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白い雷  作者: 黒崎蓮
アトリア編
23/28

第2話:疑心の笛

「なるほど笛の音、ね」

 マチスさん宅のすぐそばにホテルを取った俺たちは、ロックの部屋――正確には俺とアレス含めた男子部屋に集まっていた。

 夜も更け初め、街にあった喧騒も嘘のように消えていた。

「あてはまりそうなアステリアルはいくつかありそうだな。現段階で絞るのは難しそうだが」

 ロックにも思い当たる節はあるようだ。

 机にはマチスさんの撮った写真と、ロックが書いたのであろうメモが所狭しと並んでいる。

「ボクたちの成果――と言うよりこれは、ロックさんの予想を裏付けるものなんですが」

 正面に座っていたヒスイが手を挙げて話し始める。

 ヒスイとアレスは窓ガラスが割られた場所へと行ったが、特に情報は手に入らなかったらしい。そこで情報を整理していたロックから、あることを調査するよう頼まれたとのことだった。

「トラブル現場はアトリア神殿を囲むように、等間隔で一定以上離れていました。神殿の周りだけ、何のトラブルも起きていない。あと、関係あるかはわかりませんが、どの現場の近くにも聖堂がありました」

 聖晶石の安置場所である神殿。ステラ教徒が祈りを捧げる場所である聖堂。

 ここも何か関係しているのだろうか。報告を聞いたロックは眉間にしわを寄せて唸る。

「うーん、分からんが分かった。ちなみに聖堂がある場所ごとに、トラブルがいくつ起こっているか分かるか?」

「聖堂一つごとにトラブル一件。アトリアはバカみたいに広いから、聖堂もめちゃくちゃあるし、トラブルの数もそれだけ多いってことだ、ヒャハ」

 ロックの煮え切らない質問にアレスが答えながら、机上の写真を円形に並べていく。それからメモ紙に数字を書いて写真の隣に置いた。

「真ん中が神殿で、書いた数字は神殿と聖堂から現場までのそれぞれの距離だ。だいたい神殿からは一キロ、聖堂からは家二、三件分くらいだろうな」

「へぇ~、アレスってこういう細かいことできるんだ意外!」

「ヒャハ、戦闘も頭脳戦のどっちもできるアレス様だぜ?」

「まぁ、距離に関してはボクが入れ知恵したんですけどね」

「余計なこと言うなっての!」

 得意げに笑って怒る忙しいアレスを横目に、俺は机に均等に、まるで聖晶石を囲うように並べられた写真を見る。

 さすがに現実ではここまで綺麗ではないだろうが、儀式めいた何かを感じずにはいられない。

「ロック、これは偶然なんだろうか?」

「深読みかもしれない。ただのイタズラかもしれない。それならそれで良いんだけどな。まぁ、封魔師らしく見ていこうぜ。ただのイタズラなら騎士団に投げる。何より、依頼主のためだ」

 黒フードの写真。儀式めいた、トラブル現場の配置。

 俺はふと、並べられた写真に不自然な空白を見つける。

「アレス、ここは距離が空いていたのか? それとも聖堂自体が無かったのか?」

「あぁ? そこは何もトラブルが起きてねーんだ。聖堂はちゃんとあるんだけどよ」

 聖堂ごとに事件が一つ起こっているとするのなら、この場所は例外のはず。

 そこだけ何も起きていないのは偶然だろうか。

「何も起きていない聖堂はこの場所以外では?」

「ここ以外無いな。アトリアは広いが、唯一何も起こっていねェ。次に何か起こるとしたらここかもしれねぇなァ」

 唯一見つかっている法則性というだけで根拠は薄い。けれど、動く理由になるかもしれない。

 事件は決まって夜に起こる。毎日何かしら起こっているのなら、それはまさに今夜、新しいトラブルが起きるのではないだろうか。

「みんな考えていることは同じか? ぶっちゃけ今、封魔師が動く義務も根拠もない。が、何か起こってからじゃ遅い。封魔師の領分はコトが起こってからの対処だが、それで救えるものも救えないんじゃ嫌だろ?」

 俺は全力でうなずく。悩んで流して、結果後悔するなんて二度としたくはない。

 それに今回、ミラの鼻をあてにするのであれば魔物の関与はどこかしらであるのだから。


*****


 それにしても、街が暗いように感じる。

 もちろん今が夜の十時を過ぎているからという現実的な話でもあるのだが、人々の活気的な意味でも重苦しい暗さを感じた。

 例えばさっきのホテルでの夕食だ。

 バイキング形式で何組かの客と同じ大部屋で食事をしていたのだが、どうにもみんな口数が少なく、どこかひそひそと話をしているようだった。

 封魔師ギルドの連中や企業務めの人たちだらけというのであれば分かるのだけれど、家族連れの割合も多かったし、傍目で見れば家族旅行で泊まりに来たとしか見えない人たちだった。

 笑顔の絶えない家族旅行。そんなふうになるはずが、周りの目を気にするようにコソコソと話すというのは悲しさすら覚える光景だった。

 ホテルだけではない。お昼に訪れた家も、聖堂に向かうまでにすれ違った人も、どこか重く、落ち着かない印象だった。

「トラブルの連続が効いているのかもしれませんね。マチスさんも言っていたように、明確な犯人がいない以上、お互いがお互いを疑うようになる。関係ありそうで関係の無い言葉が聞こえて、無関係の人を疑う、あるいは疑われるかもしれない。そんな心理が声を小さくして、笑顔も消してしまうのでしょう」

 そんな話をヒスイにすると、こんな冷静な分析結果が返ってきた。

 ちなみに今は例の聖堂周辺の見張り中、今度は俺とヒスイ、アレスとエリンのペアで何が起きても良いようにルートを分けて警戒中だ。

 さすがにこの時間だから人通りも少ない。怪しい動きがあればすぐに見つけられるはずだ。

「嫌な連鎖だな。常に疑いながら生活するなんて気が狂いそうだよ。ところでヒスイは今回の件、魔物が絡んでいると思うか?」

 思えばヒスイはギルドに参加してから二人きりで話すことは滅多になかった。少し、というか出会った時からかなり不思議な印象を与えてくる子だし、何か俺たちとは別の視点を持っているかもしれない。

「さぁ、明確な根拠がありませんので何とも。聖堂と事件の関連性だって偶然で片付けられてしまうかもしれませんし。ただ――」

 一息置いて、ヒスイはにやりと笑う。

「魔物が原因でこの事件が引き起こされているのか、この事件が原因で魔物が生まれ出るのか。そんな考え方もできなくは無いのかなとも思いまして」

「……それはこの事件が何かの前触れになっているということか?」

「さぁ? 根拠は無いのでどうにも」

 いたずらっぽい笑みは、最初に会った時のことを思い出させる。

 やっぱりこの子はどこか俺を不安にさせる雰囲気を纏っている気がする。

「ところでロイさん、その首にぶら下げているものは何です?」

 俺の不安をよそにヒスイは話題をさらりと変える。個人的にはもう少しヒスイの見解を聞いておきたかったのだけれど。

「これはカメラだよ。話してなかったっけ。封魔師になる前はカメラ片手に写真を撮り歩くやつだったんだ。と言っても、ヒマリアの中だけだけど」

「へぇ、あまり想像はできませんが。あぁ、マチスさんの写真を熱心に見ていらしたのはそういうことなんですね」

 そんなにがっついて見ていた自覚は無かったけど、ヒスイには気づかれていたようだった。無関心そうに見えて、なかなか人のことを見ているのかもしれない。

「何かの手掛かりを写真に残せたら、みんなが信じる根拠になるかもしれない。今さら、かもしれないけどさ」

 今さら、信じてもらえないかもしれない。

 それはマチスさんの失望にも近い。彼の写真が映し出していることが真実かどうかは分からない。けれど根拠もなく隣人を疑うよりははるかに合理的で、客観的に正しいと言えるはずだ。

 この重苦しい疑惑の街を、今さら写真一枚で照らすのは難しいのかもしれない。

 あきらめてしまったかのようなマチスさんの顔が浮かぶ。同じ写真好きということで同情的になっているだけかもしれない。けれど、あんな見事な景色を収められる人の写真が全くの無力だなんて、認めたくは無かった。

「良い人ですねぇロイさんは」

「なんだかやけに軽い言い方だな」

「いえいえ、思ってますよ。とーっても良い人だなぁって」

「そ、そうか。ありがとう。まぁでもなんと言うか、自分が不満というか、納得いかないだけなんだけどな」

 ヒスイの言葉はどこか軽く、浮いているような感じだ。

 俺はとりあえず言葉通りに受け取って、今の感情を反芻する。

 真実――少なくとも真実の一片であることは間違いない事実――を伝えても受け入れられない、そんな現状に納得がいかない。

「なにか少しでも手掛かりを見つけてカメラに収めたいんだけどな」

「そうですねぇ。でも、相手がカメラに収められる存在であれば良いですね」

「ん、それはどういう――」

 ヒスイは俺と話しながら、気づけば近接する建物と建物の間をのぞき込んでいた。

 訊き返すついでに、俺もつられてその隙間をのぞき込む。

 どこまでも真っ暗闇かと思われた空間に、微かに動きが見えた。

 ――。

 もぞもぞと蠢いた影が笑みを見せた瞬間、俺は反射的に‘雷鳴’の柄に手をかけていた。

「魔物か?」

 感じ取れるアステル周波相は、夜の暗さの中でも明確な存在感を示す異質な黒色。それは間違いなく魔物であるということを示す周波相だった。

 聞くまでもない、そこに蠢いているのは魔物だ。

 近くにミラがいたなら即答してくれたのだろう。だが今はロックと一緒に見回り中だ。

「ロックさん、見つけました。聖堂から西側、車両用道路を挟んで二つ目の喫茶店の裏です」

 ヒスイは素早く連絡機でロックへと通達する。さすがに落ち着いている。

 俺は周りに人がいないことを確かめてから、‘雷鳴’を引き抜いた。

 剣身がじりじりと雷のアステルを放出して、魔物の姿を照らし出す。

 それは十歳くらいの子ども大の大きさで、人型をしていた。全身が黒く影のようにぼやけていて、特徴と言えば頭にあたる部分に小さな突起――角のようなものが生えていることくらいだ。

 悪魔、と言うより和ノ国のおとぎ話に出てくる‘鬼’を連想させる。

 黒鬼は合わせて三体。俺たちに背を向けて何かを囲んでいるようだった。

 一体がこちらに気づいて振り返るが、怯える様子も、殺意を向けてくるようなそぶりも見せてこない。

 魔物は人間の負の感情から生まれる怪物。本能的に人間への悪感情を併せ持って、襲ってくるのが普通なのだが。

「ラグナ・スピット」

 ヒスイは戸惑いも無く術を放つ。黒鬼は抵抗する間もなく、淡い緑の光に包まれて消滅した。

 衝撃に愕いたのか、残りの二体もこちらに意識を向けてきたようだ。

「せめてロックたちが来てからでもよかったんじゃないか?」

「なにもしないで逃げられるより、戦って気を引いて逃がさないようにしようと思いまして」

 確かにそれは一理ある。

 現に黒鬼たちは逃げるそぶりを見せずに俺たちを見て笑っていた。

「……ん? 笑っている?」

 こちらを向いて、位置的に口にあたる部分を引きつらせながら、笑っているように見えた。

 ケタケタと、子どもの笑い声が夜の街に不相応に木霊する。無邪気に聞こえるが、その発信源は邪気そのもので不自然さが身体を駆け巡る。

 ゆらゆらと体を揺らしながら近づいては来るものの、攻撃をしてこないのがさらに気味が悪かった。

 黒鬼の背後にはゴミ袋がまとめて置かれていた。どうやらここは周辺住民のゴミ捨て場のようだ。そのうちのいくつかの袋は破け、中身がこぼれ出て悪臭を放っていた。

「ゴミ漁りなんかして、何か探していたんですかね。まさか本当にいたずらをしていただけなわけないでしょうが」

 ヒスイは言いながら槍型の武器を振るって威嚇するが、黒鬼たちは変わらず笑い声を上げるばかりだ。

「何もしてこないなら、好都合かもな」

 俺は右手に'雷鳴’を向けながら、左手でカメラを構える。魔物相手にカメラを構えるなんて悠長なことは普通ならあり得ない。絶対にしないことだが、それでも今このタイミングしかないと思った。

「本当に撮るんですね。どうでした、写りましたか?」

 ヒスイは半ば呆れたように笑いながら訊く。撮られた当の黒鬼たちも先ほどと同じ反応のまま、ゆらゆらと揺れて笑っているだけ。

 特にレンズは合わせずにシャッターを切っていく。とった瞬間に写真として現像されるタイプのカメラだから、機械音を鳴らしながらすぐに数枚出てきた。

「よし、写った……!」

 地面に舞いながら落ちていく写真には暗いがしっかりと、夜闇に浮かび笑む人型のシルエットが映し出されていた。

「これだけはっきり写った写真があれば、マチスさんだって信じてもらえるさ」

「そう簡単にいくでしょうかね」

 ヒスイが悲観的になる理由も分からなくもないが、この現状を変える材料にはなるはずだ。

 写真から黒鬼に視点を移す。相変わらず動きはない。

 これは確かに魔物ではあるのだろう。けれど、通常彼らに感じるような、怒りとか憎しみといった明確な悪意のようなものまでは感じ取れないような気がした。

「ま、当然だろうな。そいつは古の、いたずら好きの星心術師が作ったアステリアルから生まれた小鬼たちなのだから」

 脳内に直接響く声。後ろを振り向くとミラと、ロックたちがそれぞれ得物を構えながら走り寄ってきたところだった。

「よう、お前らお手柄だぜ。これはイッセキニチョウってやつだ。アステリアルの回収までできるかもしれないなんてな!」

 説明を求めたかったが、それより早くロックは何かを黒鬼たちに投げつけた。光る石――おそらくアステル鉱石だろう――は一直線に飛んでいくと、眩い閃光で黒鬼たちを包んだ。

 光に眩んだ眼を開けると、小さな影たちの姿はなくなり、耳にこびりついた笑い声も消え去っていた。

 この光には見覚えがあった。確か、アステリアルを回収するクエストの時にロックが使っていた「カプセル」と呼ばれる特殊なアステル鉱石。アステリアルなどのアステルを内包した物体を一時期的にアステル化して小型化するアイテムだったはず。

「元がアステルなだけあってこいつらも吸収できるもんだな。ロイ、ヒスイちゃん、こいつらの他に人影とかは無かったか?」

「特に見当たらなかったな」

「右に同じくですね。怪しい気配も特にはなかったと思います」

 ヒスイはともかく、俺は写真を撮るのに必死だったから周りに気を配れなかったというのが本当のところだが。

「オジさん、さっき投げたのは何だったの? というか、さっきの魔物のこと知ってるの?」

「あれは正確には魔物じゃないな。アステリアルから生まれた魔物もどきさ。詳しい話は戻りながらにしよう。こいつも精査したいしな」

 エリンの質問にロックが先ほど投げた石をポケットにしまいながら答える。ミラも念話で同じようなことを言っていた。

 目の前で相対した直感通り、魔物ではないとしたら一体何だったのだろう。

「説明はロックに任せる。私はこいつに犬畜生探しを手伝わされて疲れているのでな」

 ミラの方を見るとさも面倒くさそうにそんなことを言った。

 二人は二人でニコちゃん探しをしてくれていたようだった。 


*****


 疑心の笛。

 今よりもアステルが世界にあふれ、星心術がありふれていた時代、一人の天才星心術師の少年がいたずら心に作りだしたアステリアル。

 もともとの効果はアステルで作られた分身――俺たちが遭遇した小鬼のことらしい――を生み出して簡単な命令を実行させる簡易召喚術のようなものだったらしい。

 いたずらっ子だった彼は、自分の住む村の人たちを驚かせるために小鬼たちに怒られない程度のいたずらを命じ、密かに楽しんでいた。

 繰り返されるいたずら。でも犯人が分からず一向に捕まらない。村人たちは次第に疑心暗鬼になり、根拠のない疑いを理由に殺人、しまいには殺し合いにまで発展していった。

 村は壊滅状態。笛を作った子どもも混乱のさなか命を落としたと言われている。

 一方の笛は旅人に拾われ商人に売られたとも、しかるべき今の封魔師ギルドのような機関に保管されているとも言われていた。

「ヒャハ、トレジャーハンターなら一度は聞いたことのあるブツだわな」

「実話をもとにしたおとぎ話としても有名だよね。さっきロイたちが会った黒い影が、疑心の笛で生み出されたものってこと?」

 再びホテル。すでに時計はてっぺんを回っていて、アレスとエリンの声は眠そうだった。ミラなんかもう半分目を閉じていた。ヒスイは一番年下のはずだが、はっきりと目を開けていていつもと変わらない。

「ほぼ間違いねぇ。俺は実物を見たことがあるし、実際に戦ったこともある」

「ん、ロック戦ったことあるのか、あの黒鬼と」

 ロックも眠そうだ。そのせいもあるのか、いつものふざけたような調子ではない、声も低めの真面目な時のロックだ。いつもこんな感じでいてくれると頼もしいのだけれど。

「あるともさ。疑心の笛とか、アステリアルってのは何度も回収されてはトレジャーハンターか、よからぬこと考えてる輩に盗まれての繰り返しでな。まったく騎士団もそうだが星心局も仕事しろって話だよな」

 その話は確かに学校で聞いたことがある。封魔師に回収されたアステリアルは星心局が管轄する組織で厳重に保護されるのだが、ロックが言ったように盗まれてしまうことも少なくはない。

「大変ですねぇトレジャーハンターなんてこの世から滅べばいいのに」

「……てめぇ、なんでオレの顔見て言いやがる。オレはもう手を洗ったっての!」

「それを言うなら足ですよ」

「……手も足も洗ったっての!」

「だーっもうアレス落ち着いて、ヒスイちゃんも喧嘩売らないでよ!」

 夜中だからということもあるだろう、エリンが割と本気で怒っているように見える。あまり話を長引かせるのも良くない。

「簡潔に言うと、どこかで誰かが疑心の笛を吹いてるってこと。それはつまり、一連のトラブルには明確な意図を持った黒幕がいるってことだ」

 ロックの言葉に、抜けていた力が身体を引き締める。それは他の四人も同じだったようで、誰かの息をのむ音が聞こえた気がした。

 アステリアル=悪というわけではない。日常で使われている家事道具はるや車、俺たちが使っている武器だって、アステルを原動力に動く道具という意味ではアステリアルだ。

 問題は使い手の問題。だとすると、使い手として上げざるを得ない選択肢はおのずと絞られてくる。

「あの黒フードたちってことか」

「決めつけは良くないが。まぁ、一番に調べてみるべきだろうな」

 宗教で人を差別してはいけない。前に誰かに言われたような気がする。けれど、今のところの選択肢はそれくらいしかない。

「でも、ボクたちの出せる証拠は写真だけですよね。偶然写っていたとかなんとか、言い逃れはされてしまいそうですけど」

 アステリアルの悪用は言うまでもなく犯罪行為。もしこれがルナ教徒たちの仕業であればみすみす犯罪の自白などするはすもない。ヒスイの言う通り写真だけなら言い逃れられて終わりだ。

「ふっふっふ。俺が何のためにあの小鬼を捕まえたか分かるか?」

 何かほかに方法がないかと思考を巡らせていた頭に、やけに軽いロックの声が響く。見ると、ロックの手には「カプセル」が収まっていた。

「事件の手掛かりを得る。アステリアルを回収できる。そして、ひょっとしたら事件を解決しちまう。ロイとヒスイちゃんの手柄はイッセキサンチョウだったのかもな」

 楽しそうに笑うロックの意図を、この部屋で分かるものはいないようだった。いつの間にか寝てしまっていたミラなら、答えは分かっていたのだろうか。


*****


 目を覚ました時間は朝の十時を回っていた。

 起こしてくれれば良いのにと思ったが、俺が起きた時にはロックもアレスもいびきをかいて寝ていた。思った以上に昨日の疲れが残っているようだった。

 隣の女子部屋は起きているだろうか。少し気になったが、もし寝ていたらかわいそうだったので声はかけないことにした。

「少し、散歩でも行こうかな」

 ホテルの食堂は常時解放されているようだから、朝ごはん――散歩の後ではお昼ごはんに近いが――は、みんなが起きてからで良いだろう。

 エントランスを通って外へ出た。青空は見えず、暗い雲が頭上を覆っていた。

 そういえば今日は休日だった。すれ違う人の数が多い。けれどその誰もから、人を寄せ付けないとげとげとしたオーラが発せられているような気がした。

 疑い、あるいは怖がるような目つき。必要以上な人と人との距離感。'疑心の笛'のおとぎ話に出てきた村も、こんな感じだったのだろうか。

 俺はこれが'疑心の笛'の影響だと知っているから客観視ができるが、実際の住人だったらどうなのだろう。理由の分からないトラブルが続けば隣人を、知人や友人を疑わざるを得なくなるのだろうか。そんな自分は想像したくもない。

 建物が立ち並ぶ道を抜けて、見えてきたのは大きな公園だった。遊ぶ子どもの姿はなく、清掃員と数人の老人がベンチに腰掛けて休んでいるだけだった。憩いの場としての公園の役割は果たしているように見えるけれど、心を休められているのかは分からない。

「はぁ……」

 空いたベンチに座って、ため息をついてしまう。見上げれば相変わらずの雲の多さに、さらにもう一息ついてしまいそうだ。

 ――この雲の向こうにだって青空は広がっている。

 昔読んだ本だったか、誰かに言われた言葉だったか。ステラの言葉にも似たような言葉があったか。俺も常にそう考えたいと思っているけれど、信じられなくなる時もある。

「ため息ばかりついているじゃないか。そんなにきついのかい、封魔師って仕事は」

 ふと、隣から声をかけられた。ぼーっとしていたというのもあるが、いつの間にか隣に座られていたのだという驚きのほうが強くてとっさに言葉が出なかった。

 七三程度に分かれた、銀色で癖のある長髪。人の好さそうな細い目に、俺は心からの懐かしさを覚える。

「ブラック先生! お久しぶりです。あれ、どうして?」

「言ってなかったっけ? 次の赴任先はこのアトリアなんだ。今日は引っ越しの手続きで役所に行くところさ」

 レン・ブラック先生。俺の高等学校で歴史の授業を担当してくれた教師。先月までヒマリアに勤務していたのが、急遽転勤になったとは聞いていた。封魔師の仕事が登校日と被ることも多くなってきて、ちょうど先生の最後の授業を受けられなかったのを後悔していたところだったのだ。

「そうだったんですね。いや、ちょっと気が沈んでしまっていて……」

 ブラック先生はこの街の異変に気付いているだろうか。引っ越して早々街がこんな状況では話すのも憚られる。

「ふーん。もしかして、この街の雰囲気と何か関係がある?」

「どうしてそんな風に思うんです?」

 言葉を濁していたら、見透かされたような質問が来て俺は探るように訊いてしまう。

「なんとなく、ね。この街は敬虔なステラ信者が多いと聞いていたから、静かで穏やかなところだと思っていた。確かに静かだ。だけど、お互いがお互いを監視し合っているような嫌な静けさだと感じていてね。何かあるんじゃないかと思ったんだ」

 やはり感づいていたらしい。確かに先生も、引っ越したばかりなら客観視できる可能性はあるということか。

「……実は」

 話して良いものかどうか少し迷って、俺はこれまで分かったことを自分で整理するがてら先生に話した。不安を紛らわせたかったというのも、正直ある。

 先生は静かに、時に相槌を打ちながら聞いてくれた。

「なるほどね。それで、これからロイ君たちはルナ教徒に殴り込みに行くのかい」

「殴り込みには行きませんよ。ただ、行けば今回の犯人が分かるってロックは言うんです」

「へぇ、それはすごい。どんなふうに?」

「昨日そこまでは教えてくれませんでした。そろそろ起きているころだとは思うんですけど」

 公園に設置されていた時計を見る。ホテルを出てからそろそろ一時間くらい経ってしまっただろうか。置手紙くらいすればよかったかもしれない。

「先生、俺の話に付き合わせてしまってすみませんでした。これから役所でしたよね。すみません、時間取らせてしまって。また落ち着いたらご挨拶に行きます」

「良いさ。話しかけたのは僕だし、教え子の悩みを聞くのは教師として当然さ」

 いそいそと帰ろうとする俺に、先生は頼もしい言葉をかけてくれる。思えば封魔師になりたいと言った時、止めずに肯定してくれたのはブラック先生が最初だったっけ。

 俺は最後に礼を言って、先生に背を向ける。

「ロイ君、キミはこういうことを心配しているんじゃないかな。たとえ'疑心の笛'という元凶が絶たれても、この街は元に戻らないんじゃないか。このままお互いがお互いを疑い続ける悲しい街になってしまうんじゃないかと、そんなことを思っているんじゃないかな」

 その背中に、一息にかけられた言葉は俺の歩みを止めた。

 図星だった。もしかしたら俺自身が気づかなかった、不安の正体が言葉にされた瞬間だったかもしれない。

「今回の件は復讐なんかでもなければ自分に対する絶望でも誰かに対する嫉妬なんかでもない。正体の分からない事件。誰もが犯人かもしれないという不安。隣人や友人を疑ってしまった自分への失望。今までキミが経験してきたものとは違う。街の人たちが明確に憎しみを向ける相手を、笛吹きの子どもより先に見つけてしまっていたことが問題なんだろう。その問題は封魔師ではどうにもできない。療心師も手を焼くだろうね」

 授業の時のように淡々と、先生は言葉を並べていく。感情的にならずに歴史の事実を淡々と教えてくれる。そんな先生の授業スタイルは聞きやすかった。けれど今に限ってはそれが怖いと感じてしまう。

 言い当てられているのが、怖い。

「……どうしたら良いんでしょうね、俺は」

 聞いても仕方のないことだとはわかっている。俺ができるのは'疑心の笛'を吹いている何者かを捕まえてやめさせること。

 ただ、それをして果たして解決になるのか?

「できることをやってみれば良い。元凶を取り除くめどは立っているんだろう? どう転ぶかなんて進んでみなきゃ分からないさ。キミも封魔師になって、分かること分からないこといろいろ出てきたろう?」

 先生にしてはふわふわとした返答だと思った。でも先生はあまり意味のないことは言わない人だ。実際、そうなんだろう。何もしないより、できることをやり続けた方が良い。

「できることが分からなくなったら、やりたいと思うことをやると良い。大丈夫さ。今はこんなにどんよりとした雲の向こうにも、青空は広がっているのだから」

 先生は転じて明るく、そんなことを言った。期待を込めるような言い方に、俺の胸はわずかに軽くなる。

 ――あぁ、そうか。この言葉は、先生からもらった言葉だったんだっけ。

 そんなことを思い出しながら、俺はもう一度礼を言ってその場を後にした。

 ロックがこの後の計画を話したくてうずうずしているかもしれない。急がなくては。

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