すべてやんわりといなされて、結局俺はその試合に出ることになった。
最悪だ。
最悪以外の何でも無い。
ダブルスの相手の名前は知っている。
しかし、一度も合わせたことなど無いし、一度も会話したことがない。
コーチがなぜ、この選手と俺を組み合わせようと思ったのか、全く分からない。
俺はただ勝ちたいだけなのに。
味方を背負ってまで戦わなければならない苦しみを、リスクを、すべて排除したい一心だというのに。
握りこぶしを一層強く固めて、眉間にシワを寄せて、俺はため息をついた。
悩みと不安が、時間の過ぎる速度を加速させるようだった。
思っていた以上早く、俺は試合時間を迎えてコーチに呼ばれた。
対戦相手は、強豪でもない普通の高校。
俺がシングルで一人ずつ相手取れば、一瞬で片がつくような相手だ。
しかし、ダブルス。
懸念されるのは味方のみだった。
その味方を見る。
まず、背が小さい。
少し長めの髪をしている。スポーツをするのには邪魔そうだ。男なら短髪にしてほしいところだ。
腕も細い。
足も細い。
どう見たって、強そうには見えない。
勉強が少しできそうな見た目の、ヤツだ。
「おい、一緒に戦うのはお前か」
声をかけると、彼は嬉しそうに答えた。
「はい! 役に立てるかはわかりませんが、よろしくおねがいします!」
かなり緊張しているように見えた。
「大会は初めてか?」
「は、はい! 緊張してるけど、全力でがんばります!」
だめだな。
俺はそう思った。
思わざるを得ない。
適度な緊張は必要だ。
しかし彼は、緊張しすぎている。
ウォーミングアップも恐らく不十分。
少し汗を流すくらいがいいのだが、まだ素振りもしていないだろう。
勝つ気があるのかと疑いたくなるような、準備のなさだった。
しかし、試合は待ってくれない。
整列。
挨拶。
礼。
始まった。
相手サーブから。
味方の集中が足りない。
構え方が微妙だ。
しかし考えても仕方ない。
油断なく俺は構える。
瞬間、鋭い音。
長い外寄りのサーブ。いや、少しイン気味。甘いな。
バックステップで対応し、ラケットを振り上げ。
相手コート右側に強いのを叩き込む。
勢いよくネットすれすれを通り過ぎた羽は、そのまま床に衝突。
こちらの得点だ。
よし、まずは一点。
手にグーを作って喜ぶと、不意に味方の彼が言った。
「すごい! 今のめちゃくちゃ速かったよ! 強すぎだよ!」
「……あぁ」
甘いやつを取っただけだ。
これぐらいできて当然と、俺の中では思っていたのだが。
考えても仕方がないことだ。
気にせず俺は試合を続行した。
羽が、床に落ちた。
こちら側のコートに落ちた。
落ちて、コロンと軽快な音を立てる。
俺はもう、堪忍袋の緒が切れた。
ラケットを持ったまま、ベンチへと向かった。
「もうこんな試合は十分だ!」
最悪だった。
味方の彼は、下手くそすぎた。
俺が強いと判断した相手は、彼に球をよこすようになった。
それでも甘い球だ。
返せると思って任せた。
だが!
彼はひとつも取れない!
なぜ取らない!
既に点差は四。
俺の最初の一点以外、続けざまに味方の彼のミスで五点。
全部彼のミス。
もうこれ以上するべき試合には思えなかった。
だから、もうどうでもよかった。
投げ出した。
彼は少し悲しそうな顔をしていたが、そんなことは知らない。
俺はもうどうでもいい。
彼が、一人でやりますと言ったことも、本当に一人で試合を続行した異例の事態も、何もかもどうでもいい。
ダブルスは最悪だ。
これ以上チームプレイをしたくなどない。
くそくらえ。
スポーツの団欒など必要ない。
仲良しごっこはもう終わりだ。
弱いやつは勝手に負けていればいいだけなんだ。
俺は苛立ちを抑えるように、拳を握っていた。
コーチに声をかけられて、俺は現状を見た。
もう五分は経過している。俺の握りこぶしも疲れてきた頃合いだった。
だが、彼は諦めていなかった。
いや、彼の姿をよく見て、俺はその事実に驚愕せざるを得なかった。
一生懸命やりすぎたのか、膝から少し血が出ている。
体の各所に負担がかかって、つらそうにしている。
転んだのだろうか、足と肘に黒いあざが見える。
痛そうだ。
彼の顔がしかめっ面になっているのも、痛いからなのだろう。
辛いからなのだろう。
それでも彼は、やめようとしていなかった。
全く諦めていなかった。
また、彼が一点奪われた。
床に手をついて汗を流す彼に、俺は言った。
「なぜ、諦めないんだ……」
不思議だった。
ありえなかった。
これほどぼろぼろになって、辛いのに。
負けは明白なのに。
なぜ、なぜそこまでして勝とうとする。
彼は、枯れそうな声を振り絞って、言った。
「だって、まだ、負けてないから!」
俺は。
心を打たれた。
「まだ負けてない。勝てないかもしれないけど、まだ負けてない! だから諦めない! 僕は弱いよ。全然太刀打ちできない。だけど、そんなんで諦めてたら、スポーツじゃない。勝つために来ている。僕は、ここに、勝負しに来てるんだ!」
彼は立った。
「負けてないなら、僕の勝負はまだ終わってない。スポーツは、途中で負けられるほど、生易しいとは思ってないからね」
羽を拾って、俺に背を向けて歩いていた。
不意に、彼が言った。
「僕は、絶対諦めないよ」
強かった。
彼は。
俺が弱いと思っていた、キノコ頭の、その彼は。
しかし、全然、俺より強かった。
ただ逃げていた俺よりもずっと、強かった。
そうだ、俺は逃げていた。
今まで、ダブルスという競技に苦言を突きつけるばかりで、挑戦しなかった。
逃げるばかりだった。
だから、一人で勝手にやることを選んだのだ。
だが、彼は見せつけてきた。
俺の弱さを。
いや、『彼』という強い鏡で、俺の弱さを照らし出してくれたのだ。
彼の折れない心が、俺に大切なことを教えてくれたのだ。
「……よし」
ウォーミングアップなどしていない。
途中で試合を放棄して、また途中で再開なんて、不敬罪に問われても何も言えない。
それでも……!
サーブをしようとするところに、俺は言った。
「待ってくれ」
手にラケットを握り、ガッツリ靴紐を結んだシューズで床を踏みしめ。
「俺も勝負させてくれ」
コートの中に、俺は足を踏み入れる。
スポーツの団欒、なんて言葉は嫌いだが、協力して敵を倒すぐらいなら、誰も文句は言わないだろう。
そう思いながら、俺は試合再開のサーブを、今までで一番力強く打った。