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白い雷  作者: 黒崎蓮
ヒマリア編
8/28

第一章:エピローグ

 それからそれから。

 あの事件から三日が経った。

 それまで特に何事もなく、高等学校二年生最後の一週間を過ごしていたのだけど、三日経ったその日の昼、その報告はあった。

 ―ロイ・シュトラール。貴殿を第二種封魔師として認定する。

 そんな簡潔な文章とともに、俺の封魔師としての人生が始まったのだった。

「え、うわ、ちょ、これ、え、いやいや、うわぁ、すげ、ふー、マジ??」

 これがニヤニヤ顔のロックとエリンから通知を受け取った直後の俺の反応。

 キャラ崩壊も良いところである。

「やった……やったんだ……いよっしゃあぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」

 ちょっと落ち着いた後の俺の喜びの雄叫び。正直ぜんぜん落ち着けるものではなく、大歓喜のぶっちゃけはっちゃけモードだった。

試験を終えたここ数日は特に神経質になっていて、けっこう刺々した雰囲気を纏っていたんじゃないかと自分でも思っていた。その上、今回の事件があって、実のところ精神的に疲労していたところもあったのだけれど、この報告はそのすべてを吹き飛ばしてくれた。

 四年越しの俺の夢が、一歩大きく前進したのだ。

 これが嬉しくないわけがない。

 普通にうれし泣きというやつをしてしまった。

 お祝いの言葉やら品やらをいろいろな人からもらって、その夜はギルドで宴会まで開いてもらったのだった。

 ―夢は叶えてからが本番だぜ。

 ロックのそんな言葉を素直に受け取って、俺は晴れて封魔師になった。

 迷ったときもたくさんあって、あきらめようと思ったことも何度もあった。

 迷うことができて良かった。あきらめなくて良かった。

 リズの件があって、より一層そう思える。

 いつかリズが言ったように、封魔師としてやっていく中で立ち止まることがあるかもしれない。

 もしそうなったら、立ち止まって、振り返って考えてみたい。

 だけど今は、とにかく封魔師として進んでいきたい。

 そして助けていきたい。

 少しでも俺の周りで苦しんでいる人を、泣いている人を笑顔にしてあげたい。

 心の闇が生む怪物を倒すことで、その闇を封じたい。

 きれいごとに聞こえるかもしれないけど、俺は本気でそう思っている。


 ということで、もしかしたら俺が封魔師になって最初の出来事と言えるかもしれないヴンディッド・キャットの事件を振り返ってみる。

 最後の最後の美味しいところはトニーに取られてしまったというオチだったけれど、リズを助けるという最初の約束を守れたから、特に言うことはない。

 ‘雷鳴’でヴンディッド・キャットを斬り裂いた時に包まれた光。

 あれは同化してしまった人の心がアステルと結合して実体化したものであって、魔物を消滅させた後、その心を自分の心と通わせ、宿主の元に戻すというのが、封魔師がやらなければならない最後の、そして最重要の仕事だった。

 それを封魔師でも何でもないトニーがやってしまったというのは、喜んでいいのやら悔しがるべきなのか分からない。

 封魔師か星心術師じゃなければできないあのやり方でトニーがリズを助けたのは、これもまたロックの差し金だというのは確かなのだろうけど。

 それを抜きにしても友だちとしてトニーを誇らしく思えるし、リズは俺に助けられるよりよっぽど良かったかもしれない。

 白い光の中で見たリズの笑顔。

 眩しいくらいのあんな笑顔、たぶん俺は見たことなかったから、リズに関して言うなら心配ないんじゃないかと思う。

 もちろん問題がなくなったわけではない。ユリアさんと面と向かって話す機会も必要だろう。

 和解、というのも少し違うかもしれない。リズの感情が暴発してローズリー邸を破壊しそうになったことには違いないが、直接その気持ちをユリアさんに伝えたわけではない。

 この春休み中は騎士団病院や療心師の手を借りて多少の更生プログラムを受けたり、最初の被害者であるポール先生たちにも謝ったりと、やらなければいけないことは盛りだくさんだ。

 リズの戦いは、これからだろう。

 自分の意志で自分の道を決めたい。

 そんな想いがあの光の中で伝わったけど、リズがやりたいことって何だろう?

 十三局の局員になる、というのはもう目指すべき場所ではないのかもしれない。

 どんな道を、どんなことをしたいのか。

 もう少し落ち着いたらリズに聞いてみたいところだ。

 トニーの方はというと、相変わらずだ。

 あの事件の次の日にはもういつも通りに学校に来て、いつも通りエリンとバカを言い合っていた。

 俺から言えることはそんなにないけれど、あのままリズの隣にいて、笑わせてくれればお互いにとっても、俺たちにとっても楽しいし、幸せなことなんじゃないかと思う。

 恨んでも恨まれても、これまで通りやれる二人なら、きっと大丈夫。

 そんな感情を、恨んで憎むそんな暗い感情を抑えきれず、あの石に頼ってしまったスミレさんはというと、あの後すぐにロックが呼びつけた騎士団に押さえつけられた。

 黒地に白く大きなボタンがトレードマークの制服に身を包んだ従士と呼ばれる彼らはロックを見るなり、「またあんたか」と言いたげの苦々しそうな表情を前面に押し出しながら彼女を連れ出していった。

 彼女に関しては正直なところ、リズやトニーと同じように感じることができない。

 あの人だって苦しんでいたことは確かだろう。そこはリズ同様、怪物を生みだしてしまったことに対しては責めることができない。それでも、ユリアさんにどんな扱いをされていたのかは分からないけれど、リズの心を自分の暗い感情を発散させるために利用したというところだけは、許されることではないと思う。

 それに石のおかげとはいえ、あれほど鬼気迫った悪意を見せられると、「仕方ない」の一言では言い表せない恐怖のようなものは抑えられなかった。

 感情的、激情的と言えるほど、暗い心に支配されていた。

 それでいて、ロックやミラをあの家から遠ざけるための細工を施したりと、妙に理性的なところもあった。

 恐怖と不可解さという微妙な引っかかりがいまだに残っている。

 そのうちの不可解さとして、彼女の言っていた‘陽動作戦’という言葉だ。

 作戦。

 あの時実際に起こったことと言えば、スミレさんがロックをあの豪邸から遠ざけるために、薬か何かで眠らせたリズをヴンディッド・キャットの背中に乗せ、でたらめに移動するように指示したということだった。適当なところまでロックを引き寄せた後、リズをその場に残し、スミレさんのところまで戻らせ、最後にはユリアさんの目の前であの豪邸をヴンディッド・キャットに破壊させるというのがこの作戦の流れだったらしい。

 この作戦にミラやロックが引っかかってしまったのは、主にミラの勘違いと焦り、というのが真相だった。

 人間ではあり得ない速さで家を飛び出したリズ。彼女の周波相をマーキングしていたミラは、その動きに違和感を覚えた俺とは対照的に、あり得ることとして見過ごしていたという。

 つまり、魔物でありながら魔徒のように一人の人間から生まれた魔物―しかも今回は宿主が二人とも言える中途半端な存在だったから、何が起きてもおかしくないと、そう踏んだらしい。リズという人間でありながら、人間ではあり得ない動きを見せてもおかしくないと、そう踏んだらしい。だからこの時点では違和感を覚えなかったのだとか。

 実際にはリズは眠らされていたわけで、一連の動きはすべてヴンディッド・キャットによるものだったから、この時点ですでに認識を誤っていたわけだ。

 もう一つ、途中からリズの周波相が膨大な邪気に紛れてしまったこと。これについては、その邪気を感じた段階でリズが魔物を再び出現させたということで俺もミラも認識していたわけだけど、これこそロックを呼びよせるためにわざと目立つ邪気―ロックでなくとも気づく者は気づくくらいのもの―を発現するように命じたということだった。

 当のスミレさんはそもそもミラの存在すら知らなかったから、ミラを騙すつもりは全くなく、ロックを遠ざけるという目的ただ一つで行ったのだという。

 正直、俺にはこの一連の作戦が、魔物を生み出すほど負の感情に支配された人間が言えるものでもなく、ましてや実行できるものではなかったと思うのだ。

 陥魔という現象によって増幅された負の感情は、どんな感情よりも、理性よりも、感覚よりも、道徳よりも、倫理よりも優先される。

 陥魔して魔徒となった人間―今回の場合のように魔物を生み出した人間も同様だろう―は、感情の赴くままに、全てを壊し、殺していく。

 ‘彼’。‘影石’。

 あの時ギルドで感じた人為的な何かは、きっとこの言葉の中にある。

 騎士団に拘束され、取り調べを受けたスミレさんが、陽動作戦については余すところなく自白したにもかかわらず、その部分だけは頑なに口を閉ざしているらしい。

 彼女がいくら口を割らなくとも、直接対峙した俺が考えられる可能性は、誰かが、あの影石をリズに、スミレさんに渡して陥魔させたということだ。

 リズは溢れ出る感情を利用され、スミレさんはさらにそんなリズの感情を利用して、あの石に自分の憎悪を込めた。

 想像したくもない、そんな想定。

「もうお前も晴れて封魔師だ。隠す必要もないだろ」

 宴会が終わって、人がいなくなったギルド一階のテーブル席。

 ロックはコーヒーのカップを傾けて、言葉を切りだす。言いたくないような、そんな苦々しい表情で言う。

「いるんだよ、そういう奴らが。あーいう違反のアステリアルを売りさばいて、魔物や魔徒を生み出してる、犯罪組織ってのがな。あの影石は奴らが扱う目玉商品。少しの不満や鬱憤みたいのがあれば、魔物を生み出す―しかも今回の件でも分かったようにその魔物を意のままに操ることができる―、そんな力が手に入るから、一部の世界ではよく売れるんだ。……ったく、そんなに力が欲しいなら自分でどうにか修行して鍛えろっての」

 人為的な、悪意の介入。

 悪意に介入する悪意。

 正直、信じたくはなかった。

 そういう技術があるということもそうだが、そういう意志を持った人間が、組織単位で存在しているということに、俺は軽く眩暈すら覚える。

 誰にだって誰かを恨めしく思う気持ちや、嫉妬してしまうことや、怒ったり、憎んでしまったりすることはあるだろう。

 それは今回の件で十分わかったことだし、だからこそあの二人を一方的に責めることはできない。

 もちろん俺だって例外じゃないし、周りの他の人たちだってそのはずだ。

 周りにいつでも笑顔を振りまいている人は、心の中ではずっと泣き続けて、誰かを憎まずにはいられなくなっているかもしれない。

 いつだって完璧に振る舞って見える人は、裏では傷だらけの心を庇って、全く違う道にいる人を羨んで、嫉妬の感情を募らせているかもしれない。

 そんなどうにもならない感情を、もしかしたら時が経つにつれて薄れていくかもしれない感情を、わざわざ魔物という怪物の形で顕現させて、誰かを傷つける。

 怒りとも悲しみともつかないような気持ちに、俺は胸が締め付けられそうだった。

 そんな奴らとも、俺はこれから封魔師として戦わなければいけないのという不安もそこにはあったのかもしれない。

 ロックが言うには、そういう事件が今急激に増加しているらしかったから尚更だ。

「心配すんな。まだそんな仕事をお前にやらせるほど俺もスパルタじゃねぇ。もしそんな状況になったら俺が助けに飛んでいってやんよ。なに、天才封魔師ロックさまに任せろってんだ」

「……うん。任せた」

「……あ? なんだよ、やけに素直じゃねぇか」

「……? ッつ?!」

 気づいた時には俺の頭はロックに掴まれてわしわしと揺さぶられていた。考え事をしていたからか反応が遅れて、俺はされるがままになる。

「やめろって、目が回るから!」

「がっはははっ! 大きくなりやがってよぉ、このヤロウ。昔はよく頬ずりとかしてたよな! お前がきゃっきゃとうれし泣いていた声が今でも耳に残ってるぜ」

「それは泣き叫んでたんだよ! お前なにしてんだ!」

 ほんと何してんだこのおっさん。

 全然覚えていないけど。

 うぅ、今なら撫でまわされるミラの気持ちが分かる……。

 今度からはミラにもうちょっと丁寧にコミュニケーションを取ろう。

 そうぼんやりと誓った心が思っていたより穏やかなことに、少し可笑しく思ってしまって、俺はたまらず笑い出してしまったのだった。



 マリー。

 ぽつん、その病室の名札にはそう書いてあった。

 封魔師になれたことを伝えるために来たのだけれど、この名前を見るとどうしても後悔が先に俺の胸を占めてしまう。

 四年前。

 俺がまだ封魔師をなんとなく毛嫌いしていた時期だ。

 というのも、実の父親が凄腕の封魔師だったらしい。ロックやビアンカさんと一緒にあの有名な‘エデーナ戦線’にも参加して、戦って、そして死んだ。物心つく前に生みの親、実の父親を奪った封魔師という職業に、だから積極的に近づこうとは思えなかった。

 凄腕の封魔師を父に持つということで、そのプレッシャーもあった。ロックやビアンカさんはその辺を気遣ってくれて他の人たちには言わないけれど、俺がその息子だと知っているごくわずかな人には、だから言われた。

 ―あの人の子どもなんだから、当然封魔師になるんだよな?

 俺の将来を、あなたたちみたいな全く知らない人が、そんな当然のことのように決めつけないでくれ。

 この時の俺のまま成長していれば、今よりずっとリズの気持ちは自分のもののように、痛いほど理解できたかもしれない。

 だけど体験してしまった。見てしまって、見られてしまって、憎まれてしまって、襲われてしまった。

 ―スティンガーラビット。

 パン屋‘どんぐり’の当時の女店主。俺とは歳が九つも離れた姉みたいな存在で、パンを買いに行ってはよく喋ったり遊んだりしていた。

そんな彼女の生みだした魔物―当時の俺は彼女自身が怪物に変化してしまった、つまり魔徒だと思い込んでいた―に、俺はひどく衝撃を受けた。

 いつも笑顔で、まわりにその笑顔と元気を分け与えている彼女が、怪物になってしまったこと。

 そして何人もの人に、そして俺に刃を向けた。向けられた刃が唐突過ぎて、心の底から全身が凍り付くような恐怖を覚えた。

 原因は俺にある。

 あの時俺が、不用意に、何の気も遣わずに言った言葉だ。

 ―何か力になれることがあったら言ってよ。俺、マリーさんのこと助けるからさ。

 息子のこと。夫のこと。仕事のこと。その他諸々のこと。

 本当にいろいろな闇が、彼女に渦巻いていたのに。

 その時は知る由もなかったけど、何かに悩んでいる様子だったマリーさんに、俺は大した覚悟も無く言ってしまったのだ。

 その言葉に彼女は頼って、縋ってしまった。

 十三歳の子どもに縋らなければいけないほど、彼女は追い詰められていたのだ。

 結果的に何の力も持っていなかった俺は彼女を助けられるはずもなく、陥魔させてしまった。魔物を生みださせてしまった。二人の命を殺めさせることになってしまったのだ。ロックがスティンガーラビットを倒すことに成功したけど、彼女の心は戻ってこなかった。

 ロックは、彼女の心が見当たらなかったと言っていた。

 魔物と完全に同化してしまって、一緒に消滅してしまった可能性が高いと、そう言っていた。

 それはもう、マリーさんが死んでしまったと伝えられたようなもので、当時の 俺は三日三晩泣きはらして、自分の部屋に閉じこもった。

 エリンやロックやビアンカさんと同じくらい、あの人は家族みたいな存在で、俺は姉のように慕っていた。

 封魔師になりたいと明確に決意したのは、泣いて、閉じこもっての繰り返しが四日続いたその日の朝だった。

 誰の心も等しく魔物を生み出す可能性があって、その力はさらに悲しい涙を増やしていく。

 マリーさんはもう戻ってこないかもしれない。

 それでも、こんな事件は少しでも減らしたかった。俺の目の届く範囲で、欲を言うなら世界中のそういう出来事がなくなれば良いと思った。

 現実とはかけ離れ過ぎた理想だとは分かっていても、それができる可能性があるならと、とり憑かれたように中等学校一年生の夏から封魔師認定試験の勉強と、剣や星心術の修行を始めた。

 心臓も動いていて。

 息もしていて。

 身体に関しては健康そのものなのに。

 心だけが戻ってこない。

 身体中に点滴をつながれ、星心術で身体の状態を保っている、目覚めないマリーさん。

 そんな彼女に、封魔師になれたことを伝えてきたところだった。

 返事はなかったけれど。

 きっと応援してくれているんじゃないかと思い込むことにして、俺は病室を後にした。



 病院を出ると、川を沿うように花を満開に咲かせたサクラの木がずらりと並んでいるのが目に入って、しばらくそれをぼーっと眺めていた。

 眩しいくらいの一面薄いピンク色。休日だからか、川に面した河川敷には親子連れが結構いて、思い思いに追いかけっこをしたりボール遊びをしたりしていた。

 のんびりとしたお昼過ぎだ。すっかりと温かくなった気温に、そよ風が優しく吹いている。

 穏やかで、眠くなる。たまにはこういうのも良いだろうと思って、俺は人が集まっている場所から少し離れた草地に身体を横にする。

 目を閉じる。風の音。川の流れる音。子どもたちの楽しそうな声。

 平和だなぁ、とても平和だ。こんな穏やかな日がずっと続けばいいのになー。

 なんて、特に何も考えずにそんなことを思いながら微睡んでいると、

 ―でも、こんな日常だと、ロイくんみたいな封魔師は必要とされなくなっちゃうよね?

 上からそんな声が降ってきて、俺は慌てて目を開けて身体を起こす。

「やあ」

 ニコニコと、七三くらいの割合に分かれた、少し長めで癖のある銀髪をしていて、線の細い顔立ちをした男性が手を挙げて微笑んでいた。細められた瞼の奥の瞳は黒。薄い青色のシャツにカーキ色のパンツで、ネクタイはしていない代わりに首からは何かのペンダントだろうか、細い鎖が見えた。

 ここまで描写して分かったのは、そこにいたのが学校で歴史の授業を担当しているレン・ブラック先生ということだった。

「あれ、先生……。俺、なんかひとりごと言ってました?」

 俺の気の抜けきった呟きが口に出ていたのかと思って慌てて訊いてみる。

「いや、別に何も?」

 先生はきょとんとした顔をしている。ということはさっきのごもっともなツッコミは空耳だったのだろうか……?

「封魔師の資格、取ったんだって?」

 そんな俺の疑問は気にせず、先生は隣に腰かけて親しげに話しかけてくる。実際この人には授業だけでなく、アドバイスやその他歴史や神話に関するいろいろな話を聞かせてもらったりとお世話にはなったから、他の先生より仲が良いのは間違いない。

「ついにやったか~……。ロイくんならやると思ったよ、うんうん」

 何度も頷きながら、すごい、とか、よくやったね、などなど同じような言葉を繰り返す先生。授業の時はどの生徒とも平等に、丁寧に接する教師の鏡のような人なのだけど、プライベートになると人をからかってその反応を面白がる子どものような人だというのに結構前に気づいた。だからその反応も別に気にならなかったのだけど、

「ロイくん、覚悟はできているよね?」

 先生の声が、授業でも聞いた事のないような低く、重いものになったから思わず息をのんで身構えてしまう。

 口を開いて、しばらく止まって、それからようやく先生は言葉を紡ぎ始める。

「いいかい。きみがこれから進む道は四方真っ黒な暗闇の世界。その中ではっきり見えるもの、辛うじて形が分かるもの、全く認識できないもの、いろいろだ。前方にいるのが必ずしも敵だとは限らない。後ろから、横から怪物が襲ってくるなんてのは日常になってしまうかもしれない。今まで信じてきたものは全てウソで、今まで見向きもしなかった、軽視してきたものが真実かもしれない。経験してきた、体験してきた以上の悲しくて、辛い目にあうかもしれない。知らなければよかった、見なければよかったの連続。きみが行く世界はそんなところかもしれない。今ならまだ間に合う。他の道を選択する。そうすればきみは今みたいな穏やかさを感じながら、少なくともこの道を選ぶよりは平和な日々を過ごせるかもしれない。それでも―」

 ―それでも、きみはこのまま進むのかい?

 先生の言葉は、そこに何の心も感情も込めずに言っているような、ひどく機械的なものに聞こえた。

 ただの言葉の羅列。

 言われているのは多すぎるくらいの警告で、引き留めているようにも聞こえる。

 定めていた道が、心が、再びあやふやになりそうに、ぶれそうになる。

 それでも。

「進みますよ」

 俺は答えた。

「進んでみせます。辛くなったら考え直して別の道に進むとか、そういうこともできるかもしれないですけど。俺、案外頑固みたいですから。決めた道を、たぶんそのままなんとか乗り切ろうと突き進んでいくんじゃないかって、そう思うんです」

 甘い考えかもしれない。

 今回だけでもいろいろ思うことがあったのに、よくそんな軽いことが言えるなと自分でも思う。

 でも俺は自ら望んでこの道を選択した。今さら考え直して変えるなんて、それこそ選択肢には無いのだ。

「そう……なら」

 先生は納得したのだろうか、軽くため息ついでのような笑みを浮かべて立ち上がる。

「じゃあ、またいつか会おう、ロイくん。ロイ・シュトラール」

 虫歯なんてこれまでなったことがないんじゃないかと思うほどの真っ白な歯を見せて、先生は去ろうとする。

 またいつか。

 今日から始まる春休みが終わったら、高等学校の学生としての最後の一年が始まる。

 またすぐ会うことになるだろう。

 学生と封魔師見習いという二つの身分を同時に背負うことになるけど、それも俺が選んだ道で、せっかく切り開いた道だ。

 あきらめずに進み続けたい。

「でき…ば…みが、こ……闇の……界の白い雷に……ること……うよ」

 背後で先生が何か言葉をつぶやいたような気がして振り向いてはみたけど、その時にはすでに彼の銀色の髪も青いシャツもその視界に捉えることができなかった。 


 風が一陣、強く吹いた。

 その風が吹き飛ばしてくれたのか、いつの間にか眠気も取れていた。

 風に押されるままに。

家であり、新しい生活の拠点でもあるギルドに、俺は戻ることにしたのだった。



 第一章ヒマリア編 Fin.


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