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名誉の鼻

作者: 翁まひろ

 モンタニア村の村人には、それぞれ役割がある。

 おいしいパンを焼きたければ、パニットおじさん。

 パーティの席での余興をご所望なら、手品好きのマーチルおばあさん。

 カーテンレールの滑りをよくしたいなら、油屋のマックスさん。

 ぺたんこの枕をふかふかに戻したいなら、養鶏場のビーンズ爺さん。

 困ったときには「あの人を呼べ」と叫べば、「あの人」が誰かを説明せずとも、誰かがもっとも適した村人を呼びにいってくれる。

 モンタニア村ではそういう案配になっていた。


 さて、ここにスマートという男がいる。

 村一番の金持ちで、モンタニア村の経済を支える靴工場の長をつとめている。

 立派な人物だ。優しく、公平で、困っている村人には惜しまず手をさしのべる。工場長という立場に甘んじず、仕事熱心なところもまたすばらしい。

 そんな彼にはひとつだけ欠点があった。

 人から誉められるのが大好きなのだ。



「毎日のように村人が私を頼ってくる。それはとても気持ちのいいものだなあ」

 靴工場の執務室で、スマート氏は満足げに万年筆をとった。

 使いこんだ手帳を開く。日付と一緒に書きこむのは、朝から今まで受け取った村人からの称賛である。

「今朝は……そうそう、通学途中のトム坊やが宿題をやりわすれたと泣いていたのだったな。あんまりにかわいそうで、かわりに私がパパッとやってあげたのだ。そのときもらった称賛は、スマートおじさん、ありがとう。大好き、と」

 そう手帳に記録して、スマート氏は洒落た髭を、満足げに指でなぞる。

「それから……そうそう、昼には従業員が『女房の弁当がまずい』とこぼしていたから、私がちょっとしたアレンジを加えて、おいしくしてやったんだった。そのときもらった称賛は、スマート工場長が俺の女房だったらなあ!だ」

 そう手帳に記録して、スマート氏は得意げに目を細めた。


 ――あなたにしか頼めない。

 ――スマート氏が大統領になるべきだ。

 ――髭がとってもダンディで素敵。

 ――モンタニアの神様だ。

 ――流行を先取りしている。


「むっふっふぅ」

 スマート氏は愉快な気分で、からだをゆすった。

「どうやら私は、村人にとってなくてはならない存在のようだ。大多数の村人は、私の靴工場で働いているし、若者の就職先も九十九パーセント、私の工場だ。この『モンタニアの神様だ』という言葉は、いささか尻こそばゆさを覚えるものの、あながち間違いでもないのかもしれない」

 スマート氏は万年筆を置き、デスクに置いた手鏡を持ちあげた。

 鏡面にうつったのは、五十も半ばにさしかかり、いよいよ渋みを増した顔。映画俳優としても大成したに違いない、目鼻立ちのクッキリした彫りの深い面である。

「お。また、高くなったな」

 スマート氏は自分の鼻をつまんだ。手鏡の角度を変えては、ためつすがめつする。

 最近、スマート氏の鼻はぐんぐんと成長していた。ちょうど童話の『ピノッキオ』のように横方向に。

 現在の長さ、十八センチ。普通なら「不格好だ」と気にするところだが、スマート氏は高い鼻を誉れに思っていた。なにしろ鼻がにょきっと伸びるのは、村人から称賛を受けたときなのだから。

 誉められれば誉められるほど、スマート氏の鼻は高くなる。

 つまり、高い鼻はスマート氏がそれだけ村人から称賛されたことを意味し、いわば「名誉の証」なのである。

「ああ、もっと頼られたい。もっと称賛を受け、この鼻をさらに高くしたい。そのためには、より村人の役に立たなければ。だが、今ですら十二分に役立っている。これ以上なにをすれば村人のためになるのか……そうだ!」

 スマート氏は手を叩いた。

「今は、どうしてもおいしいパンを焼けないとき、『あの人を呼べ』で駆けつけてくるのはパニットおじさんだ。だが、パニットおじさんのパンはあと一歩、柔らかさが足りない。そういえば、ニードルおばあさんが『近ごろ総入れ歯になったもんだから、パニットおじさんのパンが噛みきれなくなったよ』とぼやいていたっけ」

 スマート氏はさっそく秘書に命じて、大都市の本屋から『おいしいパンの焼き方』という指南書を取りよせた。一流の釜づくり職人も呼び、靴工場の隅に性能のいいパン焼き釜もつくらせた。

 そして持ち前の集中力を発揮し、スマート氏はたった一晩でおいしいパン焼きを習得した。

「さあ、村人よ! おいしいパンが焼きあがったぞ。どれも無料だ。好きなだけ持っていくといい」

 スマート氏のパンは大好評だった。これまで食べていたパンはなんだったのだろうというほど美味しく、翌日にはあちこちの家で「あの人を呼べ」という声があがった。

 もちろん、この「あの人」はスマート氏のことである。

「ああ、村人があんなに喜んでくれるなんて、実によいことをした!」

 スマート氏は書ききれないほどの称賛を忙しく手帳に書き連ねながら、手鏡にうつった自分の鼻の高さに惚れ惚れとした。

「私の腕にかかれば、どんなものも『よりよいもの』にできるのだ。まいったなあ、今ごろ気づくなんて、村人には申し訳ないことをした。こうしちゃいられない。もっと努力を重ね、村人によりよい生活を提供してやらねば! だが、次はなにをすべきだろう」

 スマート氏は腕組みし、じっくりと考えた。

「そうだ。今は、パーティの余興といったら、手品好きのマーチルおばあさんだ。だが、マーチルおばあさんの手品は人体切断マジックばかりで、すっかり時代遅れだ。私が最先端の手品を学んだら、きっと村人は喜ぶに違いない」

 そこでスマート氏は、世界最大規模の手品大会で優勝した手品師が開く手品講座に出席し、熱心に流行の手品を習得した。

 一週間後、新作靴の発表会で初披露されたスマート氏の手品は大絶賛され、地方新聞でも『モンタニア村に世紀のマジシャン現る!』という記事が掲載され、モンタニア村は大いに盛りあがった。

 また同じように、スマート氏は油屋のマックスさんのカーテンレールの滑りをよくする技も、ぺたんこになった枕をふかふかにする養鶏場のビーンズ爺さんの技術も「よりよいもの」に変えていった。そのたびに、村人は大喜びし、スマート氏の鼻はいまや支える役を雇わねばならないほど高くなっていた。


 そんな、ある日のこと。


 モンタニア村の西側にある断崖絶壁から、女の子の悲鳴がとどろいた。

 村人が駆けつけると、女の子は絶壁のてっぺんに座りこみ、泣きじゃくっていた。

「おーい、いったいどうしてそんなところにいるんだね!」

 大声で村人がたずねると、女の子はめそめそと答えた。

「大鷹があたしを捕まえて、ここまで運んでしまったの。こわいよう、だれかたすけて!」

 村人はすっかり困りはてた。西の絶壁は、世界的に有名な登山家ですら「この断崖を制覇する者は神をおいてほかにない」と登頂を断念したほど険しいものなのである。どう考えても、登るのは不可能だった。


「あの人を呼んで!」


 女の子が叫んだ。村人は顔を見合わせ、もぞもぞと尻を揺らした。有名な登山家すら断念した断崖絶壁を登れる人間など、誰にも思いつかなかったのである。


「あの人を呼んでよぅ!」

 

 女の子が嗚咽のまじった声でうったえる。

 村人はたまらなくなって、誰からともなく靴工場を目指した。



 事情を聞いたスマート氏はすぐさま西の断崖までやってきた。

 しかし、絶壁のてっぺんに座る女の子を見た途端、首を横に振った。

「む、村人たちよ。たしかに私は頭がいい。顔もいいし、君たちが逆立ちしたってできないようなことも器用にこなすことができる。だが、この崖を登るのは無理だ。世界的な登山家すら登頂を断念した絶壁を登るなど、私にだってできっこない」

 女の子の両親は「そんな」と悲鳴をあげて泣きくずれた。

「スマートさんならなんとかしてくださると思ったのに。最後の希望だったのに」

 申し訳なさに、スマート氏の高い鼻が一気に十センチばかり縮む。

 わんわんと失望の声が脳内にこだまし、スマート氏は落ち着かなげに髭をなでる。

「……そ、そうだ。名案がある」

「なんですか!?」

「それは……その……そう……」

「もったいぶらないで、はやく言ってください!」

「い、いや、あるんだ。名案が。脳みその奥のほうでつっかかっているだけで、ちゃんとあるんだ、ここに」

 スマート氏は冷や汗をだらだらと流しながら、自分の後頭部をつんつんと叩く。

「待ってくれ。あと数秒、待ってくれ。もうちょっと……もうちょっとで」

 そのとき、集まった村人のなかから、パニットおじさんが顔を覗かせた。


「スマート工場長。あんたの鼻、日に日に高くなっているようだね。それをもっと伸ばしたら、あの子のもとまで届くんじゃないだろうか?」


 スマート氏はびっくりしながら、パニットおじさんの名案に笑顔になった。

「そう、それだ! 私の頭の奥で引っかかっていたのは、まさにそれだったのだ! ようし、あの子を助けられるなら、私はいくらでも鼻を高くしよう!」

 わっと歓声があがり、スマート氏の鼻がまたにょきっと伸びあがった。

「どうしたら、その鼻は高くなるんだね? スマートさん」

「褒めてくれたらいい。みんな、私のことを全力で褒めたたえてくれ!」

 村人たちは一瞬ぽかんとしてから、すぐに顔を引きしめ、袖まくりをした。

「ようし。みんな、準備はいいか。村人総出で工場長を誉めたたえるぞ!」

「それなら簡単だ。なにしろスマートさんには誉めるべきところが山ほどあるのだから!」

 村人はスマート氏を囲って、一斉に称賛を浴びせはじめた。


「スマートさんはなんといっても瞳がきれいだわ。空を固めたような青い目を見ていると、吸いこまれそうになるの」

「おいおい、スマートを外見だけの男とは思わんでくれ。こいつの頭脳明晰ぶりは、学園都市の哲学者だって歯がたたんほどなんだぞ」

「それに、努力家なところがすばらしい。いつだって全力で村人のために尽くしてくれる。それを君たち、忘れちゃいけないよ!」


 称賛は尽きることがなかった。スマート氏はそのたびに「いやいや」「とんでもない」と手を振った。するとすぐにまた、「謙虚なところが小憎いね!」とやんやの拍手が巻きおこる。

 パニットおじさんの名案どおり、スマート氏の鼻はすさまじい勢いで高くなっていった。鼻は横方向に伸びるばかりだったので、スマート氏は地面に寝そべり、村人にまっすぐ空へと伸びていく鼻の根本を支えるように指示した。

 そして、ついに鼻先が絶壁のてっぺんまで届いた。

 スマート氏が「もういいぞ、褒めたたえるのはそこまでだ!」と叫ぶと、村人はぴたりと口をつぐんだ。それと同時に、鼻もぴたりと成長を止める。

 泣いていた女の子は、崖の下から伸びてきた鼻をびっくりして眺めた。

「さあ、私の鼻に捕まるんだ! 大丈夫、折れたりなんてしないよ。鼻の穴に足先をつっこんで、落ちないようにしっかり抱きつくんだ」

 スマート氏が叫ぶと、女の子は、楕円形に間延びした鼻の穴に爪先をつっこみ、鼻の先端に両腕を回して、はるか下方にいるスマート氏を見下ろした。

「鼻に移ったよ、スマートおじさん!」

 スマート氏はほっとした。

 村人も安堵し、スマート氏の顔をのぞきこむ。

「スマート工場長、よくやってくれた。さあ、鼻を低くしてくれ」

 その申し出に、スマート氏ははたと我にかえった。

「し、しまった。鼻を低くする方法については考えたことがなかった!」

「ええ? なんてこった! じゃあ、いったいどうやってあの子を地上におろしてやればいいんだい!」

 村人は慌てふためいた。地上の混乱が伝わってか、女の子が鼻に掴まったまま泣きはじめる。両親は悲嘆にくれ、スマート氏もなすすべなく横たわっていることしかできなかった。

 そのとき、またもパニットおじさんが、ぼそっとつぶやいた。


「あんたは、ひどい男だ」


 え。スマート氏は驚き、目だけでパニットおじさんを振りかえった。

「あんたがつくったパンは、驚くほどうまかった。たった一晩、勉強しただけなのに大したもんだ。あんたのパンを一口食べたわしは、泣きながら『このくそやろう』と叫んだ。今でもわしは心の中で、あんたをそう呼んでいる」

「え、え」

 今度は、手品が得意なマーチルおばあさんが口を開いた。

「実は、私もおんなじ気持ちです、スマートさん。手品を披露してみんなに喜んでもらうことが、老いさらばえた私の唯一の生き甲斐だったのに。今や人生は色あせ、なんの楽しみもない。自分に人体切断マジックをやって、わざと失敗してしまえば楽になれるかとも思ったほど……」

「え、え、え」

 すると、村人たちは次々と鼻息を荒くした。

「私も仕事を奪われたわ」

「スマートさんはみんな自分でやってしまう」

「ちょっとお節介すぎるわね」

「工場をクビにされても困るから、言えなかったけどねえ」

「え、え、え、え」

 スマート氏はすっかり混乱して、わなわなと唇を震わせた。

「い、いや、しかし、みんな喜んでくれたではないか。手帳が足りなくなるほど称賛の言葉をかけてくれたではないか!」


「ええ、喜びましたとも。でも、限度ってもんがあるでしょ!」


 村人が声をそろえて叫んだ瞬間、スマートの高々と伸びた鼻がシュッと縮んだ。

 勢いよく縮む鼻と一緒に、地上におりてきた女の子は、両腕をパッと広げ、華麗に地面に着地する。

 村人はわっと手を叩いてスマート氏を称賛した。

「よくやってくれた、スマート!」

「さすがはスマート工場長だ、モンタニアの神様だ!」

 だが、スマート氏は地面に横たわったまま、青い空をぼんやりと眺めるばかりだった。高かった鼻も、いまや低くなりすぎて子豚のようにつぶれている。

 すると、パニットおじさんが苦笑しながらやってきた。

「スマート。今のはぜんぶ、あんたの鼻を縮めるためについた嘘だよ。さっきあの子のご両親に失望されたとき、あんたの鼻が縮んだのを見たんだ。もしやと思ってね」

「そうなんです、スマートさん」

 マーチルおばあさんもつづけて言う。

「それに私、スマートさんのおかげで『負けちゃいられない、新しいマジックに挑戦しなくちゃ!』って思えたんですよ。むしろ新たな希望が生まれて感謝してるんです」

 スマート氏はじんわりと目に涙を浮かべた。

「……いいや、いいんだ。みんなの言うとおり、私はやりすぎていたんだ……」

「い、いや、そんな」

「すまなかった、みんな。本当に申しわけなかった……」

 子豚のようになっていた鼻がますます低くなり、パニットおじさんも、マーチルおばあさんも、村人たちもおろおろとした。

 そのときだ。さきほどの女の子が駆けてきて、横たわったまま涙するスマート氏に飛びつくと、その低い鼻にちゅっと愛らしいキスをした。

「助けてくれてありがとう、スマートおじさん! このお鼻、だぁい好き!」


 ……にょき。


 スマート氏の鼻が、ほんのちょびっとだけ高くなった。

 あれ、と身を起こしたスマート氏は、村人とまじまじ顔を見合わせ、ちょうどいい高さになった鼻をなでる。

 パニットおじさんがにやりとした。スマート氏も照れくさく笑って、マーチルおばあさんも声をあげて笑いだした。やがて村人はみんなで笑いながら、女の子の無邪気な愛嬌を称賛した。



 その後、スマート氏はあいかわらず熱心に村のために尽くしたが、村人がどれほど称賛しようと、彼の鼻が高く伸びあがることは二度となかった。

 決して驕らぬ彼の鼻を、村人は「名誉の鼻」とそう呼んでいる。



(おわり)

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