3話 リテラシーの概念はお持ち?
相変わらず燃えていますなぁサブカルチャー業界は。何がって?そりゃああの『世界一の漫画』ですよ。決して無視して良い話ではありませんが炎上に関する私の意見は本作第2話でもご拝読お願いします。
さて、私が話題にしたいのはそこではなく『リテラシー意識の低下』という点ですね。これは非常に大きな問題です。なんでこんな世界的作家ですらこういった事態を引き起こし得るのか?ここについて考えてみましょう。
私は親によく『常識を弁えろ! されて嫌なことは人にするな!! 』と怒鳴られたものですが、よくよく考えてみればこの世界に万人共通の常識なんてないわけで中々滅茶苦茶な話だと思いますね。
ですが『同一言語、同一文化』のコミュニティの中に限って言えばある程度の共通認識はあると思います。その典型が日本人の習慣やら文化やらだと私は理解しています。
さて、ではなんでここまでリテラシーの低下が始まっているのか? 明らかに『親が子供の面倒を見ないから』でしょうね。この一点につきます。昔は近所も含めてある程度は子供の面倒を見てくれる人がいましたし今より明らか人を信用できた時代でしたから、今よりもそういった『共通認識』は子供の中にしっかりと根付いているでしょう。
しかし私も含めて今の子供はいかがでしょう? 先生の言うことなんぞ知らん、親がいないから全部一人でやって来たから貴様らの都合なんぞ知らん、他人と合わせる意味がわからん、他人の気持ちを考えた発言が出来ない等例を挙げればそれだけで文章が終わるレベルでしょう。
なぜって?それは簡単です。『親に習っていないから』ですよ。人間の性格はおおよそ5歳までの躾で決まると言われていますが、その間親が働いているんですから誰も相手にしない。これは当然子供に常識が身に付くはずがない。
だから当然そんな育ち方をした子供は大人になっても社会のギャップが埋まらないはずですよ、それで『何も出来ない』とバカにするわけです。そりゃ言われた方は誰だって『お前らが教えてくれなかったんだろう! 』って怒りますよ。
では何故にそんな悪循環が生まれるか?それは明らか『働いた時間こそ正義』という日本社会にはびこる悪習慣でしょう。高度経済成長期の頃はそれで十分かもしれませんがそれはこの現在に当てはまるかと言えば全くもってあり得ません。そのうち書こうとは思いますが『一度決めたことは絶対だ』という日本独特の考えが邪魔をしていつまでたっても考えは変わらない。いっそ今社会を牛耳っておられるご年配の方々に全てその地位を降りていただくと速いのでょうがそういう方に限ってこれが分かってくれない。
ある意味いいチャンスだと思いますよ。『人のふり見て我がふり直せ』とはまさに今の日本に当てはまりませんか? 一文章書きとしてこの辺を忘れて行きすぎた表現や炎上の種を蒔いたりするから駄目なんですよ。今こそ自分の言動を見直す時だと思います、本当に。
相変わらず『短く、自分の言いたいことを偏見たっぷりで』お送りしているこのエッセイですが、今回はこれだけ言わせてください。『何か行動を起こす時は一度考えてから』、出来そうで出来ないこの当たり前なことを全員でやっていけば少しは変わってくるんじゃないでしょうか? 長々と失礼しました。