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白い雷  作者: 黒崎蓮
羊雲の家編
12/28

第4話:祈り、願う

「お前にしては珍しく苦戦したようだな。人間、しかも子ども相手に」

「相手が子どもだから余計に手こずったってのが本音。さすがに子ども相手に容赦なく剣を振れるほど人の心を棄てていないよ、俺も。……四人がかりで迫られたから、さらに状況は良くなかったし」

「魔物相手にも同じことが言えるのか……まったく。無事だったから良かったものを」

 目を覚まして数秒で降りかかったのはミラのお説教だった。

 あの爆風の衝撃に意識を持っていかれた俺は、そのまま羊雲の家に運び込まれて眠っていたらしい。無事、と言うには身体の節々が痛むが、意識ははっきりしているのでたぶん命に別状はないのだろう。

「私がエリンや騎士団の連中を呼びに行っていなかったら、お前はあの見るからに頭のネジが二、三本飛んでいそうな赤髪と死ぬまでやり合っていたんだろうからな。感謝してほしいものだ」

「あぁ、ありがとう、ミラ……」

 俺はまだ寝ぼけながら、得意げに顔を上に向けるミラに礼を言う。その声がやけに部屋に響いたような気がして耳を澄ましてみると、他の人の気配や声がしなかった。

 ということは今の時間帯的には深夜なのか。

 身体を起こして、ミラの背後にある窓に目を向けると、塗りつぶされたかのように真っ暗だった。

「呼びに行ったってことは、途中でいなくなったあの時か。お前だって、途中でいなくなったら心配するだろ? 何かあったのかと思ったよ」

「い、いや、私は確かにお前に『応援を呼びに行ってくる』と伝えたはずだぞ。それにあれしきの攻撃で私がどうにかなるでもないしな」

「……まぁ、お前が無事なら良いけどさ」

 念話は術者の感情が直接的に乗るから、その分ミラの動揺ぶりもよく伝わる。大方、伝え忘れてしまったということだろう。

「それより、エリンはともかく、騎士団もミラが呼んでくれたのか? それともミストルさんが? あ、でもさすがに到着が早すぎるからそれはないか?」

「いや、騎士団を呼んだのはあの男で合っているぞ。ただ呼んだタイミングは、お前が家を出ていった直後らしいがな」

「それは……準備が良いというか、なんというか……」

 図ったかのような騎士団の到着。

 ミラの話だと、俺が意識を失った直後、アレスたちもまた騎士団のお縄に着いて無事連行されたらしい。あのタイミングで到着したのがエリンだけだったら、騎士団に連絡して到着するまでの間、特にアレスを足止めするのは至難の業―それこそ気絶させるだけでもかなり難しかったはずだが、今回は流れ作業のような展開だった。

 結界の範囲内に侵入したのが件の‘泥棒さん’だと確信して、ミストルさんが先回りして通報したということなのだろうけど、かなり思い切りの良い大胆さだ。

「実際には騎士団の連中、お前たちが戦闘を行っている途中で到着していて、突入の機会を待っていたのかもしれないな。それくらい、あの男の行動は早かったらしいぞ」

「どうせならもっと早く止めて欲しかったけど……。そうすればエリンが横やりを入れずに済んだかもしれないのにな」

 俺の意識を奪ったあの爆発は、俺の‘雷鳴’、アレスが使っていた炎を纏ったナイフ、そしてエリンが放った水弾が持っている星心術の三属性が引き起こした、ほぼ自然現象的な爆発。あそこまで星心術の力が高まっていた場所に、さらに力を付足したらどうなるか、仮にも療心師なのだから分かりそうなものだけど……エリンはエリンで慌てていたのかもしれない。

「まぁ、そうなのかもな……。いや、私が言いたいのはそうではなくて、あの男の行動の周到さだよ。いくら何でも不自然だとは思わないか?」

 この展開が読めていたかのような周到さは。

 ミラは何かを含んだような言い方で、俺に問いかける。

 周到さと言うと、俺が出ていった直後にミストルさんがすぐさま騎士団に通報したという行動の速さのことを言っているのだろう。

「なんだよミラ。お前、ミストルさんのことを何か疑っているのか?」

 確かに、侵入してきたのがアレスたちであるという確信が得られないまま通報するというのは大胆ではあるけれど、それは最悪の状況を想定したから取った行動であって、そこまで引っかかるようなことではないと思うのだが。

「それは私たち、つまりいざという時に戦わなければいけない状況にある身だから当然だと思うのだ。あの男のように、少なくとも戦闘経験もなく、前線に立ったことのないはずの一般人に、あそこまでの(、、、、、、)踏ん切りをつけること(、、、、、、、、、、)は相当難しいはずなのだ。それを即決して行ったというのは―」

 かなり不気味だ。

「……そんなものなのか?」

 断言するようなミラの物言いに、俺はなるほどと納得することができない。

 エリンが言うには、本当に俺が出て行ってすぐに通報したらしいから、その即断力は確かにすごいことだけれど……。

 でもそれはやっぱり当然の決断というか。

 あれほど子どもたちへの想いが強いミストルさんなら、ミラの言う‘踏ん切り’を容易くつけられそうだと思ってしまう。

「確信が得られないまま何か行動を起こすというのは、人間が最も恐れるものの一つなんだ。誰しもが自分の信念を貫き通すために、後先考えすに踏み出せるわけじゃない」

「うん、まぁ、そうなのかな?」

 はっきりしない俺の思考に合わせるように、言葉もかなり曖昧になる。

でも、ミラがミストルさんに‘何か’を感じ取ったことは頭に入れておいた方が良いのかもしれない。こいつのこういう勘は、悪いものほどよく当たるのだから。

「でも、なぁ……」

 ミストルさんの一連の行動を怪しんでみるとしても、何から疑えば良いのかとミラに切り出そうとした時だった。

 ―――。

 それはたぶん、誰かのすすり泣く声だった。

 とても悲しそうな、胸を締め付けられそうな、そんな微かな叫び。

「外……いや、この家の中か?」

「おそらくな」

 偶然耳に入らなかったら、そのまま聞き逃していたかもしれないほどの小さな泣き声。ミラに確認を取りながら、俺の身体は吸い寄せられるかのように声の主に近づこうとする。

「幽霊、とかではないよな……?」

「喋るネコが今さら幽霊になんか怯えるなよ……。確かめよう」

 ミラをからかいたい気持ちを抑えて部屋の扉を開けると、その声は少しだけ大きくなった。念のために隣に眠っているはずのエリンの部屋を扉越しに確認してみたけど、声は違うところからしているようだった。

 エリンの夜泣きならどれだけ良かったか―いや、良くないけど―などと思いつつ、二階にある残り三つの部屋も確認したが結果は同じ。

「うぅ……ひっ……嫌だ、怖い、嫌だよ……」

 二階にいないとすると一階―そう思って階段を下りていた途中に、はっきりとした言葉が聞こえて俺は足を止めた。

 ギシギシと音を立てる木製の階段を下りきって、暗い廊下に目を凝らすと、白い人影のようなものが見えた気がした。

 子どもたちが眠る大部屋の扉の前。

 そこに置物のように、でもわずかに震えながら、膝を抱えて座っていたのは、

「ココ……ちゃん?」

 白い寝間着姿のココちゃんだった。

 昼間に見せていたお姉さんらしい表情は消えていて、一目で泣きはらしている最中だと分かるくらいに目を潤ませていた。

「ロイ……さん……うう、うあぁ……!」

「ちょ、ちょっとココちゃん、どうしたんだ?」

 俺を見て一瞬だけ我慢しようと思ったのだろうがそれも限界だったらしく、すぐにまた表情を崩して、けれど部屋にいる子どもたちを起こさないように声を殺しながら、ココちゃんは俺の腰に抱き着いてきた。

「うぅ……嫌……嫌なんです……置いて行かないで、おかあ……さん……」

 嗚咽が喉から洩れるごとに、か細い腕がきつく、俺の腰をしめていく。

 何かから逃げるかのように、逃げ着いたのが俺の胸の中だから、もう絶対に離さないと言わんばかりに強い力で。

 そうは言っても子どもの力だから、離そうと思えばすぐに離して話を聞くこともできたのだけど。

 ここで離してはいけないと、俺の中の何かが言っていた。

 第六感か、もう一人の自分か。

 あるいは、過去の自分か。

「どうしたの。怖い夢でも、見たのかな?」

 俺はできるだけ優しく声をかけて、ココちゃんの震える肩を抱き返す。それから赤ん坊をあやすように、ぽんぽんと背中を軽く叩いてみる。

「大丈夫……! 大丈夫だから……」

「……」

 何が大丈夫なのか、自分でもよく分からない。ただ俺も小さい時、こうやってわけもわからず泣いてしまった時に、ビアンカさんが母親のように同じようなことをやってくれていたのを思い出して真似ただけ。

 不安を、悲哀を煽るようなか細い声に胸を締め付けられながら必死に。

 かなり不格好だったかもしれないがそれでも、やっていくうちに肩の震えとすすり泣く声がだんだんと収まっていくのが分かった。

「一人は……嫌、だよ……」

 消え入るように一言発してから、ココちゃんは俺にもたれかかるように静かに寝息を立て始めた。

「……」

 一人は嫌。

 ―お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと一緒に暮らせてれば、わたしも毎日こんなふうにいられたのかな……―。

 昼間のココちゃんの言葉とも重なって、俺の気持ちを沈ませていく。

 封魔師では、俺ではどうしても癒すことのできない心の傷がある。それを認識するのは簡単で、でも認めるのはこんなにも難しい。

「気づいていたか、ロイ。この娘、さっきまでかなり危険な状況だったぞ」

「えっ?」

 沈んだ俺の心に追い打ちをかけるかのようなミラの言葉。

「簡単に言うと、いつ陥魔してもおかしくない状況だった。お前が落ち着かせることができなくて、かつ周りに邪気が大量に存在していたなら、娘が突発的に陥魔して魔徒になり、お前と戦闘になるという現実もあり得たくらいには危険だった。そういうことだ」

「そんな、でも……」

 俺は言いかけて、ココちゃんの顔をのぞき込む。

 暗くてよく見えないが、泣きはらしたような彼女の顔に残るのは、悲しさや寂しさ、一言では言い表せないような苦悶と言ってもいいかもしれないもの。

 本来なら一時的な、それこそ夜泣きのようなものだったのかもしれない。

 けれどそれすらも、彼女にとって引いてはいけないトリガーになりうるのだ。

 なぜなら彼女がブラックシードだから。

 知らぬ間に、ココちゃん含む子どもたちが特殊だということを意識から振り払おうとしていた自分に気づいて、言葉を継ぐことができなかった。

「ロイくん?」

 そんな俺の意識を戻したのが、奥の扉が静かに開く気配と聞き慣れた男性の声。そして同時に視界に入ってきた暖色の光だった。

「あ。ええと、こんばんは……」

 奥の部屋―あのヒール・オーナメントがたくさん置いてある部屋から出てきたのは白い寝間着姿に身を包んだミストルさん。手持ちランタンの光に照らされたミストルさんの顔が引きつっていたのと、今の自分の状況を―深夜に少女と抱き合っているという姿を見て、しどろもどろに遅すぎる挨拶をするしかなかった。

「……こんな夜中にそんな小さい子と何をして」

「誤解です」

 無理やりな笑顔から発せられる言葉に俺は間髪入れずに反論する。

 いや、本当にこの姿だけ見たら信じてもらえないだろうけど……。

「ははは、いや、分かっているよ。……その子が、泣いていたんだろう?」

 そんな俺の心配をよそにミストルさんは笑って流すが、すぐにその表情も引き締まる。

「何度かこういうことが?」

「まぁ、ね。その子だけじゃない。この家にいる子どもたち全員、何の前触れもなく突然泣き出してしまうことがよくある。僕が思うに、それはこの子たちがこの家に来る前に負った心の傷……暗い過去が原因なんじゃないかと思っているんだ」

 ―つまりフラッシュバック。

 そう、ミストルさんは小さくため息を吐くようにその単語を口にする。

 いじめ、虐待、迫害……この子たちが―ブラックシードが負ってきた過去の傷。

 それらが不意に思い出されて、繰り返し繰り返しこの子たちを苦しめているということか。

「もうこの子たちがどれくらい涙を流したのか、覚えていない」

「……」

 暖色の光に照らされていながらも、ミストルさんの顔は切なげなまま冷たく凍っているようだった。

 こうやってこの子たちが泣くたびに、俺がココちゃんにしたように、泣き止むまで言葉をかけているのかもしれない。

 そしてその度に、胸が締め付けられるようなあの表情を目にしているのだろう。

「辛い……ですよね」

 どう言葉をかけていいか分からず、俺はありきたりな自分の感想しか言えない。

 助けられる側が辛いのは当たり前だが、助ける側だって心を削っているのだ。

「もちろん辛いけど、それが僕の使命だと思っている。こんな人里離れた場所に来たのも、この家を建てたのも、会社に無理を言ったのも……全部この子たちの傷を癒すためだから」

 表情はまだ硬いまま、でもその瞳には静かに強い光を灯して、ミストルさんは言った。

 この人の言葉にきっと嘘はない。

 ミラは何か疑っていた様子だったけど、俺はそんなふうには考えられない。この‘羊雲の家’で過ごしたたった一日を振り返っただけで、ミストルさんの想いが形になっているのが分かるじゃないか。

「僕がどうなろうと、僕の手と目の届く範囲にいる子どもたちは、立派に独り立ちできるくらいまで見てあげたいんだ。僕だけじゃなく他の仲間も、‘ただ一緒にいる’というだけで癒される傷があるってことを知っている。子どもたち同士も同じことで、一緒に生活する中で、生きていく術を見つけ出してほしいと、そんなふうに思うんだ」

 ぽつりぽつりと選ぶように紡がれたミストルさんの言葉は、鳥肌が立つような綺麗ごとに聞こえるかもしれない。

 でも、実際に身と心を削る彼の姿を見ている俺からすれば、それは紛れもない真実だった。

「……俺も、できる限り協力させてほしいです」

迷った末に俺が出したのはそんな返答。

 ミストルさんからの依頼は、あの四人組が騎士団に捕まった時点で終わっていたけれど。

 まだ半分、やり残していることがあるじゃないか。



 ミストルさんから依頼されたのは警護と子守り。

 そのうち警護の方はほぼ心配ないと言って良いかもしれないが、子守りの方はせいぜい一緒に牧場体験や追いかけっこをしたくらい。警護の任務を終えた時点で、子守りはオマケみたいなものだから、封魔師としてこの場所にいるのは領分を越えているとも言える。

 だけど俺はあと六日―つまり高等学校の春休みが終わる仲春の月の九日まで、この‘羊雲の家’に滞在して、子守り含む諸々の雑事をさせて欲しいと頼んだのだった。

 ミストルさんと会話をした翌日、帰りの支度をしている最中に子どもたちに、『寂しいから帰らないでほしい』なんてキラキラした瞳で頼まれたから、なんて可愛い理由もあるけれど。

 俺自身も、ミストルさんと同じように、俺の手と目の届く範囲で、できる限りこの子たちの傷を癒す手助けをしたかった。

 一緒にいるだけで癒される傷があるなら。

 心の底から笑顔になれる日に近づく手助けが少しでもできるなら。

「願ってもない言葉だよ! ぜひ、お願いしたいな。外から来る人というのはキミたちが初めてと言っても良いくらいでね! この子たちに教えてあげて欲しいんだ。外の世界はみんなが思っているよりももっと広くて、暖かい場所なんだってことを!」

 俺の頼みに、少し興奮気味にこんな返答をくれた。

 世界はもっと広くて暖かい場所だなんて、封魔師としてそんな無責任なことは言えないけれど。

 世界は広いから、この子たちにとってのそういう場所もきっと見つけられるということなら、伝えられそうだった。



 久しぶりに下りてきたボーテスの商店街は、夕飯時のせいかかなり賑わっているように見えた。

 小さな出店からは新鮮そうな魚、野菜、肉がこれ見よがしに並んでいて、食べ歩きをしてしまいたくなるような焼き物や揚げ物が鼻と腹を刺激する。

 見上げた先に立ち並んでいるのは背の高いデパートや集合住宅。

 その中には‘ブルメリア社’と大きな看板を掲げた、ひときわ背の高い灰色の建物もあった。

「‘羊雲の家’、なんだかんだ言っていろいろあったね~。魔物がいるかもしれないって言ってビクビクしながら来てはたけど、結局子どもたちと遊んでいる時間の方が多かったし!」

「そうだな。エリンが大人げもなく子どもたちに追いかけっこで本気を出したり、エリンが遠慮もなしに子どもたちよりごはんを食べたり、エリンが泥棒ごと俺を爆風で吹き飛ばして気絶させたり……ほんといろいろあって充実してたよな」

「だ、だから~! あれは謝ったじゃん、ごめんねーって! あと、そんなにごはんにがっついてなかったし!」

 仲春の月の八日。

 滞在の延長を頼んで五日後、依頼を正式に終えて帰る前日。

 俺たちはミストルさんに‘最後のお願い’と称して、彼の運転する車で山を下りて、ボーテスの街で買い物を頼まれていた。ミストルさん自身は用事があるということで、買うもののメモを渡されて早急に山へ引き返してしまったので、今はエリンとミラが同行しているだけだ。

 結局この二人―一人と一匹も俺と同じく、ギリギリまで滞在することに決めたのだった。

「人間が多すぎないか、長閑なヒマリアとは大違いだ……ふぅ」

 仕事帰りのサラリーマン、買い物帰りの主婦、学校帰りの学生……そんな人の波に押されながらも、その間に白い身体をうまく滑り込ませて、俺たちの後に付いてくる。

「ヒマリアと比べれば建物もいっぱいあるし大きいもんなぁ、この街。エリン、ミラ、迷うなよ」

 ぎゃんぎゃんと抗議するエリンを流す形で、俺は一人と一匹に言う。

 迷うなと言っても頼まれたものは大方食材なので、目の前にある大きなデパートに行けばすべて揃っているはずだ。

「……だいたいね、ロイは食べるのが遅いんだって。だからそれに比べて私が多く食べているように見えるの。おかわり?」

「それは関係ないと思うけどなぁ。食べている量は実際に多いじゃないか。俺がスパイシースープ一杯にパンを二つ平らげている間にスープ三杯にパンを四つってどんな速さと量だよ。あと食欲が前面に出過ぎて『おわかり?』が『おかわり?』になってるぞ」

「はっ……いや、これはその、ギャグだよギャグ! いちいち説明しないでよ気づかれなかったかもしれないのに~! あ、あと、そんな大食いしてないから……風評被害、ほんと、やめて……」

 ツッコミが追いつかずに息を切らすエリン。

 これだからこいつをいじるのはやめられないんだ。

「お前実はけっこうサディストの気質があったりしないか?」

 ミラのあり得るかもしれないツッコミには耳を貸さないことにした。

「はぁ~、慣れないことすると疲れる! ……って、あれは……」

 また面白いツッコミが聞けるのかと思って身構えていた俺をよそに、エリンが歩きながら前に視線を向ける。

 エリンの目を追ってみると、デパートがある道路を挟んで向かい側、他の建物とは少し孤立したように、コンクリート製の建物が建っていた。

 目立つようなはっきりとした黄色に、茶色の三角屋根、何よりエリンが反応するというから、俺もそれが何かはすぐに分かった。

「聖堂か。こんな町中にあるものなんだな」

「ね! ヒマリアみたいにもうちょっと人のいない静かな場所にあると思ったんだけど、珍しいね」

 言いながら、エリンの目線は目の前にある目的地のデパートよりも、たった今見つけた聖堂に向いている。

「……せっかくだから、‘お祈り’でもしてくるか?」

「えへへ、さすがロイ。察してくれてありがと! しばらく行っていなかったから、行きたいなと思って」

 俺の提案にエリンは嬉しそうに、でも半分申し訳なさそうに笑って礼を言う。

 すぐ目の前に目的地はあったけど、俺たちは少しだけ寄り道することにした。


 ステラ教。

 現在、俺たちが住むカノン王国を含んだグロリア大陸全体で信じられている宗教。

 カノンでは人口の約九割が信仰していて、入信していなければ星心術の使用する許可が降りないほどの、まさしく国教と言えるものだった。

 夜になるとひときわ強く光輝く星ステラと、その星と同じ名前の教祖ステラの言葉の数々を信仰対象にしている。

 ―白く輝く星のように、人の心は元来輝きに満ちている。

 ―心を闇に落としてしまっても、それは一時的に黒い雲がかかってしまっただけ。雲はやがて晴れて、いずれまた美麗な星々を見せてくれる。

 ―光を祈り願うのなら、(ステラ)は再び心を宿して現世へと姿を見せる。

 ……言葉だけ取ってみるなら、すごく綺麗で、魅力的なものだ。

 人間が目指すべき理想だし、できることならなりたい姿。

 だけど、実際の世の中はステラが残した言葉を尽く否定するかのように、魔物の発生率が増えたり、陥魔する原因になる‘邪気’の濃度が増えたりしている一方だ。

 約二千年前、伝説に残されているように‘千の魔を焼き、万の禍を払った’ステラの姿を見た当時の人たちからすれば、奇跡を目のあたりにしたわけだから、もしかしたら信じることができたのかもしれない。

 でも今は状況がまるっきり違う。

 九割が入信していると言ったが、そのほとんどが俺のように、うわべだけの言葉を知識として知っているだけのように見える。

 その中でも、エリンは特別に熱心なのだ。

 週に一回、祈りの日というのがある。聖堂に来て、ステラに祈りを捧げる日だ。

 多くの人は、その日は二日ある休みのうちの一つだから、家でのんびりしたり、外へ出かけたりしてそのことを忘れてしまっている―つまりはほぼ形骸化してしまっているのだけど、エリンはほぼ欠かすことなく行っている。

 物心ついた時から、療心師の試験が忙しかった時でさえ忘れようとはしなかった。

『別にさ。祈ったら神様が出てきて、苦しみから救ってくれるとか、そういうのを信じているわけじゃないの。ただ、神様が―ステラさまが言っていることにすごく共感するんだ。暗いことにばかり目を向けるんじゃなくて、前を見て生きろ! とか、すごく勇気をもらえるの』

 いつだったか、なぜそんなに熱心にお祈りに行くのかを訊いたときに、エリンが言っていた言葉。

『星心術は、心とアステルが結びついて生まれる力だよね。祈りとか願いが、何か別の力と混ざって変わる、そんな力だよね。だから祈り続けたら、きっといつか形になるんじゃないかって、ちょっと期待してるんだ』

 何をそんなに祈っているんだよと訊いてみたけど、そこはやっぱり『秘密だよー』なんて言われて誤魔化されてしまった。だからいまだに理由は分からないけれど、エリンは聖堂を見かければ、祈りの日でなくとも足を運ぶことにしているようだった。


 聖堂の中は、外の喧騒を忘れたかのような静けさに包まれていた。

 ヒマリアのものと同じように、内装はいたってシンプルで、正面に赤や緑のステンドグラスが張り巡らされていて、その上に貼りつけるように壁一面に大きな絵画が一枚ある。職員みたいな人はいなくて、あとは来た人たちのために木製の長机と椅子がいくつか置かれているだけの空間だった。

「……」

 エリンは絵画の正面に立つ。

 中心に描かれているのは真っ白なマントとフードを羽織った人物。

 フードからはみ出す金色の髪以外その特徴が掴めないから、男か女かもわからないけれど、これがステラなのだろう。掲げた右手には色とりどりの光が満ち満ちている。背後には同じような格好の人影が十二体。これが伝説にも記される、十二聖徒と呼ばれるステラの弟子なのかもしれない。

 何かを伝えようとしている絵なのだろうが、やっぱり俺には分からない。

 がらんとした静寂に、俺とエリン、ミラの呼吸が繰り返される音が聞こえるだけの時間が、少し長めに過ぎた気がした。

「……ステラの輝きが共にあらんことを」

 エリンが祈りを終えたようだった。

 組んでいた両手を解いて、ふぅと息を吐く。

「何をお祈りしていたんだ?」

 特に答えは期待していなかったけど、お決まりのように俺は訊く。

「ココちゃんたちが、‘羊雲の家’にいるみんなが、幸せになりますように……かな」

「……」

 まさか教えてもらえるとは思わなかったから、すぐに返事をすることができなかった。

 あまりにも単純で、それでいて果てしなく途方もなく聞こえる祈り。

 それでもエリンの表情がとても清々しかったから、少し遅れて『そうだな』と答えた。

「……じゃ、さっさと買い物を済ませちゃおー!」

「あぁ、そうしようか」

 張り詰めた雰囲気から一転、いつも通りのエリンの明るい声が堂内に響いた。

「……」

 聖堂の扉をくぐる直前、俺も本当に久しぶりに、心の中で‘お祈り’をしたのだった。

 祈りが形になりますように、と。



「いやー、いっぱい買っちゃったね」

「こんなに必要だったか? 頼まれていた分よりだいぶ多い気がするけど」

「多めに買っておいた方が何かあった時に役に立つかもしれないじゃーん! はぁ、それより小腹が空いちゃった」

 買い物が終わったのは空がだいぶ暗くなってきてからだった。

 休憩がてらに寄ったのは、商店街に立ち並ぶカフェの中の一つ。外装と、わざと店内を見せるように作られた窓から見えた内装のお洒落さに、エリンが一目ぼれした結果だった。

 焦げ茶色の木の壁と緑色の観葉植物が明るめの照明に照らされて、大人っぽい雰囲気を醸し出している。席も普通のカフェにあるような木製のテーブルと椅子ではなく、白色や緑色のソファ―しかもすごくフカフカだ―や低めのテーブルを使っているから、なんだか少しゴージャスな気分になる。

 カウンター席もあって、そこには先客が二名、後ろを向いていたから顔は見えなかったけど、体格からして男性が座っていた。

「な、なぁ、来る場所間違えてないか? 雰囲気がめちゃくちゃ良いし……高そうだ」

 店を一通り見渡してから、俺はてんこ盛りの荷物をソファに置くエリンに小声で訊く。店内には雰囲気を壊さない程度のギターの音色しか聞こえないから、自然と声の大きさにも気を遣ってしまう。

「んっふふ、これだからカフェ初心者のロイはいけないねぇ。こういうところほどお手ごろにお値段を設定して、熱心なファンだけを虜にするっていう作戦なのよ! カフェ上級者にして女子力無限大のエリンちゃんにまっかせなさー……」

「……」

 そう豪語してメニューを開いたエリンは笑顔のまま固まってしまう。

 予想はしていたけどなと思いつつ俺もメニューに目を通すと、おおよそ俺らのような学生が来ていい値段のものは揃えられていなかった。

「……何の上級者で何が無限大なんだっけ?」

「ドジっ娘上級者で……運の悪さ無限大、かな? えへっ」

「三十点」

「酷い?!」

 店選びのセンスは最悪だったが、このテンポは悪くなかった。

「何をじゃれ合っているのだ……」

 足元で丸まっているミラから念話が飛んできて、俺は慌てて人差し指を口元にあてる。エリンも自分の声の大きさに気が付いたようで、同じように手を口にあてた。

「……とりあえず一番安いコーヒーを頼んですぐ帰ろう」

「だね。連絡機はある?」

「あぁ、ここに」

 二人でここにいてはいずれ店から追い出されるレベルで騒いでしまう危険性があるので、早めに頼んで出ることにした。幸い、他の客はカウンター席にいる二人以外にいないから、静かに飲んでいれば邪魔にならないだろう。

 帰りはミストルさんから渡された無線連絡機で連絡すれば迎えに来てもらえることになっているから、この荷物の重さも問題ないだろうし。

「じゃあ、さっそく……」


「もう我慢できねぇって言ったんだよ!!」


 俺が手を挙げて、ウェイターを呼ぼうとした時だった。

 優雅な雰囲気を破るように、吠えるような男性の声が店内に響いた。

 発散されるような怒気に一瞬、店内で騒いでいた俺たちが怒られたのだと思ったのだけど、そうではないらしい。

 声がしたカウンターの方を見ると、二人いた男性のうち大柄の方が、もう一方の胸ぐらをつかんで、今にも殴りかかりそうな剣幕で怒鳴っていた。掴まれている方の男性は、エリンより少し明るめの茶髪を短く切りそろえた、眼鏡をかけた細身の男性。大柄な男性と比べてだいぶ若いわりに、冷たいと言って良いほど涼しい顔をしている。

 そして。

「ねぇロイ、あの人ってもしかして……」

「あぁ、もしかしなくてもだな」

 エリンも気が付いたようで、俺に顔を寄せて小声で確認をしてくる。

 俺とエリンの目線は揃って、鼻息を荒くする大柄な男性に注がれている。

「落ち着いてくれラモス。これは事実だろう。僕の言っていることは、間違っていないだろう?」

 冷たい表情から冷たい言葉を投げかけられているのは、紛れもなくラモスさんだった。何があったのかは分からないが、五日前に‘羊雲の家’で会った時に見せていた陽気な顔の面影は微塵も残っていない。

「あっちで仕入れることができた素材は、できる限り会社に入れている! 金だってギリギリのラインまで交渉したじゃねーか! それなのにこれ以上人員を削減だぁ? そんなことしたらお前がよく言っている‘生産コスト’のバランスが崩れちまうんじゃねーのか?!」

「兄さんと一緒に‘ごっこ遊び’なんかしている社員、うちにはもういらないということだよ。生半可な気持ちで働いている人間は、うちには必要ない。そのうちあんただけじゃなく、参加している社員全員のクビを切るつもりだ」

 不穏な言葉のオンパレードだった。

 この様子だと、ラモスさんの方が圧倒的に不利なようだけど、何が起きているのだろう。

 過熱していく言い合いに、俺もエリンも注文をできずにいた。

「家族が……俺には嫁と娘が二人、家で待ってる家族がいるんだよ……!」

「うちには数千人の社員がいる。あんたや兄さんたちのような、ボランティア気分の人間のために、本気で働くうちの社員を失うわけにはいかないんだ」

「……あの家の子どもたちは、どうなる」

「本当に助けたいという気持ちがあるなら、無償で活動を続ければいいじゃないか」

「そんなこと! できるわけ……ないだろうが……!」

「……すまないがこれ以上時間を割くわけにもいかない。あんたの処遇については追って通達する」

 それでは失礼。

 そう言って、男性はラモスさんの手を振り払って出口の方へ速足で向かって行ってしまう。ラモスさんが打ちひしがれているような表情をしているのにはいっさい振り向くこともなく、きびきびと機械的に歩を進める。

 自然にその姿を目で追っていた俺は一瞬だけ、扉に手をかけた男性と目が合ってしまった。

「……」

 背筋に冷水を浴びせられたような、とはまさにこういう感覚を言うのかもしれない。

 髪と同じ色の瞳には、およそ人間らしい光というか、感情を読み取ることができなかった。暗闇を見つめ過ぎて、感染してしまったかのように暗い瞳に、無意識に俺の身体は震えた。

「さっきから匂うとは思っていたが……なかなかヤバいな、あれは」

 足元のミラから、俺の震えの原因を補足するかのような言葉。

 こいつが‘匂う’なんて言葉を発したなら、十中八九(、、、、)その関係の人間だろう(、、、、、、、、、、)

 人間と呼んでいいのかも、もはや怪しい。

「人間に擬態した魔物か、あやつ自体が魔徒なのか……あぁ、魔物の宿主という可能性も考えなくてはいけないから厄介だな」

 ミラが呑気にそんなことを言う。

 依頼の範囲外だが、ここは封魔師として後を追うべきなのか? それともここはエリンと情報を共有して相談してから、何か行動を起こすべきなのか?

「ラモスさん、ですよね? 覚えてます? エリンです。その、何か……あったんですか?」

「あんたは……。いや、どうして、いつからここに?」

 男が出ていった扉から目を離せない俺をよそに、エリンは項垂れるラモスさんに話を聞いているようだった。

 こういう時の行動力は見習うべきなのだろうけど、エリンは気づいていないのだろうか?

「エリン、さっきの……」


「ちぃーっす! お邪魔するぜェ、ヒャハ」


 割り込むのは申し訳ないと思いつつ、ラモスさんから話を聞き出そうとしているエリンに確認をしようとした時だった。

 明らかに場違いな陽気な声とともに扉が開いた。

 顔を見せたのは、ここに来ることは不可能なはずの人物。

 目立つ赤色の髪と、挑発的な笑みは忘れようにも忘れられない。

 おとなしくお縄についたと聞いたから、もう二度と会うことはないと思っていたし、できれば会いたくなかったと思っていたのに。


「アレス・ルージュ。ただいまくっさいブタ箱から帰ってきちゃったんだぜ、ヒャハ!」


 そんな俺の思いも虚しく、‘泥棒さん’ことアレス・ルージュは、憎たらしいほどの満面の笑みを浮かべて店の入り口を塞いでいたのだった。


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