第4話:混戦
俺たちの進行はものの数十分のうちに止まった。
目の前には燃え盛る何件もの家。騎士団に誘導されながら逃げる人々。
そして、魔物たちと戦うロックたちの姿が目に入ったからだ。
「ロイ、随分と速い合流だな!」
二足歩行の狼のような魔物を切り伏せ、ロックは苦笑いする。
魔物の放出はすでに始まっていて、被害まで出始めているということか。
「助太刀は?」
「どんどんやってくれ。騎士団連中には神殿まで住民を誘導するよう頼んだ。神殿付近なら大聖晶石の効力は失われていないはずだからな」
であるならば俺はマチスさんだけ注意していれば良いということか。
‛雷鳴'を抜き、逃げる人々や騎士団に向かおうとする魔物に向ける。
「ヒャハ、街の封魔師にも声はかかったらしい。こんな雑魚どもはそいつらに相手してほしいくらいだけどな」
アレスが燃え盛るナイフを手に、近くまで飛んできて愚痴を漏らす。息一つ上がっていないところを見るとそこまで苦戦するような相手ではなさそうだ。
「ロイさん、手早くやっちゃってください。マチスさんはボクが見ておきますから。――ラグナ・スケイル」
背後でヒスイが言うと、鱗状の淡い緑色をしたバリアがマチスさんを円状に包み込む。何度か目にしたヒスイの防御用の星心術だった。
「頼んだヒスイ」
後ろはヒスイに任せて、再び切っ先を前に合わせる。
「ヒャハ、最近暴れ足りなかったところだ。派手に行こうぜェ!」
「これ以上街を壊さない程度にな!」
俺もストレスが溜まっていなかったと言えば嘘になる。
原因の分からないトラブルの数々。苛まれ、疑いあう街の住人。認められない正しさ。
まさにこの感情の想起こそ、あのルナ教徒の狙いなのだろう。疑い、恐れ、怒りの結果が目の前の怪物たちなのだから。
「……卑怯者」
雷のアステルが迸る。
‛雷鳴'の振動が体内のアステルと同調し、共鳴する。
そのアステルに反応したのか、さまざまな種類の魔物が一斉にこちらに視線を向ける。
「来い。――‛雷火飛散'!」
まとめてくるならちょうど良い。俺は引き金を引くイメージでアステルを解放する。
球形の雷が前方に、弾丸のように飛び出す。魔物は避ける間もなく衝突し、次の瞬間には爆発とともに吹き飛んでいた。
「ヒャハ、飛ばすねェ!」
アレスは嬉しそうに叫んで、自身も弾丸のように飛び出す。残った魔物の間をすり抜け飛び上がり、両手の刃を振るった。
「爆炎刃!!」
炎の線がアレスの両側にいる魔物の身体を真横に通り過ぎ、一瞬の間を置いて両断する。着地したアレスは息をつく間もなく前方にいる魔物をナイフで一刺し、さらに前方にいる魔物を一閃した。
さすがに手数が違う。アレスと出会って五か月くらいは経ったが、その素早い連撃は見るたびに目を見張るものがある。
「――くっ?!」
アレスの猛攻に向いていた気は、背中に感じた寒気に瞬時に塗り替えられる。地面を蹴って真横に転がった一秒後、複数の何かが今まで俺のいた場所に落ちた鈍い音。
「油断はいけませんねロイさん。ボクはマチスさんを見ているって言ったでしょ。そう何度も助けられませんよ」
ヒスイの声に振り向くと、地面には剣のような物体が二、三本突き刺さっていた。それが俺に向かって落とされた攻撃だと認識する前に、真上で爆音が響く。
次に落ちてきたのは淡い緑のアステルに飲まれた鳥型の魔物だった。
「油断はしてない、でもありがとな!」
礼を言って、俺は上にも視線を向ける。
鳥や虫、獣に翼が生えたようなタイプの魔物まで多種多様だった。
地上だけではないということか。そうなってくるとヒスイやエリンの攻撃も命綱になってくる。
エリンのいる方を見ると、ロックの近くで戦っているようだった。
「――バッシャー・バレット!」
エリンのフォーマルハウトから水弾が吐き出され、正確に上空の敵を射抜いていく。ロックも近くにいるし、これなら上は心配なさそうだがそれでも数が多い。
「エリン、大丈夫か」
「うん、全然大丈夫!」
駆け寄って声をかける。元気そうに返事を返してくれたものの、額には汗が垂れ、息も上がっていた。
エリンに長期戦は向かない。それに短距離とはいえここまでの道のりをロックとアレスのスピードに付いて走ってきたのだからなおさら心配だった。
「ヒスイ、エリンと交代だ。空の敵を頼んで良いか?」
「なんですか。ボクってばそんなに信用無いんですか」
「なんでそういう話になるんだ。単純に適性の問題だよ」
ヒスイはそれで納得したのか、それでも渋々といった感じで鱗のバリアを解いて素早くマチスさんを連れてくる。
「エリン、バブルドームでマチスさんを守ってくれないか。必要な時にだけ攻撃してくれ」
「……あ、うん分かった!」
少し間を開けてエリンも頷いてくれた。
これで不安要素はない。エリンに後ろを任せられるのなら安心だし、おそらくヒスイも攻撃に徹した方が殲滅も早い。
「まっかせなさーい! バブルドーム!」
エリンはなぜか上機嫌に叫び、バブルドームを展開させる。
……割と元気そうだからまだ交代は早かったかもしれない。
けれどそれは杞憂だったと前方を見て確信する。
「――ラグナ・ハウル!」
静かだが張り詰めた声に反応して、龍の貌を象った杖が淡く緑に光る。アステルの共鳴音が響き、龍の口にはめられた宝玉が一層強く光った。
刹那、無数の光弾が龍の口から吐き出された。それは方々に乱発されたように見えて着実に、空にいる魔物一つ一つを追っていた。
反撃する魔物も逃げる魔物も見境なく、光弾は龍の形となって彼らを喰らう。
幻想的な光景が終わるころには、空に異形の姿はほとんど見当たらなかった。
「ありゃ、仕留め損ねましたか。詰めが甘いですねボクも」
唖然とする俺に、頭を掻きながらけろっとそんなことを言った。適正はあるだろうと思っていたけど、ここまでの結果は良い意味で予想外だった。
「んじゃ、地上戦は任せましたよ。ボクはのんびり上のやつらを追い詰めますから」
「お、おう」
ヒスイの笑みが怖い。圧に押されながら、俺は‛雷鳴'を構えなおす。
と言っても、かなりの数をアレスとロックがやってしまったようで、残りも目に見えて減ってきていた。
最も近くにいるのは前方の二匹の魔物。熊のような見た目をした二匹は、大量の魔物に猛攻を続けるアレスの背後を取っていた。
「気づいてはいるだろうが――‛雷衣'!」
アレスの反射神経なら奴らが襲う直前に振り返って撃退も可能だろう。けれどアレスの手だって二本だけ。手の空いたタイミングで襲ってきてくれるとも限らない。
アステルが放出され、雷の衣が全身を包む。
バチバチと唸りを上げる雷に気づいたのか、熊の一体がこちらへ振り向いた。
構わず駆け出す。足にもアステルを回したおかげで瞬発力も常時より数段上がっている。
「グオオオオオッッ!」
熊もそのスピードに付いてこれるのか、大きな黒い爪を振り上げる。さすがアレスとロックの攻撃の中で生き延びているだけある。感じる邪気もその強さも少し上のようだ。
「あくまで少し、だけどな!」
そう、あくまで少し。
これまで戦ってきた魔物や魔徒に比べれば大したことはない。
振り下ろされた爪は避けずに、‛雷鳴'を振り上げて迎え撃つ。身体のアステルがそのまませり上がり、剣身に移っていくのが分かる。
「――‛雷鳴一閃'」
雷の刃は止まらず大熊の腕を切り払う。爪はすでに俺の頭上には届かず宙を舞った。
苦痛の叫び声に構わず、俺はそのまま真一文字に剣を振るった。
硬い肉を切るような感覚は、まるで本物の動物を切っているかのような現実感を覚えさせる。けれどこいつらは邪気でできた怪物。決して生きてなどいない。
「何?!」
振り切る頃には大熊は消滅していたが、その代わりに何かに殴られたような衝撃が全身を襲う。‛雷鳴'に当たったようだが、その衝撃は全身を駆け巡っていた。
‛雷衣'が無かったら気絶していたレベルかもしれない。
顔を上げた先にいたのはもう一匹の熊。拳を突き出した状態から、すでに地面を蹴って飛び掛からんとするところだった。
巨体はわずかに宙に浮いていて、すでに避けられる距離ではない。
「なら、これで」
再びその拳が迫るまで瞬きの間すらない。
剣身を左に下げ、右足にアステルを集中させる。
「'雷旋輪廻'!」
両手と右足が熱くなる。時間はゆっくりと流れて、相手の動きが遅くなる錯覚。
この技の間合いに、敵が、入ったら。
――。
一瞬、世界が回った。
火傷しそうな手足の感覚と、全身を揺らす斬撃の重さ。
次に視界にとらえたのは、またもや真っ二つに斬られた熊の姿。アレスの技を参考にした'雷鳴’による回転斬りは、熊の拳の下をぎりぎりすり抜けて、確かにその身体を二つに裂いたようだった。
「よし、ロック! お前はヒスイちゃんと一緒にマチスさんを連れて先に進んでろ!」
身体に熱を残したアステルが冷めないうちに、ロックの声がかかった。
見るとロックは言うまでもなく、傷一つ負わずにこの戦線を切り抜けたようだった。
「良いのか?」
「問題ない。むしろ進行が遅いお前たちが先に行って、状況を確かめてこい。俺たちも片づけたら行くし、なんなら追い越す!」
そういうことなら了解だ。俺は熱した身体を冷ますように走って、ヒスイのもとに行く。すでに空の敵は全滅していて、地上の敵を相手にしているようだった。
「行くぞヒスイ」
「はいはい。なんか吹っ切れた感じありますねロイさん」
「そうか?」
「えぇ、少し暴れてスッキリましたか」
ヒスイはいたずらっぽく、くすくすと笑う。
そう、なのかもしれない。
認めたくはないが魔物との戦闘は溜まっていた漠然としたストレスや不安を吹き飛ばしたようだった。
「案外、この騒動も街のストレス発散みたいなものなのかもしれませんね」
「この感じだと余計にストレスをかけているように見えるけどな」
ストレスが消えるのが望ましいが。今の街の荒れ具合を見れば簡単に着地はしないだろう。
それにまだ不安はある。
この騒動が収まって果たして、街は元通りの穏やかで静かな街になるのか。
「あれ、なんかまた暗い顔に戻ってません? 行きましょう、神殿へ向かう邪気は確実に強くなっています」
そう。それでも今はできることをやらなくては。
沈みかけていた気持ちを無理やり上げて、マチスさんに顔を向ける。
「すまんな少年。ここまで守ってもらって助かった。儂も神殿近くになったらおとなしく避難しよう。写真は十分撮れた」
そう言うマチスさんの肩掛け鞄には写真が膨らむほど詰まっていた。
こんな騒動が起きてしまえば街の人も否が応でも魔物の存在は焼き付けられる。隣人を憎まず、魔物を憎む。この写真は薄れる記憶を留めて、それを後押しするはずだ。
「ロイ、私も付いて行こう。この辺の雑魚程度、別に私がいなくてもロックが万が一にも不覚を取ることはあるまい」
念話が頭に飛び込んできて、右肩がズシリと重くなる。
ふわふわの尻尾が鼻をくすぐる。そういえばミラはずっとロックの近くにいたのだった。
「助かる。ミラの危機感地は優秀だからな」
「それほどでもある」
俺も念話で返すと、そんな尊大な返答が返ってきた。
「……ほほう。それじゃ、マチスさんが倒れないくらいの速度で進みますか」
なんだかヒスイに意味ありげな視線を向けられた気がするが、気にせず先に進むことにした。
*****
途中で逃げ遅れた人たちに遭遇するのではないかと思ったが、首尾よく逃げ切ったようで街は気味が悪いほど静かだった。
かなり遠くの方で時折聞こえる爆発音や、感じるアステルの揺らぎは街の封魔師が俺たちと同じように魔物に対処しているということだろう。
「騎士団や封魔師の一人くらい、このエリアにいたって良いと思うんだけどな」
「避難したのか、あるいは……」
ヒスイのその先の言葉はあえて考えないようにしていた。
確かに街のいたるところに、窓ガラスが割れていたり壁に大きな傷があったりと損害は見られたが、結果的には騎士団かもしくは他の封魔師が勝ったのだろう。
他に異常がないから、別のエリアに移った。ただそれだけのこと。
「……」
交わされる言葉もなく静かな街を進む。
商店街だったのだろう、もぬけの殻になった建物の窓からは肉や魚や果物、洋服や雑貨といった商品たちが見る者もなくひっそりと飾られていた。
「血の臭いは無い。この付近で死人は出ていないだろう。魔物の気配も今のところはない……のだが、嫌な気配はするな」
頭に響く念話に俺は心の中で頷く。そう、異常はないはずなのになぜか嫌な予感は拭えない。絶えず心の中を覗かれているような、掻き回されているような感覚。
同じような感覚はあの光の柱が現れてからすでに感じていたものだが、それとも若干異なっている。
「神殿のある中央広場まであと半分といったところでしょうか。大丈夫ですか、マチスさん」
「問題ない。昔鍛えた脚はまだ健在だ」
ヒスイに毅然と答えたマチスさんだったが、やはり少し疲れの色が見えていた。
当然だろう。街の中に魔物が現れるなんて非常事態、絶対に起きてはならないことだったのだから。
矢継ぎ早にいろいろと起こって混乱した頭が、歩いていく中でいくぶんか落ち着いてきていた。落ち着いてきたからこそ、この騒動の深刻さがじわじわと身にのしかかってくる。
星心術陣タルタロス。大聖晶石の浄化範囲を狭める術陣だと男は言った。そんな地獄を作り出して、いったい何をしようというんだ。
狙いが分からなければ、止める方法も分からない。どのくらい時間が残されているのかも。
神殿へ伸びる黒柱は力を少しずつ強めているが見た目上の変化はない。
いったい、何を。
「――来るぞ!!」
思考は念話で中断された。猛烈な邪気がすぐ近くまで来ていることに無意識に反応し、とっさに身体を横に投げ出す。
元居た地点に、先ほどの魔物の攻撃とは比べ物にならないくらいの衝撃が落下したのか、地面の割れる音が耳を劈く。
「無事か、ヒスイ!」
受け身を取って転がりながら叫ぶ。
転がりながら一瞬見えた緑色の鱗。それに包まれて、ヒスイもマチスさんも無事のようだった。
それもすぐに落下の影響で出た土煙に隠されてしまう。
「くそ、次から次へと!」
「剣を抜けロイ。こいつはそこそこ❘やるぞ《、、、》」
愚痴を言う暇もない。ミラの念話に俺は咄嗟に‛雷鳴'を腰から抜く。
確かに煙の向こうにいるやつの邪気は、さっきまで戦ってきた奴らの比ではない。
アステル周波相は、純粋な黒色。吸い込まれそうなほど、なんの混ざりけのない純黒。
「‛雷衣'」
詠唱した瞬間、大きく黒い刃が振り下ろされた。
‛雷衣'を纏ったからといって受け止めきれる威力ではない。アステルの強度から判断して、地面を蹴って後ろに飛ぶ。
刃は地面を抉り、地割れのような跡を残す。素直に受け止めていたら腕の骨は粉々だったかもしれない。
煙が晴れていく。その巨体は、およそ成人男性二人分。人型、見上げる頭の先には大きな二本の角。
‛疑心の笛'から現われたのが小鬼なら、こっちは大鬼と言ったところか。だがその構成要素は純粋なアステルではなく、紛れもなく邪気で、つまりは魔物だった。
巨体がゆらりと揺れる。片手に握られた剣幅の広い得物。それは剣というより薪割りの鉈に近かった。
横殴りに迫る鉈。大丈夫、力は強いがそこまでスピードは速くない。
再度後ろに飛んで、ついた足で今度は鉈の進行方向と逆に回り込む。
「‛雷火飛散'!!」
ただ避けてばかりではいられない。ダメージを少しでも与え続けなければ力押しされる。
雷の弾丸が弾けて、その巨体に火花を散らす。後ずさっているから少しは効いているはずだ。
足と‛雷鳴'にアステルを込める。体勢を崩している間に一気に距離を詰められれば、こいつも上手く武器を振るえないはずだ。
巨体の魔物相手には懐に飛び込む。魔物との戦いの基本戦術の一つだ。
「――雷鳴、」
地面を蹴って詠唱を始める。至近距離で決めればさすがのこいつも――。
「ラグナ・スケイル!」
目前に現れたのは大鬼の黒い腹ではなく、緑の光鱗。直後に、俺の全身を強い衝撃波が襲った。
「ぐあッ?!」
身体の制御が効かず、成すすべなく後方へ飛ばされる。受け身を取るが勢いを殺しきれず、視界がぐるぐると回った。
「ロイさん、あのまま突っ込んでいたら今度はあなたが真っ二つでしたよ」
ヒスイの声に、俺は定まらない視界を必死に大鬼に合わせる。確かに横一閃の構えで残心を決めていて、ヒスイの防護術がなかったら俺は死んでいた。
礼の代わりに息を吐いて、冷や汗が額に垂れたのを認識した。
「もっと様子見というのを覚えろよロイ。確かに最近は突っ込んでぶった斬れば終わりの敵が多かったがな。こういう強敵はじっくり攻めるもんだ」
確かに、前回強敵と言える魔物と戦ったのはそれこそ一か月以上前。カレンさんの件以来だったし、それ以降は取るに足らない相手だったから、それに身体を合わせてしまったようだった。
「まさかこんなに早く反応してくるなんて思わなかった。助かったよヒスイ」
「いえいえ。これで二度目ですので、二回ほどご飯を奢っていただければ何の心配もございませんよ」
さらっと❘集ってくる奴はあえて無視して、再び前方の大鬼に意識を集中させる。
突撃が効かないのなら小賢しくやるしかない。
「‛這雷蛇波'!!」
詠唱し、剣を逆手に持って地面に突き刺す。
雷が手から剣に、そして地面に達し、そのまま這う蛇のように大鬼に向かっていく。
鉈で振り払おうとするも雷はそれにすら纏わりついていく。足に、鉈に、手に身体に上っていき、バチバチと力を迸らせていく。
ダメージはそこまで出ないが、身体を動かすたびに雷のアステルが小爆発を起こし、痛みと痺れを与え続ける。
‛這雷爆波'の応用技で、こういう搦め手が必要になった時に備えて練習してきたものだった。
実戦での使用は初めてだが、確かに動きは鈍っている。
「今度こそ!」
足にアステルを込めて距離を詰める。大鬼も腕を動かそうとしているのが分かるが、小刻みに震えて刃が迫る前に俺の斬撃が届きそうだ。
地面を蹴って懐に潜り込む。念には念を押して、まずはその腕を切り落とす。
「グ、ゥグウァアアアアアア!!!!」
それは痛みによる絶叫ではなかった。
鼓膜を破らんとする咆哮に何か術でも仕込んであったのか、‛雷鳴'の刃は黒い腕に届く前にぴたりと止まった。‛雷鳴'だけではない、俺の身体自身も石化したかのように固まってしまった。
「くそ、冗談だろ」
どうやら悪態を吐く口は動くらしい。だが剣士が身体を動かせなくてどうする。
「ラグナ・スピット!」
ヒスイの声とともに、目の前の大鬼が緑の光と爆音に包まれる。
直撃だが、まだ気配は残っているから消滅していない。
続けざまに光弾が頭上から大鬼に向かって降りしきる。着実に傷を傷を与えてくれているようだが、その隙を縫っていつ鉈が俺の身体に向かってくるかも分からない。
「俺も遠距離技さえ持っていればこんなことには……!」
俺の戦闘スタイルは剣技による接近戦。こういう状況に弱いのは分かっているつもりだったが、その打開策はいまだに見つけられていない。
「無事生き残れたら教えてあげますよ。だから少し我慢してくださいね!」
ヒスイが言い終わらないうちに、頭上に今までのより数倍大きいアステルを感じる。
すぐ頭上で、雨雲が集まるような錯覚。背筋には寒気すら覚えた。
「お、おい、ヒスイ俺も近くに――」
「ラグナ・ボルト!!」
それはいつものヒスイのアステルを数倍も凝縮したような一撃。
雨雲というのはあながち間違いではなくて、凝縮された力は一気に下方へ、それこそ雷のように緑の光柱が落とされた。
衝撃波はまたもや俺と、ついでに石のような身体の凝りをも吹き飛ばしてくれた。
「く、今日は吹き飛んでばっかだな俺」
「だからもうちょっと落ち着いて戦えと言ってるんだ。何もロックや赤髪の小僧のような戦い方がすべてではないわ」
さすがに反省。二度も同じような足止めを喰らってしまうなんて。
前方に目を凝らす。あれだけの攻撃を受けて、大鬼はまだ立っていた。身体が黒いから傷を負っているのかが定かではなかったが、全身から噴き出ている煙はダメージによるものだと信じたい。
「しぶといですね。敵もロイさんも」
「俺を巻き込む前提だったのか?」
「近くにいたロイさんが悪いってことでここは一つ」
減らない口だ。でもそのおかげでまだいつものペースで戦えているのかもしれない。
「と言ってもどうしようか。俺じゃ近づく前に阻まれちまう」
「ボクの術でなんとか削りましょう。隙を見ていつも通りぶった斬ってくださいな。敵は接近戦には強そうですが、星心術に対しては受け切ろうとするようです。というか、避ける瞬発力を持っていないのかも」
俺にとってはまさに相性不利ということか。ならその通り、ヒスイにしばらく頑張ってもらうしかなさそうだ。
「よし、かかってこい」
なら俺は敵の注意を引こう。
‛雷火飛散'を放ちながら、俺は大鬼を囲むように走り始める。雷弾は腕に、腹に背に火花を散らしながら直撃していく。
並行して上空からはヒスイのアステルの雨が降り注ぎ、俺に向かって振るわれる鉈を弾き、足を射抜く。
先の‛這雷蛇波'も効いているのか、確実に動きは鈍っている。このアステルの弾丸の嵐で消滅までもっていければ良いが、そうならなかった時の消耗加減がまずい。
「取った」
背後からヒスイの自信に満ちた声が届く。同時に俺に伸ばされた鉈を握る黒腕が吹き飛び、明後日の方向へ飛んでいく。
「そこ!」
同じ手は食わない。俺は突っ込む前に‛雷火飛散'を、喉元に向かって放つ。複数の雷弾はまとまって命中し、閃光と白煙を上げて大鬼の頭部を覆う。
体勢を崩したその胴体はガラ空きだった。
「三度目の正直。‛雷鳴一閃'!」
踏み込んで、アステルを溜め込んだ刃を振るう。今回はあの石化の咆哮も間に合わない。
直撃した刃は鋼鉄を切り裂いたかのような抵抗を両腕に与えたが、それも放出された雷のアステルが食い破り、振り抜いた。
「―――」
断末魔は無く、俺が着地したと同時に大鬼は黒いアステルの粒子となって消え去っていった。風に乗って流されてきたその粒子は、瞬時に様々な黒い感情を胸に湧き起こす。
「早いところ片付けないと、精神が先にやられるかもしれんな」
ミラの言う通りだった。大鬼含め、街に湧いているのは正真正銘の魔物。人の怒り、憎しみ、妬み様々な悪感情から生まれた奴らの邪気を浴びるだけで、一般人はもちろん、俺たち封魔師にとっても毒なのだ。
「だな。こんな奴ら何体も相手にしてられない」
ミラに答えて、一息ついて周りを見渡す。戦闘前とさほど変わりはなく魔物の数が増えた様子はない。この大鬼はたまたま集団からはぐれて発生した変異種だったということだろうか。
「どっと疲れましたが休んでいる暇はありません。取り急ぎの回復をして先を急ぎましょうか。‛ラグナ・エンブレイス'」
気怠そうに言いつつも、ヒスイは涼しげな顔で回復用の星心術を詠唱する。身体が温かい毛布か何かで包まれるような感触は、体力もアステルも消耗した身に染みた。
「はぁ、回復助かった。あれだけ猛攻撃をしておいて息が上がってないのはすごいな。これで修行中って本当なのか?」
安全を確認して、俺はヒスイに礼を言いがてら話を振る。いつも防御などの補助に徹するから、ここまで彼女が強い封魔師だということを知らなかったのが、少し恥ずかしくもあった。
「ボクなんてまだまだですよ。故郷ではボクなんか雑魚も良いところですから」
気を抜いて若干の疲労が見え始めた俺に、思わぬ反撃が襲い掛かった。話をするたびに何かとはぐらかされて、ヒスイの情報は初対面時からほぼ更新されていない真っ白な状態だったけれど、衝撃の二ページ目だ。
「ヒスイの故郷ってどんなところなんだよいったい。そんなところがあったら少しは噂になっても良いと思うんだけど」
「おや、ボクの個人情報に興味がおありで? 三度目の食事の奢りを確約してくれるのであればほんのちょっとだけ教えて差し上げても良いですよ」
ことあるごとに集ってくるのはいったい何なのだか。だけど少し興味が出てきたし、精神術は教わりたいから少なくとも二回ほど奢らなくてはならないかもしれない。
「この戦いを切り抜けたら、考えてやっても良い」
「伏線を張るのだけはやめてもらえません?」
ささやかなボケにしっかりと突っ込んでくれるヒスイ。
こんな雑談を挟まなければ、とてもこの邪気に満ちた街を踏破するのは難しく思えた。
*****
消滅する魔物は、身体を構成する邪気を霧散させながら消えていく。それは通常、空気中の他のアステルと混ざり合い、影響が出ないまでに細分化されるか、そうでなければ他の魔物が生まれる原料になる。
しかしその騎士に倒された魔物は違った。邪気は大気に混ざることなく、騎士が纏う黒鎧に吸い込まれていく。
まるで邪気を養分にしているかのように、鎧は吸い込んだ邪気と同じ禍々しい光を発し続ける。吸い込んだ量だけ、鎧とその騎士自身の邪気も濃く、強力になる。
「―――」
黒い騎士は言葉もなく、辺りを見回す。次の標的を探すためだ。
‛男'にはなるべく多くを倒せと言われている。従わなくて良いのなら斬り伏せていたが、そういうわけにはいかなかった。
従う理由と、倒し続ける理由。
双方に意味を見出したからこそ、黒騎士は無味乾燥な殺戮を続けていた。
すでにこのエリアに魔物は残っていない。逃げ遅れたらしい、無抵抗の街の人間を相手にするほど血に飢えてはいなかった。
―――。
空気が変わった。街を覆っていた気怠い、緩慢とした邪気が明確な重力を持ってのしかかってくる。
同時に街の中央付近にぽつぽつと、歯ごたえのありそうな邪気の塊が現れたのを感じる。
身に纏う黒い鎧が、早く早くと喘いでいる。
黒騎士は跳んだ。それはおよそ人間の跳躍力ではない。星心術を伴ったものであれば納得できるその動きに、アステルの付随した気配はなかった。
己の純粋な身体能力で家屋の屋根まで飛び、舞うように隣へ、さらに隣の屋根へと飛び移っていく。
黒騎士は邪気を纏って飛ぶ。
その右手には、夜よりも深い黒色の長槍が握られていた。




