7話 託された想い(3)
そして、老翁の話を聞いて少し時間が経ち、武具選びをしている時だ。
俺はアリスに問い掛けた。
「そう言えばさ、アリス金は大丈夫なのか?」
「何言ってるのよ……あたしは行商で色々と将来の為に稼いでるからお金は大丈夫よ」
「まぁ、蓄えはあるよな。でも、俺なんかがその大事な金を使っても大丈夫なのか?」
「これからツクルには私の専属の護衛になってもらうのよ。武具なんて良い物を着けて貰わないと私が困るわ……それに……」
そう言って、アリスは俺の腰に袋で隠すように携帯されている日本刀を見る。
アリスはこの腰の刀が抜けないことを知っている。幾ら神器という反則級の武器でも、抜けなければ只のお荷物
「幾ら強くても、抜けないんじゃ意味ねーよな」
「そうよ。理由は分からないけど使えないんじゃ仕方ないわ」
ごもっともだな。前回のようにジークや千の英雄なんかに襲われることがこれから何回も起こるのなら、武器を持ってないなんて話にならない。
それに、もし持っていたとしても俺が扱えるかどうかは分からない。
それほどに俺は自身の力を信じていないのだ。
そして俺が戦闘のことを考え、肩を重くしていると、
「なに考えてるのか大体分かるけど、ツクルには凄い加護があるからそんなに心配しないでよね」
アリスは俺が黒い壁、所謂、レジストと呼ばれる魔力壁を無意識に展開したこと、そして不可避の一撃を無意識で避けたことなどは既に知っている。
どれもアリスが聞いたこともないような凄い加護らしい。
「お、かっこいい剣だな」
そう言って俺が不意に手にした剣。この店で一番安く、細く、それに軽い。
刀身と柄の間には小さい魔石が嵌め込まれており、魔道具であることが伺える。
「そんな、ほっそくて軽い剣じゃなんにも斬れないわよ……」
アリス、それは違う。
「そうか? 俺にはこの剣がこの店一番だと思うぞ。それに見ろよアリス、俺の三振りの剣」
そして、アリスは俺の袋の中の刀をまじまじと見つめる。すると、
「凄くほっそくて、凄く軽そうな剣ね……作った人は何を考えてるのよ」
「これが凄いことに、その一番高い太くて重そうな剣より斬れるんだよなぁ」
「嘘! 嘘よそんなの」
「ま、いずれこの剣が抜けるようになった時に証明してやるさ」
「ふんっ約束……だからね!」
「おう約束だな」
俺はそう口にして安い剣を鞘から引き抜く。ただ、刀身を見る為だけだったのだが。
その時―――
「魔石が……光った? それに何だよこれ」
「どうしたの!? てっ……え? なんで? 適正はなかったはず。なのになんで魔石が光ってるの?」
アリスは俺に心配するように言ってくる。だが、それに増してこの剣を抜いた時に……。
「わかんねぇ! それよりなんだこの感覚……」
これは、何だろうか。俺は前にも、いや何回もこの剣に触れている。いや、触れたのは始めてだ。
じゃあこの鞘から刀身を抜いた瞬間に感じているこれは?
一つは体の中を何かが駆け巡っている感覚。恐らく魔力。
だが、もう一つのこれは……。
「ぐッ……あぁッ」
瞬間、頭の中が何かで支配される。これは……記憶? 自分ではない誰かの記憶だ。
それが頭の中を支配する。経験、感覚、体感、視覚や聴覚に至るまで、自分じゃない誰かに頭が支配されている。
その中で、ある一つの景色が浮かぶ。
戦場だ。
多くの人が動き、ただ殺し合っている。俺は日本刀を持って人を斬る……人を斬る……人を斬る。
その動作には無駄がない。何日も何百日も何千何万日も続けてきた動作。
狂いはなく、正確。そして、冷徹。そこで記憶は終わる。
「どうしたの!? 大丈夫? ツクル?」
「あぁ、少し……いや何でもない」
「何でもない訳ないじゃない! どうしたのよ!」
「話せない」
「え?」
「話したく……ない」
これは、俺の問題だ。全部俺一人が、俺一人だけで解決すればいいんだ。
それに一度話せば、何故かは分からないが、自分が自分で居られなくなりそうで怖い。
話したくない、話せば、俺は、俺を……。
「そっ、なら……いいわよ」
アリスは意外にも簡単に引き下がってくれた。それより何だったんだ今のは?
誰か、自分じゃない誰かの記憶。俺は、一体?
「お主、その剣を振ってみれ」
声の方向に振り向くと、また束の間にじいさんが横に立っていた。
本当に何者なんだよ。気配が無さ過ぎる、幽霊か何かか?
「うわぉッ! びっくりしたぜ、じいさん」
「ホッホッホッ、昔の癖じゃな。ま、剣を振ってみれ」
俺はじいさんに言われた通りに剣を振り続ける。始めて、いや、いつものようにだ。すると、
「ツクル、何よその動き……あんた剣とか持ったこと無かったんじゃないの?」
「へ?」
俺は、自然な動きで剣を振っていた。それは、この世界では見たこともない流れるような動き。
力で制することなく、洗練されていて美しい。力で物を斬らず、ただ剣に身を任せ、撫でるように斬る独特の動き。
それはどこかの国特有の動きだ。洩れなくそれは……。
「武士の動き……なのか?」
「これはまた杞憂じゃったのぉ」
嘘だろ? 俺は、剣なんか持ったことないはずだ。自分に対する記憶は全く戻っていないが、感覚で何となくだが分かる。
俺は真剣を振ったことなど今まで一度も無かった。
だが、なぜだ? なぜこんな洗練された動きが出来る、矛盾している何もかも。
「確かに、その流れに身を任せるような動きならば、動作が制限されにくい細くて軽い剣の方がいいじゃろう」
「そう、みたいですね」
「では、その剣は儂からの餞別じゃ。お主にやろう」
「本当ですか!? ありがとうございます」
アリスも俺に続いて礼を言う。
「そして、これもお主にやろう。あの話に出てきた十騎士が作った魔道鎧じゃ。薄手で剣士専用ではないがのぉ」
そう言って、老翁の手に持たれているのは鎧と言うにはまた違う。
黒を基調とした長いコートに白いシャツの中着、そしてこれまた黒い革靴に黒を主に使われている長いスラックスにベルト、全身一式が手にあった。
これは俺でも分かる、かなりの上物だ。それに十騎士が作ったなんて金で買える額なのか?
「そんな! 流石にそれは貰えませんよ。形見ですよね?」
「ふぅ、まぁ形見になるかのぉ。じゃが、儂には奴から託されていることがあるのじゃ。それがこれじゃよ。奴の最高傑作である魔道鎧を儂が認めた奴に託すことじゃ。やっとこの時が、託された想いを果たす時がきたのじゃ」
「それでも……」
ここまで言われると、断るのも無礼だ。有り難く頂戴しようと思った時、その代役はアリスがしてくれた。
「こんなお金で変えないような代物! ありがたく頂きます! ベル爺さん!」
遠慮の欠片が一切ないアリス。それがアリスの美点でもある、かもしれない。
「あぁ、俺も大事に使います。じいさん」
「ホッホッホッ、儂が持っていても宝の持ち腐れじゃよ。大事に使うと言いじゃろう」
俺達はそれぞれまた礼を言うと、早速着替えた。サイズが少し大きかったので今はじいさんが手直ししている所だ。
「やっと俺もジャージ卒業だな」
「全く、ただで装備が揃うとは思ってもみなかったわよ。運がいいのねツクルは」
あぁ、そうだ。俺は相当運がいい。アリスに出会った事も、このじいさんに出会った事もそうだ。
本当に運がいい。
「出来たのじゃ」
「おっ! ありがとうございます!」
俺は老翁から魔道鎧を受け取ると、直ぐ様着替えた。サイズもピッタリで力が漲ってくる気さえしてくる。
「どうじゃ?」
「どれも丁度いいです! 大事に使わせて頂きます!」
「ホッホッホッ頑張るのじゃよ。その鎧はな、様々な結界が張り巡らせてあり、素材も超一級の魔素材をふんだんに使ってある。剣士にとっては少々薄いのがネックじゃが、お主の動きからすると、薄手の方がよかろう。頑張るのじゃよ」
確かに俺の動きからすると、薄手で動きやすい鎧の方がいいだろう。それなら、この魔導鎧は全ての要望を叶えている。
棚からぼた餅展開だが、喜んで受け取ろう。
「では、またこの街に来たらじいさんの所に絶対顔を出します!」
「ホッホッホッ、この余暇を持て余す老人に付き合ってくれるとは嬉しいのぉ。……そう言えば、お主の名前をまだ聞いとらんかったな」
「ツクルです。姓はありません」
「ホッホッホッ、ではツクルよ……楽しみに……楽しみにしておるぞ」
「はい! では」
アリスも俺に続く。
「今日はありがと! ビル爺! ビル爺の秘密ちゃんと黙っておくからまたね!」
「ホッホッホッ」
老翁は俺達が店を出るまで手を振り続けていた。その表情には、安堵、哀愁、歓喜色々な感情が見受けられた。
そして、一筋の涙がその感情総てを諭すように、頬を伝っていた。
◆
ツクルとアリスの二人が居なくなった後。その老翁は感慨に耽ていた。
「『レイベルト』……今日お主と同じ眼をした奴が現れたのじゃ」
小さく独り言をその老翁はしていた。遠く、玄関から覗く空を見ながらだ。
今日は雲一つない快晴。気温はそこまで高くなく、乾燥した空気。絶好の洗濯日和でもある。
「そして、お主が最期に託したあの鎧……ついに渡す日が来たのじゃ。儂はお主と出会った時以来の運命を感じたぞよ」
そして、老翁は思いを馳せる。今ここでツクルに出会った事、それは老翁が待ち焦がれていた出会いだった。
あれから二十数年余りの託された想いを、先程、老翁は遂に果たしたのである。
「数奇な運命よのぉ。我が子弟よ。まぁ……儂もそろそろそっちに行く頃じゃな」
老翁は知っていた。もうツクルには会えないだろうということが。
老翁はこの世界で未練があると言うならば、もう一度、成長したツクルに会いたいと言うだろう。
だが、それはここまでこの世界で長生きしてきた老翁にとって傲慢な願いだった。
「まだ、楽に逝けぬようじゃなレイベルトよ……。儂はもう少しだけ長生きしたくなってしもうた……」
瞬間、玄関から風が吹き込む。老翁の白く長く蓄えた顎髭が靡く。
老翁はその風を清々しさ半分、寂しさ半分で一杯に浴びていた。
本当に風が強い一日だ。
そして、突然、店先に一人の客がやって来た。
老翁は、その客に酷く、強く、『見覚え』があった。
その人物とは―――
「なんじゃとッ! お主はッ……」
不思議な程に、風が強い一日だ。
無限に吹き続ける風。それは希望の風か、それとも迎えの風か、それは誰にも分からなかった。