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白い雷  作者: 黒崎蓮
羊雲の家編
9/28

第1話:はじめてのおしごと

 星暦1859年、冬。

 カノン王国の首都であるシリウスは、本来であれば闇夜にのまれて真っ暗闇なはずのその時間帯ですら、街の明かりに照らされて昼間のような明るさを保っていた。

 約四百年前にカノン王国とノクターン帝国の接触、所謂‘異世界との遭遇’があってから、約百年前に王や一部の貴族から一般の民へ政治の決定権を移譲されてから、カノン王国とノクターン帝国の合同技術であるアステル鉱石技術は、進歩の限りを尽くしていた。

 星心術と科学技術。

 アステル鉱石という不可思議な力を秘めた石と、人間の豊かさを追求する意志。

 人の心の力と知恵の力。

 出会うはずのなかった二つの力。

 火は電気に。

 石や木は鉄やコンクリートに。

 馬は車や雷駆に。

 そんな力が今、人々を恵みの光で照らしていた。

 眩しい光。

 笑い声。

 そんな光に照らされて、少年の影は動いた。

 爛々とした光を放つ都市から離れた広大な居住地は、対照的に静まり返っていた。

 その静けさと暗闇の中、たった今盗んできた(、、、、、、、、、)銀色の杯を、その光に掲げるように少年は腕を上げる。それから杯の中心にはめ込まれた、透き通った小さなひし形の石をのぞき込む。

 石に、杯に、自分の歪んだ顔が映る。

 逆立てた、燃えている炎のような赤色の髪。

 鋭く切れ長の目の奥に埋め込まれているのは深い緑の瞳。

 肌の白さがその二つの色を一層際立たせている。

 杯に映ったそんな自分の顔が、別の顔に変わるような錯覚を覚えて、そしてその顔が忘れもしない恩人の顔に見えて、少年は慌てて首を振る。

 ―誰もが幸せになる権利を持っている。

 目の前にある彼女は、そんなことを言ったのだった。

 正しいけれど、現実ではないそんな言葉。

 持っているけれど、みんなが持っているわけではない、現実とはかけ離れている理想。

 不公平で不平等な世界だから、そんな理想を現実にするために、やらなければいけない。

 誰かがこういうことをやらなければ、いつまでたっても現実は変わらない。

「賊だ! 賊が侵入した! ご主人様のコレクションが盗まれている!」

「ご主人様……腕にけがを……! すぐに医者を! 警備のものは周辺を探しなさい!」

 背後から聞こえた声に、少年の中にあったわずかな罪悪感はかき消された。

 その声を合図に一斉に、声の聞こえた大きな屋敷の窓に光が灯る。

 杯に映った女性の像は再び少年のものに戻る。

「……ヒャハ」

 逃げなければ、ただ罪を犯しただけになる。

 少年は一息吐いて、笑みをこぼして、自分の信念を、受け継いだ意志を貫き通すために闇夜を走り抜けた。

 彼の髪の色である赤色が颯爽と街を抜けていく。

 寒い冬には季節外れの嵐のように。



「起きてー! 朝だよー! お・き・てー!!」

「ロイお兄ちゃん! おはよう、おはよう、おはよう!」

「起きないのー? もう朝の六時だよー? 朝ごはん食べようよ、エリンおねーちゃんと一緒に作ったんだよ!」

「そうだぞ~ロイ、エリンおねーさまの手料理だぞ~起きないとくすぐっちゃうぞ! あ、チューでもいいよ? ちゅー」

「ロイにぃに~おきて~」

 凄まじいモーニングコールと間に挟まった笑えないジョークによるうすら寒さに、俺は目を開ける。パチリ、と音がするくらいには勢いよく。

 それから首を少し横にずらすと、何がそんなに楽しいのか、ニコニコ顔のエリンが俺の顔をのぞき込んでいた。まぁそれだけならよくあることなので別におかしいことはないのだけど、今日は俺の寝起きの顔をのぞき込む人数がざっと五、六人増えていた。

 どれも小さな男の子や女の子。幅にして三歳くらいから十歳くらいだろうか。さっき覚醒しかけの意識の中で‘朝の六時’とか聞こえたけど、そんな早朝だということを感じさせないほど元気いっぱいに真ん丸な目を大きく開けて、その中の瞳をキラキラと輝かせている。

「ふふふーん」

 齢十七歳のこの俺、ロイ・シュトラールからしてみればその子たちの誰もが幼く純粋な子どもたちで、そんなキラキラした表情をしてもなんの違和感もないどころか年相応で安心するのだが、その中で一人だけ飛び抜けて背の高いエリンまで全く同じような表情をして場に溶け込んでいるのを見るとなんというか、複雑な気分になる。

 こいつ、一応俺と同い年のはずなんだけどなぁ。

 子どもたちに交じって同じような顔で笑ってご機嫌な様子である。

 エリン。それぞれいろいろな理由から、同じ封魔師ギルドであるギルド・オレンジショットにて約十年間同じ釜の飯を食う幼馴染、家族のような存在の女の子だ。

 彼女も俺と同じく、人の暗い感情から生まれてしまったと言われている畏敬の存在―魔物を倒す専門家、封魔師―正確には彼女はその中の療心師という種類なのだが―である。認定試験の種類や時期の違いなどがあってエリンの方が一年早く封魔師になっているのだけれど、それ以前に俺たちは高等学校の学生であるから、今のところの身分はけっこう中途半端である。

 家族であり幼馴染であり同じ学校のクラスメイトであり同業者である、そんなエリンをまじまじと―実際は寝起きだからぼーっとかもしれないが―見つめてみる。

 栗色の髪を肩より少し長めに伸ばしていて、前髪は眉の上で綺麗に切り揃えている。そんな頭の上には黄色の星型の飾りがついたカチューシャを付けている。今日の服装はいたってシンプルで、白のワンピースにデニム生地のジャケットを一枚被せているだけだった。

「んー? 起きてるよね? なにぼーっとしてんのよ。もしかしてほんとに目覚めのキスを待ってる? よしじゃあエリンちゃんが」

「おはようエリン」

「ぶふぉ?!」

 黙っていれば年相応の女の子なんだけどなぁ。

 なにやら不穏な発言とともに笑顔を崩さず顔を近づけるエリンの頭を鷲掴みにしながら俺はそんなことをぼんやりと思う。

「ふぉーっ!! なにすんじゃー! せっかくセットした髪を崩す気かぁ!」

 俺の手のひらの中で吠えるエリン。

 周りにいる子どもたちも呆然である。

 なにはともあれ騒がしくて少し子どもっぽいのがエリンなものだから、リアクションが面白くてついからかってしまう。

「いやエリン、ほら、頭にゴミがついてたからさ」

「え、ほんとに?」

「うん、黄色くて星形の目立つゴミが」

「それは髪飾りだっつーの!」

「おにーちゃん、エリンおねーちゃんをイジメちゃ、めっ、ですよ」

 朝一番の益体もない言葉の応酬をする俺たちの間に、子どものうちの一人がそんな可愛らしい説教をするものだから、俺は素直に従って手を離す。『そーだそーだ!』と便乗するエリンは放っておいて。

 そろそろこの状況を説明しないと、この子どもたちを可愛さのあまり誘拐してきたのだとか、実は俺とエリンが生き別れた兄妹で、この子たちは残りの弟や妹たちなのだとか、ありえない誤解が生まれそうだ。

 まぁ実際はそんなことではなく。

 俺は視線を移して壁にかかった時計を確認する。

 確かにこの子たちが言ったように朝の六時を少し過ぎたところ。時計のすぐ下にはカレンダーもかかっていたので日付も確認できた。

 星暦1860年、仲春の月の三日。

 俺が封魔師の合格通知を受け取ってから二週間後の休日。

 そうはいっても学校は現在春休みなので、休日も何も関係ない。

 というか、今俺たちがいるこの場所は学校があるヒマリアの街でもなければ、そもそも街ですらない。

 俺が自分の家のように寝起きしているこの場所は、カノープス行政区に位置するボーテスという街。さらにそのはずれにある、山林の中にぽつんと建てられた一軒の大きな家―‘羊雲の家’と呼ばれる場所だった。



 雑ながら回想を入れると、ざっとこんな感じだ。

 リズの一件を一応の解決を見せ、晴れて封魔師になれた俺は、見習い封魔師としてギルドの依頼を少しずつ受けていたのだった。やっぱり学生という身分や年齢的な意味で、封魔師ということ自体を依頼主から疑われることがあったので、仕事の際にはロックに同伴してもらいつつ、主に魔物の討伐をして地道に経験を積んでいた。こういう仕事は封魔師になる前からロックに付いて行って経験していたことだから、やっていることとしてはあまり変わり映えがしなかったが、それでもその作業を‘封魔師として’やっているということを考えると、実感はだいぶ違った。

 四年前のような、あるいはリズの時のような、特定の誰かから生まれた魔物というわけではないけれど。

 魔物というのはいろいろな人が生み出した不安や鬱憤や、そんな暗い感情の集合体だから。それらを討滅することで、少しでもその暗闇が晴れるのならば、俺はその助けになりたい。

 そんなこんなで封魔師を続けて二週間後、つまり昨日、仲春の月の二日のことだった。

「ロイ、そろそろお前、一人だけで仕事をこなしてみたくはねーか?」

 それはいつものように依頼を受けようとギルド一階に降りてきた俺にかけられた声。

 ギルドオレンジショット、副ギルドマスターのロック。さすがにいつものような紺色のコートは着ず、同じ色の長そでシャツを涼しげに着こなして、鋭い視線を手に持った紙から離さずに言った言葉のようだった。

「一人だけ……? 依頼主との顔合わせから魔物の討滅まで、全部ってことか?」

「それ以外何があるんだよ。封魔師歴二週間で早くもおひとり様のお仕事だぜ? 十八歳未満は一人で仕事を任せちゃいけねーって決まりがあるみたいだけど? それはもう知らなかったことにするからよ」

「そんな雑なのかよ封魔師って」

 後ろで馬の尻尾のように縛った漆黒の髪を揺らして、ロックはバカみたいに眩しい笑顔でそんなテキトーなことを言う。

「大丈夫だって! 十八ですって言えばバレないから」

「嘘だな! この前の仕事だって、身分も年齢も言ったのにそれでも信じてもらえなかったじゃないか。なんだよ、十七にしては童顔だねキミって!」

 詳しいことは省略するけれど、つい数日前に受けた魔物討滅の依頼を受ける際、依頼主からそんなことを言われたのだった。

 大きなお世話だ。下に見られることはあっても、上に見られることはないという自分の顔はそこそこ気にしていることでもあるのに。

 三か月後の仲夏の月の七日には誕生日を迎えて、本当に十八、つまり‘大人’の仲間入りになるというのに。

「で、何かの依頼なのか? 俺に任せてもらえそうな仕事なのか? だったらもちろん断る理由は無いんだけど」

 文句は言いつつロックの話には興味があったのでそれ以上は踏み込まずに訊く。

「任せてもらえそうな……ね。いや、これはお前にしか頼めねぇ。お前じゃないとダメなんだっ!」

 ロックはやや芝居がかった調子で、ばんっとカウンターテーブルに読んでいた紙を置く。そこに書かれていたのが、今回の依頼の内容だった。

 つまりヒマリアの隣町、ボーテスに行くことになった理由。

「慈善施設の警護……は良いとして、この子守りってなんだ……?」

 依頼の概要にはそう書かれていた。封魔師らしく、魔物を討滅するとか、危険なアステリアルの護送や保護をするとか、そういうのではなく。

 前者は、まぁ、騎士団や、今や絶滅危惧種と言えるけど、傭兵とかに頼めば良さそうな依頼だった。

 でも後者なんかは、逆にそういう荒れくれ者がやっちゃいけない仕事なのではないだろうか。

「この場所には子どもたちがたくさんいるんだ」

「……」

「お前の実力を見込んでの話だぜ。断る理由、無いんだろ?」

「そうか、俺の実力って子守り程度にしか役に立たないんだな……」

「おいおい、ガキの面倒を見るのだって結構大変だし、実力が伴ってなけりゃできねーんだぜ? 俺みたいにな」

 俺の実力が子守り程度なところは否定してくれないロックだった。さりげなくくっつけた最後の言葉で俺への攻撃ならぬ口撃を忘れないところも、なんだか今日は舌の調子が絶好調なのがムカついた。

「子守りの方は、まぁエリンと、ガキのおもちゃとしてネコを連れてけばいいんじゃね?」

 ロックはもう他人事だと思っているからだろう、だいぶ投げやりな感じで言って俺に用紙を渡す。

 ちなみにロックの言うネコというのは、物心ついた時からずっと一緒にギルドに住んでいる白猫のミラのこと。ただの白猫ではなく、‘念話’という星心術を使って人間の言葉を理解できる珍しいタイプの猫だ。

 いまだにあいつを‘珍しい猫’として紹介するのは違和感があるけど―というのも、小さいころはすべての猫がミラのように‘念話’を使って話せるものだと思っていたから―、今回あいつは子どもたちのおもちゃになるのか……。あの鋭い目で睨んでくるのが容易に想像できた。

 そんなことを思いながら用紙に目を落として依頼の詳細を確認する。

場所はボーテスの街のはずれ、山の中。‘羊雲の家’という名前の木造の建物を拠点とした、同じく‘羊雲の家’という名前の慈善団体らしい。

慈善団体、と言っても、何の団体なのかは書かれていなかったから分からなかったけれど。

 依頼主はミストル・ブルメリアという男性。

 彼の姓である‘ブルメリア’に聞き覚えがあったけど、それはすぐに分かることになった。

 とにもかくにも。

 俺がロックのサポートを受けず、封魔師として初めて単独でやることになった仕事は、魔物の討伐でもなければアステリアルの保護でもない。

 護衛と子守りという、あえて一言で表すならば‘用心棒’と呼ぶべきものだった。



「はやくー、朝ごはん食べたいよー」

「みんなそろっていただきますだよ~。ほら、ごはん食べる前に動物に触っちゃダメよ」

「……」

 回想を簡単に終えてからの朝食。

 二階に用意されていた空き部屋で寝ていた俺は、子どもたちとエリンに起こされて階段を下った。すると、俺を起こしに来てくれた子たちと同じくらいの人数の子ども―合計して十五人の子どもたちががやがやと忙しそうに朝食の準備をしていた。

 依頼を受けると決めたその日の夜に、依頼主の車に乗せられてこの場所に連れてきてもらった。それから簡単なもてなしを受けた後、すぐに寝てしまったからこの家での食事は初めてだったけど、少なくともこの光景は俺が見たことのないものだった。

 ギルドオレンジショットと同じくらいの広さがあるかもしれない部屋にはどっかり長机が横たわっていて、そこには料理の載った皿とそうでない皿が半々くらいの割合で所狭しと並べられている。

 それはまだ良いのだけど、驚いたのはそのセッティングをしているのが、全員俺やエリンより年下の子どもたちというところだった。唯一キッチンに立ってフライパンを火にかけて振っている男性以外、そこにいるのは全員さっき俺を起こしに来てくれた子たちと同じような歳の子どもたち。

 手の空いた子は予想通りというべきか、白猫のミラのひげを引っ張ったり、頭をこねるように撫で繰りまわしたりとやりたい放題だった。

「なんだ、ここは動物園か? 私は動物園に連れてこられたのか? くそ、なんでこの私がこんなサルガキなどに……噛み砕くぞ、猫パンチ百連発だ……」

 この中で動物なのはお前だけだというツッコミは胸にしまっておくとして。俺にしか聞こえない声で口汚く罵るわりに抵抗らしい抵抗をしないミラは、あれで結構楽しんでいるのかもしれなかった。

 両側で三歳くらいの女の子がミラの白い毛に顔を埋めて気持ちよさそうにしていて、まさにハーレム状態である。

「んなわけあるか! 悠長に観察している暇があったら私を助けろ!」

 猫と会話しているやばいやつだとは思われたくなかったのでその悲痛な叫びは無視して、俺は食卓に向き直る。それと同時に何種類かのスパイスが合わさった、食欲を刺激する匂いに腹がうなり声のような音を鳴らす。

「じゃあみんな、手を合わせて。お客さんもいることだ。一緒に食べ始めよう」

 さっきまで料理を作っていたからか、額に汗を浮かべた男性は言って、子どもたちに呼びかける。その声に、さっきまでミラと遊んでいた子たちも、小走りに空いている椅子に腰を掛ける。

 長いテーブルには主食である丸パン、さっきの匂いの元だろう、色んな具材がたっぷり入っているのが分かるスパイシースープ、緑や赤や色彩豊かで新鮮そうな野菜、こんがり焼いたベーコンと、その上に載った目玉焼き。それらが早く食べてくれと言わんばかりに皿に盛りつけられていた。

 朝からこれは……ずるい。腹の音がさらにやかましくなるのが分かった。隣に座るエリンなんて、目を輝かせながら今か今かと待っている様子だ。

 男性はみんなが座り終えるのを待ってから、白い歯を見せながら笑んで、

「いただきます!」

 子供たちに負けないくらいの明るい声で手を合わせるや否や、すぐさま手元にあったパンに噛り付いた。

「もー、先生、そんなに急いで食べたらお腹が痛くなっちゃうよ」

「ん……もぐっ……朝のひと仕事を終えた後のごはんほど……おいしいものはないよ」

「そうだけどー!」

 男性の食べっぷりに、子どもたちは慣れたように言って、それから楽しそうにきゃっきゃと笑い始める。それは波紋のように伝播して、あっという間に食卓は笑顔に包まれた。

 俺の右斜め前で子どもたちに笑いかけているのが、今回の依頼主である、ミストル・ブルメリア。黄緑色の、いわゆるツナギを着ていて、エリンより明るい少し長めの茶髪がクセのためかカールしているのが特徴的な、三十代後半くらいの男性だった。

 この‘羊雲の家’の管理人であり、ブルメリア社創設者の息子で、二代目の社長になるはずだった人物。

 ブルメリア社というのは、このカノン王国では大手の、衣料品の製造・販売をしている会社だ。国民の七割強が、所謂‘ブルメリア・ブランド’の衣服を着用しているというデータがあるというのを聞いたことがある。俺の着ている白いジャンパーやデニムパンツがそうであったかどうかは忘れてしまったけど、とにかく同世代の女子のファッション競争はブルメリア・ブランドかそうでないかで大方の勝負はついてしまうらしい。

 国王からも国王指定栄誉賞という、なんだか立派な賞をもらったとか。王様に政治の権力とか、その他諸々があった時代にそんな賞をもらっていたら、今頃カノン王国でのシェアは独占されていたことだろう。

 ……というのが、この辺の話にてんで疎い俺がエリンから教えてもらった情報。

 ちなみに、エリンの着ているデニムジャケットがブルメリア社のものであるのに対して、俺が着ている衣服の中にブルメリア社のものは一つもないそうだ。少数派の俺カッコいいとか思っちゃう年齢はとうに過ぎたので、普通に取り残された気分ではある。

 そんな大手の御曹司が、どうしてこんな山奥で庶民の食事を美味しい美味しいと頬張っているかと言えば、勘当されたとかそういう笑えない冗談ではなく。

 これは昨日の夜のうちに聞かされた話だけど。

 彼はどうしても‘助けたかった’らしい。

 社長になるという、絶対的に安定的な道を捨ててまで守りたかったもの。

 それがここにいる子どもたちだった。

 ―きみたちは、‘ブラックシード’という存在を知っているかい?

 昨夜のミストルさんの言葉がよみがえる。

 ブラックシード。

 黒き種。

 知識だけなら、つい最近受けたばかりの封魔師認定試験にも出て知っている。

 ブラックシードとは、潜在的に魔物を生み出す要因になるほどの負の感情を心のうちに秘めていたり、その負の感情に飲み込まれ、畏敬の存在である魔徒になってしまったりする恐れのある―つまり陥魔してしまう恐れのある|子どもたち≪、、、、、≫のことを指す。

 子どもの心というのは不安定なもので、ちょっとしたことで不安を感じたり、泣いてしまったりする程に、弱くて、脆い。

 空気中に存在するアステルと、人の負の感情の混合体である‘邪気’は、そんな弱くて脆い子どもたちの心に、大人以上に作用し、影響を及ぼすことが多いのだ。

 心の中に不安や、悲しみや、憎しみを、様々な理由―虐待、いじめ、家族との死別等々で増幅させてしまって、いつ陥魔してもおかしくない子どもたちのことが、つい数十年ほど前からブラックシードと呼ばれるようになり、社会から忌避され、遠ざけられてきている。

 ブラックシードかどうか判断するのは、主にエリンのような療心師。専門的な星心術で心の傷の度合いを診断するのだそうだが、重症な子は一目見ただけで分かるらしい。

 今にも爆発してしまいそうな、あるいは切れてしまいそうな(、、、、、、、、、)雰囲気を、その身に帯びているから。

 なぜそんなことが最近になって騒がれ始めたのかは、二十年前のエデーナ戦線という紛争が要因になっているらしいが、その辺は長くなるので省略だ。

 ブラックシードはその特性から、社会から冷たい目を向けられる。

 他の子どもたちに悪影響を与えるかもしれない。そんな理由で学校に通えない子ども。通えたとしてもそこで待っているのは暴力と暴言。異質なモノに対する不安と恐怖が、その子へのいじめへと変換されて、苦しめる。救いを求めて、各地に点在していて、国中のアステルや邪気のバランスを保ち、また穢れた心を癒すと言われているアステル聖石が収められている神殿へ行こうものなら、やはり入殿拒否を言い渡されるのだ。

 ひどい場合には病院にすら行けず、苦しみ続ける子もいるらしい。

 誰も苦しみから救ってくれない。その感情がさらにブラックシードたちの心を黒く、純黒に染め上げる。

 まさに負の螺旋地獄だと、俺は思うし、だからこそミストルさんは動いたのだという。

 そういう存在を知って、放っておくわけにはいかないと、社長のイスを弟に明け渡して、資金を集め、街を離れ、子どもたちを連れて、この‘羊雲の家’で生活するようになって今は三年目らしい。ミストルさん以外にもこういう活動をしている活動家や団体があるから、協力をしあって子どもたちが普通の人と何ら変わらない幸せを感じられる、そんな空間を作り上げるという目標を持って試行錯誤している毎日だという。

 普通の人と何ら変わらない。

 今一緒に食卓を囲んでいる子どもたちだって、別に違和感なく接することができる。

 ブラックシードだということを知らなければ、何の隔たりもなく笑いあえるはずの子たちばかりだ。

 もちろんそれはミストルさんの力があってこそなんだろうけど。

 俺はそう思って、ちらりとミストルさんの顔を見る。

 ミストルさんも俺の視線に気づいたようで、

「ロイくん、ぼーっとしているとお隣のお嬢さんに全部食べられちゃうよ? 僕と子どもたちの自慢の一品なんだから、ぜひ食べてほしいんだけれど」

 眦を下げて、俺にそう勧める。

 気付くと、俺の前にあった皿の中身は、ハイエナに食い荒らされたかのごとく無残な有様になっていた。隣を見ると、食べ物を咀嚼するような動きをひたすら続けるエリンの姿。絶対口の中はいっぱいになっているはずなのに、これでもかというほどにスプーンとフォークを使って器用に料理を口に運んでいく。

 きったねぇ、なんて食い方しやがるんだこいつ。ギルドならまだしも、ほぼ初対面の人の家(?)だぞ。

「うーん、美味しい! そうですよそうですよ、朝のお仕事の後のごはんはさいっこうですよねミストルさん!」

 会話のテンポがすごい勢いで遅れているし、おまけにたった今エリンがスプーンですくったスパイシースープは俺の分だし!

「おい、エリン、食べ物の恨みは恐ろしいってのはお前の口癖のひとつだよな? くそ、俺の分が半分も残ってないじゃないか……うぅ」

「ほえ? ほーはっへ?」

「口に物を入れてしゃべるな! というかちゃんと口の中に入れろ!」

 振り向いたエリンの口からは丸パンが飛び出ていた。

いろいろな怒りをエリンにぶつけたかったが、なによりも腹の虫が大合唱を始めたので、俺は残っている料理をエリンに負けじと口に入れていく。

 食事のマナーとか、今はちょっと忘れさせてください。

‘羊雲の家’というだけあって、朝食のメインであるスパイシースープの中に入っているのは羊の肉のようだった。何種類かのスパイスと、中に入っている野菜の甘みが、羊肉の独特の臭みと良い具合に混ざり合って、絶妙なバランスを作り出していた。

 昨日聞いた話だと、この羊肉の元になった羊たちはここにいる子どもたちとミストルさんが一緒に近くにある‘牧場’で育てたものらしい。これもこの‘羊雲の家’で子どもたちが働くということを知るための一つの活動なんだとか。牧場は今日この後見せてもらえる予定になっているから楽しみだ。

「はっはっは! おかわりはあるから大丈夫だよ。ゆっくり食べなって」

 微笑ましそうに俺たちを眺めるミストルさんだったが、当の俺はそんなに穏やかじゃない。

 食い尽くすか食われるか。これはただそれだけの、エリンとの勝負だ。

「おー、ロイおにーちゃんとエリンおねーちゃん、きょーそーしてるの?」

「ロイおにーちゃんがんばれー!」

 幼女に応援されながら料理をひたすらがっつく俺とエリン。早くももう食べ終わった子どもたちもいるようで、俺とエリンの勝負を楽しそうに見物している。

 あれ、ほんと何しに来たんだっけ、俺たち?

「いや、こんな食べ盛りの子を見るのは久しぶりだなぁ。この子たちもこんなふうになっていくのかと思うと楽しみで仕方ないよ」

 ミストルさんは嬉しそうに言うけれど、こんなことする子があと十五人も増えたら食費だけでかなり大変なことになるのではと呑気なことを思っていた俺だったが、その次に続いた言葉でふと、今俺がここにいる理由を思い出したのだった。

「でもあんまり食べ過ぎて、いざというときに‘泥棒さん’を追い払えないなんてことがないようにしてくれよ?」

 おどけた調子でそう言うミストルさん。

 あぁ、泥棒。

 そうだった。

 何をバカな事をやってるんだろう。

 俺たちがここに来たのは警護と子守りのため。

 ミストルさんが俺たちに力を入れてやってほしいことと言えば、優先順位は選ぶまでもなく警護の方。

 昨日の夜、依頼の確認ということで、子どもたちが寝静まった夜に、概要だけではあるけれど、割と真面目に確認し合ったばかりじゃないか。

 それを悟った瞬間、俺の目の前にあった食べかけの丸パンは、エリンという名の暴食の化身に一口で食らわれてしまったのだった。



「これが昨日言った、‘泥棒さん’のターゲット……と思われるものだよ」

 騒がしい朝食を終え、ミストルさんに案内されたのは‘羊雲の家’の、入り口側から見れば最奥部とも呼べる部屋だった。子どもたちは朝食後の‘休憩時間’らしく、今は子どもたち同士で部屋の中で遊んでいる。

 ‘羊雲の家’は作りとして、さっきまで朝食を食べていたキッチンと食事場所が一つになった部屋、その隣には今子どもたちが遊んでいるのであろう広い部屋が二つ続いている。夜にはそこに布団を敷いてみんなで寝るらしい。

 俺が寝ていた二階は、一人分の小部屋が五つ並んでいる。いつか子どもたちが大きくなって一人部屋が欲しくなったときにこの部屋をあげるのだとか。今はまだその年ごろの子がいないから、俺とエリンが先取りして使わせてもらった形だ。

 こんな形の‘羊雲の家’の中の、食事場所と大部屋の間にある扉の奥の部屋に今俺とエリンとミストルさんはいる。ミラも付いてくるはずだったのだが、光の速さで子どもたちに捕まったのでここにはいない。

「ヒール・オーナメント……? これを泥棒が盗みに来るんですか?」

 二階にある小部屋と同じくらいの広さの部屋で、天井につるされている電球の暖色の光だけに照らされているため、なんとなく落ち着くような雰囲気がある。

その部屋の中、エリンが床に並べられた色とりどりの瓶や杯、その他似たような形をした物体を見て不思議そうな声を上げる。

 今回の依頼。

 朝食中にミストルさんの‘泥棒さん’という言葉で思い出した今回の依頼の本筋は、目の前に並べられている瓶やら杯やらを、つい先月にこの‘羊雲の家’に盗みに来たという泥棒から守ってほしい―つまり警護してほしいというもの。そしてあわよくばその‘泥棒さん’を捕まえること。

 昨日の時点では‘ある物が盗まれた’ということで、詳しいことは教えてもらえなかったのだけど、盗まれたのは、警護の対象はこのヒール・オーナメントだったのか。

「さすが療心師。一目でこれがヒール・オーナメントだと分かったんだね。そう、これはヒール・オーナメント。またの名を、‘療心器’」

 ミストルさんはそう言って俺たちの方を振り返る。それからその中の一つを取って、電球の光に照らすように持ち上げる。

 ヒール・オーナメント―療心器というのは、置くだけで一定の範囲にいる人たちの心を落ち着かせる効果のある、光属性のアステリアルの一つ。主に療心師が陥魔してしまった人のアフターケアに使用したり、その効果から、家庭で置物として使われたりするような、かなり一般的なものだ。普通の人にとっては、一つでも十分な効果のあるアステリアルなのだけれど、それがこんなに、少なくとも十五個以上ある理由はそんなにないだろう。

「こんなもの気休め、というかまやかしかもしれないんだけれどね。これがあるのと無いのとでは、子どもたちの精神状態もかなり違うんだ」

 ため息を交えて言うミストルさん。 

 傷つききった心を、アステリアルで癒す。ミストルさんとの触れ合いで、同じような子どもたちとの共同生活であそこまで笑顔を取り戻せたのかと思ったけれど、それだけではなかったらしい。このヒール・オーナメントの効果が、結構な割合であの子たちの笑顔に貢献していたということだろう。

 だけど引っかかるのは、エリンが不思議そうに言ったように、なぜその‘泥棒’がこのヒール・オーナメントを盗もうとしているのかということだ。一般的に出回っているもので、盗んだとしてもそこまで値打ちのあるものではないのに。

「すでにいくつかが盗まれてしまったけれど、何で盗むのか、誰が盗んだのかという犯人の目星もつかない。この前は子どものうちの一人が不審な男を見かけたということで、この盗難が発覚したわけなんだけど……またいつ来るかわからないし、その時は子どもに被害が及ばないとも限らない。二人にはここを中心に警護してほしいんだ」

 理由はミストルさんにもわからないらしい。理由は分からなくとも、俺たちはとにかくその‘泥棒’の魔の手からヒール・オーナメントを守らなくてはならない。

 それはあの子たちの笑顔を守ることに繋がるから、なおさらだ。

 魔物を倒さなくとも、人の心を闇から救い出すということにはなるのだから、封魔師としてやる仕事としては申し分ない。

 ロックも俺の実力を子守りレベルだとバカにした割には、やりがいのありそうな依頼を持ってきてくれたものだ。

「分かりました。改めてよろしくお願いします。俺たちはこの部屋の周辺にいて警護するという形で良いですか?」

 決意を胸に、俺はミストルさんに確認をする。

「常にここにいる必要はないよ。最初の盗難の後、街の星心術師に結界を張ってもらったから、僕ら以外がこの家の周辺に侵入したらすぐわかるようになっているんだ。入られても、僕らには‘泥棒さん’に対抗する手段がないからね。だからきみたちを呼んだということなんだよ。もしもの緊急事態の時にここに来られるようにしてくれれば良いよ」

「へぇ~、結界張ってたんですか? 昨日の夜車に乗せてもらったときはぜんぜん気づきませんでしたよ!」

「これでもけっこう奮発して有名な星心術師に頼んだからね……」

 興奮気味に食いつくエリンに、ミストルさんは表情を引きつらせて苦笑いする。言葉通りかなりの出費だったらしい。

 結界が張られているなら俺たちが常に気を張っている必要もないみたいだ。けっこう厳重な対策を、身を切って事前にしてくれているミストルさんに感謝しつつ、俺は頷く。

「その代わりと言ってはなんだけど、依頼用紙にも書いた通り、きみたちには子どもたちの面倒を見て欲しいんだ。僕はちょっとどうしてもやらなきゃいけない仕事があるから、その間だけで良いんだけど」

「あぁ、やっぱりそこは変わらないんですね……」

「うん? もしかして子どもは苦手かな?」

「いやいや、そういうわけじゃないんですけど」

 この際ロックの言葉は忘れることにしよう。ちょうど俺の隣には子どもみたいな同年代がいることだ。扱いには慣れている。

「ふふーん、ロイ、その仏頂面であの子たちを泣かせちゃダメだよ?」

「お前こそ、テンション上がりすぎて子どもたちを振り回したり食べたりするんじゃないぞ」

「そそそそんなことしないよ?!」

「動揺せずにちゃんと否定してくれ。いくら暴食の化身エリンでも子どもまでは食べないだろ?」

「誰が暴食の化身よ~。でも、食べちゃいたいくらい可愛いって、あの子たちのためにあるんだなーってくらい可愛いよねぇ」

 エリンはあの子たちを思い浮かべてか、表情をとろけさせる。

そこは確かに同意だ。だからこそ、泥棒だろうが何だろうが、その狙いが何だろうが、あの子たちに危害を加えようものなら捕まえなければならない。

「ふふ、その調子なら、なんとかやってくれるって信じてるよ。さぁ、そろそろ羊たちのお世話をする時間だ。子どもたちのところへ行こう」

 ミストルさんは手に持った銀色の杯を床において、それから切り替えたように扉へと向かう。

 そうだ、今日は牧場を見せてもらうという話だったっけ。

ミストルさんが開けた扉の向こうから、子どもたちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 今回の依頼に対して、どんな気持ちで臨めばいいのかイマイチつかめなかったのだけど、リラックス半分、緊張半分くらいの気持ちがちょうど良いのかもしれない。

 集中しているときはいつにも増して俺の表情は仏頂面になるようだから、半分くらい気楽な気持ちでやらないと子どもたちが不安がってしまうかもしれない。

「リラックス、リラックス……」

 先に飛び出したエリンには聞こえないように俺は呟いて、両手の人差し指で口元を上げる。

 ―――。

 その時、誰かに見られたような、笑われたような、そんなはっきりとしない感覚が俺の前身に覆いかぶさった気がした。

 慌ててあたりを確認してみるけど、エリンもミストルさんも前を向いて、それぞれ子どもたちに手を振ったりじゃれあったりしている。

 まさかと思って後ろを振り返るけど、そこにはヒール・オーナメントがさっきと変わらず静かに並んでいるだけ。人影といえば自分のものだけで、誰かがいる様子はない。他の誰かが侵入しているのだとしたら、結界で察知できるはずだから誰もいないはずなのだけれど。

「気のせい……かな」

 言葉ではそう言ったけれど、なんとなくまた緊張の糸が俺の中で張り巡らされた、そんな気がする。

「これじゃ気楽になんてできないけどな……」

 俺はぼやいて、緊張七割、リラックス三割くらいに気持ちは入れ替えて、それから二人と同じように子どもたちのところに向かうことにした。


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