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白い雷  作者: 黒崎蓮
羊雲の家編
10/28

第2話:幸せの裏側

 羊雲の家から、俺たちが車に乗せてもらって来た方向とは逆に歩いて数分も経たないうちに、その牧草地は見えてきた。

 羊雲の家周辺と比べて木々が全くと言っていいほどなく、一面黄緑色の草がいっぱいに広がり、その中にぽつぽつと白い塊、つまり羊たちがのんびりと草を食んでいる。近づくにつれて動物特有の臭いが漂ってきて、慣れない俺とエリンは口と鼻を覆ってしまう。

 奥まで見渡すと、その奥が急な坂道になっているからだろうか、木で作られた高めの柵でこの牧草地が覆われているのがわかる。おとなしそうに見える羊たちだけど、何かのはずみで街がある山の下に下りて行ってしまったらかなり危険な事故が起きてしまうだろうから、当然の仕様だろう。

「今日もがんばろう!」

「うん! 今日はラモスおじさんたちも来て、羊さんたちの毛を刈るんだよね? ぼくもう今から楽しみでさ~」

「この前は怖いって言って泣いてたのに?」

「む、昔の話じゃん! ぼくもう十歳だぞ!」

 牧草地に近づくにつれて、先頭のミストルさんと最後尾にいる俺とエリンに挟まれて歩いている子どもたちが楽しそうに話し始める。最年長、と言ってもまだ十三歳の女の子―たしか名前はココちゃんと言ったか―を中心に、下は五歳、上は十三歳までの子どもたちが並んで歩いて、まるで学校の遠足のようだった。

 そこには笑顔しかなくて。

 仲間外れなんて以ての外で、あるはずもなかった。

 羊雲の家では、子どもたちの日々の活動の一つとして、この牧草地で羊を育てているらしい。ミストルさんが仲間と協力して人工的に作った牧場に、これもまた自前で購入した羊を離している。そうはいってもやはり放牧だから、牧草地の伸びすぎてしまった草を刈ったり、この春の時期限定で羊の毛刈りを、街から登ってきたミストルさんの仲間、つまりはブルメリア社でミストルさんに協力を申し出たボランティアの人たちと協力してやったりするだけで、子どもたちにとってはそこまで大変な作業ではないし、良い運動にもなるとのこと。

 この活動から、子どもたちに少しずつ自給自足の術を学ばせるのが、ミストルさんの狙いらしい。

 この子たちはブラックシードだから。

 普通の社会からは拒絶されるから。

 一人でも生きられる強さを身に着けたほうが現実的なのだと、そういう考えが根底にあるらしかった。

 悲しい現実だと、俺は思う。

 こんなにも普通で、こんなにも笑顔の子どもたちが、大勢の人たちに受け入れられず、一人で生きる道を選択せざるを得ないということが、やりきれなくて悲しい。

 でも、誰もが魔物を生み出す原因になり、誰もが魔徒になりうる可能性があるということを俺自身が知っていること。そしてこの子たちが過去に受けたのであろう深い傷によって、その可能性がより高いことはこれまでの歴史の中で証明されているから、この状況が必ずしも間違いだと断言できないのが余計にやりきれない。

 だからこれ以上この子たちが傷つかないように、俺やエリンのような封魔師がいるということを認識しているけど、それ以上に何かできないかと、俺は無い知恵と想像力を振り絞って考えてしまう。

「さて、着いたよ。いつものように草刈りをしようか! 後からラモスたちも来るから、その時は彼らの言うことをちゃんと聞くんだよ」

「はーい!」

 ミストルさんは牧草地の入り口である木造りの扉の前で子どもたちに指示を出す。子どもたちは元気良く返事をして、扉を開けて中へと走っていった。年上の子どもたちは、羊の飼料が入っているのだろうか、たっぷりと質量のありそうな袋を重そうに担ぎながら中に入っていく。

「にゃー、離せ! 離せばわかる! こ、この、サルガキぃ!」

その中にはやんちゃそうな男の子二人に持ち上げられて悲鳴を上げるミラの姿もあった。あいつは飽きられずに子どもたちのオモチャになっているらしい。

 よっぽど気に入られているようだから、持ってきて正解だったなぁ。

「マジの玩具みたいに言うな! なんだ、私は今回ずっとこんな役なのか?!」

 毛並みもボサボサ涙目なミラちゃんの悲痛な念話による叫びに、俺は笑顔で手を振ることしかできないのを歯がゆく思うほかなかった。

「絶対思ってないだろ、後で覚えておけよぉぉ!」

 そんな捨て台詞とともに、実際にはニャーニャーと嬉しそうに聞こえる鳴き声で鳴きながら、ミラと子どもたちは牧草地の奥へと見えなくなっていく。いつも澄ましていて、凛としているミラがロック以外にあんなふうに邪険に扱われるのを見るのは久しぶりだったから、かなり面白くて、自然に口角が上がってしまう。

「ロイくん、エリンちゃん、僕はちょっとどうしてもやらなきゃいけないことがあるから、少しの間子どもたちの様子を見ててくれないか? 数十分もすれば僕の仲間のラモスという男と、何人かが毛刈りの手伝いをしてくれることになっているから、それまでの間なんだけど」

 ミラの姿を見て鬱屈とした感覚が若干晴れた俺の耳に、ミストルさんの声が届く。

「良いですよ。他に僕らに手伝えることはありますか?」

 内容から、今回の依頼のうちの‘子守り’を果たす時間のようで、俺は気持ちを切り替えてミストルさんに聞く。

「草刈りをきみたちが手伝ってくれれば早いかな。羊たちは贅沢でね、ちょうど人差し指二本分の長さ以上の草は食べないんだよ。だからその長さ以上の草を刈り取ってくれれば助かるよ」

「わっかりました! 任せてください!」

 俺より先にエリンが子どもに負けず劣らずのはじけた様子で返事をする。

 羊は草しか食べないから、草刈り機の代わりになるんだとかとか前にどこかで聞いたことがあるけど、そんなこだわりがあったんだなと思いつつ、俺も『わかりました』と一言返す。

「あと、それからこれ。きみたちに渡しておくよ」

 ミストルさんはポケットから、流線型で銀色のフレームにはめられた、淡い緑色に光る石を取り出す。

「これは?」

 見た感じはただのアステル鉱石なのだけど、虹色ではなく緑色に光っているところから、何かの術がかけられていることを感じて俺は訊く。

「昨日言っていた結界の感応装置。僕やここの関係者以外が周辺に侵入すると赤色に光るようになっている。万が一の時は、ヒール・オーナメントよりも、子どもたちを優先して守ってほしい」

 ミストルさんは言って、その感応装置を俺の手に握らせる。その思いの強さはその握力と熱で十分に伝わった。

「それじゃ、頼んだよ」

 背を向けるミストルさんに手を振って、俺たち牧草に入ることにした。



「うーん、空も青いし、この草地の緑とのコントラストが見事で最高にきれいだね! 良い眺めだ! うんうん、こういうのを幸せって言うのですよ」

「ん、あぁ、そうだな」

 牧草に一歩踏み出してあたりを見渡してから、エリンは満足そうにそんなことを言う。つられて同じほうに顔を向けると、エリンが言ったとおりのあるがままの景色。

 確かに俺自身、本や雑誌以外でこういう牧場を直接見るのは初めてではあるし、新鮮な気持ちでもある。でも今のエリンほど、取り立てて‘幸せ’だとか、そういう気持ちは特に起こらない。

 それよりも今はすぐ近くで元気に遊んでいる子どもたちの状況を適度に把握しておくことが大事だろう。

「なに、なんか緊張してるの? 大丈夫だよー、結界もあるんだから泥棒が入ってきてもわかるって!」

「お気楽だな、エリンは……」

 俺が若干緊張していることはエリンにばれてしまっているらしい。妙なところで察しがいいのは長年一緒に暮らしてきた弊害だなと思いつつ、まだエリンには今朝方にあの部屋で感じた気配については言っていなかったのに気づいたので簡単に報告しておくことにした。

「あの部屋で、誰かが潜んでいるような気配を感じたんだよ。エリンでもミストルさんでもない、少なくともこの‘羊雲の家’では感じたことのない気配だった。気のせいならそれでいいんだけど、少し気になってさ」

「気配……ねぇ。それって、魔物の気配、というか邪気とは違ったの? 私は感じることができなかったから、よく分からないんだけど」

 エリンは訝しげな表情で確認する。エリンの言う邪気―アステルと人の心が混ざり合って生まれる力の流れの気配は、あそこにはしなかった。

 ただ純粋にそこにある。ただそれだけで、敵意も無ければ悪意も無いように思えた。

 じゃあ何もないのと同じじゃないかと言われればそれまでではあるのだが。

「邪気じゃなかったら危険は無いんじゃない? あの中にもし誰かがいても隠れる場所なんてなかったからすぐ分かったはずだし、魔物とかだったらなおさら私たちが気付けないはずないと思うな」

 やっぱりお気楽かつ今回はちょっと自信たっぷりな感じの返事だった。それこそ四年分の、訓練所での修行やロックへの依頼に実地訓練と称して付いていった時に培った力の成果の表れでもあった。

「そうだな。仮に魔物なら俺たちの本分でもあるわけだし。何も起きないのが一番いいけど、もしもの時は協力よろしくな」

「言われなくても、任せなさいって。……ところでさ」

 感じていた若干の不安を共有して、さて子どもたちと一緒に草刈りでもしようかというところで、エリンが何かを言いかけたのがわかって俺は足を止める。

「ん、まだなにかあるか?」

「いや、別に大したことじゃないんだけどさ。その、カメラ、持ってきたんだなって思って」

 エリンの指差す先には俺が肩からかけている黒いショルダーバッグ。中には愛用のインスタントカメラが入っている。封魔師になる以前、俺が熱中していたものの一つに、適当に外に出て風景の写真を撮るというものがあった。ここ四年くらいは忙しくて触れすらしなかったものを、今回は持ってきている。

「初の正式な依頼だからさ。いろいろ撮って、後で記録に残しておこうかと思って持ってきたんだ。懐かしいだろ?」

 俺は言いながらバッグからカメラを取り出して、エリンの方に向ける。エリンはそれに反射ともいえる速度で、カメラ目線ぴったりのピースサインで反応してくれる。

「どう、可愛く撮れた?」

「あぁ撮れた撮れた。ほれ」

「お~……って、ピント合ってないじゃん! ボケボケじゃん!」

 シャッター音とともに出てきた写真を見て、エリンは噛みつかんばかりに文句を言う。

「合ってるよ、ほら。めちゃくちゃ可愛く撮れてる」

 俺はエリンに写真を近づけてありのままの感想を言う。

 確かにピントはばっちりと合っていた。

 ピースサインをするエリンの後ろで楽しそうに草刈りをする、ココちゃんとその他子どもたちにぴったりと。

「なんだよー、私を撮ってくれてるんじゃなかったの~!」

「記録用だからな」

「ぐぅ、昔はよく撮ってくれたじゃん」

「だいぶ前の話だろ、それ。今こいつは記録用のカメラなんだよ。てか、そろそろ草刈りを手伝おうぜ。こんなおしゃべりならギルドに帰ってからでもできる」

 不満そうに頬を膨らませるエリンをようやく本筋に戻す切り口を見つけて、俺は話をまとめようとする。いくら今の段階で草刈りしかすることがないと言っても、子どもたちを放りっぱなしにするのは良くないだろう。

「へーい、わかりましたよーだ。じゃあ私はあっちの方の子たちを手伝ってくるよ」

 エリンは渋々といった感じながらも応じてくれて、入口から入って左側、さっきミラで遊んでいた男の子たちがいる方を指さす。草刈りには飽きてしまったのか、追いかけっこをして遊んでいるようだった。

「ありゃりゃ、ぜんぜん草取ってないんじゃない、あれ。仕方ないなー、エリンちゃんが手伝ってあげちゃうぞ~!」

 その姿を確認するなり、エリンはなぜか楽しそうに言って走って行ってしまった。

「ほんと、いつも楽しそうなやつだよな、あいつは」

 毎回思うことを毎回のごとく口にする。というか自然に出てしまう。たまにこっちが呆れてしまうくらいポジティブで、緊張感がないんじゃないかと思ってしまうことがあるのだけれど、エリンのこの性格は気付いた時からこんなものだったのでそう簡単に変わらないだろう。

 あいつの分まで俺がしっかり気を張っていれば良いことだし。

 俺も手伝おうかと、ちょうど近くにいるココちゃんたちに話しかけようとした時だった。

 視界に何気なく、肩からかけている黒いショルダーバッグが映る。

 そういえばこのカメラは俺が、雑誌に載っているような綺麗な写真を撮りたいという理由でロックに頼んで買ってもらったものだということを思い出す。

 なんとなく頭に浮かんだ昔の記憶。

 写真に納められた景色に、建物に、人の笑顔に感動して、自分でもこんな写真が撮りたいという一心でひたすらシャッターを押していたのは五年前。

 でも今は封魔師として、自分の仕事の記録を撮るための道具になっている。

 エリンのあの性格はあまり変わらなくても、このカメラはずいぶんと変わった。

 俺自身が意識的にやっていることだし、このカメラがその目的のために使える一番身近にあったものだから持ってきただけだから、それはそれでいいのだけれど。

 なんだか少し寂しかった。

 今この時に感傷に浸るべきことではまったくないのだけれど、このカメラだけ持ってきて、自分のあの時の熱中していた気持ちを置き去りにしてきてしまったような、ピントを合わせ損ねたままシャッターを押してしまったようなもやもやとした感覚に、少しだけ胸が痛んだのだった。



「はぁはぁ、おかしいな、草刈りをしただけなのになんでこんなに息が上がってるんだ……?」

 それからは時間の進み具合と体力の減り具合が同じくらい早く感じた。走ったせいで熱くなったから、さすがに着ていたジャンパーは脱いで、今は半そでの黒シャツ一枚になっている。

 なぜこんなことになっているのかと言えば、草刈りはもちろんやったのだけど、飽きっぽい子ども達はやっぱりすぐに集中力が切れてしまって他のことを始めてしまうのだ。ミストルさんは毎日のようにこの子たちをまとめているのかと思うと感心を通り越して尊敬すら抱いてしまう。なんとかみんなを作業に戻らせるために四苦八苦した結果、最終的にエリンがこんな提案をしたのだった。

「おねーちゃんたちと鬼ごっこをして勝ったらもう好きに遊んでいいよ! たーだーし、負けたらみんなでしっかり草刈りをすること! わかった? 時間はそうだなー、ミストルさんが言ってたラモスさんって人が来るまで!」

 俺たちが負けたら後残り半分の、だだっ広いこの牧場の雑草を二人で刈らなくてはならないということで、ずいぶん無茶な提案だったのだけど、子どもたちはこういう単純な勝負ごとに燃えるのか、そのやる気を草刈りに回してほしいくらいにやる気は満々だった。

 そういうわけで、エリンの提案した鬼ごっこにより、俺たちは元気に羊たちの間をすり抜けて逃げる子どもたちをずっと追いかけまわしていたのだ。この牧場はかなり広いうえ、羊という障害物がかなり罠だった。

 子どもたちは上手く羊を利用して追いかける俺やエリンから逃げ続けた。最初は手加減をしてやろうと軽い気持ちでやっていたのだけど、しまいには本気で追いかけている俺がいた。

「ふははっはは! 今度は私がお前たちで遊ぶ番だ! 逃げろ、逃げまどえぇ!」

 ちなみに鬼役としてミラも参加していたのだが、あいつは自分がいじられていた男の子二人を執拗に追いかけていた。傍から見ればミラがあの子たちに懐いて一緒に遊んでいるようにも見えるのだけど、念話が聞こえる俺からしたらこんなに大人げないことはなかった。

「まぁ、これも記録だからな……」

 半分の人数の七人くらいが捕まったところで、ハンデと称して途中でリタイアした俺はカメラを構えてその様子を撮っていた。楽しそうに遊ぶ子どもたちの笑顔にシャッターを押す手が止まらず、いつの間にやらカメラが入る隙が無いほどバッグの中身を圧迫してしまうほどだった。そのほぼすべての写真で、エリンがカメラ目線ばっちりでピースサインを決めているのは余談だ。

「よっしゃぁぁぁあ!! 私たちの勝ちだぁ!」

 結局はやっぱり俺たちの勝ちだった。大人げないと反省はしているけれど、俺たちの側、特にエリンとミラがマジで勝負をしていたので子どもたちがなす術もなく捕まってしまったという感じだ。

「あ、ラモスおじさんだ!」

 最後の一人を捕まえてほんの数分後、子どもの内の一人の声で入り口を見ると、茶髪で大柄な男性がこっちに手を振っていた。後ろにはいかにもこういう酪農を仕事にしていそうな、がっちりとした体格の人たちが続いていた。

「よう、俺はラモス。ミストルがブルメリア社にいた時の同僚だ。あんたらがミストルの呼んだ封魔師ってやつかい? ははっ、ずいぶんと若いけど大丈夫なのか?」

 先頭にいた大柄な男性―ラモスさんは、あいさつ代わりと言わんばかりに、握手のために差し出した俺の手は無視して頭を豪快に撫でに来た。初対面の人にもスキンシップが激しい人のようだった。

「うぅ……は、はい、なんとかやってみせますよ。俺はロイ。ロイ・シュトラールです。こっちはエリン。ミストルさんはやることがあるとかで、今は家にいるみたいです。草刈はついさっき終わりました」

 くらくらする頭を押さえつつ、現状をラモスさんに伝える。ラモスさんは牧草を一通り見渡してから頷いて、

「まあまあ綺麗にはなっているな。お疲れさん、ロイくんとエリンちゃん。じゃあ次は毛刈りだ。運が良かったなお二人さん、このタイミングでこの羊雲の家に来れるなんて」

 そうご機嫌そうに言ってから、子どもたちを呼ぶ。

「よーし、みんな! 羊たちをこの辺に集めてくれ! 毛刈りを始めるぞー!」

「おー!!」

 子どもたちは草刈の時とは大違いのテンションでラモスさんのところから、羊を呼びに散っていく。その中には男の子―ここに来る途中でココちゃんと一緒に話していた子もいて、緊張した面持ちで羊のところまで走っていった。

「後ろにいる野郎どもを真似て、ロイくんには羊を抑えてもらおう。こうやって……地べたに座らせるようにすれば、こいつらはもう慣れているからな。案外おとなしいもんだぜ」

 ラモスさんは言いながら、近くにいた羊を抱え込んで草地に座らせる。言った通り羊は特に抵抗なく、まるで人間と同じように座る形になった。

「わ、分かりました。やってみます」

 どうやら自然と俺たちも手伝いに参加する流れのようだった。ここで何もせずぼーっと見ているだけというのはさすがに気が引けたので、俺は見よう見まねで同じように羊を抱きかかえる。最初は少し抵抗されそうだったけれど、すぐにおとなしく座ってくれた。

「あっはー! 何このモフモフ、超可愛いじゃないですか!」

 俺の抑えた羊を見てエリンが高い声を上げる。確かになすがままに座らされている羊は、なんというか癒されるものがあった。

「そうだろう、可愛いもんだろ! そうだな、エリンちゃんの方は子どもたちと一緒に毛刈りを手伝ってくれねぇか。コツは野郎どもに教えてもらってくれ」

「りょーかいしました!」

 エリンは手渡された毛刈り用のはさみを受け取って、羊を抑えている男の人たちからレクチャーされながら刃を入れ始めた。

「そうだ、そんな感じで切っていけば良い。なるべく根元からな」

「なかなか難しいですね……」

 周りを見てみると子どもたちも作業を始めたようで、若干の緊張した雰囲気の中、はさみを動かす音が大きく聞こえるような気がする。

「……」

「そうそうそのままその足、しっかり押さえててね。やればできるじゃん」

「ふ、ふーん、前の俺じゃないんだぜ、ココ姉ちゃん」

「手が震えてるのは去年と同じだよね」

「う、うるさいな!」

 さっきの男の子もちゃんとやれているみたいだ。ココちゃんは最年長らしく、褒めたりからかったりとお姉さんぶりを発揮している。

 子どもたちがひそひそと話しているのを聞いていると、俺が抑えている羊のところにも何人かがはさみを持ってやってきて、作業を始めた。

「ロイにーちゃん、足速かったねー」

「みんなもすごかったよ。追いつけないかと思った」

「えへへ。でもエリンねーちゃんとあの猫ちゃんに負けちゃったよー」

「あはは……。あいつらは本当に本気だったからね……」

 俺のそんなため息半分の言葉の後に、どこかでくしゃみをする音が聞こえた。

 


 しばらくは黙々と毛刈りの作業が続いた。

 毛を刈られてすっきりとしたフォルムになった羊たちが多くなると、子どもたちを休ませて後は大人たちが仕上げをすることになった。残り数体の羊と、子どもたちが刈り残した羊の処理をラモスさんたちに交じって仕上げていく。毛を刈る作業も慣れてきて、我ながらスムーズにできるようになった。普段使いそうで使うことのない指の筋肉が若干の痛みを訴えていたような気がしたけど、気にならないほど集中してしまった。

「ん……あれ、あんなのあったっけ」

 羊を抑えつつ、すこし余裕が出てきた俺は牧草地を囲む木の柵の向こうに、赤い三角屋根が見えて思わずつぶやく。この近さに位置しているからミストルさんたちが所有するものなのだろうけど、今まで全く気付かなかったのだ。

「あ? どうしたよ?」

「いや、あそこにある赤い屋根の建物って‘羊雲の家’のものなんですか? 俺、今までぜんぜん気が付かなかったんですけど」

ちょうど俺が抑えていた羊の毛を刈っていたラモスさんは手を止めて俺に訊く。作業の手を止めるほどのことではなかったのだけど、せっかくなので確かめてみることにした。

「あぁ……あれはな」

 言い淀んで、ラモスさんは少し表情を暗くさせる。なんだろう、触れてはいけない部分だったのだろうか。地雷を踏んでしまったかもしれないと思ってどきどきしていると、ラモスさんは耳打ちするように俺に顔を近づけて、

トサツジョウだよ(、、、、、、、、)

 そう言った。

 聞き慣れない言葉だったから、最初は何のことだか分からなかったけれど。

 屠殺場。

 つまり、あの赤い屋根の建物はこの羊を殺して、食用の肉にする場所。

 彼はそう言ったのだった。

 その意味を理解して俺は『あぁ……』と気の抜けた返事しかできない。

「あの子たちにはまだ言わないでいて欲しいとミストルにも忠告されてるから、お前らも言わないでほしいんだがな……。あの建物はそういう場所さ。お前らも今日の朝あたりに食ったんじゃないのか。食用になる肉、つまりはこいつらから生まれてくる子どもたちの肉を」

 食用になる羊肉というのは基本的に子どもの肉だというのを聞いた事がある。

 そうだ、朝に羊肉の入ったスパイシーカレーを食べた時に気づいても良いくらいだった。‘羊雲の家’だから羊肉なのではなく、ここにいる羊をあらゆる場所で使っているからこその‘羊雲の家’なのだろう。

 ふと気づいて、子どもたちの服装を見てみる。パッと見ただけでは分からないけど、たぶんあの子たちの服も、今さっき刈った羊毛でできているのかもしれない。

「気づいたか。刈り取られた羊毛はブルメリア社に送られるんだ。衣料品を作るときに重要な原材料になるからな。出来上がった製品のおこぼれを、あの子たちに寄付って形で送っている。その、なんだ、単なるボランティアってわけでもねーんだよ、俺らも」

 ラモスさんは少しばつが悪そうな顔で言う。

 確かに考え直してみれば、ミストルさんはブルメリア社の社長の息子なのだ。いくら弟に会社を任せたと言っても、ミストルさんのこの活動が周りから、なにより父親から手放しに許されたとは考えにくい。このくらいの見返り、と言っては変かもしれないが、会社にとって利益になるものがなければ割に合わないかもしれない。

 抑えている羊は俺たちの話が聞こえていない、というか理解していないのだろう、気持ちよさそうにはさみを受け続けている。

「すまねーな。あんまり気分の良い話でもないだろ」

「いえ、教えていただいてすっきりしました。ありがとうございます」

 俺は素直に礼を言う。

 羊たちには残酷な話だが、こういう事実はずっと昔からあることなのだ。

 俺たちが食べて、生きるために仕方の無いこと。そうやって割り切らないと、やりきれないだろうから。

「いつか子どもたちにも教えてやる時が来る。そろそろココちゃんあたりには教えてやっても良いかもしれねぇんだがな―」

 こういう幸せの裏側を。

「……」

幸せの裏側。

少し寂しそうに言うラモスさんの言葉がかなり印象的で、作業が終わってしばらくしてからも頭から離れなかった。

 


「いやぁ、申し訳ないね。思いのほか作業に時間がかかってしまって、そっちの手伝いに行けなくて」

 作業も完全に終わったところでミストルさんと合流して、‘羊雲の家’の裏にある庭でお昼ごはんを食べた。

「いただきます」

 メニューはバーベキュー。メインは言うまでもなく羊の肉だったのだけれど、俺はもう気にせずにただ一言、いつもより少し気持ちを込めて口にしてから食べることにした。

 作業を終えた大人たちは解放感からか、真昼間から酒をあおって楽しんで、子どもたちは無邪気に鉄板で肉や野菜を焼いていた。

「ロイって言ったけな! なかなかのはさみ捌きだったぜ! 泥棒を捕まえたらで良いから、また遊びに来てくれよ、歓迎するぜ」

「あ、ありがとうございます……」

「お嬢ちゃんも魔物と戦う封魔師ってやつなのか? ぜんぜんそんなふうには見えねぇけどなぁ」

「そうですよー! ふふん、こう見えてもそこの金髪坊やとは一年先輩なんですよー」

「そ、それは別に言わなくても良いだろ! というか封魔師と言ってもですね、その中には三種類あって……」

「あーわかったわかった、とにかくすげーんだろ? 早いとこ泥棒を捕まえてくれよ! 人間なのか魔物なのかわかんねーけど、騎士団に頼んでもぜんぜん捕まえられねーんだからよ」

 こんな感じで新参者の俺たちは終始大人たちに絡まれまくりだった。食事を終えた子どもたちはある程度食べて満足したのか、少しずつ大部屋に戻っていった。作業続きの疲れもあってか、しばらくしてから見に行くと、子どもたちは自分で布団を敷いて‘お昼寝’を始めたのだった。

 扉の向こうからはまだ大人たちの笑い声が聞こえるけど、この大部屋の中はそれとは対照的に、しんと寝静まっていた。踏まないように慎重に、子どもたちの寝顔を見ていく。どうやら十五人全員がお昼寝の時間に入ったようだった。

「ロイさん、起こしちゃダメですよ?」

 窓から刺す暖かい日差しに照らされて気持ちよさそうに眠る子どもたちの中から、急にささやき声が聞こえて俺は立ち止まる。

「……あ、あぁ、ココちゃんか。びっくりした。起きてたんだね」

 その声はココちゃんのものだった。まだ五歳くらいの女の子に添い寝しながら、自分も眠いのだろう、今にも眠ってしまいそうな勢いで船を漕いでいた。

「疲れてるんだけど、寝たくなくて。今日は、ほんとにたのしかったんです」

 目を瞑りながら、ココちゃんは満足そうに言う。

「まだ一日終わっていないんだけどね。でも、楽しかったなら良かったよ」

 子どもたちを起こさないように、俺も小声で返す。楽しんでもらえたなら、喜んでくれたならあの牧草地を走り回った甲斐があったというものだ。

 しばらく返事がなかったから、もう寝てしまったのだろうと思って俺は扉の方へ向かって、ドアノブに手をかける。

「お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと一緒に暮らせてれば、わたしも毎日こんなふうにいられたのかな……」

「……」

 寝言だったのか、俺に向かってのものだったのか判別はつかなかったけど、俺はその言葉にしばらくドアノブに手を置いたまま開けることができなかった。

 幸せの裏側。

 どれだけ楽しくて嬉しいと思っていても、その裏には今みたいな心残りがあるのかもしれない。

さながら俺がカメラに対して抱くような寂しさと、程度はまったく違うけれど似ていて。

 ブラックシードというだけであらゆる場所から疎外されてきたココちゃんたちはなおさら、苦しい裏側があるのだろう。

「仕方ないこと……ってだけで片付けたくはないんだけどな」

 呟いてみても何が変わることはなく。

 俺はまだ騒いでいる大人たち―ついでにエリンの所に行くために扉を開ける。

 ―――。

 と、何の前触れもなくいきなり、俺のポケットに(、、、、、、、)入っていたモノ(、、、、、、、)が振動し始めた。最初は気にならないほどに、だけどそれもすぐに、下手すれば子どもたちを起こしてしまいそうな低い重低音を響かせる。

 不安になるような暗い音。

 嫌な予感、もはや確信を胸に、俺はそれをポケットから取り出す。

 俺の右手には、鮮やかな赤に光る石。

 ミストルさんから受け取った時には確かに澄んだ緑色をしていた、結界の感応装置だった。



 *****


「おいおい、どうやらおれたちが侵入したことがばれちまったようだっつーの、かはは」

「ぎゃはは! 何言ってやがるんだよ! そんなの分かりきってることだろうがよ! あの部屋に盗聴器を付けたのは(、、、、、、、、、)お前だろーがよ(、、、、、、、)、ぎゃは!」

「あんたらうるさいよ。これも作戦の内……あはは、なぁ、そうなんだろ? アレス」

 山道に生える木々の間から陽気に響いているのは年端もいかないような少年少女の声。

 人が通るために作られた山道―と言ってもここ二、三年前に‘羊雲の家’という団体がやってくるまで全くと言って良いほど使われていなかったから、整備もろくにされていないのだが―を見てみても、声の主を見つけることはできない。

 なぜなら彼らは道ではなく、木の枝と枝とを飛び乗りながら移動しているからだった。少し踏み場が悪ければ落ちてしまいそうな危険な技だったが、彼らは慣れているかのように乗っても大丈夫な太い枝を見極めて素早く移動する。

「あぁ、そうそう、これも作戦。ヒャハ。オレ様のちょークールな作戦だ!」

 少年たちの中で唯一の紅一点に‘アレス’と呼ばれた、他の三人より少し年上に見える青年は、いかにも自信たっぷりといったふうに答える。

 燃える炎のように逆立てた紅い髪。

 細く切れ長の目の中に埋め込まれた緑色の瞳。

 それを際立たせるような白い肌。

 カーキ色の長いトレンチコートをはためかせながら、他の三人の先頭を器用に駆けていく。

「あの部屋の盗聴器に気が付くなんざ、きっと只者じゃねーぜ」

 青年は、アレスは目を見開いて呟く。

 その表情は得物を前にして、今まさに狩らんとする狼のようだった。

 それから一本の木の枝で足を止め、右手で後ろにいる仲間たちを制す。アレスの視界の先には、さらさらとした金髪に青い瞳という、昔の貴族のような見た目をした、自分より下か、同じくらいの少年とも形容できる男の姿。腰には彼の得物なのだろう、両刃の剣―しかも溢れ出るアステルからアステリアルだということが分かる―がかかっていて、後ろからはなぜか白い猫まで付いてきていた。

「さてと、ちょっと面を貸せよ。ロイ・シュトラール……ヒャハ!」

 アレスと、目の前から向かってくるロイの視線が合わさる。

 どこから取り出したのか、アレスは両刃のナイフを両手に持って、自分の足場である木の枝から弾丸のように飛び出していったのだった。


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